こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.8



372.8/5〜8/8

8/5(木)

今日はインターンシップ生3名の激励訪問なるものをした。

まず、京都芸術センターへ。11時。2人の3回生がちょうど子どもの囃子方ワークショップの場に立ち会い、後片づけなどをしていた。ぼくも小鼓、大鼓、そして能管の教室を回る。これがなかなかに分かりやすくて、こうしてお稽古をするのかと新しい発見が多く収穫だった。

どくとくのリズムセットがあり、その言い回しが口伝えされる。能管の口三味線みたいないい方は、タブラとかも同じくあって、伝承の仕方ってどこか似通っている。それにしてもプロの若い方々はみなさんいい声。古典の人に接すると現代物をしている人がどうもひ弱に思えてならなくなる。うちのインターンシップ生2人はずっと7日からはじまる展覧会(かなもりゆうこさんらの展覧会でもちろん納谷衣美さんの宣伝美術)の折り紙をしているという。

アーツマネジメントというのも、スポーツでずっと地味な走り込みばかりしているのと同じく、チラシを折ったり挟み込んだり、打ち上げ場所を予約したりする仕事が95%ぐらいあり、さらに残りの数%のうちほとんどは自分のアーツ鑑賞力を高めることに費やしているしかない。それでも1%ぐらいは、わくわくする企画づくりと現場の瞬発的即応性の瞬間があり、その結果、稀にアーツが輝く場に居合わせうるから、そんな地味でお金にもたいしてならないことをやっていられるのだ。

大津駅の滋賀会館にあるNPO法人ブラームスホールには、15時の予定だったが、もっと早く行く。萩野理事長(うちの院生でもある)らとずいぶんと話す。三回生も鞄持ちをして(これは実に得難いことなのだ)良い経験になっていると思う。アウトリーチされる側ではなく、アウトリーチを企画する方になりたければ、ワークショップで楽しむことも一つの参加側の気持ちをしるためと割り切って、住み込みとか鞄持ちとか、懐に飛び込まなくては何も始まず誰にも会えない。

8/6(金)

あさ、住宅ローンの借り換えについて芳江から相談を受ける。確かに変動金利と固定金利、それに手数料と保険の関係を考えると、それがお得かどうかは未来がやってみなくちゃ分からない。金融というものはどうも頭が痛くなるもの。それに加えて、元利均等や元金均等などぼくにとっては馴染みの言葉も彼女には頭痛の種。実際に銀行屋さんに会った夜は悪夢を見るそうだ。

後期の授業のことを考える。同じ科目の3年目。手直しですますか、がらりと変えるか。観客民主主義はよくないといいながら、(ほっとくとおしゃべりをし出す大変な)観客に向かうような講義をすることの矛盾(これはこれで役者さんの能力や苦労がよく分かるのだ)。でも、面白く映像とかを見せてあげたり、ゲストを呼んで目先を変えないと飽きちゃう学生たち。特に地方自治制度や財政構造を退屈させないで理解させ、地域政策について自分のこととして考えるために出来ることは何か。

まあ、どこかに妥協点のようなものはあるだろう。ゼミはその点、学生の反応から授業が作れるし、そういうものをより意識的に計画する。問題は講義形式。学生に文章を読ませたり、要約させたりするのはぼくにとっては理解できない個所が分かるので有益なのだが、学生には不評である。これはゼミでしよう。

Art Theater dBへ。大阪市の精華小劇場もようやく動き出すようだ。大阪市現代都市協会の面々も多くいるが、何だか距離があって話しづらい。ぼくには何も最近大阪市の情報がもたらされない(大阪府とは楽しくやっているのだが)し、当然に相談されることもなくなった。fringeを見たりしてその現状をかいま見るだけ。だったら、休眠状態の大阪市文化振興懇話会座長とかいう肩書きもなくしてもらいたいものだ(不思議なことに、芸術創造館での大阪市主催事業だけは以前からほとんど案内がないのも面白い現象で、ここを使って劇団が主催する公演のときだけ出かける状態なのだ)。

おっと、大阪現代芸術祭プログラム『Asia Contemporary Dance Festival2004』でした。今回、ACDF通信というのをこまめに出していて、それとダンスの中身とは直接連結するかどうかは別にして、とてもアジアが身近に感じられ、きっとそういうアジアの現在形の動きと今日観るダンスも全く関係ないとはいえないだろうと読みながら思うし、第一、ダンスボックスのみなさんの肉声が、アジア各地のダンサーを迎えているなかで聞こえるのがとりわけ楽しい。

通訳・翻訳スタッフもばっちり(塚原悠也)で、大がかりなセットを準備してそれを片づける舞台スタッフもいつもながらここを熟知しているのでてきぱき。見ている方も安心してダンスの合間さえ楽しんでいられる。金満里さん(NECでのフォーラムでは彼女の文章を使わせてもらったのにお礼をちゃんと言わなかったかも知れない:ごめんなさい)が車椅子で来ていたので、スタッフが椅子を一時的にはずして彼女を運び入れる。物理的バリアフリーではなくとも人力で出来ることは数多くあるのだ。

19:05〜21:10。間に15分間の休憩(舞台+人物設定があるからでもある)。残念なことに、オーストラリアから来るはずだったシャーニ・ペングリィは急病のため、替わりに彼女が主役のモノクロームで擬古調の映像作品を2つ撮される。

エメスズキ「Hibiscus Zyanose 2004」。ハワイアンで満面の笑み。でもそれは続かない。仰向けに寝ころんで、素足が2本上げられる。なぜか陸にいる何かの鳥の足を連想した。色っぽいというのではなく、また挑発するというのでもなく、どこか無惨さの予感が漂う。といってももちろん老醜への嘆きをウェットに示すのではなく、醒めた目で逃げ場のない自分とその足を眺めているような、そういう奇妙な間合い。

