こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.6
6/4(金)
寝不足。袋や鞄の置き場所が分からなくなる。探し物で時間を費やすことがめっきり増えた。
昨日より、京都橘女子大学でのアーツマネジメント(1)講義は時間配分がうまくできた模様。でも、50人と一番少ない受講者。これは立命館大と同じだ。テレビに出た話、その裏話に反応大。確かに授業は脱線ではないが肉声が肝心なのだ。
1回生の日記を読んで返すとさっそくメールあり。すぐに観劇させることがいいのかどうか、少し考えてみる必要もありそうだ。鑑賞演習のように、小津安二郎を見て、映画の多様性に触れるとか、音楽の幅の広さに気づくとか、そういう大学内での積み重ねのあとに、実物を見た方がいいのかどうか。でも、直接体験を入学直後に与えるということの意味もあるし(去年のシゲヤン体験について、2回生に聴いてみよう)。
2回生の事例研究はチラシを使う。何も思いつかないときは、チラシは最適である。ちょうどデュシャンとケージがあって、その話をする。森村泰昌に大きな反応。NO-MAの展覧会に連れて行きたいが。
小鹿さんから電話。8日に太鼓を買いに行くことになっていたでしょと。うーん、そんなメールがあったのかどうか。この1週間ぐらい、どうも、意識が混濁していて、きちんと対応できていない。迷惑メールをはずすために、ニフティをやめてしまう必要があるかも知れない。
6/26の午前中、障碍のある子どもたちのためのワークショップ(上田千尋さんが自主的に大学側へ申請をしてくれる)、そして、午後、チンドン太鼓つくりということになった。柔軟に対応してもらって助かる。
神戸アートビレッジセンター。チェルフィッチュ『三月の5日間』(脚本・演出:岡田利規)。この語り口調は東京圏の若者の日常口語で、昼間学生としゃべっている錯覚にさせられるぐらいそのリアルさは細かくいまどきのように思う。客席は移動可能で、動いて見てくれということだったが、モニターもあり誰も動かないし、動く必要性もない感じだった。床にへたり込むのもまたいまどき。
自分が床に座っているだらっとした感じと、役者がしゃべる誰についての話なのかわからなくなる繰り返しの多い混濁した話し口調が増幅して、なかなかに実験的なステージ(横浜の岡田利規という人のソロユニットらしい)だった。
ちょっとしか出なかった(ただアズマの思い出ちょいエピソードにすぎない)女性の動きやコクったなんていう唐突な(ある意味)一番劇的な、というかはじめから逃げ出したい腰の引き具合絶妙なこの女の、火星に移住したいというパソコン的妄想はあまりにも表面的でばかばかしいからもっと見たいのだった。
もう一人の英語が出来るという女性の身体も気になるが、男たちの身体は、橘が来年度から共学になることをつい思ってしまって、本音、うざい。イラク戦争反対デモに薄く参加している二人のやりとりは、特に前半、ぼくのツボを刺激して、いろんなこと(鈍くやなこと)をオーバーラップさせられる。
ただ、関西よりもこれは東京圏的なびよびよするうざったい限りの躊躇いだ。1階のギャラリーを使っていたので、壁の外を走る子どもたちの声とかエレベーターの案内音とかが交じって、渋谷の雑踏といい感じで呼応している。
9.11以降だからこれは終わっているとかいう内容のない断定的で安直な評論を読むと馬鹿らしくて、むかつくことも多いが、現代詩手帳2004.4に書かれていた内野儀「松尾スズキからチェルフィッチュへ〜〈九・一一〉以降の演劇の言葉」を読むと、頭の中が少し整理できて、議論の前提に出来るなあと久しぶりに劇評なるものの効用を思った。
6/5(土)
「ついで」に立ち寄るというばあい、もともと本来の目的、本務があってのこと。でも、何がメインで何がついでなのかなど、演劇に主人公があってもなくてもいいように、あとから思えばどうでもいい(振り返ってみないとどちらが大切だったのかは分からない)ことが多い。ついでは「継いで」いくという意味での「ついで」なのだろうとか、パンプレスなどの締め切りが近づいていれば、小じゃれたエッセイでもつくれそうなネタでもある。
きょう、隅田川のそばで、それもはじめて会った人に、とつぜん「人生なんて、ずっと『ついで』ですからね」なんて言ってしまう(一応学会の代表者会が東京であるということで個人研究費旅費を活用するので本務は学会ではあるが)。「とおりぬけられません」とどこでも書いてあるような下町が主人公の滝田ゆうマンガの「のほほん」なひとこまを、黒い板塀の節穴からのぞきながら。これってどうなのだろう。
