こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.6
6/9(月)
8時半に大学についたら、すでに「スロー畑」(仮称)に水が撒かれていた(長野さん、ありがとうございます)。昨日、青山総務課長に点検してもらって、もし教員などからクレームが来たら下に下ろしましょうという話になっていたプランター3つを、再度芝田事務局長に見せると、下ろしておこうよ、と言う。
それで、午後からのこぐゼミでは、みんなでキャンパス内を周って、自分たちの目で場所を確かめ、3つのプランターを自分たちとしていいなと思う場所に移した。問題は水やりだ。夕方から天気が崩れて梅雨になるというので、今日はいいとして、朝晩というのが、学生では無理ではないかと思うからだ。
サツマイモの苗がしおれていて、小鹿さんがデジカメで撮って布瀬さんに見てもらうと言っていた。構内の草木を見る目が変わったなあとゼミ生も話している。大学院の斉藤さんが来て研究の相談。そのあと、スロースタイル後期(アウトプット)の打ち合わせ。
関西女性アーティストファイルであることを少しリマインドしてもらった。女性の活躍を応援する、という意味があるのだから(これは自分で自分を縛っているのも事実)。
基礎用語チェック、映画の次は舞踊。夜、その問題を作った。これで6枚目、126の項目を摘出したことになる。まだ手直しするだろうけれど、参考に載せておきます。金満里さんを舞踊のところに入れたのは、他意はなくて、演劇の部分ではかなりオーバーフローしていたので、ここに載せたというぐらいの感じ。いろいろなチェック問題が出きると面白いなと思う。もし、だれか、アーツ関係の問題を作った方がいらしたら、交換しませんか!あとは、アーツマネジメント関係用語を落ち穂拾いしたり、そうそう、詩など文学もあるか。限界芸術と宮澤賢治とかいるしな。
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ダンスセラピー( ) 舞踏( ) ジャズダンス( ) モダンダンス( ) バレエ・リュス( ) 神楽( ) 土方巽( ) 大野一雄( ) 金満里( ) 山田せつ子( ) 北村成美( ) 砂連尾理( ) コレオグラファー( ) 伊藤キム( ) マース・カニングハム( ) モーリス・ベジャール( ) ウィルアム・フォーサイス( ) ピナ・バウシュ( ) ヌーベル・ダンス( ) 山海塾( ) ヒップホップダンス( )
ア)1909年、ディアギレフによって設立。ロシアバレエ団。19世紀広範に確立されたクラシックバレエに対して、演劇的な要素が強い作品を発表した。ニジンスキーはプリミティズムを特徴としていたが、その後、バランシンらの頃には新古典主義的になる。
イ)身体障害者による劇団態変の主宰者。劇団態変は言葉を使わない演劇集団であるが、大野一雄と競演するなど舞踊に限りなく近い身体表現だと見ることもできる。
ウ)1980年代に始まったフランスのコンテンポラリーダンス潮流。狭義にはコンテンポラリーダンスとは、このダンスを指す。
エ)笠井叡に師事。1977年ソロ活動を始める。1989年枇杷系創設。京都造形芸術大学助教授。「FATHER」「速度ノ花」。
オ)舞踊やムーブメントによる心理療法。精神病院や保育所、老人ホームなどで行われつつある。山科在住の岩下徹が有名。
カ)音楽のイメージ、リズムを刺激として作られたダンス。スピードのある「ファンキー」とゆっくりした「アダージオ」がある。
キ)秋田出身。1928〜1986。60年代に暗黒舞踏を創設する。「衰弱体」に注目することで世界に類のない独自の身体表現を確立した。「禁色」1959、「バラ色ダンス」1965など。
ク)1906〜。60年代に土方巽に出逢い、ともに影響しあいながら、舞踏の創世期を担う。「ラ・アルヘンチーナ頌」「私のお母さん」。
ケ)愛知県出身のコレオグラファー。弁髪と黒い眼帯が特色。95年、彼+輝く未来を結成。96年バニョレ国際振付賞受賞。
