こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.6
6/27(金)
昨日の川上葬祭の川上専務の話の刺激はすごかった。ビギナーズラックなのかも知れないが、葬祭を研究することは、アーツを学ぶことと同等ぐらいの意義があると確信した。
そのあと、フェスゲの新世界アーツパーク事業事務局にて、旧知の人たちと交遊する。これ(一応アートNPOフォーラムの準備委員会?とかいうことだったらしいが、遅れてきたときから、拙者は生中3杯が入っていたので、ほとんどパーティ脳でした)は、実にぼくにほっとした時間をもたらしていただいた。
東京にいてもニューヨークにいようとも、「通じ合えるなにものかを共有出来る人たちがそこにはいるのだ」ということを確認できていることがどれほど心強いか。日常の中で、目の前の人たち(学生を勿論含むが)とのディスコミュニケーションのストレスなんて何でもない!と、こういう時間を過ごせば、にこにこと思えるのだ。
そうそう、「レッスンプロの悲哀」なんて情けないことを言っていたらいけない。あのころ(といってもパンプレスに書いたのはまだ1ヶ月前ぐらいだけれど)は、特に疲れていた。
とはいえ、「五感で感じるスロースタイル」は小鹿ゆかりさんが実にうまくこぐゼミ生も活用してくれてファシリテーターたちにも主体的にお世話になってとても助かっている。(ついでだが、丸善ライブラリー『文化政策入門』(2001)のなかに記載されているぼくの文章「芸術に親しむ」p126〜130のなかで、何を間違ったのかファシリテーターを「ファシリネーター」と書いてしまっていた。そのことをぼくの文章を引用しているサイトではじめて知りえらく恥ずかしく思っています。早く再版しないかなあ・・http://www.engeki100.org/feature/20030510.html)。
が、文化政策学部が完成したあとの大学の有り様についての新たな議論も始まるし(本当は限られた資源での変革はしんどいけれどやりがいのある仕事であると思えばいいのだ)、春闘などの組合の仕事(組合は良い意味での抵抗勢力としての=反省機会としてのオールタナティブ集団でいいと思えばいい)も煮詰まる。学生部委員として来年度の新入生キャンプも教員が全員参加出来るようにしてあげたいし、インターンシップも心配・・・と何だか中年ストレス列挙満載になってしまっていた。
さらに、本業の方も、準備のパワーポイントなどのストックを使い果たして、とりわけE-ラーニングのために追われる授業準備(愚痴だけど3つの新しい科目のために、既存の授業に加えて、校外学習とかを準備していくのはすごく大変)・・・と精神的にずいぶん余裕をなくしてしまったほど、めまぐるしかった(これって一番葬祭仕事の敵なのだと昨日聴き〜「余裕、余韻、安心」が社員心得〜、つくづく自分に照らしつつ反省したものだ。いまももちろん同じ状態だが、まあ、どうにかなるさの気分になっている)。
午前中は、川上知紀さんの話をまとめていた。当初、このこぐれ日録にあげようと思っていたが、ふと、これって他業者との関係もあるし、簡単にインターネットにのせてはいかんだろうと思って、それはやめて、学内の内部資料とすることにする。学生たちはぼくのメモも参考にして、きちんとしたレポートを書いてくれるに違いない。
4時限目、2回生のアーツプレイス事例研究はとても充実していた。3つ発表があるとちょうどいい時間になる。ライブハウスを研究した学生たちはそこのライブハウスで演奏しているので、観察がとても実感的になっている。京都のライブハウス地図とかも添付していて(アザーサイドの位置は前の前の場所だったが)、はなもだいぶやらせてもらっているなあと思う。
