こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.6-7
6/30(月)
深夜、大学院生の小室直子さんから嬉しいメールが来ていた。
〈「沙羅双樹」奈良では、依然好調です。平日で200人をこえる動員をコンスタントに続けています。驚異的です。梅田、シネフェスタは、ままま。ですが、3週目のモーニングもきまりました。奈良の橿原や高田でも、5週決定です。
2日の夜から、東京です。国立博物館のイベントです。
〈宣伝の力というものは、ほんとにすごいと思います。くだらない映画が宣伝の力で、ものすごい人がはいったり、逆にとても良い映画なのにバカな宣伝のために、打ち切りになってしまったり。今回の「沙羅双樹」は、宣伝デビューですが、良い宣伝ができたと思います。こんなに、人が入らないだろう映画がヒットできるなんて。これで、河瀬監督は次の映画を作れるし、日活も、次の映画を作ることができます。動員のみが「成功」をもたらす興行界。「ゲージツ映画」が商業界で生き残るための一つの良い典型例になりそうです。・・・〉
この彼女のメール(その他に、課題研究のためもあってやってもらっている原稿のことや組合斡旋チケットのこともあるが、省略)へのぼくの応答メール(7/1の朝に書いている)の一部は以下のようなものだった。
〈昨夜、京極弥生座で「沙羅双樹」を観てきました。昔の河瀬直美(たとえば、「萌の朱雀」)より、ずっと深い作品だと思いました(彼女のドキュメンタリー映画「追憶のダンス」、みたかったなあ・・・)。
〈台詞の少なさによる押し殺した効果や、それとの対比で生じる物音のくっきりさ、特に呼吸音のリアルさ、削り混まれたショットの美しさなど、中年の女性監督による「ひとの哀しさと逞しさ(特に少し肌の張りがなくなった30〜40歳代の女性の)」を併せもつ作品(逆に若い二人は水彩スケッチのように優しく回顧されている感じ)で、カンヌの審査員も見る目がないなあと思いました。
〈でも(=だから)動員は難しい作品だと実感しました。歌詞のない声だけのUAの使い方ももったいないといえば実にもったいない(18:20からの弥生座は20名弱でした。
〈ぼくにとって最高にかなり近い映画でしたが(比較にはならないけれど、たとえば「過去のない男」よりもずっと上)、ちょっとカメラ(薄暗さの室内とかすばらしのですが)の揺れが必要以上なのではないかとか、最後の空中俯瞰はあってもなかってもいいだとか(終わりってむずかしいですね)、婆娑羅踊りの振付はなんとかならないものか(これは実際がそうなのですから仕方がないですね)とかは思いました。
〈つまりそうそう、ぼくの目ではこの映画の主人公は「ならまちと呼吸する河瀬直美(役の母)」ですね。他の役者を寄せ付けない存在感(そのために好き嫌いが出てしまいそう)です。ホントのまちづくりって何だということも静かに告発しているなあ。
〈予想以上によかったので、珍しく帰りの風景がゆらゆらするほどでした。ではでは。〉
この映画は、劇団八時半「棗の実」と同じく、最近のぼくのベストだ。でも、いかんせん時間に追われてゆっくりと書く暇がない。ラマーズ法の出産シーンでは自分がたちあったはなの出産にダブって目玉が液体に濡れた。河瀬直美役の妊婦が育てるキュウリの曲がり具合がいい。男の子の失踪とその死の確認、そして出産(そこまでに幾度か母子の死の可能性をかいま見させられて、父の誤報による息子とガールフレンドの疾走が自分的にはクライマックスになる)。
河瀬直美と鈴江俊郎はかなり似ている。打算のないアーティストの典型だからだ。
他方、世間=東京あたりには自己プロデュースできて、中身よりもアフタートークなどで美味い言葉をはける自称「芸術家」さんがいかに多いことか。
