こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.7
7/9(金)
この数日、ブログをはじめていじって、なかなかうまくいかず(いまだにほとんど機能は使えず)、でも、まあ、仕事とかアーツとかと関係なく遊んでいて、「こぐれ日記」も「こぐれ日録」もごぶさたになった。その間、娘たちの動向とかも揺れ動いたりしつつ成長している姿がかいま見られるが、それもまた後ほど。
気がつけば、糸井登さんも同じ「exblog」がついた日記を活用しているし、写真と文章が一緒になるので便利だろうと思う。でも、やっぱりぼくは言葉で伝えるのが楽と言えば楽。リンクとかいろいろしようかなと思ったが、まあ、携帯電話のない人があんまりイマテクを使ってもしんどいので、このぐらいにしときます。
前回の日録で、「こぐれ日乗」(第3の写真サイト)としてアドレスをアップしたのだが、間違っていました。これが本当の個人アルバムサイトです→。http://kogure.exblog.jp/
そこに1歳の自分の大過去写真のほかに、20歳代の自分の中過去を作った。まったく家族とか親戚が懐かしんでくれればと思う。それ以上でもそれ以下でもないのが、「限界芸術」とか書くと、また仕事=教育になっちゃうのが、ぼくのやっていることの楽しくも苦しいところかなあ。
授業もだいたい終わり。あとは、ちゃんとテストを受けてくれたり、レポートを出してくれたりして、それを採点すれば夏学期は無事終了する。
自主授業という形で、『お早よう』(小津安二郎監督、1959年作品)を見た。10人ぐらいが一緒に見たか。学生の感想を見るのが楽しみ。チラシに子どもの映画だと書いたが、ぼくにはそのお母さんたち、おばさんたちの近所づきあいがとりわけ面白く思った(いまの喜劇的な娯楽作品と比べるとじつに生真面目でシリアス。とりわけ、退職後泥酔する親父は悲惨とも見えて)。まだ4回しかこの映画を見ていないが、あと数回は見るだろうと思う。そしてぜんぜん飽きないだろうな。
相撲放送のアナウンサーの当時の丁寧語がじつにおかしい。こうだったのかと思う。あとで聞かれたので気づいたが、佐田啓二が中井貴一のお父さんという情報をチラシに書けば良かったかも知れない。むかしは、だれそれの子どもとか奥さんとかいうのはまったく本質的なことではないと思っていた(いまも基本はそうだけれど)。
でも、それはそれで、学生へのキャッチのためだとか、ゴシップだけではない何かがある気がする。映画の中だけれど、『お早よう』の父と長男は頑固な点できっとそっくりだというふうにお母さんも思っているみたいだし、長男自身もそれは意識している節がある。次男(お父さんって怒っていないよ、目が笑っているものと長男に言う)って、小津安二郎自身の反映がないわけはない。原節子と小津との実生活での関係がまったく映画と無関係ではやっぱりなかっただろうし。
ヘップホールへ。バーゲンがはじまっていて、入場が規制されている。若者が減っているいまの時代なわけだが、それでも梅田にはけっこう多く棲息しており、若者でない者はうかうかしていると突き飛ばされそうになる勢い。それでも、2つばかり、シャツを買う。
劇団太陽族による新旧2作連続公演のうち新作の『砂の絵の具』(岩崎正裕:作演出)を見る。19:35〜21:15。旧作『空の絵の具』は以前2度みて、とても太陽族の中でも好きな作品(『ここからは遠い国』と同じぐらい、個人的には小津映画における『東京物語』と『お早よう』の関係みたいに、こちらの方を何度も見たいと思うぐらい)だった。だのに、今回観られなくて残念。
同じセット。中学校の美術控室。時間は旧作の前の時間になっているそうだが、そのあたり、時間は2重になっているし、それがジグザグに挿入されるから、一つ見ても大丈夫なように作られている。新しい登場人物として、稲垣先生(今回はベテランな俳優、中川浩三が客演)の父親で僧侶の稲垣覚真(南勝)と、生徒の藤村真魚(田矢雅美)が加わっている。
とりわけ、不登校(保健室登校)の藤村真魚が今回はいまと15年前(1989年)を結ぶ重要な役割を果たす。美術自体が教科としてマイナーだし、その先生は中学校のなかでも特異な存在。だから、保健室登校の藤村はここにも顔を出す。安藤先生(中川が1989年当時の安藤先生にもなる。1989年の稲垣先生は稲垣少年であるという設定)が、意識不明の入院。