京都みなみ会館の発表も面白かった。研究する、ということが分かりつつある感じがする。映画製作会社と映画配給会社、そして映画館との関係とかぼくもなかなか具体的になると分からなかったりする点をきちんと押さえた発表だった。より詳しいRCSのことは、佐藤社長が忙しいのならば、小室直子さんに聴くのが一番いいのかも知れない。
ポルノ映画をやっていたということを書かなかった、とかいうのは可愛い(けど、それはちゃんと書くべきなのだと指導する)。つい日活ロマンポルノについて熱を籠めて話してしまった。最後はギャラリーチーム。ところが、大山崎山荘美術館の発表になってしまっていた。安藤忠雄ってそんなにステキなのかなあと内心思ったがなにもいわず。ギャラリーと美術館の違い、ギャラリーの種類とかを調べてくると思っていたのだが・・・これは、仕方がないわい。
京阪電車に乗ろうとすると、上田千尋さんと一緒になる。OBPでの明日の芸術市の準備に行くのだ。ぼくはいずみホールへ。京橋から歩いて行くのは、この前に笙を聴いた時が初めてだったから、2回目だ。途中の舗道は雨に濡れて滑りやすい。
入ると知っている人がいっぱい。野村誠さんと林加奈さんも前半はのんびりしてうろうろしている。中西美穂さんもいた。中川真さん関連ということか。碧水ホールの中村館長は2階席で聴いている。客席通路から入ってくる身ぶり付きパフォーマーを予測してのことなのかどうか。
平盛小学校の糸井登さん。彼も何かと忙しいのによく鑑賞しに来ている。9/27の平盛小学校での運動会に、ジャレミサ指導によるダンスがある(組み体操のかわりだそうだ)のだが、こちらはスロー畑の最終回なので行けないのだ。大学院生の斉藤さんも踊っていましたよと糸井さん。悪いけれど彼女にぜひ立ち合ってもらおう。
糸井さんの知り合いの方が、こぐれ日記を読んでいると自己紹介される。この前の「竹響」コンサートで竹を配っていましたと。実際のぼくが思っていたイメージと違うといわれて、きっと、もっと若々しいイメージを持たれていたのかなあと推測。最近、自分でも鏡で見て老けたなあ、窶れているなあと感じるから、仕方がない。
コンサートが始まる。新・音楽の未来への旅シリーズ2003第2夜『ガムラン「マルガサリ」』。はじめに企画監修の西村朗(作曲家)さんが登場。1994年2月の「ステージラボ」の中日、カザルスホールで現代音楽の解説をしてもらって以来だからだろうが、彼を見てつくづく時間の経過を思う。
前はまるまるとしていたのに、とてもスリムになっていた。でも10年ぐらい経っているからだけど、ちょっと地味でこじんまりした感じがする。それは久しぶりに見るからだろうが。ぼくもそうなのだろうな、きっと。加齢ということの残酷さを思わざるをえない。一方、中川真さんはまるまる。今日はおまけに赤のズボンが裾ヒラヒラしているから、元気さが強調される。
そうか、西村朗さんのそのスーツ姿がよくないのだ。中年を過ぎるとスーツはどこかよれよれした人生を呼び寄せる。30歳代ぐらいだとスーツも結構様になるし、若者のリクルートスーツはまだ借り衣装だから、滑稽な微笑みを与える。でも、40歳を過ぎるとよくない。
そうだ、40か45ぐらいで「西洋式スーツ脱ぎ棄て祭」をしたらいいのだろうと思う。新しい冠婚葬祭を作ればいい。でもどんな衣装を替わりに身に付けるかが問題だ。その一つにインドネシア衣装はいいな。派手だし。還暦まで待つ必要もない。他方、和服というのももう一つの重要な選択だ。ゆっくりと歩いて、それだけで悠然とする。
コンサートのことを書こうと思ったが、その前に色々と書いてしまった。もう、OBPに行かないといけない(これは土曜日の朝に書いています)し、香の焚かれた会場における6つのマルガサリの演奏は文句なく(容赦なく)よくて、ぼくがどうっちゃらこうちゃら書いても書かなくてもいいぐらい、とても楽しく脳内を掃除してくれたと思う。
(もう少しやっぱり内容をアーツ・カレンダー「こぐれ日記455」に書きましょう)
