こぐれ日録 KOGURE Diary 2003.9
9/5(金)
お葬式っていろいろ話したりするととてもおもしろくって興味が尽きないでしょうけれど、それをまとめる(つまり研究論文にする)とつまらなくなるんじゃない、と中西美穂さんに言われたが、まあ多分そうだろう(なんでもだろうが)。一番楽しいいまを大切にすることにしよう。机の上には結婚準備の本や子ども誕生の祝い、それに『新しい時代の私たちのお墓』までの本が積み上がり、漢語林が大活躍。
そういえば昨日おとなしくでまじめな大森さん(こぐゼミ)に、卒業研究なにする?って聞いたら、小さくお葬式って答えてくれてびっくりした。びっくりするのはとても失礼なのだが(彼女はキンキキッズの大ファンだったけれど、それからもう3年も経ったのだった。ごめんね)、そういえば前期に彼女は難しい漢語をもつ葬送儀礼を発表していた。葬式についての意識調査のためアンケートをとりたいという。研究方法についてアドバイスしなくちゃ。
それでも、後期アーツマネジメントのためのパワーポイント準備へとはなかなかつながらず。妄想のうずにいるとあっという間に昼休みになる。今日は普段の授業日のように学生が多い。スロー畑はカボチャ(ちょっと膨らみだしているものがあった)やサツマイモの葉っぱで通り道がなくなっている。畝とかのデザインはまるで見えない。
夏の繁茂がいまごろはじまっている。遅れても太陽が出ることは農業にはいいことなのだろう。この暑さは築港赤レンガ倉庫でももとより大問題だ。外は良い風が吹いてきたのに倉庫の中は気温が2度ぐらい違う感じがする。でもうちわと扇風機でなんとか楽しむ。
カール・ストーンと赤松正行、そして小島剛。何といってもはじまりの音の揺れが気持ちよすぎ。右耳と左耳の間に通路を作られてしまった思い。ここに音の風が流れて、顔の穴という穴に音の紋が出来てしまった。
カール・ストーンほどになると、ワンフレーズだけで20分のソロをしてしまうのだろうが、これはちょっと退屈だった。でも単細胞動物になっていくような錯覚を覚えたのは得難い経験。3人ともそう思ったが演奏記録は映像やMDだけではなくて、譜面(というか元のパソコンプログラムとそのパフォーマンスとの関係記録)として保存されているのだろうか。即興の側面とそのもとのプログラムの関係など少し聞きたいなと思う。
赤松正行ソロの最後はまるで颱風だったりこの前の水俣の土石流だったりした。気がつくと中川真さんが立って聞いていたがずっとすわっているよりも少し動いた方が場所を感じられるのだろうなと思い、休憩後の後半は少し立ったりした。
サウンドアートのよさは音楽のような表面的な美しさの誘惑がまるでないので、自分の脳内をミクロの決死隊にように探険するキッカケを与えてくれること。たとえば、カール・ストーンのソロの時、どうしてかむかしいつも通った西船橋の駅前の情景とそのそばの本屋の棚が浮かんできてどうしてこんなに殺風景な風景をぼくはなぜいままでためていたのだろうかと驚いた。
9/6(土)
9時前に大学に集まり、9時半から16時半までAO入試面談。前年までと比べてすごく増えた。端先生はかなり草臥れたと言っていてぼくは直後はそうでもなかったが、翌日肩と腰がとてもこっていることをさきのマッサージで知って、やっぱり疲れたのだろうと思う。でもとてもいい疲れではある。高校生に文化政策は確実に浸透してきている(高校の先生からすすめられるのではなく、自力でここへ辿りつくのだ)。インターネットで自分なりに調べてかっこよく自分の言葉で考えているなあと思う。
いい疲れのまま、アートシアターdBへ。コントラバスの稲田誠が10kg太って若返ったみたいな感じで伸びやかに演奏し、長身のケイト・デンボロー(彼女が全体を構成している)とカツラの北村成美とが絡み、ライブ映像でインクがたれる映像を高橋匡太がこれもまたまとわりつくように写していた。
