こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.3
3/5(金)
何もないのに、大学に行く。
何もないから、ぶらぶらいろいろ考える。
何もないけど、それもいい。
アルティに行こうと思って時計を見たら、19時になっていた。
もうダンスはみんな終わってしまうなあ。
このまま帰って、夜にサッカーを見よう。
あとは、独り言。
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日曜日のトヨタ=エイジアスのシンポはほとんどしゃべる暇がないだろう。まあ、ぼくがしゃべらなくても十分だ。それにしても、面白い形の略歴を当日パンフ用として送ったのだが、妙味である(注書き)がまったく省かれてしまって、かなりへんてこなものになっている(何にも宣伝していないというのも、また面白からずや)。
でも、省略されていたら、この前作ったHP(http://myprofile.jp/kogure)だけでもつけてもらったらよかったな。
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(本文)
“観客のプロで、そのほかに大学(1)の教員もやっている”。この前ぼくのことをそう紹介するのだと、音楽家の野村誠さんに言われた。見るひっぱりだこ、とも。
確かに、公演、展示、上映、ワークショップなどなど、よく見ている。見せていただいた恩返しにメモを公表しているが、プロとして社会貢献が出来ているかというといささか危ない。つい「私日記(2)」になってしまう。といって、私小説家になるほどの覚悟もない。
昨年、小冊子(3)を出したがこれも中途半端。観客的なエッセイもあれば、小さな論文風のものもある。糸井登さんにはなぜか喜んでもらった(4)が、これがまたさっぱり売れない。教えることもはじめたが、学生にはどこに行くかさっぱり分からないと言われる。たまに企画(5)をするが、コーディネーターに任せっきりで、つい観客になってしまう。
それでも、いまここにあるアーツを愛することができるおかげで、何とかこれまで関西に戻って楽しくいるのだと自分的には思っている。
(注書き)
(1)京都橘女子大学文化政策学部 http://www.tachibana-u.ac.jp/
(2)こぐれ日記 http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/Nikki.html
(2)こぐれ日録 http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/Diary.html
(3)『アーツマネジメントみち〜社会に未知、まちにダンス』晃洋書房
(4)学校に新しい風を http://wake35.hp.infoseek.co.jp/ 糸井日記1/30
(5)『関西女性と希望のアーティストファイルvol.4』を小鹿由加里さんコーディネートで今年も春から秋にかけてぼちぼちとはじめる予定です。テーマは一応「移動する・・
3/6(土)
小雪が舞う寒い日。
今日にトヨタのシンポがあれば(はじめ6日だろうと思っていた)、明日はdance box野外編「コンテンポラリー・ダンス・ツアーin新世界」に行けたのに、と残念。ぼくが本当に「観客のプロ」なら、トヨタを断ってでも行くべきかも知れないという思いが頭をかすめる。
そんなことでこの土曜日は何も入れていなかった。そこに、去年のコンソーシアム京都での「アーツ&セラピー」の受講者だった石井庸子さんからメールが来たから、スタジオヴァリエに向かった。
京都中の学生劇団による初の合同公演をするというのだ。カムカムミニキーナの2002年の作品「エメラルド」であるらしい。もちろん作、村松武。演出は仏教大の劇団紫の掛川弘一。長いだろうな、と思ったら案の定2時間以上だった。14:06〜16:15。
