こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.3



226.3/7〜3/9


3/7(金)

午前中「アカルイミライ」のことを思い日記に書いていた。夕方、サントリーの佐藤さんに、そういう話をすると暇でいいですねえと言われる、OMSのカフェにて。暇といえば暇。でも土日もいつもonでもなくoffでもなく、のんべんだらりとアーツのこと、それと生活の関係について考えていたり感じたりしていて、それはいいことなのかどうか。

そのカフェでも読んでいた本、福本博文『ワンダーゾーン』文藝春秋、2001.11。《「自己啓発セミナー」「前世療法」「チャネリング」「魔法の水」・・・・・・。サイキック・ビジネスの驚くべき裏の世界を描くノンフィクション!》を読んでいると、何だかカフェのそとを通り過ぎる人もそんな心理模様を持っているように見える。アーツセラピーとの関係とかも思ってしまうし、葬祭の問題部分とも接合していく。

大阪府立現代美術センターで、新庄茂扶展〜封印と開削 日々の生のあかしとしての紙日記1979〜2003」を見る。1945年大阪府出身。本人の姿もあった。手袋をつけて日記をめくるように出来る。日記という素材は、どうも限界芸術のままの方がどこかいいなと思ってしまうのはなぜだろう。見えない時間を形にするときに日付はあまりにも日常的だからだろうか。

谷町四丁目から扇町へ行き、15時半からカフェで第8回劇場文化研究会ワーキングチーム。明かりがテーブルの真ん中に置いてあったりして普段とは違う雰囲気。報告書案が出来つつある。仮題だが「劇場文化をもっと人と街のなかへ〜関西のエンターテイメントシーン活性化への提案〜」とあって、本題はまあいいのだが副題について意見をいようと思いつつ言わなかった。「関西ステージの生活シーン化への提案」くらいに変えなくちゃな。

そのあと懇親会。年配の人たちがよく映画をみたりしていることが分かって面白い。お酒が入るとやっぱり違うな。ジャンキー松本さん(オヤジラップデュオ「33」)が隣のギャラリーで個展をしていて、FM802の谷口さんがみんなに紹介している。

そのまま、みなさんと「グランドフィナーレ!扇町ミュージアムスクエア最終公演、南河内万歳一座『さらバイ』作・演出:内藤裕敬。19:34〜21:29。リングのようになっていて、目の前で役者が走ってそのうちに汗が飛び散るようになる。帽子をかぶって動いているときには年齢を感じさせないけれど、帽子をとってはーはーしている姿を見ると、昔からの人たちはとくに加齢を強く印象づけられる。

(以下、「こぐれ日記429」にて、ごらんください)

3/8(土)

午後2時半ごろ、JRで人身事故があったのだが、その影響がかなり多くの路線に出てしかも復旧に手間取っていて、それがアイホールの公演開始にも影響を与えていた。昨夜の芝居を思い出さされるし、その前に観たケンローチ映画「ナビゲーター」(鉄道保安サービス労働者のものがたり)ともつながっていく。

昨日からはなが戻っていて、朝近くの美容院に行き着付けをして戻ってきた。芳江のお父さんが買った着物がずっと眠っていてそれが復活したわけである。そのうちにモトキシノブさんが桜餅をたずさえて来てくれて、これから京都のお寺(黒谷さんなど)で撮影をするということで出ていく。うちの親にもこれを見せられるから、とても助かる。

なぜうちにモトキさんが来たかというと、芳江とぼくにはなへメッセージを書いてそれを持ってぼくらも撮されたからで、芳江はキンセンカの墨絵の横にメッセージを書き、ぼくは「うたはいたる処にある」とか何か書いて写った。

神戸アートビレッジセンター、KAVCチャレンジシアターに出ている劇団鹿殺し第八回公演『さよなら〜君が代ラウドネス』15:04〜16:49。君が代というサブタイトルに惹かれたのだが、「文部省」に血の浄化をうける少年犯罪者(でもないような者もいるが)たちの物語(というほどでもないが)はいささか不発に終わったようだった。

戦争疑似体験とか言っていたがただのゲーセンぐらいなもので、後半は神のお告げのあと自虐的に自殺するというシーンが散見されるのみである。こういう舞台を若い人が初めて見るともうお芝居を行こうと思わないのじゃないかなというサンプルのような感じもする。でもまあ、そんなに客席に媚びないのでそういう劇団よりもずっとましではある。それにこの集団から抜ける才能が出ないとも限らない。作:松山サダメ、演出:髭の子チョビン。

