こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.11



404.11/26〜11/28


11/26(金)

3限目、中西美穂さんによって、地域文化行政論はじつにアクティブな展開をした。やはりゲスト、しかもいまいろいろに活動し苦悩しながら誠実に生きているアーツマネージャーに来てもらうことはとても影響力を持つ。大阪市立大学付属病院でのNPOとしての独自企画と、築港レンガ倉庫での企画との関連がうまく伝わったように思って嬉しい。

アポリアに訪ねたいという学生もちらほら。気持ちがあるうちに連れて行ったほうがいいのではあるが。来年度からは地域文化行政論がなくなるので、前期の地域芸術文化振興論に来てもらうことにしよう。後期のアートマネジメント論の杉山準さんも引き続きお願いしたいし。二人とも話を聞いて翌週にレポートを書かせるぐらい大切な話だと思っている。

来年度の専門演習の予備調査結果がでる。予想通り建築(インテリア志望もここを選ぶしかないのがつらい)ゼミを選んだ者が29名にも上っていて、これからの調整がしんどそうだ。こちら(コグゼミ=アーツマネジメントゼミ)は、最悪1名かと思ったら、4名だった。それでももう少し第1希望が多いと助かるなあと思っていたら、4名のうちの一人が研究室を訪ねてきたので、1時間ぐらい話す。

すると、実情が少し分かった。つまり、1回生基礎演習(リボンゼミ)出身者がみんなコグゼミを選ぶかと思っていたというのだ。そうではなかったのですねと、訪ねてきたわたしのゼミでなかった学生は驚いていた。そうなのだ、あんまり1回生から現場に出したりして飛ばすと、もうそれで満足してしまうのだわ。こちらのお客さんをコンスタントな数にしておくためには、いろいろな課題がある。来年度は1回生ゼミを持たないでいいので助かるけれどね。

遊劇体第39回公演『金色夜叉〜貫一篇』大阪市立芸術創造館。原作:尾崎紅葉、台本+演出:キタモトマサヤ(次回作は、同じく「金色夜叉で貫一・お宮篇」となっている。どう視点が複数化するのか、楽しみであると共に、若干不安な感じもする〜今回の長さがちょうどいいから)。

昨夜間違って来たが、今日も間違ってしまったかと思うぐらい、残念ながら観客は少なかった。観てからしか言えないのが歯がゆいが、かなりもったいないことであると思う。この作品名が実にこの芸術創造館でしてきているクラシック戯曲の発掘とも繋がる意欲作だったからであるし、ちゃんと娯楽的な要素もきちんとあったからだ。年配の人は逆に内容に詳しいだけに演出の面白さが若い人よりもずっと分かるのではないかと思われる。

19:33〜21:29。貫一役はクールな表情がにくい、村尾オサム、お宮はスレンダーな今風の感じも新鮮な、こやまあい。貫一に片思いのまま、悲劇の巻き添えになるアカガシミツエに大熊ねこなど、コロス役など数役を6名が担いつつ、二人芝居の簡潔さを浮き立たせた演技だった。(詳しい内容については、「こぐれ日記576」をご参照ください。)

11/27(土)

あさ、はなから電話があった。
:おとうさん、昨日金満里さんと大野慶人さんの踊り、見た?どうだった? :ううん、今日行くよ。:どう? :どうって、いいに決まっている。まだ見たことなかったのか:じゃあ、行こうかな。:早く来ないといっぱいになるぞ。

環状線が遅れて、新今宮のプラットフォームで急ぎ足のはなの後姿を発見する。はな!
一緒にフェスティバルゲートのアートシアターdBに行く。はなはdBは初めてだという。
大丈夫だ、35番と36番。清水俊洋さん(今回のチラシも彼の宣伝美術である)の横が二つあいている。ラッキーだった。もっとも観やすい椅子席。ここからだとダイレクトに金満里と向かい合えるだろう。どんなに低姿勢の彼女であっても。