石井さんは、4月に同志社から早稲田に戻って、また京都に来年は来ますって言っていた。何だか明確に演劇をし続ける学生ってホントに珍しいから、すでに絶滅種寸前かも知れないがやっぱり応援したくなる。早く行き過ぎて、開場まで界隈を散歩。近隣の商店街がここは生き生きと残っていて、店も新しくなったりしている。聖護院のそば。だから元祖八ッ橋屋があったりする。
スタジオヴァリエではちょうど満員ぐらいの40名ほどの入り。学生に交じって年配の団体。きっと学生の誰かの祖父母関係なのだろう。ぼくも、二人の娘、はなとさきの子供(産むかどうかわからんけど)がステージに出る頃、こうやって見に来るのだろうか。それとも、もう大学で演劇などしなくなっているかも知れないな。徴兵制があってそれどころではなくなるとか。いや、大学とかいう制度がなくなっているかも知れないね。
さて、『エメラルド』。大きなエメラルドが舞台の前に置かれている。これを巡る物語!のはずなのだが、けっこういい加減に扱われるエメラルド。ぽいって落としたり。魔法のランプとその魔人もそうだ。このいい加減さがカムカムミニキーナの味なのだろう。複数の過去と、もう一つの世界(海賊船)。入り乱れるが、どちらにもいささかのリアリティもなく、一番リアリティがないのが、「いま、ここ」であるはずの佐藤宝石店である。それは、学生の未熟な演技が輪をかけて、スカスカした時代(その時代を生きざるをえない自分たち)を感じさせてくれる。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記516」をみてね)
芝居を見終わってから、時間がたっぷりあるので、歩いて京都御苑を抜けることに。御苑の桃林、梅林に寄る。桃の開花は梅と桜の間にあって、まるで見ることがないな。今日もまだ堅いつぼみのまま。
今年は桃の花もみたいものだ。梅の方はずいぶんと咲いていた。寒い日だったからきっと花も震えていたのだろうが、鑑賞したり写真を撮ったり、写生をしている人もいて、梅のことをいままでほとんど知らなかったなあと思う。つぎは桃。もっとマイナーな木瓜(モッケ→ボケとなったらしい)とかもあるよな。
今日はアルティが大入りである。それにしても特別公演は寂しかったですね、と隣に座った荻野ちえちゃん。
アルティの受付に、今貂子関係の人用に紙を持って上田千尋が立っている。今貂子さんから今度の『カボチャドキヤ』(今貂子+綺羅座)は千尋さんに制作してもらいましたと丁寧な手紙をもらっていた。お母さんも来ていて、睡眠が少なくて・・とおっしゃる。心配なことだが、終わったらぐっすり寝てね。千尋さんの親友、響子さんも来ている。山岡さんがこんど、東山青少年センターで踊るんだと仮チラシ(ジャレミサ指導の10回目のダンスワークショップ発表)を渡すとびっくりしていた。みんな新しいこぐゼミだ。やっぱりこうしてダンスの話が京都橘女子大学文化政策学部で出来るようになったのは嬉しい。
一番はじめが『カボチャドキヤ』で、あっという間に終わった。伊藤のりあき(隣にたまたま座っていたが気さくな感じのいい人だった、手に絵の具がついていた)の美術はとてもチャーミングで可愛くて賑やかだった。美術が主役のプロローグがすんでちょっと半円になってユンゾンで踊ったらもう終わりっていう感じだから、何とももったいなかった。
三拍子が得意なチンドン隊もまた実際に聞かせて欲しい(ネオチンドンかぼちゃ協会)。上田さんは4月のシゲヤンダンスマラソンが終わったら、タフ4でチンドンバンドづくりに活躍してもらわなくてはいけない。はじめの音楽は足踏みオルガンだろうか、音楽もなかなかにいいね。実際のかぼちゃはごろごろしてはいたが大きな舞台だったので、あんまり目立たなかった。
続いてTAKE-BOWの演奏と森裕子のソロ。TAKE-BOWの演奏。続いてソロと音楽だから、同じ形である。吉田靖というひとは、バンジョーからギター、そしてコラへ。コラは楽しそうだった。日本舞踊みたいな踊りはよく分からないもので、死ぬほど長かった。