35分ぐらいのパフォーマンスだったが見所の多いコラボレーションで、単に癒されるというではなく、面談の疲労が撹拌され、鬱血したり癌化されたりするのを防ぐような効果を伴っていた。そうそうタイトルは「ink」だったので、はじめにインクで拇印を押して入場した。これは何だか在住外国人証明の争いを思い出させてもらってちょっと心騒いだ。
岡山市から来ている倉知佳子さんというダンスを鑑賞しメディア化することを悦楽にしている人に会った。話しているうちに初日打上が始まっていた。お別れに、入り口前で彼女がシゲヤンと少しデュエットさせてもらっていて、遠方からの友を送るダンスという儀礼があっていいなあと思って楽しく見た。
9/7(日)
はなから電話があって、3日に華之家ケイのライブ(女性のリーダーのチンドン屋さんということでCDを買ったりして注目しているのだ)に行っていたという。off noteのみなさんが伴奏をして(関島さん、中尾さん、渋谷さんら)華之家ケイさんが昭和歌謡を歌うので、はなも聴かせてもらいに行ったということらしい。この日は延々と大学の会議が続いたのでまったく行けなかったのだが、こうして行きたいなと思って行けなかったライブや展覧会はどんなに多いかなと考えるとぞっとする。
東京から滋賀に来たとき、なんだか関西のアーツの分量ならばだいたいはカバーできるだろうと思ったけれど、そのときは自分に知り合いが少なくて大切な情報がなかったからそう思ったのであって、ホントに小さな場所でとてもシャープな演奏があるし、隠れた場所の美術インスタレーションに驚いたり意外性に満ちたダンスが野原で踊られたりするから、そんな場所の秘められた行為を知れば知るほど、フラストレーションは高まってしまう。
とはいえ、3日のライブははなが聴いてくれたから、ちょっとその様子は聴くことができた。何も自分だけで完結することもない。i-bookを手に入れたはなも三浦久さんみたいに掲示板で日記をたまにでもいいから書いてくれるといいのだが。
まあ、何かを選ぶと何かにはいけないのは仕方がないことだ。どれに行こうかと迷うことは楽しい悩みではあるが、正直困ってしまうときもある。行きますとメールをしていて行けなかったときにどうして連絡しなかったのですかと詰問されることもたまにはあって、そういうときは気をつけなくちゃと暗くなることもある。
今日も数日前までさんざん迷ったあげく、映画を見る日にしていた。というのも、小室さんから「映画上映ネットワーク会議2003イン大阪」の案内が送られていて、ホントは昨日ぐらいに行くのがよかったのだろうが(全国の映画関係者に会えたから)、今日でもたぶん海遊館に行けば、誰かに会えるだろうし、それに11時からはじまるフレデリック・ワイズマン『DV(2)--ドメスティック・バイオレンス(2)』や金沢市堅町商店街振興組合も協力した青山真治『秋聲旅日記』などが見れるのもラッキーと思ったからだった。
(映画のタイトル中「聲」という漢字の使い方は、その時代ということもあるが、「声」では何も伝わらないから、ホントの字にしたのだろうと思う。耳がなくちゃ発声したってなにも聞こえないし、「こえ」を出したことすらなかったことになってしまう。なお、耳の上の漢字部分は「ケイ」という字で中国の古代の楽器だそうだ。高い音を出してそれは人間の「こえ」なのだということらしい。それにしても、訓読みのほうの語源はなかなかに分からないようで、漢字でない日本語語源辞典というのは憶測ばかりできちんとはできないそうだ。つい「こえ」は「こえる」と関係あるかしらとか思うけれど。これもまた日本語の音韻の少なさに帰因しているのできっと違うだろうな)
ところが、朝少しごたごたしていたこともあり、9時すぎに出かけること能わず。
そうすると午後から可能な場所ということになり、吉竹達雄さんからいただいたアルティでの堀米ゆず子ヴァイオリンリサイタルに出かけるのか(バルトークやバッハの無伴奏、それに原田敬子作曲による2つのヴァイオリンのための初演もあるという)、それともさざんかホールまで足を伸ばすかで迷ってしまう。日曜日はソワレがあるところは少ないので、マチネに関してこうして選択の時間が迫ってくるのだ。