イラスト描いてねと、はなが、清水さんに言われている。彼女のHPサイトを清水さんにお願いしているのに、まだイラストが夏のヨットのままなのだ。椅子席が少なくて大勢が入るようになっているが、それでもすぐに満席になる。劇団態変のみなさんの顔が見える。明日踊るだろう人の顔も。年配の人も多いし外国人もいる。制作の横堀さんの頭が爆発している。

『大野慶人「魂の糧」+金満里「ウリ・オモニ」』《大野一雄の宇宙と花》、明日には、公募で選ばれた関西アーティストによる大野一雄氏へのオマージュダンスがある。

ステージ終了後、胸いっぱいになって4階の「大野一雄」展の会場であるremoに行く。ビールを飲む(500円の入場料代わりだ。アルコールを入れたのは、このあと見た砂連尾理+寺田みさこのダンス公演にはちょっと問題だった)。心の支えがなくなって、映像がぼやけていく。大野一雄がつけていた帽子が先ほどの二人の頭飾りと響きあう。もうこれをつけて大野一雄が踊ることはない。でも、すでに十分踊りつくされた。踊りをこの帽子たちとともに創りあげ、それは空中に飛散している。もう前には戻らないし、霧散するわけでもない。この帽子と共に生まれた踊りを受けつぐ文化遺伝子たちがこうして集まっているのだから。

そういえば、最近、はなから舞台を誘うようになったな。こちらが誘って、よくいやがられたものだったのに(もちろん小さいときは何も知らずにアバンギャルドなステージに連れて行かされてきた、アトピッ子のはなではあったが)。不思議だ。そうか、わたしの親父の死か。大きくなったものだ、はなも。

金満里、はじめの50分間、休憩後の40分間、大野慶人。そして二人の即興的デュオ。
このみたびの稀有な美しさをたたえた踊りのあいだ、すなわち予定された公演中、泣き出しそうになりながら、でも涙をこぼしては申し訳ないと思って、暗闇の深さから浮かび上がる一つの身体の動きの推移だけを見つめていた。身体と床が擦れ合う音を耳が聴いていた。私情にすぎないうようなすべての想いを封印し、心と脳内の反応を踊りに留めた。踊りの意味に呼応する寸前を事前察知することで、情感が暴走することをずっと堪えていた。(詳しい内容については、「こぐれ日記577」をご参照ください。)

京都芸術センターへ(はなは、拾得のライブを見に行く。これからみんなでレコーディングをしたりするのだそうだ)。

ワーク・イン・プログレス公演『loves me, or loves me not』砂連尾理+寺田みさこ。17:34〜18:26。上から地上世界の出来事を天使になったように見下ろしているようだった。それもかなり高いところから。いま観客はまだ存在しない舞台のように思えた。創っている二人もまた空から見ていて、そこに動いている二人とは違う人だといわんばかりだった。あるいは、その二人は1日前の二人であるように描かれている。

だから、とてもクールなダンスだった。時間が歴史を刻まないことを諭すような諦観が染みてくるような空気を呼吸していた。何をしてもニンゲンという生き物の結末は同じで、結局は些細なことだけで人生は終わるのだといっているように思えた。

売り上げやイベントの集客数などなど、仕事でとても気にしていることが山積する男。これがうまく行かなかったら、とんでもないことになると思って働いている男がいて、でも、決してそれってたいしたことでもなく、うまく行かなかったのに、何も問題なかったことをあとで知るのだなあとその結末を知っているようなダンスだった。

女もそのときは必死だった。どうしてこういまく化粧ができないのだろうかとか、この服の組み合わせってきっとダサいと思われるとか、パーティに行く前あれだけ悩んだのに何もなかったし、結局、それって何もたいしたことでもない。そういうことが、その場では分からない。過去はわかっても、また繰り返す悩み。地上から決して抜け出さない。その覚悟はすごいなあと思いつつ、でも、ちょっとその繰り返しの悲しさをずっと見続けるには、前の公演で体力を使い果たしていたことを後半は思い知った。

11/28(日)

いろいろと整理する日にして、どこにも出かけなかった。芳江は名和美術教室に行き、さきはセンター入試受験の予行演習をしにいった。でも、あんまりなにも片付かず、ただ、少し無駄なことをしていた。こんな日もいいかも知れない。


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