つぎは、映像とそこに写し出される言葉(英語)の字幕を使った「When My Body Lie」。マレーシアのアリフワラン・シャハルーディン。弁髪のような出で立ち。パスポートに名前が長いから書ききれなかったり、ムスリムなので空港でのチェックが厳格だったりすると、先に挙げた通信に書かれている。そんなことを思いつつ、嘘を付くことって何だろうと思うとまたいろいろな連想に襲われる。

休憩のあと、タイのピチェ・クランチュンに出会う。「The Bathe Ceremony of Phaya Chattan」。座禅しているような座り方、瞑想する像のような。高い所に座っている。知らない間にそこにいたという風情。止まっているようでゆっくりと顔を下手に向かわせ、斜め上へと動いていく。もう少し天井が高い方が彼は動きやすかったのだろうと思う。でも、今回、自分的にはタイの神秘が一番の収穫。

最後は韓国のポク・ホビン「Thinking Bird,2004」。「頭が大きくなればなるほど、羽が小さくなる」というのは諺(教訓)のようなものだろう。頭の小さな鳥が美術。ダンスはよく見たことのあるような動き。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記」をみてね)

8/7(土)

電車の中で、ヤセ犬の発言を読む(福岡市文化芸術振興財団の機関誌がアートシアターdBに置かれていた)。人は年齢分の1年となるから、1年について、1歳の子どもは1/1の価値を持つが、ぼくみたいなおっさんだったら、1年の価値は1/49となるのだと、ヤセ犬(結局、藤さんがそう言わせているのだけれど)は藤浩志さんに言う。でも、ヤセ犬、逆に、残りの年分の1ということもあるのではない?

そうすれば、1歳の子どもは、たとえば、1/85となり、ぼくは1/36となる。残りの時間を考えれば、その1年はずんずんと貴重になるのだ。問題は、いままでの延長と考えるか、エンディングまでをいかに大切に生きるかの問題だ。

大学院の修論についての中間発表会。ぼくはほとんど知らない人たちだ。素朴に疑問に思ったことを聴いてみる。「老い」の評価については、葬送との絡みを指摘したかったがやめる。あとは、勉強の成果(センの潜在能力論、バイオリージョナリズムとか)と、自分が行っていたり関心がある具体的なケースとがお飾りではなく、勉強したことが現実に生かされる形で関係づけられるのかが課題だと思った発表2つと、被害者救済ネットワークという実に興味深く身につまされる研究。

ぼくは加害者側の家族、あるいは自殺者(加害者と被害者が渾然一体となる)の家族の問題が気になっているので、そういう指摘をする。被害者が感情的に訴訟に参加することが本当に良いことなのか。死刑廃止論者でなくても被告人(刑の確定しない被疑者)の人権との調整は気になるところ。

午後から、チンドン隊「たちばな家」の練習。20日に山科にある京都刑務所のお祭りに急きょ参加することになり(岩屋太鼓とセット)、まだまだ未熟だけれど、何とか10分間ぐらいのステージになるように練習をする。この刑務所は男子で犯罪傾向がすすんだ受刑者(再犯など)が収容されているそうで、ある記事によると外国人も含まれているようだ。どんな場所でするのか、どんな年齢層なのかとか、なかなか訪れられないところなのでとても興味があるが、できるだけ、普通にステージをしようと話しておく(どうも祭は19時からのようだ)。

藤平陶芸公房内の登り窯にて、「アース・ミュージック・セッション」に行こうかなと思っているうちに、すごい夕立。落雷があるたびに電気が消えそうになり、待っていると時間が経ちすぎた。警備のおじいさんが、この音を聴くと戦時中、B52が襲来したときの音と日本軍の攻撃音(B52がたまに撃墜されて落ちるのを宇治で見ていたと)を思い出すと言う。それでも純一郎はまた憲法を改正して戦争をしやすくするのだからたまらんと話されて、ごもっともと聴いている。

8/8(日)

また、治りきっていなかった風邪がぶり返したようだ。今日はおとなしく。西大津駅にはなのインストアライブにだけ行く。3曲だけ、かなり気が散るジャスコシティ1階で小暮はなが歌ったが、何とか聴いている人へと届くものになったように思って、ほっとする。通りすがりのお年寄りや子どもたち、びわ湖花火大会に行こうとするカップルなどが、少し立ち止まったりしている。

次に歌ったウクレレ弾き語りの水晶(みあき)さんが、路上でライブしているようですね、という。はなも昔路上に行ったこともあったなと思い出す。山形の白鷹町のライブのとき、EPOさんが那覇の平和通り投げ銭ライブに参加してとてもよかったと言っていたけれど、はなもオフノートの沖縄ライブ(浦添)に9月末に行くと言っていた。沖縄できっと豊かな音文化に触れることが出来るだろう。

4階のJEUGIAさんでは、薄花葉っぱとともに、お奨めのコーナーに小暮はな『鳥になる日』が並んでいて、視聴も出来るようになっている。前から聞きに来てくれる人以外にもCDを買っていただき、今日は5枚が売れたそうだ。ただ西大津店が先行販売となり、18日が正式発売となったのは、JEUGIA全体のお店へと伝える必要があるからだ(といいなと思う)。

あとはタワーレコードに置かれるはずだという。18日になれば、京都や大阪のお店に行ってみなくちゃいけない。渋谷店や池袋店とかはどうだろう。


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