こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.7
7/1(木)
兵庫県立ピッコロ劇団創立10周年記念第20回公演『笑う女』、ピッコロシアター中ホールがある塚口へ。駅前の屋台のたこ焼き屋さんでタコセンを100円で買って今日はビールを飲まないぞと誓う(帰りもメロンパンを買って辛抱し、無事ノーアルコールデイとなったが、糖分などを替わりにずいぶん摂取)。
1階で今回の美術、加藤登美子の生い立ちも含めた展示あり。加藤の舞台美術〜水道管が縦横に走り、蛇口=水道栓がやたらあるもの〜のもとで、三組の作家(演出家)が順番に休みなく芝居を打つ。『笑う女』というお題を共通にしているあたり、そういう趣向をこの前もみたな(リージョナルシアター)と思う。演劇の『笑点大喜利』化かな。
はじめは森万紀作、藤原新平演出による3人芝居。不倫地獄の哀しき話で、女が笑うのは、若い男が、大きな「キリン」を見せたところ。あとは哀しきスズラン微笑み。電車線路近くに住まいして逃げているようだが、ぜんぜん前の縁を切れていない哀しき女。
次は、鈴江俊郎の作演出。水道管から水漏れするつぶれそうな結婚式場での話。マザコン男とばつ一薬剤師とが式場選びに来るが、なかなかハンコがつけない。式場もリストラでもうピンチ、でもそこでケナゲに働く男女の恋。あと、モデルと結婚して彼女には働かせずに自分で彼女を食わそうとする売れない役者(結婚式での司会業でなんとか食わせる)。
出だしの言葉遣いなどはまさしく鈴江作品なのだが、演出がいつもと違って南河内万歳一座かと見まがうような大げさな素振り(同じ方向に一斉に向くとか、しつこく繰り返すギャグとか)が見えて、ちょっと面食らった。
最後は、内藤裕敬の作演出。幽霊とか出てきてちょっとあくが強いが、鈴江作品よりも静かなのが驚き。加藤美術を熟知しているだけに、ヘルメットから出す糸の色彩が鮮やか。鈴江演出でも、雨漏りにグラスという過剰な演出で美術を生かしつつ自分の色にしようとする動きがあり、演出家と美術家との立場が逆転しているのを見るのは面白い。
ここで笑う女は?=「寝たきりの少女」(多分)というところがアングラ演劇の系譜である。恋愛物語でなく死をテーマにするところが(でも婚約指輪で前とつながりあり)味噌。ぼくはどうも恋愛系に疎くなっているなあと内藤作品を見ながら前2作を思い出したりした。
総合演出が内藤であること、音楽が南河内万歳一座の作品に一貫して作曲している藤田辰也であることもあって、和洋中華の3種類、料理は(一見バラエティに富んで美味しそうに)それぞれあるのだが、ただそれらは同じ大皿の上であって、さらに中華料理の油っぽいソースが皿に溢れ、他の料理にもついてしまっているような、そんな感じの舞台だった。
7/2(金)
昨日の立命館大に引き続いて、ダンスボックス制作の横堀ふみさんと舞踏手鎌田牧子さんがやってきて、貴重なコンテンポラリーダンスのお話しをしてくれる。横堀さんのダンス論とか実にしみるし、鎌田さんの静かな語り口は踊りの秘めた狂気と対をなして興味が増進する。
その分、自分の授業の方は駆け足になって、ちょっと院生などから苦情あり。後期もあるので、後期でもっと限界芸術論は展開するつもりだが(つまり、すでに古典的鶴見俊輔的説明はぼくはもう飽きたのね〜おっと、繰り返しを恐れず、それを新鮮にするのがプロの教諭だと自戒したのについ言ってしまった・・)、でも、来週は少し後戻りした方がいいのかも知れないなと思う。
芸術鑑賞論は18時半に誓願寺集合(これは掲示もしたし話もしたが、でも聞かず、公演時間ぎりぎりに来る学生が結構いて、どこまでこちらが世話を焼かないといけないのかと悄然となる。が、嘆いていてもこちらも困るのでもっと分かりやすく公演時間ぎりぎりに来るとどんなにみんなが困るかをこれからは伝える努力を考える必要あり)としていた。ので、余裕を持って二回生の事例研究にのぞめる。かなり専門ゼミのことなど進路相談的話になる。こういう機会が2回生にないのが問題なのだ。あと1学年は同じ問題を解消してあげないといけない。