つまり、自己主張が自己慢心すれすれになりつつ、芸術の本当の強さに(ときには)守られて、実際は嫌な人であったとしても(それは大部分アーツを生活とか人付き合いよりも優先するためにそうなってしまうのだろうと思うけれど)芸術的にはそれが正しいとなるすれすれをいつも通ろうとしている点で、二人は同じなのだと思う。その自己主張自体は、今回のようにぐっと押さえることでそれを強く出す河瀬とストレートに天皇や皇太子を出す鈴江とは、もちろん表現手法の違いもあるけれど。
お昼も楽しかった。
隣の岩屋保育園の園児、45〜6名ほどが3名の保育士さんに連れられて、うちの大学に遊びに来てくれたからだ。こぐゼミとしてスロースタイル、紙のワークショップをするのだが、それだけだと7名のカフェ担以外の学生にとって、少しつならない時間になってしまいそうだった。
ところが、残りのみんながすごい体験をすることになる。はじめ「園児?カワイイ!」なんて言っていた連中も、ずっとダッコさせられたり、男の子が走り回って危険なことをしようとするのを追いかけてひやひやしどおしだと、もう「カワイイ!」どころではなかったのだろう。「私、子どもって苦手」と言っていた学生もいるが、みんな苦手というよりも、つき合っていないから、そりゃ、うまくいかないのが当たり前で、向き不向き以前の問題だろうと思う。
まずはいいキッカケになった。普通にやってあげれることはやってあげて、やれないことはやれないと言うようにつき合えばいいのだが、それをどう自分で会得するかがむずかしいのだ。運動場に行って、鳥の巣にようにくぼみを見立てて、子どもたちをごろごろさせている保育士さんを見て、さすがと思う。
運動場の端は水が流れていて、そこに小さなカニがいた。それを見つけた男の子の嬉しそうな顔。紙のワークショップ会場にいた園児と交替して、また運動場に登ったときには、ぼくもかなりはーはー言っていた。
でも、みんなが無事校門から帰っていくのを見ると、ほっとするしまた来て欲しいなと思う。こういう形で大学の周辺のグループとつき合うことが自然と広がればいい。
7/1(火)
大学院の斉藤さんの研究である「チケット」のことを話していて、いつ演劇チケットが生まれたのだろうか?という話になった(劇場でもいいし、コンサートなどステージものも調べたいが)。何だか推理ゲームのようで面白い。前売りという制度がないとチケットはいらないだろうから、前売りという販売が行われた辺りだろうか。
歴史にはからきし弱いので、徳永さんとかに聞こうかなあと思って彼の「二十世紀の芝居小屋」という本を彼女に渡した。
大学院の講義は今回3名で最低記録更新。こういうときに授業アンケート。芸術にあまり触れたことのない人が大部分だから、これ以上話しても無駄だなあと終わって思う。それよりも基礎知識でも伝えた方がよさそうだ。
大学院での理想は、学部のうちで一つのジャンルぐらいは芸術を専攻して(少なくとも親しくなって)おいてもらうこと。そうすると、そのベースの上へ先端芸術や限界芸術という拡張概念を持ってくるので面白くなるわけなのだが。そうじゃないから、“まるで関心がない、客観的に話せ、身内受けだけのイベントばかり言うな、ダンスに偏ってつまらない、自信をもってしゃべろ”などという(こちらもあとでコメントしないといけないのだがうーんと思うしかない)アンケートになるのである。
これはミスマッチということでしかないなあ。
お互いが不幸な関係。それにしても誰が書いたかすぐに分かるのにこういうことを書くってやっぱりすごい人であることは確かだし、でもどうして毎回受講しに来るのか〜出席とってもいないのに〜ということも、冷静に思うと面白い研究テーマなのかも知れない。
ということで、この講義は草臥れ儲けばかりなので、後期に冠婚葬祭=限界芸術マネジメント論をとって置こうと思う。だから、あと2回は、パワーポイント地獄から逃れるぞ。
その頃、芳江とはなは磔磔にソウルフラワーユニオンを観ていたわけだ。ぼくも行きたかったなあ。こんなことをしているとホントに消耗ばかりだ。
