こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.10



293.10/27〜10/30

10/27(月)

昨日、会津戊辰戦争で女性たちが結成した兵士たちが戦い死んでいく話とその映像を9501教室で少しみた(細川学生部長によるレクチャー)。「歴史は死者がつくった」というタイトルの北山善夫さんの絵画のことを思う。それにしても負けが決まっている戦争に長刀で参入するなど集団自殺とかわらない。辱めを受けるぐらいなら娘を殺そうとする母など美化してはいけないなと思う。

高橋祥友『中高年自殺〜その実態と予防のために』ちくま新書412。自殺が起きた後に行うケアは、ポストベンション(事前予防のpreventionと対となる言葉のようだ)とかディブリーフィングというそうだ。「ブリーフケア」が葬送の重要なテーマになっていることとも関連する。

著者は防衛医科大学校・防衛医学研究センター・行動科学研究部門・教授という肩書き。防衛庁のメンタルヘルスチームの一員としてうつ病や自殺予防に取り組んできているという。戦争殺戮と隣り合う自衛隊という組織と自殺との関係もまた複雑なものがあるのだろう、武器が溢れ容易く自殺できる環境でもあるし。

こぐゼミは振替なので、午前中は大阪市中央青年センターで「自立する青年と文化研究会」打ち合わせ。まだ会議は続いていたが、大阪駅の中華料理店に急ぎ、関経連のこの前だした報告書をより具体化するための打ち合わせをする(「アベプロ」という企画が生まれるかもしれないがまた実現してからゆっくりと)。

そのあと、大阪成蹊大学芸術学部、space Bへ。今日はJR長岡京駅から歩いてみた。帰りは阪急の長岡天神駅まで歩く。どちらも15分とあって、表記上は京都橘女子大学と椥辻駅の間の距離時間と同じだけれど、ぜんぜん近い。そのうえ成蹊はスクールバスも用意。これって競争激しいご時世故なのだろうな。

space B 「コミュニケーションの〈かたち〉」Exhibition 07【Premonition-M-】。いちばん下手なコミュニケーションの形はカネショウの加虐アニメだったり、児嶋サコの自己虐(ピンの軽微な刺さり方がカワイイ痛み)だったりするのだろう。カネショウというのは金田勝一なのね、きっと。映像はこのほかカワイオカムラと、小さなくぼみでやっている青木陵子+伊藤存「説子」。

この「説子」は至近距離でアニメ。怖いモノではなく、でも椅子とアニメとの近さがフツウではない。エンドレスなので2度目になる。でもひょっとしたらバリエーションかなと途中まで思ってしまう。それってかなりの力だろうな(こちらの記憶容量の少なさとも関連するが)。いままで伊藤存の刺繍作品ってどこかばしっとぼくには届かなかったが、こうして見せられるとまた見ようと感じる。増殖するけれど意味を完成させない糸くずのようなコミュニケーション。

みやじけいこの出窓「どちらからともなく/どちらからものぞみ」をみつつ(反射して空に越境して中途半端に消えていく部分が気になる)、階段を上る。ここには自虐も加虐もない(はず)。でも、その曇りガラスの向こう側のぼんやりした姿「近い影/遠い景色」はやっぱりぼんやりした不安のコミュニケーションであって、適切な距離を時間的にも空間的にもとれないタイプのコミュニケーション「下手系」のバリエーションなのかもしれない。

帰って展覧会のタイトルの「premonition」を辞書でひくと「予告、警告、徴候、前兆、予感」という意味だった。Mの予告か。では「M」とは?マネーではないな。モラトリアムではないように。ぐんぜんに辞書をめくって出てきた「mortality」という単語は、大量死や死亡率という意味だが、死ぬべき運命ということから人類の意味ともなる。とりあえず、ぼくは「人類の予告」という意味を選ぶことに。

10/28(火)

昨日休んだこともあり忙しい一日。松本茂章さんに「文化のまちづくり」授業の一貫として「作文術」の授業をしてもらった。ほっと気を許して缶ビール2本。鼻の穴に手を突っ込んだらまた出血しそうになった。あぶないあぶない。

10/29(水)

リボンゼミは振替。神戸市が来て創造都市会議の事前打ち合わせ。京都橘女子大学文化政策研究センター運営委員会。市川照代さんに久しぶりに電話。インターンシップ報告会と懇親会。帰り発泡酒をつぎ足して飲んでいると樟葉まで行きすぎる。最近行きすぎることが増えている。

10/30(木)

3限目のアートマネジメント論を終えて、大阪府の方と打ち合わせ。綿業会館で近代建築物における文化催事の面白さについてのシンポみたいのをすることになった。来年1月の平日。見学会とスライドショーも入れて。

神戸アートビレッジセンター(KAVC)へ。KOBE ART ANNUAL 2003-Grip the Gap-はささっと見ておくのみ。もう一度来るつもり。

アンサンブルゾネ『ECHO』。あとで岡登志子さん(構成振付演出)は出ていなかったことに気づく。伊藤愛さんを岡さんとずっと間違って見ていた。みんな岡さんのダンスが反響しているように似ている。姿、背格好が。

忙しく、今日は瞼がずっとひくひくしていた。鼻血騒動に続いて。そのひくひくがダンスの進行がはじまると収まってくる。山科から神戸。遠くまで来て、ほっと身体がしているのが感じられる。帰りご一緒した平川明子さんに一度はな(今日いったん東京から京都に戻って明日は笠岡市)の声と呼吸をみてもらいたいなと思う。

音楽のFRITZ SITTERLEがパフォーマーとしてダンスのなかに交じって違和感がない。これの延長には音楽もダンスもみんな変わらず演奏するかたちが起きるような、そんな予感すらする。身体動作もサウンドも、どこかに発音源があるのだろうが、それの所在はどうでもいいぐらいに、エコーがエコーを呼んでいく、実際にしているのか、すでに録音されていたものなのかも判らないような。

当日パンフにブレヒトのことばがある。週末、この作品は、「ブレヒト的ブレヒト演劇祭」の一環として、両国のシアターXで公演される。


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