吉竹さんには悪いなあと思いつつ(招待券をもらっているので近くに学生でもいたら渡せたけれど〜招待状ファックスと招待券=チケット自体をもらっている場合でその処理の仕方が少し変わってくる。招待する立場になったときにどちらがいいのかもそれぞれの長短があるだろう〜)、いつも案内をもらいつつその遠さで敬遠している大和高田市のさざんかホールに出かけることにした。ま、今日もまた青年団なので大ホールの椅子には座らずじまいではあるが。
京阪電車の運行が大幅に変わって、八幡市から京橋方面に出て戻るのにはとても便利になった。特急がすべて枚方市にとまるようになったからで、考えてみれば、JRは新快速が高槻にとまるのだから、前からこうすればずっとよかったのにとは思うが。
というわけで奈良県の大和高田さざんかホール、大ホール舞台上仮設劇場へ。京都市東山青少年センターの西田さんと表さんがはじめてきて、どうして私たちにまで招待状をいただけるのかしらと言っていたが、お互い演劇やダンスを大切にしている場所だという認識がさざんかにあるからだろう、きっと。青年団第45回公演『暗愚小傅』作・演出:平田オリザ。「伝」ではなくて「傳」なのがいま漢字にはまっているから嬉しい。「傅」は、「人から人へと事物をめぐらす」というところから。なお「専」は、糸巻きの象形で、糸をぐるぐる巻くところから来ている(そこで、一所を集中して占める意味に)。
15時から16時40分。開演前の注意で1時間40分ということだったが、この15時開始というのは、お手伝いの泰子さんが当時のはやり歌を歌って帰ってくるシーンで、そのあとに少し間がある。4つの場面の間に時代が大きく変わる。そのために美術は白い。少し障子と天井の一部に木(ここだけ和風)。アフタートークでもしぼくが質問するとすれば、舞台の前に客席からあがれるような三角のでっぱり(踏み台)があって、それは舞台から役者が下りるわけでもなく何かの象徴とも見えず、なんだろうと思っていて、それはささいなことだけど聞きたかった。
10年前のものをぼくは見たはずだ(もっと前が初演だったらしい)。とても好きだったし今日見てもその気持ちは変わらない。なんだろう、あんまりオリザ的演劇理論が前に出ていないからかなあ。有名人が4人も出るのだが(高村光太郎、高村智恵子、永井荷風、宮沢賢治)、オリザ自身の解釈で一気に書いているところが好きだったのかも知れない。
(内容は、のちに「こぐれ日記474」でアップします。)
アフタートークのときに、宮沢賢治が生きていたら光太郎より積極的に戦争協力しただろうと思います、といっていて、あんまりそういう日本の近代化論を聞くことが演劇のアフタートークとしていいのかどうか分からなかったけれど、ふーんと思った。つまり感性的な賢治はより直情的に動くだろうという推測みたいだった。お芝居にもそういうシーンが2回あって、それがオリザ的解釈なのだろう。2回の対話のうち幽霊の賢治との対話ではなく賢治が生きていたときの対話では、「アメリカの百姓と岩手の百姓とどちらが大切か?」という光太郎の質問で、自分の身を置いている岩手を賢治は選ぶことにここではなるのだが、東京の高村に対しては確かに岩手を強調するのだろうと思う。が、仮定はやっぱり仮定でしかない。
「むいちゃいました」という甘栗が売られている日本は、自分のことが自分でできない国になったので、そういう国はみんな滅ぶから、日本もいずれどういう形かはわからないが滅びますという口調は、いかにも明晰な彼らしい。自分のことが自分でできない、ということが食糧自給率とか中国人が栗をむいている状態を指すのはとても大切なことだと思うけれど、これが軍事とか自衛とかぽんと転化する(滅ぼさないようにするために退屈を取り除こうという運動とリンクする)とどうだろうとか思った。ぼくは高村光太郎の戦争協力と平田オリザの文化芸術振興基本法などにおける文化庁協力がどうしてもいまはだぶってしまう(でもひらたよーこさんがいれば大丈夫でしょうが)。
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