劇団衛星『珠光の庵』はじつに楽しく生き生きと鑑賞できてラッキーだった。蓮行さんはじめみなさま、お世話になりました。この公演はお茶席が用意され(お茶を頂ける有り難い配慮サービスのこともあって)本堂で座禅も組むという体験型であり、人数が30人限定だった。そういうこともあって、すべて他の日時の公演も完売したこともあり、事前に授業で2週間つづけて鑑賞する学生の出席を取り人数を確定したのだ。
が、やっぱり授業にはほとんど出ないで演劇だけ見に来た学生が2名いて、一人は院生が替わってくれたのでよかったのだが、もう一人はギリギリに来たので、帰らしたことは、授業的には課題を残した。まあ、仕方がないけれど、こういう場合のうまい対応はなかなかに難しいと痛感する。それにしても、行くと応えた学生がみんな来たのには驚いた。
衛星の公演内容はあえて書かない(まあ、一応テスト内容なので)けれど、これって、京都文化観光の一つにとてもなる趣向で、応用例がいろいろ考えられるなあと思ったりもした。
7/3(土)
静かに町を行く。滋賀と京都の町屋を、ふらりと訪ねる日になった。
快速に移動する列車を降りると、そこからは低速のギアに変える必要がある。
長閑に路を歩く。つい、細長い町家の薄暗さに目を凝らして見てしまう。
どこでも、バスという乗り物はたまにやってくるものだから、それまで待つ時間もまた楽しむ必要がある。
本のがんこ堂八幡駅前店。この本屋はみんな滋賀県内のあるから、近江八幡駅という必要がないのだ。『葬祭の日本史』(講談社現代新書、高橋繁行)、『ふるさとの生活』(講談社学術文庫、宮本常一)、たまたま講談社ばかり買ってしまう。
途中、葬祭センターの看板が気になる長命寺行きバス。大杉町下車。道には警察が出ていて、ぐしゃぐしゃになった乗用車をレッカー車が吊して運び去ろうとしている。どんなに長閑そうな滋賀の町でも事故は起きているのだ。地元の醤油工場のような商家のような(近くに地醤油を量り売りするお店も別にあった)町並みを少し下って、突き当たる。
そこの突き当たりに、ブロックで小さく展覧会の表示。
ボーダレス・アートギャラリーNO-MA開設記念企画展、『私あるいは私』[静かなる燃焼系]の鮮やかな黄色い表示が、道の下にちょうどいいぐらいの控えめ感でこのあたりにギャラリーがあることを教えてくれるのだ。
入口近くに滋賀県の社会福祉事業団の人たちがいる。昨日はオープニング式典があって国松知事が長いスピーチをしていたという。
今日は来客もそんなに多くなく、すこし担当者もNO-MAギャラリー自体も、肩の力が抜けてほっとしている感じ。作者たちもはたよしこさんの顔もなく、静かな町屋、以前の野間宅そのもののような錯覚すらする。町屋の展覧会にしても公演にしても、内容が同じ分量の美術館や劇場にくらべて、数倍の時間を、その町屋で過ごすことになりがちである、ただぼんやりと、何かを見ていたり、ちょっと触っていたりする時間の積分の結果として。
気づいているのかそうでないのか分からないような微音、微温、質感、湿気、滑り、振動、微臭に身を任せているうちに微睡んでいたりすらする。アーツ自体を効率よく鑑賞するだけではなく、居心地のよさそのものを意識せずに味わっているからだろうし、今日もまた実にそうだった。
(展示内容の詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記543」をみてね)
2階の奥でコーヒーを注文する。100円で近くの福祉作業所のお菓子も買えるようになっている。多くの人に来て欲しいなあと思いながら、車椅子でコーヒーを運んでくれる人たちと談笑する。
帰り、NO-MAを設計した石井和浩さんのいる旧八幡郵便局(いま奥にトイレを作るボランティアワークが続いている)に寄ってから、強い日差しのなかでまたバスを待つ。旧八幡郵便局にはアトリエスペースが出来ていて、アトリエひこうきぐもなどが、子どもの創造性を大切に育てる活動を始めていると石井さんから教えられる。
少し早いがすでに開いていた西陣ファクトリーGarden。今日は、セレノグラフィカ『それをすると哀しくなる〜町家の中に、卓と椅子のあるダンス。〜』公演なのだ。近江八幡の酒屋さんで買ってきた瓜の粕漬けを渡す。少ししてやっと冷房が入ったことに気づく。すごい。屋根の修繕とかがあって、大家さんが一緒につけてくれたのだそうだ。パフォーマンスする部分にもあって、ダンス公演中はこちらだけつけていたという。