校内暴力、スクールカウンセラーの登場。警察との関係が噂され、僧侶がいまの生徒の心のカウンセラーになりうるのかも内容の一つになっている。きっと、いま、『空の絵の具』を見たら、今回の作品よりもシンプルで少し物足りない(テーマがシンプル)だったと思うのかも知れない。
その当時のぼくが見た印象をいまとなっては、新作と同じようには再現できない。それは鑑賞する方だけでなく、旧作をまた新しく演出する方も、そして演じる方もそうだろうと思う。とりわけ、演じる方は二つの作品で同じ役をするので、どうやって切り替えるのか、切り替えずに連作とするのか、やっぱり見なかったのは惜しかったと言うしかないな。
7/10(土)
梅雨が明けたかどうかなんて、後付の話だからどうでもいいとして、きょくたんだった猛暑の数日が過ぎ、朝夕に雷鳴がしたりはするものの、少しは過ごしやすい土曜日だった。
今日は、音楽を演奏することが特にテーマだったように思う。それ以外も、いろいろ。いつもは出会わない場所、踊り、演技、博物館、ターミナルに出かけられて、面白かった。
ひょんなことで宝塚歌劇を見る。いちばん面白かったのは、オーケストラピットの人たちの演奏。後半のレビューでは、指揮者が女性でこれはとても珍しいことだそうだ。同じ演奏を60回ほどもあの窮屈そうな、くぼんだところで、繰り返し演奏する人たちというのは、いまではとても珍しい職業だと思うのだ。
2回生の学生がとても宝塚歌劇が小さいときから好きで、たまたまにチケットが余りこれからの若者に見せたいというので、メーリングリストで1回生に流したりした。もし誰も行かないようだったらぼくも行こうかなというと、どうぞということになったのだ。
まずそういうことをしないと、五反田団・青年団に今日も行く予定だったし、そうして、なかなかにこういう芸術態様を見ないまま(昔見た経験はないわけではないのですが)、一応劇団四季とか宝塚歌劇のように「市場芸術」分野がありまして、と授業だけを繰り返すことになるので、この体験というのは実によかったなと思う。
第1部王朝ロマン「飛鳥夕映え〜蘇我入鹿」をみて、実にテンポよく変わる歌舞伎だなあと思った。新派という方が適切かも知れない。お昼食事休み35分間など、文楽とかとも同じ(予約弁当とかあって)。せり上がったり回り舞台だったり、スポットがあたって消えて、飽きないようにどんどん滑るように話が展開する。間が少しゆっくりになるが、それでも、歌舞伎の数倍のスピードで筋が展開する。バレエのはじめの方のように出し物が出てアトラクションがはじまったと思ったら、それもすぐに次の場面に行ってしまう。
戦前の天皇史観だったら大化改新では完全に悪者の蘇我入鹿をヒーロー(女性が演じていてもヒーローでいいのだろうとかってに解釈)にするというのは、なかなかに面白い(昔からそういう演目があったのだろうか)。歌垣で出会うなど、興味深いシーンもある。
ただ、踊りとかを見ていてもみんな同じように思えるので(自分ぐらいの年齢になると若い女性がみんな同じように見えるのは仕方がないか)、楽器の演奏をどうしているのかとのぞき込んでいると、後ろの年配の男性に「のぞきこまないで」と注意される。なるほど、みんな舞台の上を見ているので邪魔になったのか。
舞台の演出、作品がどうのこうのというのは野暮で、きっと出ている演者の若いときからを応援していて、その成長と友に自分(たち)の歴史がオーバーラップして鑑賞する楽しみを持つのだろう。そういう面では、宝塚という土地と応援団がいい感じでつながって、90年も続いたのだろうと思う。
なにせ、駅から劇場まで、そんなお土産屋とかレストランが連なっていて、阪急文化の重要な要素を形成し続けていたのだろうということが分かる。少し巣鴨とげぬき地蔵商店街(おばあちゃんの原宿と昔言われていた)を思い出す。ここよりは少し年齢層が低いだろうが、年輪をより積めば、もっとバタ臭いおばあちゃん向きのお店とかが増えるだろうと思う。
となりにある宝塚市立手塚治虫記念館(1994年開設)に行っても、手塚と歌劇の関係を重要な切り口にしていて、劇団四季とは存在の仕方というか芸術環境が違うなあ(地域特有の総合娯楽なのである)と、宝塚歌劇のことを思ったりする。
手塚マンガのクリアファイルはとてもかわいくて、つい買ってしまう。
