こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.11



301.11/24〜11/27

11/24(月)

何もしない月曜日。授業は振り替えで、西陣に行こうとしたら雨が降り出して駅前で踵を返す。夕飯に焼きめしを珍しく自分で作って食べる。さきがお父さんの味だという。

昨日の朝はパンプレスの原稿を書いたが、今日も出かけるつもりで朝に神戸市のレターのために「創造都市について」の短いエッセイを書いた。

11/25(火)

朝、気がついてよかったといえばよかったが、i-bookの付属品をどうも立命館に忘れたことが判明。これでは授業ができないので、ソフマップに寄ってから大学に出かける。忙しい日に限ってこんなことがある。

着くとすぐにプリント印刷。大量に溜まったメールの処理。学生たちがきたりする(ゼミ選び)が話もできないまま、これから2回生になる学生たちへの文化政策事例研究と資格の説明。途中に抜け出して、組合の執行委員会(団交をすることになってまた忙しい)。2回目のゲストの松本茂章さんが来てくれているかどうか気になりながら。

文化のまちづくり1。文化を通じての就職作文の書き方講座。来年度は松本さんに3回してもらおう。そうすれば添削して書き直すことができる。少し学生たちにもそういうものだということを予めキチンと教えてあげないとびっくりすることになるが、ぼくなどすぐ甘くなるから、彼が言ってくれると助かる。

でも、ぼくの分の評価ベースとして参考にする作文採点は最低点を75点にしてねと頼む(出席するだけでも彼女たちには勇気がいるのだから。案の定、授業には出ず、作文だけ持ってくる学生たちが結構いた)。これにCAP HOUSEなどの出席点を加えれば、落とす学生は少なくなるだろう。松本さんは採点だけでなく裏にコメントを書いてくれている(戻して欲しい人は研究室まで)。

地域文化行政論(芦屋市美のことを語りだしてえらく熱くしゃべってしまった)を終えて研究室に戻ると、添削を受けた二人の学生が松本さんと話していた。彼は教育者になる資質がぼく以上にあるのかも知れないなと思う。その二人はどちらも京大に通っていて(ラクビー部のマネージャーと合唱部)、その活動などは就職活動で十分ポイントになるから、問題は表現力なのである(それ以外の作文を彼が読んでの感想:文化政策学部に来た学生だけあって、作文の素材体験はじゅうぶんある。でも内向きで外部の人への説得力、積極性に欠ける・・)。大規模校との違いだろう。

そうこうしているうちに、このこぐれ日録の記載についての抗議電話がかかってきて、ずいぶんと長く話した(松本さん、ごめんなさい)。最初、向こうもこちらも敵対的だったが、話すうちに、なあんだという気分になる。でも、やっぱりキチンとしてもらえないと困ることが多々あるから、電話の主にその旨をメールしておく。

11/26(水)

今日は、アーツリボンゼミ。無事、明日からのイラストコンテストの展覧会が図書館ロビーで始められる。準備はなかなかにむずかしいものだということが分かったと思うし、でも、何とかやれるという自信にもなったのではないだろうか。

保育園の1歳半ぐらいの幼児たち(その一人は「はたけ」のなかを10/12に入ったりして遊んだ子どもだ)を散歩させている保母さんと話す。最近は保育が心配で数ヶ月たった幼児を保育園に預けるために仕事を探す母親が多くなっているのだという。

11/27(木)

アートマネジメント論を講義したあと、築港赤レンガ倉庫。大阪都市協会の幹部以下の面々の勉強会のゲストとして呼ばれる。ぼくの本をみんな買ってもらっていて恐縮した。大阪市の芸術シーンによく足を運んでもらっているので、理解してもらいやすい。

2時間ほど話したり質問に答えたりしてから、フェスティバルゲートへ。都会とはさまざまなマイナーなもの、これからなものが溢れているところで、メジャーしかない(鰺の大群しかいない状態)ところは、田舎であるという話もすればよかったと思い、途中一緒になった北辻さんに話す。

どうもおかしいなとは思いつつ(いつもみかけるダンス関係者がいない)、アートシアターdBに入る。公演がはじまりそうになってはじめて、これはお芝居だと気づく。うっかりと、12/27のダンス公演を11/27と間違ってきたのだ。結構な入り。でも、まだ席が前にはあったので恐縮しながらも、ここではじめてダンス以外の公演を観られて、なかなかに有意義だった(どうも、ありがとうございました)。

コズミックシアター第13回公演、大阪市助成公演、Art Theater dB協力、『寿歌〜ホギウタ〜』作はもちろん北村想。演出、岡田真由美。コロス(白い亡霊のような)が3人。ゲサクにここの代表、金子順子がなるので、ゲサクの存在感が強くなる。

観客には年配の人たちや家族連れが多く、帰りむずかしかったなあとつぶやいていたりはする。でも、ぼくには、少し古風な演出がかえって「寿歌」の透明感を浮き彫りにするようで、この台本の今日性を強く感じ、いい気持ちで観劇させてもらった。


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