6/28(土)
27日の日録を書いたり、いろいろなメールを読んで返事を書いたりして、午前中が終わる。OBPへ。松本さんは文化経済学会の全国大会に行っているので(明日は帰ってもらうことにしている。ぼくが子どもの演劇ワークショップには立ち合えないからだ)、アートチャンネル(アーツフリマ)をのぞくためだ。
ということで、女性のアカペラや男性デュオを聴いたり、人形のペンを買ったり、近大生のダンスを観たりしてのんびりして帰る。帰ってからも野球を見たりして、今月になってはじめてテレビを観たなあと思いつつ、そのあともサスペンスドラマなどをぼんやりずっと観ている。気がついたのは、たまたまかも知れないが、老人向けのCMが多くなっていること。金鳥がスポンサーだったからだろうな。
6/29(日)
芸術文化鑑賞演習。長堀橋下車。お腹が空いたので心斎橋ウィングフィールドのそばに出来たスーパーで弁当を買い、京都新聞に載った『棗の実』(原作:東理子、脚色・演出:鈴江俊郎)を紹介する記事を学生数分コピーしていると、すでに何人かが店内をうろうろしている。
鑑賞を実際にする校外学習の参加者は今回も多かった。昨日を入れると32名中27名だから、校内では考えられない参加率だ(池上ゼミ合宿でどうしても行けない学生などもいるし)。学生が24名入ったこともあって、ウィングフィールは満席となる。
はせひろいちさんはじめ劇団ジャブジャブサーキットのみなさんの顔もあり、なかなかに濃い演劇空間を経験出来たのではないかと思う(特にぬいぐるみも飛んできた前席にいた連中にとって)。ただ、お芝居が始まって(13:05〜14:46)暗闇になってから、ごそごそ入ってきたのもうちの学生たちだ。これはずいぶんと迷惑をかけた。
ビデオですでに前作『火花見たいに』を見ていて、そのビデオの終わりに鈴江さんのトークがあり、みんな興味を持って見ていたこともよかったのだろうし、まず東理子さんに来てもらったのも、親近感が増してよかったなと思う。
ちょうど一ヶ月前に京都芸術センターで稽古場まで見せていただき、またこうして本公演を観られるというのは、ぼく個人としてもとても幸せだし、原作者と演出家のお話をビフォーとアフターに聞けるというのもはじめてのことだ。大学で演劇のアウトリーチ的な広がり(鑑賞者開発と言っていただいてもいいが)づくりを試しているのだが、答えがまず出るのは、7/11に彼女たちに書いてもらうレビュー具合によるというだけになる。
これは授業評価だから、緩やかだけれど結局この鑑賞は「強制」なのでそれがお芝居を楽しむことと反するのではないかという疑念を一方で置きつつ、でもこれで単位が取れるのはラッキーじゃん!とか言って、小劇場演劇へのシンパシーを増そうという魂胆なのである。
すでに来年度もこの手でいこうぜと思っている。後期はCAP HOUSEに行くだけ(「文化のまちづくり」の小暮担当分)だから、「こぐゼミ」で自分たちの仲間が公演するのを見に行くこととか、何か企画を考えるのも楽しそうだ(でも立命館大でのアーツマネジメント論とともに京都橘女子大学でも同じ授業があるから、課題にはいつものように芸術鑑賞レポートを入れることになる)。
公演内容を書かないまでも、こうして楽しげに文章を綴っているのは、一つには、あれだけ事前に内容をかいま見ていても、それを越える公演内容で新鮮な発見や驚きが多かったせいである。それに他方、いつもは公演だけを観て書くからさっと書きやすいのだが、今回少しいろいろ知ってしまったので、どこまでがいつものレビューとして成立するか、自信がないためでもある。
(でもちょっとだけそのつづきを、アーツ・カレンダー「こぐれ日記456」で書くつもりです)
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