(じつは、おわかりのように)山口から来たその人にはひどく迷惑な話だろうが、けっこう気に入っているのですね、こんな唐突な会話をすることが。会話ではなくひとめいわくなひとりごちであるにしても。またどこかのギャラリーでこの人〜山口情報芸術センターの土居美智子さん〜に会ってもまた初めて会った人となるように思える(これを書いている段階ですでに顔とかまったく思い出せないのです、すんません、だしに使っておきながら)から、「はじめて」ということば自体が意味をなさないのかも知れないが。こちらは40歳を超えてから出会った事物はすべて短期記憶状態だからなので、いいわけをすれば。
ぼくは酒に酔い出すとずいぶんと本気になってきて、権威に対して攻撃的だったり、自己自慢と権威主義を往復したりだったり、いろいろよくなくて、あるところからは、それがもっと危なく多重人格にもなるらしい。それを避けるために、素面のときを酔狂に生きることは学習できそうで(永井荷風が理想かどうかはおいといて)、これが老後の理想かも知れない。
老成してもたぶん酔ったときにはその酔狂から醒めるのだろうから、理想は酒を断って酔狂のままいることだろう。あるいは、本気になるときを飲酒時ではなく、どこか別の時空に確保すればいいのかも(夢はいくぶんそれの役目を果たしているかも知れない。ついこのあいだも、カニバリズムの夢を見た)。この探索はかなり重要なテーマだ。
ついでに、余談だが(今日のテーマは「ついでに」と「余談」が結局人生のすべてなのだということですけど)、いま(7日の朝の研究室)名刺入れで土居さんという名前を探し出してこれを書いたわけ。そういうとき時間があれば、名刺入れを整理するということをするんですね(誰でもでしょうが)。すると、ずいぶんと前に会った人の名刺が残っていたり、どこであっただれだっけという名刺があったりして、そのあたりもおかしい。
いま出てきたのは、近畿経済産業局の方の名刺。これなどは数年で転勤だから会った日付を書いて、大阪行政系というボックスに入れておく(大企業の人の名刺も数年が有効期限だ)。つぎに1room福井希帆さんというのは、これだけだともうすでに危ないが、一緒に辻牧子さんの名刺が入ってあるから、おととい、神戸アートビレッジセンター(KAVC)で1階のもとカフェの運営を受託しているプラネットワークス(大阪ガスの関連会社)の人だと分かる。
同じく、KAVCで観客として会った世田谷パブリックシアター制作部の栗田康弘さんの名刺もあり。彼は関西の劇場の人(でも尼崎だったか兵庫芸術劇場だったか怪しくなっている〜名刺入れを捜せばすぐに分かることだが〜というイメージが強いから会って驚く。でも、40歳以前に会った人(ステージラボとかで)なので、やっぱり記憶はきちんとしている。あとは、昨日会ったサンポートホール高松、(財)高松市文化芸術財団常務理事兼事業課長の宮井三智子さんの名刺。それに彼女と文化振興課長馬場さんと一緒に食べた創作・和食ダイニング生駒屋(小豆島そうめんが売り)の名刺。これらはまだ1日も経っていないので短期記憶のまま鮮明なり。
土曜日の朝、京阪七条から2軒肝屋さんが続く細道を通って(スクランブルの信号は無視しつつ)京都駅。いつもながら早く着きすぎてシャッターを開け出す本屋にて、今日夜行く「麻布die pratze」の場所をぴあマップなどで確かめようとする。どこにも載っていない。まあ、神谷町駅から霊友会(狸穴は昔の国土庁があったところだから土地勘はあるはず)の方へ行けば分かるだろうと、のぞみのホームへ。珍しく松本茂章さんがもういた。彼がしゃべるスポーツや息子の話を聞きながら東京へ。OSK関係の資料を返すのだと言って大きな荷物を転がしていた。
新幹線八重洲北口で下りて日本橋駅へ。(財)地域活性化センターはまだあるなあと思いつつ、丸善の所から下りるのがぼくの流儀。営団地下鉄、いや東京メトロ(昔のマークを思い出せない)銀座線で浅草へ。松本さんは東京の動きは早いから関西にいてよかったというが、ぼくにはたぶん東京といっても何にも変わらないのではないかなとも思う。東京にいればいたでそのテンポに順応するだろうし、馴染みを自分で限っていくのが人間だからだ。
ただ、すでに関西で見ているアーツシーンの分量の方が、東京にいて見ていた数年間(せいぜい92年から95年まで)よりは質量ともに重くなっているので、小劇場演劇についても東京を含めて全体について語る資格はないなあとは思う。