コ)日本のそれは、1912年にイタリア人ローシーを帝国劇場歌劇部に招いたところから始まる。第1期生に石井漠らがいた。
サ)フランクフルト・バレエ団の芸術監督/振付家。抽象的超絶技巧ダンス。アーティファクト。
シ)寺田みさこと組んで、関西を代表するコンテンポラリーダンス・デュオユニットを結成する。第1回トヨタコレオグラファー賞を受賞。02年には、制作に劇団衛星のプロデューサー、橋本祐介が就任した。
ス)英語で振付家のこと。自分でも踊ることが多いが、演劇における演出家と同じく、振付に専念することもある。
セ)1960年代に生まれた日本独自のダンスで世界的に通用する様式。三島由紀夫がそう名付けたが、当時は「暗黒」が被さっていた。
ソ)1975年に天児牛大によって創設された舞踏のカンパニー。天児はパリ市立劇場の芸術監督を歴任するなど、海外でも有名。
タ)1970年代のニューヨーク、サウスボロンクス地区で生まれた文化によるダンス。日本にはダンス番組「ソウルトレイン」による影響のあと、83年に映画「フラッシュダンス」で大衆的に紹介され、路上でブレイクダンスを始める者が多く出た。
チ)ナニワのしげやんとして、劇場だけではなくショッピングセンターやびわ湖ホールのロビーなどでも大活躍。2003年も京都市東山青少年活動センター創造活動室でロングランのダンスマラソンを成功させた。
ツ)ドイツのブッパタール舞踊団主催。演劇的要素をダンスに取り込み「タンツ・テアター」という独自の表現を創る。
テ)神前で奉納する日本古来の音楽・舞のこと。石見や高千穂、南部などのそれが有名。
ト)初期はモダンダンスの体系化に貢献したマーサ・グラハムの舞踊団で活動。退団後、革新的音楽家ジョン・ケージと組んで、身体の純粋な動きだけで作品を創る。
ナ)1970年ベルギー国立舞踊学校を設立。「春の祭典」「ボレロ」「ザ・カブキ」「ニジンスキー・神の道化」。
6/10(火)
朝、バスを降りてプランターをのぞく。小さな芽。レタスの赤ちゃんだ。結構学生も見ているみたい。小鹿さんが生協食堂に観察ノートを置いて、みんなに書き込んでもらったらどう?って言っていたっけな。
梅雨入りか。もう6月だったな。あと3日で48歳。さきはあと4日で18歳ということになる。
2時間目の授業でこの前のダンスレビューでいいなと思った学生の答案を読む。声にするともっといい。レビューを読むことの面白さを感じる。何かこれもワークショップにできないだろうか。24時間空いている日本唯一の図書館を持つ山口県須佐町の記事(クーネル)を読む。これもいい文章だ。こんな記事を書く学生が生まれたらいいなと思って読み合う。
慌てて、大津駅へ。大学から山科駅までの間工藤さんと話していると、そのバスに86歳のおばあさんが乗ってきて、いろいろ話し出す(きっかけはぼくが敬老シートに座っていたから)。はじめはお互い理解できなかったが、彼女の好物が牛肉と野菜を煮たものだったので、そこから会話が成立しだして、工藤さんも面白がっていた。ここにも実は演劇の芽がある。
第4回の障害者アートギャラリーワーキンググループ会議。仮称だけれど名称を出席者で考える。「borderless gallery NOMA」。野間さんの了解はもちろん必要だ。
服部さんがボーダレスと言ってこれがみんなの気持ちにマッチした。アーツの内と外の境をなくすという意味の他にさまざまな境界を越える(交通する)感じがいい。ボーダーは縁(ふち)であり、縁側はその縁を活かすから、まったくグローバルに画一化するのでもない感じもある。パラレルギャラリーという案もあったけれど、ちょっと推量しずらい。ぼくはアウトサイダーアートを広げてノーサイドギャラリーというのを考えたけれど、これもスポーツ的だし、ボツだった。
また、大学へ。夕方椥辻から坂を上るのはちょっとうんざり。坂を上るのは朝がいい。夕方はやっぱり坂を下って夕日を眺めなくっちゃな。大学院の授業。今日は、加藤種男ワールドを解説した。アサヒビールメセナのお宝交換プロジェクトは本当は実際に取材しなくちゃいけない。