暑さの解消だけでなく、これで蚊取り線香をつけたり、扇風機の音の心配をすることもなくなるのだと岩村原太さん。11/20〜23あたりにガーデンフェスのようなもの(毎年しているもの)を考えているが、1日小暮カフェみたいな企画(「純喫茶コグレバ」とか色々すぐに変な喫茶店の名前が浮かぶけれど)をしたいなと言われる。ぼくも早速それに乗る。
11/22(月)は、ゼミの日なので、ゼミをこちらに移動することにして、ぼくも夜には大人にも聴いてもらえるミニレクチャーをしたりすればいいなと思う。4回生のなかには、卒業制作の場としても使えるかも知れない。小暮大学コーナーと、小暮親密圏コーナーに分けて、ぼくの本や芳江の版画、はなのCDも置こうかなとも思う。とりあえず『知らない間に、そこに居た』というタイトルを思いつく。
19:10〜20:01。セレノグラフィカのダンスは京都芸術センターで稽古していたときに目撃したこともあり、とても親しく思いながら見た。そして、こうなっていくのかと照明(岩村原太)とのコラボを楽しんだ、
さらに、リコーダー群を優しく可愛くときにスウィング(巻き舌で吹くと唸りみたいなコブシになるらしい)して吹く迫田浩一音楽で新鮮さが追加されていく。嬉しかったのは、ミニパーティの前にグリーンスリーブスを迫田さんがおまけに吹いてくれたことだった。
机に座って、足の移動をなくしてダンスをする。指人形とか、文楽の人形遣いのことを思う。足だけでなく、手を動かす人の顔までダンスの外になっていくからだ。ある意味不自由。でも気楽に始められるダンス入門という一面もある。机のミニマムな動きがのちに床で反復増幅される。ちょっとほっとする。やっぱり動きが大きい方が、見る方のダンスとしては楽しい。でもぎこちなさはキチンと保全されていて、解放される身体までには大きな道のり。
リコーダーというバロック前期(あるいはそれ以前のルネッサンス古楽)の世界とこのダンスが微妙にマッチしている。それはハーモニーや複雑な対位法がない世界。延々と反復し変容する。チンドン=ジンタ音楽とも通底する中性的浄瑠璃語りの世界を、この踊りを見て一番強く感じ、かってにとても共感する。
7/4(日)
とても暑い。烏賊のTシャツを来て新世界を歩く。この烏賊は青く変、タフ3のアーツ縁日の手のもの市に出してくれた人のてがきもの。ココルームの上田假奈代さんにも注目されちゃった(ダンス鑑賞の帰り、うちのゼミ生でない3回生を連れて案内して回った折に)。ダーチャでカバレ祭りが始まるまでグレープフルーツジュースを飲んでいる。
アートシアターdB提携第3回公演。Ca・Balletまつり。制作をしている福原さんから帰り、こぐれ日記が楽しみですと言われる。でも、構成・振付の北村成美(なにわのコリオグラファー・しげやん)に感想も言ったし、今日はお休み。日録で我慢してね。
でも、カバレエは化ける気もする。コンドルズみたいになるのがいいのかどうかは分からないし(「BISCO」はその線にあるし、そうだと思うんだ)、そうではなくって、珍しいキノコ舞踊団が出てきたときの「あれあれ」(「オレオレ」じゃないよ)感に近いなって思う。
前半は『くるみ割り(風)人形と二十日(ぐらい)ねずみの戦争(キャー)』。音楽がド・クラシックなので、案の定、瞼が重い。音楽カラオケダンスに自分としてはどうしてもうつってしまう。きっと、バレエ通で通常のバレエの動きとオーソドックスな物語の展開をぼくがきちんとしっていると随分と面白さがますのだろう。
でも、後半は最高。『アフタヌーン・ティー』は三林かおるのソロ。椅子とアイス・ティーを使った踊り。ぎらぎら太陽のもと、冷房のないテラス?グラスの氷と水を身体に当てて、身体の熱と冷たさ、硬さと柔らかさが対照されていく。最後(『スクエアダンス』)は7人全員で楽しくはちゃめちゃ、しかもちょっとノスタルジックにノマドな音楽(ロマニー)で踊る。
前半の白い衣装と黒の陰影が綺麗な(衣装はまるで違うがフラメンコずきな人にもぐっとくる)抽象ダンス。抽象なのに結構熱く、濃い。ねばねばしている。マイムぽくもあり、なんだろ、こういう移動シーンってぜひホール以外にやりたいもの。カバレエもきっと外とかホール以外できっと繰り出しそうな予感がする。今日も客席の階段駆け上がり、かっちょよし。
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