アサヒビールを右手に見ながら堤防沿いの歩道を通って墨田区役所に入る。1階は下に下りなければならなかったことを失念。生徒の集団がホール前にいた。
いくぶん暗いすみだリバーサイドホール・ギャラリー。[小山田徹:しあわせのしわよせ]展〜漫画家・滝田ゆうとの視線とのコラボレーション。今日から7/4まで。昨日にオープニング。滝田ゆうのお孫さんがすでに黒い板塀に落書きしていた落書き禁止の板塀の一角だけ、落書き歓迎のコーナーがあって、そこにチョークが置かれている。ぼくも下の左隅に小さく顔サインをしておく)。
駅前で食事。回転寿司は待たされるので、隣の居酒屋へ。応対する男がかなり態度悪し。東京でうまいものを食べようとはずっと期待しないが、かなりからい茶漬けだった。皿うどんはまだまし。上野から山手線でもよかったのだが、メトロのみで日比谷駅下車。かなり歩かせてしまって、東京国際フォーラム。じつによく分からない建物。6階の会議室にようようたどり着く。コンシェルジェ姉ちゃんがそのために配置されたそうだ。日本アートマネジメント学会代表会を17時までする。
アサヒ・アートフェスティバル2004のグランドオープン・パーティーに行く人も多かったが、ぼくは、昔働いていた狸穴へ。黒いNOAビルを通り過ぎて、都営大江戸線の赤羽駅方向へ。ずっと大きな通りを通ればすぐに「麻布die pratze」もすぐに分かっただろうが(モービルのある2階にある120席の小劇場だった)、途中で祭礼の提灯につられて、公園に寄ったりしていて結構迷う。麻布自動車とか見慣れた景色があったりするから余計にうろちょろ。
それでも開演まで少し時間があったので、ラーメン。弘前劇場の制作の佐藤さんに挨拶して、池澤聖悟さん(今回は彼の作・演出で長谷川孝治さんの姿はなし)が立つ入り口へ階段を上る。劇場は一か所しか出入り口がないので、奥に詰めて客入れ。見下ろす感じで客席がせり上がっている。ホテルの一室。ツインの部屋。日本海の温泉場らしいが、温泉は塩水らしくて効能もこれといったものでもなく、閑散としている。
弘前劇場公演2004『背中から四十分』19:05〜20:35.きちんと前説どおり90分。
寂れた温泉場の角部屋。15年前につぶれたストリップ劇場の話も悲しい(首つり自殺でこれは直接つながっていく、この芝居の主テーマに)。観音33か所めぐりが一応の観光名所で若い女将さん34歳稲葉緑(工藤由佳子)がその33か所を暗唱するが、それは稲葉が観光ガイドだったからにすぎない。窓が小さい。これはあとで大きな意味(というか場所性)を持つ。下がすぐに岩場。落ちたら死ぬ確率もある。
(日録中、展覧会と公演については、「こぐれ日記538、539」でもう少し詳述します)
6/6(日)
昨日はビールを飲んで、「断腸亭日乗」を読んでいたのだったが、寝る時間を過ぎてしまい、なかなか寝付けなかった。マッサージを呼ぶべきだったかも知れない。ここ、朝食もなかなかのホテルイースト21は、ディズニーランドへ行く家族連れが多い。朝、朝日新聞を入れてくれたので、「しあわせのしわよせ」の記事を読むことができる。
東陽町までホテルのバス(近いのだが雨だったので)、門前仲町で乗り換えて大江戸線で大門まで。ここから傘を出さねばと思っていると、浜松町のモノレール入り口までつながっていて便利になっている。
京急でもいいのだが、久しぶりにモノレール。大井競馬場ではすでに馬に乗った騎手がゆっくりと歩かせている。同じ椅子のブロックに夫婦(定年前後の男性と女性)がいて、カバンから犬が顔を出す。秋田へ行くのだという。写真を撮る。小さな子どもとかペットとかがいると自然と話すことができる。子どもが大きくなってペットを飼う心境は痛いほど分かるが(移動の時の下の世話はどうするのだろう)、まあ、ぼくはアーツがペットがわりか。
羽田から高松空港へ。混雑で出発が遅れたこともあり、ずいぶん全日空の機内で最近の邦楽曲やボサノバなどを聴く。オレンジペコあたりとタイアップして京都橘大学の歌でもある市場性のある歌を作ったらどうだろう。もちろん、寿命は数年だろうが、また新しい歌を作ればいい。ずいぶんフォークぽい歌が多かった、川口恭五とか。
高松駅前の一つ手前まで空港バス。うどん屋が並んでいる。高松で讃岐うどんを食べない手はない。というか、うどんがなければ、高松の魅力は半減するだろう。それほどに重要なアイテム。かけうどん350円に天ぷら350円。いささか高いが、かけうどんに鰹節がすーっと入っているのが特徴。京都当たりにぼこぼこできたセルフのうどんやとはだしが違う(もちろん麺も違うのだろうが)。