6/11(水)
はじめリボンゼミ生が美術館に行こうというから、そのつもりでいたら、映画館に行きたい!に彼女たちの気持ちが変わり、ぼくもびっくりして少し戸惑ったが、結局、京都みなみ会館で念願のアキ・カウリスマキ監督の『過去のない男』を観れた。
ぼくはもちろん大満足で(ちょっと前から芳江やさきがかけて浸っているサントラ音楽を聴いていたこともあり、「銀の鍵」も読んでいたから、衝撃的な映画のインパクトはなかったが)、終わると流れていたメロディーがかってにわき起こってくる。映画の余韻を引きずりながら、でも授業なので仕方なくピーチクいう学生たちを京都駅へと引き連れる。
ところが、どうも、学生たちには、???だったようで(もちろん少数派もいたかも知れず、でもよかったと言えないムードがあったのかも知れないが)、話を聞くとオカシイ。たとえば、なんでみんな表情がないのか?とか(臭い演技の映画やドラマばかり彼女たちが観ているからなのだが)、気持ち悪い顔ばかりとか(美男美女映画なんだなあ、普通観ているのは)、もっと変な意見は、主人公はどうして偉そうにしているのか、むかつく、とかいうのもあって、・・・・仕方ないわいと思う。
こんなんだったら、シネコンに行かせておいた方がよかったかも知れないが(ぼくだけがこちらに行って)、このなかの幾人かが、数年してふとあの映画って自分たちが観てきたエンタメ映画(もどき)とはちょっと違うものなんだったなあ、と思う可能性だってゼロではない。だから、まあ、あんまり悩まないようにしなくちゃいけない。
帰って長い会議。結構面白かった。織田先生が山科三条商店街へ行くというのでその車に乗せてもらって、磔磔へかけつける。小暮はなはすでに歌い出していた。最近、新曲の生産ピッチがあがっている。一人暮らし(テレビがないというのも創作には適している)は自分と向きあうことが多くなるのだろう。
こちらも、彼女の歌でしか会えないから、どきどきして、蜂が部屋に入ってきて毒ガスで殺してしまった自分勝手さを歌う新曲(「窓の向こうは」)や、山下残「透明人間」の最後のことばが一つのきっかけになったらしい「だるまさんがみている」という、ちょっと語りっぽい(シャンソンではないが)新曲2曲を聴いた。芳江からこの曲のことは聞かされていたが、もう少し歌いこむと面白くなるかも知れない。「レンゲ」がラスト。これはラストに持ってこれるだけの強度が出てきたみたい。「背骨の音」はまばらなギターが特色。
2番目に出てきた麻利さんは、はななんかよりも声がシャウトしてブルースであり、自分を全部ぶちまける感じの歌い手だった。率直で一生懸命。熱狂的なファンもいるようで、一緒に歌っていた。ぼくもとてもぶるぶるした。ギターも面白い。
今日はなんていいライブなのだろう。このあとに、はなと麻利さんを統合して、10年ほど熟成した月下美人さんが登場したのだから。安心して彼女たちの歌とベースのリズムに酔う。ビールがめちゃめちゃ美味い。上手い歌に美味い酒、嬉しい人びと、美しい磔磔、嬉しいひとときであった。珍しく、すぐに帰らないで芳江を引き連れて、また飲む。マッドマッドサマーまで少しの辛抱だ。
そうそう、秋のスロースタイルアウトプット(10/11、12あたり。ぼくはその次の週だと思っていて山形ドキュメンタリー映画祭の宮沢さんに行きますねって言っておいてとても悪いことをした)でライブをするのだけど、小鹿さんに、はなちゃんどう?って言われて、それは勘弁して、と言っておいたが、月下美人さんに頼むのはどうだろう。彼女たちの持続力はスロースタイルって感じだし、山本さんの東南アジア旅の話に石田さんのベース教室(ちょっと青空ベース術公開講座っていいじゃない?)っていう取り合わせ、夫婦(的)デュオっていう発想もいいんじゃないかなあ。
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