伊丹アイホールまで人身事故の影響でゆっくりと移動したがそれでも時間がたっぷり余ったので、駅前ショッピングセンターでぶらぶら。本屋で紺野一彦『劇団四季の謎』(KKベストブック)を少し立ち読み。四季を賛美する太鼓持ち本かと思ったら意外にちゃんと劇団やカリスマのこと、劇団員の生態を分析したりしている(ぼくなんかよりもマイルドに冷静に)ので面白かった。

まずこういう本をうちの大学の四季ファン(そんなにはいないはずだが、ぼくに関わらない学生には多いようにも思う)にも読ませないといけないだろうな。でも、自分の金で買うのは嫌なので個人研究費が使える4月まで買わないでおこうか。

アイホール、19:41〜20:43。癒し系ダムタイプ映像とか勅使河原三郎的美術とかいおうとすればいろいろ指摘できるのかも知れないが、後発で何かをしようとすればそういう感じにならざるを得ないと思うし、まあそういう先例としてのスグレモノはいい遺産なのだから、敬意を払いつつどんどん影響されていって(もちろん剽窃ではなくてね)超えればいいし。

それに、パフォーマンス鑑賞のニューカマーにとったら、まずこのdots「うつつなれ」(構成・演出・美術プラン:桑折現)が初めての新鮮体験になり、それは正直、マチネで見た暗くて投げやりな舞台よりもいい印象を与えたのではないだろうか。でも鹿殺し公演での暗い美術の入口は、このdotsの入口ほど凝ってはいないが、なかなかであったなあと逆に思い出したりもする。

問題は、大学を卒業してからなのかも知れない。いまは芸術系大学のなかの装置や練習場所が、(間接的には授業料という形で払っているとしても)すべて保証されているのだからな。いまのうちにどんどん実験をすればいいと思う。個人的には、音楽がヒーリングピアノのようだったのが物足りなくて、一番よかったのは、帰り藤原さんに言ったのだが「神田川の妻」(燐光群)みたいに、壁にはりつけられた上着群が、壁のシミを何かに見立ててしまう人間の脳作用をうまく活用した部分だった。

つまり、たとえば、あるシーン(確か宮北裕美)が、ちょうど明るくされた上着たちの袖のところと偶然にリンクして、影ではないのに、同じものを壁が記憶して模倣されていくように客席のぼくはかってに見ることが出来てうれしかった。そういう作用をうまく利用しているみたいに思ったのだ。というのも、そうでなかったら、4名の人物はただ移動しているだけで、音楽も映像も高水準ながらまあそんな感じにおしゃれだなというものだから、ずいぶんと退屈してしまっていただろう。

3/9(日)

JAM West例会。應典院での現地観察だったのでとても意義深く、秋田さんではなく西島宏さんから見たマネジメント的(裏方的)シアトリカル應典院の姿は一緒に案内してくれた川井田さんにも新鮮だったぐらいだから、実に有り難いチャンスだった。中村市から柳川さんが来てくれたりして、参加者も満足度は高かったはずだが、何せ参加人数が少なすぎ。これはどうも危ないなあ。

OBPアーツプロジェクトで大阪教育大学美術科の「Wa」を見る。手づくりオモシロ帽子をかぶってデジカメ撮影をするのだが、見終わってから3/16、4/11.12、6/1と続く学生アーツマネジメント会議などの打ち合わせを参観しているときに、中年女性の一団が帽子屋に来ていて、とても喜んでいる声が響いていて、これは嬉しい反応だった。

このあと、ジャングル・インディペンデント・シアター(恵美須町)に行き、ZLVZX VOL.15『二人で狂う・・・好きなだけ』を約1時間見る。まえに野外の遊劇体公演でも見たイヨネスコの作品。イヨネスコは不条理劇とか名前だけは有名だが、なかなかにぴんとこない作家の一人だ。

今回の久保亜紀子演出は少しほのぼのとした二人だったので(遊劇体のときはいかにも崩壊した行き止まりの感じが強かった)、少しうとうとしたが、気持ち悪くはならなかった。遠藤寿美子さんがいま力を入れているSara Kaneという28歳で自殺した劇作家の作品を、久保亜紀子がコンプレックス1928で11/29〜30に上演するという当日パンフを見て、ああそうかと思う。

帰り、いまこの日録を生産している家のiMacのためにワードを含むソフトを安く買って、あとオフブックでエントリーシートの書き方などの古本(100円)も買ったりして帰る。


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