なお、オリーブタワー(高松シンボルタワー施設の構成要素の一つ、あるラーメン屋が長蛇の列)にあるうどん屋はかなり高いらしい(松山もそうだが、だいたい東京よりも1.5割、関西よりも1割程度安く飲食できるのが四国の良さだからね)。ダンスを見終わったあと、高松市教育委員会文化振興課長の馬場さんとチャーイを飲んだあと、サンポートホール高松、(財)高松市文化芸術財団常務理事兼事業課長の宮井三智子さんも交えて行った生駒屋は瀬戸内のものを食べさせてくれるので、まずまず(4回生でいまここでアルバイトをしている中條さんのことを話しておく)。
5月20日にオープンした高松シンボルタワー施設。海側の野外ステージでは地元の人(たぶん)がブルースを演奏している。人は少ないが、遠くの木陰に家族連れ。風船を小さい子どもがもらっている。ここのスペースを活用するのはこれからだろう。
デックスガレリアに入る。昨日いた東京国際フォーラムの小型版みたい。ドコモの宣伝。にぎわっている。楽しそうに人が往来している。やっぱり新しい空間ができると嬉しいなあと思うだろう。ただ、この場所は南へと住宅地が伸びている高松市にとっては、北の端。市外の人がJRとか高速バスでやってくることが多い場所になりそうだ。海からのアプローチが欲しいところ。
さてサンポートホール高松。ガレリアのエスカレーターを登っていく。愛知芸術文化センターがやっぱりこのようなガレリアでダンスと音楽、映像のコラボをしていたが、そういうことを、もっと身近なスケールでやれればいいなあ、そうしてできそうな感じだなあと思う(今日のアフタートークでもそういうことを誘導質問的にした)。
3階が大ホール。入口に列。フルートのコンサートらしい。当日券が売り切れということ。ダンスが終わってからのぞくと随分と立派なコンサートホールになっていた(反響板が下りているからだろうが、演劇でここを使用する所はかなり限られそうだ。やっぱりミュージカルか)。県立ホールが半年間の補修にはいるという。そのあとに集客の問題が控えているわけか。1500席。1階だけで1000席。横に広いので演劇も何とか600名ぐらい入れれば格好はつくか。
第1小ホール。プロセニアム型ホール。ヤザキさんはこちらの方がよかったのではないのかと実際に訪れる前に図面を見て思っていたそうだ。312席のホールに入れなかったが、結果論としては、照明などの容量のことがあったかも知れないが、第2小ホールでのダンス公演もなかなかにいい感じがした。300名がキャパだが、ステージを張り出したりすれば、150名ぐらいでちょうどいい感じ。
第2小ホールは、パステルブルーがベースのホール内、薄い木の色。青がかった緑の椅子。椅子は移動観覧席だが、割と揺れは少ない(終わってロビーにいた4回生の中條さんとそのことを確認。彼女はとりあえず短期バイトとしてここで働いているのだ)。天井の照明が長方形で、それがびっしり並ぶもの。とても面積が大きく、これが公演のはじめに気になった。
ヤザキタケシ&アローダンスコミュニケーション『ブルータイム BLUETIME』ロングバージョン。14:06〜15:02。東山青少年センターの試演会からはずいぶん変わっていた。ラストにあったヤザキが手紙を読むシーンが半ば(よりもちょっと前半よりか)にあり、しかも佐藤健太郎に変わっている。フランス公演での評価もよかったそうで、それは単に日本趣味が受けただけではないことも確認できて、東京から京都に帰る「ついで」に寄ってよかったと思う。
それを表していないとしても、こちらがわでかってに深刻だったり陰鬱だったりする(blueな)いまの世界のことをどうしても感じてしまうようなシーンの中に、ふーっとしたくつろぎ、無邪気な遊び、楽しいことをしてしまう若さの充溢のとき(time)がある。
一日の狭間に紛れるブルーなとき、ときに間に合わない未明から夜明け前のあいだのつながりととぎれに無数にざわめく間。ブルーな地球の一周のあいだに起きてしまった取り返しのつかない時間。時と時の間。空間の隙間、空と空の間。空と時の間。
でも、ここにある人間たち3名の間は、社会的事件を表すのではなく(もちろんそれらに影響され翻弄もされるかも知れないが)等身大に創り出し、そこでいきている人と人との間である。人の間、身体の間、顔の間、息の間。磁石や鏡像から紡ぎ出す間。照明が明るいところと暗いところにある境界を意識させ、そして消していく。
(このダンス公演については、「こぐれ日記540」でもう少し詳述します)
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