7/2(水)
気になることもあるが、ほぼご機嫌な最近である。もうすぐ夏休みだ。でも8月もいろいろあるけど。梅雨の中休み。カブトムシの雌が弱って清風館コンクリート広場でやっている√TAM(TAM研ではなく文学部中心の同好会の方)のTシャツ展をのぞいている。
9時から入試関係の会議。2限目はリボンゼミ第1組の「本を読む」発表。13時からは学生部委員会、そのあとに教授会、そして京都橘女子大学文化政策研究センター運営委員会、そして途中から学部教授会。
隙間のない一日。今年のリボンゼミは自発的に面白がってくれるからほとんど心配することはない。さらに、このような小さなパフォーマンスをしただけでも、もっと音楽したいなあとか、アカペラもいいしマーティングバンドも作りたいなあという気持ちがどんどん出てくるから嬉しく頼もしい。
自分で当日パンフを作ってもらうのもワークの一つであるし、もちろん読む本を探し、7名でプログラムし、どのように客席を考えるかも学習となる。ただ、2年分の蓄積があるので、目をつぶったり後ろ向きにしたり、だいたいパタンは出来つつある。でも彼女たちには新鮮な体験だし、読む本も読む声もそこの空気の流れ、水の音、鳥の声はそのときだけのものなので、いつも新鮮な場が生まれている。
渡邊さんが、実は空を観てもらって聞いて欲しかったと後で言っていた。これは空がまぶしすぎて中止したらしいのだが、新鮮な発想だった。徳永さんが本屋で本を携帯に写し取って紙切れで読んだのもびっくりした。それ自身が、パフォーマンスアーツ(まだ無意識の行為だけど)だと言うことすら出来る。できれば、本屋ではない町の貼り紙とか落書きを携帯で写して読んだりすると面白いかもなあ。
小西さんが琵琶湖に浮かぶ島の猫の話を読む前に、文章の背景が分かるように解説を入れたのもうまい導入だった。こうして、友だち同士で新しい発見をし合うことが生まれるのだと確信する。来週もどんな試みがあるのか楽しみ。
7/3(木)
アーツ&セラピー。今日と来週はぼくの担当。2日間で分かるアーツマネジメント。大学院で11回しても何も興味が出ないとアンケートで書かれたので心配したが、ここの32名は、だいたい良い反応でほっとする。きむらとしろうじんじんさんのことをまた出したら、いつ出会えるのかと問い合わせが殺到。もし、これを読んでいる方でご存じの方は、http://8506.teacup.com/kogure/bbsまで。
オジーさんが10月のスロースタイルアウトプットに彼どうかしら?と言われていて、女性というのが原則だけど、彼の姿はトランスセクシュアルなのでいいよなあと(呼びたいときはぐっと自分の基準が甘くなる)と答えておいた。うまくいけば、うちの大学で彼に会えるかも。
お昼は社会人の3名と食事。楽しい。あわてて京都テルサへ。日本計画行政学会関西支部の研究大会でパネラーとして出るために。川勝平太さんとか井上章一さんという人とか、吉本興業の田中宏幸さん(3名とも洛星高校出身ということで盛り上がっていた)、それに京都府の下田元美さん、河島伸子さんと一緒に、気楽に話す。
ここの学会の人たちがこんな話を聞いて役立ったかどうかぼくには分からないし、逆に川勝さんがしきりにいっていた首都移転とかそういう昔ぼくも国土庁でやっていたことなど、どうしていまになって面白いことなのだろうかと思いつつ、パネラー席では手持ちぶさたでいつものように少しうとうとしながら大人しく座っていた。
パーティをすぐに抜け出し四ツ橋のフィドル倶楽部というところで山口房子さんからメールがあったフレイレフ・ジャンボリーというバンドを聴く。メンバーの中でチンドン屋さんをやっている人もいるようだ。
《KOGURE
Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る