ケン五月はマネキンと自分の映像とで踊る。踊りとしては音楽に合わせてちょっと動く程度なのだが、客席へ、おらおらおらって来る感じが素敵だ。怖そうでじつはいい人なのだろうなあ。ちよちゃんは疲れるからパスしていて、ぼくがタンバリンでやけくそダンスしたり客席のここまで来たよって(少し大げさに)いうと、残念そうだった。
人の良さでは、浜口慶子さんだよなあと思う。若くはない人たちがこうして熱く懸命に踊っているのを観るとうるうるするのはぼくだけではないようだ。天井からゴンドラでやってくる彼ら彼女ら。もうカッコとかキレとかスタイルとか、どうでもよくなる。大きな灰色の布から浜口さんが出てくるのは、泥人間みたいでじつに愉快な怖さだった。
最後のOgino's&CORE。ここは子どもたちをフォーサイス/フランクフルトバレエ団のように使うところだと荻野さんに話していたら、さっそく終わって荻野夫妻に話してみたいとちよさん。ほほ。よかった。ぼくはアルティで年に一度、すらりとした(そうでない子もまたかわいいが)少女たちを楽しみにしているのだよ。かなり変態ちっくな感じで見ている部分もある。が、あんまり理解できずに(でも楽しそうに)モレキュラーシアターで踊っている八戸の子どもたちと同じく、「流れのままに」いいのである。
3/7(日)
朝、ご飯を食べながら、おおたか静流のベストCD2枚組を聞いている。アレンジが悪いんよねえ(シンセサイザーとか電子ピアノ、打ち込みにはいつもうんざりする)といいつつ、2枚目を珍しくずっと流す。と、「花の街」。これは別、どうだって好きなんだよなあと、ぼくがご飯の途中に歌い出すと、芳江が、いつも「花の街」が流れるとあんたそうよ、と言う。
きっと大阪市立野田小学校の音楽室で演奏した思い出が甦るからだ。ビゼー/カルメンの序曲もやった(どこかの会館で発表)けれど(レコードをまず聞かされたときは、あんなに早く演奏できるとはまず思わなかった)、教室で手始めにやったこれらが嬉しい。さらに、5年、6年といつもコントラバスを取りに用務員室に行ったときの用務員さんの感じとか、そのにいた犬、しめった畳の匂いなど「学校なのに住居ぽい」空気とかを思い出すからだ。
そうだ、トヨタ・子どもとアーティストの出会いでは、この歌詞をめぐって話そうと思いつき、歌詞をメモる。3番がどうしても不思議だからだ。合唱したとき、これは悲しいからやめましょうと先生が言ったことをおぼろげながら覚えている。たしかに、暖かい風のリボンが流れてきて、花が咲き出す春をもたらす歌にどうしても似合わない。
(詳しくはアーツ・カレンダー「こぐれ日記517」をみてね)
「花の街」の作曲は団伊玖磨、作詞は、江間章子(えましょうこ)。
あとで調べたら、江間章子さんという人は岩手県出身でどこかの名誉町民になっている人で、1947年にこの「花の街」を作詞したあと、1949年に名曲「夏の思い出」、そして、1955年(ぼくの生まれた年だ)に「花のまわりで」を作詞している。すごく大切でずっとお世話になっていた(歌を通じて)詩人の方だったのに、京都芸術センターでは、よく知らない人ですが、なんて自分の無知さを公開してしまった。
京都芸術センターでのシンポのあと、交流会はパスして、アルティへ行った。3つめからのダンスを見たが、それぞれなかなかに面白かった。ぼくはやっぱり人前でしゃべるよりも観客、聴衆、鑑賞者であることを意識的社会的にしているという意味での「観客のプロ」、「見るひっぱりだこ」なのだ。アルティって舞台のすぐまえの席が意外といいのだということに初めて気づく。
Rosaゆき『黒い蝶』の椅子でうたた寝する身体を描いたずりおちるダンスの物憂さもよかったし、その前に対照的に動きまくる男三人組、TELESCOPIC「ブレスレス」の息づかいの波動も潔くて感じよかった。でも、一番よかったのは、驚かれるだろうが(=最近の少女趣味からばればれかも知れないが)、あえらすの『灯のさすほうへ』の風音の4人の女性たちだった。もちろん、井上亜梨砂のけばい美術も迫力満点だったな。
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