やっぱり手塚が親しんでいた宝塚歌劇と関係がある『リボンの騎士』が一番好きだなあと思う(実は、お説教ぽくなったり単一路線的に感じて堅苦しくてどうも得意でないものも多く、とりわけ「火の鳥」とか苦手だ)。小学生のころから「巨人の星」や「明日のジョー」の話題にはついていきつつも、こっそり少女マンガばかり読んでいたのはこれを読んだからだったはずだ。
ここからゆっくりと、うちの大学のそば、醍醐へ行った。
醍醐交流会館ホール、地下鉄すぐのところにショッピングセンターがありその一部である8ほとんど知られていないのではないだろうか)。200席ほどのピアノの発表会向きのホール。
ここで『なにわのバスカーズ第一回独演会 with ジョニー☆田口』を聴き見て笑い楽しむ。18:34〜20:29。なにわのバスカーズは、森本英希(フルートとリコーダー中心)とトロンボーン(尺八なども)の金岩誠五による「コミックバンド」。http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1075/index.html
もちろん、ゲストも二人もみんな京都市立芸大を出てちゃんとした演奏技術があるから、おかしな事も自在にできるのだが、後半は「カルメン」を演じて(キーボードのジョニー田口がカルメンだった)、それはちょっと心配になったが、それでもその部分は長くなく、アンコールを3つも用意して、笑いの後味もすっきりと、楽しくて「冗談音楽」というジャンルを真剣に考える必要性を提示してくれたように思えて嬉しかった。
第一部は、喜歌劇「こうもり」序曲(シュトラウス)から。トロンボーンがホルスタイン牛の模様と顔。それにベルがついている。ハリセンでたたいたり、声を出したり。足にシンバルを挟み叩くとフルートやピッコロの演奏がどんどん屈んでいくのがおかしい。
おもちゃのピアノのための協奏曲(バッハ)。キティーちゃんのおもちゃピアノを持ってダンボールに置き、寄席の座布団のようにしてジョニーが演奏する。二人が合奏。チューニングするのはカセットテープ。編曲は大変だっただろうな。こんなに鍵盤が少なくてもなんとか演奏しつづけるのがえらい。リコーダーも100円ショップのやつみたいなもの。
珠玉の小品集。二人が路上でやっているもの。こねた集だ。くるみ割り人形組曲が一番しっかりとしているし、メロディーもきれいで知られている。蜂や犬などキャラクターがある小品を選ぶというのも親しんでもらうための苦心だろう。ポルカ三連発。どんどん、西洋クラシック音楽を知る人が減ると、そのギャグが通じなくなる可能性があるようにも思える(それは、宝塚歌劇の和物演目とも関係するかも知れない)。最後はだれでも知っているトルコ行進曲。でも、なぜかダンボール箱が散乱していたのだが、そこでその意味が劇的に判明する・・
そして休憩入れて大コント「カルメン」。確かに曲はビゼーである。前奏曲も馴染みだ。とくにカルメンの恰好のまま弾くピアノとフルートの間奏曲が美しかった。なんだか、「掃き溜めの鶴」ということばが思い出された。
7/11(日)
今日はのんびり。
参議院選挙に芳江と行く。いつもより遅かったせいもあるが、ブースは多くの人がいた。もうすぐ始まる「たいこ祭り」のTシャツが置かれている。前から選挙日とコミュニティ運動というのがうまく繋がればいいなあ(もちろん公職選挙法とかの問題もあるが)と思っていたが、何気なくこうした地域の出来事を知るのは、大切だろうと思う。選挙率の向上というのに繋がるまでにはいかないだろうが。
t3heater0407『2人の守衛』(作・演出:田辺剛)アトリエ劇研へ。椅子席になっている。土足OK(土足のときと靴を脱ぐときとの違いだけでも十分にマネジメントの比較になるかも知れない。場内の汚れの多少、養生、靴袋の有無、観客の面倒、心理的な面などなど)。予約をしていたら椅子もみやすいところからとってもらっている。そして、好きなところへ動かしてもいいですよと田辺さん。
15:01〜16:14。ただし当日パンフには「上演時間は約85分です」と書かれてあった。始まる前、舞台美術(川上明子)を楽しむ。遠近法をより強くするだまし絵だよなあと隣の芳江と話している。下手が奥まっていて、一番奥に小さく青い空が見える。白い雲。いまの季節の希求のようだ。早く夏休みが来ないかなあと。
(つづきはアーツ・カレンダー「こぐれ日記545」をみてね)
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