こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.11
11/5(金)
早くから大学へ、アトリエ劇研プロデューサ(NPO法人劇研理事)の杉山準さんに来てもらった。45人ほど(もっと来てほしいのだが)、アートマネジメント論、前半の山。
アトリエ劇研を具体的に例示しつつ、『小劇場の役割』について、諄々と話していく杉山さん。客席の数と観客数、公演日、そして制作にかかる費用、稽古の時間。それらが具体的な数字として提示されていく。
だれでも無名の時代があったこと、昔、大きいホールで公演してがらがらになりさびしく思ったこと。小劇場が持つお客さんとの適切な距離、公演数の増加による稽古量の確保、実験的前衛的なもののためにどうしても必要な場としての小劇場の存在。いつしかメジャーになるにしても、まだ無名のとき、これからの人のための小劇場の大切さ・・・
そして最後にどうしてディズニー文化だけでは問題なのか。劇団四季(それもミュージカルという砂糖をまぶしたお菓子)しか演劇を見ない学生たちに、わたしなどよりもずいぶんと丁寧にしかも説得的に話してくれる。
劇団パノラマ☆アワー『Re:ハウス〜ウ.チ.ヘ.カ.エ.ロ.ウ...』京都府立文化芸術会館、作・演出:右来左往。19:04〜20:57。始まる前、4回生ゼミの小林佑希子さんのお母さんとおばあさんに会う。そういえば小林さんが出演していたのだ。そして、舞台を見てびっくり。なんと、新人みたいなものなのに、主人公の少女を演じている。しかも、透明感溢れる寂しさとかわいさ。その疎外感を感じる姿は彼女自身の体験も含まれるとしても、同世代に通じるものであり、前見た彼女たちの劇団によるステージよりも無理のない演技をしているように思う。
とても安心して年配の人に勧められるステージである。若干気になるクリシェの反復があるが、そのうちに、涙でうるうるしてしまって、まったく気にならならなくなる。また自然環境キャンペーン的なメッセージがあるのかと最初思ったが、そういう要素はほとんどなかった。家族というものは、そのままではすぐに壊れてしまう。あるいは、昔のように家族がはじめからあるものではなくなってしまっている。そういうことを自然に悟らせてくれる演劇であった。
少女冴子(小林佑希子)が、昼間パジャマのまま「ぼー」としていている様子は、いまの若い子達に共通している状態だと思う。昼間にほんとうの自分が生き生きと過ごせる場所も時もチャンスもないように若くして諦観しちゃっているかのようだ。
(詳しい内容については、「こぐれ日記573」をご参照ください。)
11/6(土)
はなとさきはアニエスbにスタイリストが来るというので京都の大丸百貨店に、芳江は納谷衣美さんの結婚式に梨の木神社へ、そしてわたしはアトリエ劇研に工藤ちあひめ(4回生ゼミ生)作・演出の『タール1mg』(劇団さいなやむ)を観に出かけた。同じ文化政策学部の真藤さんと吉田さんが、主人公の別人格的な妖精みたいな役で出ていて、知った顔が芝居に出ているのを観るという珍しい体験をする。吉田さんと同じ基礎ゼミの佐藤さんも裏方にいた。ねたは就職活動もしないだらだらした女子大生の日常のようで、なるほどねえと観ている。
本屋で『ソトコト』12月号を買う。あと日記帳に使う『マイブック』。来年度の基礎ゼミについて、ほぼ内容を固める。ちゃんとテキストを読みまとめる練習を中心としようと思い、とても薄く安いテキストを探す。そのひとつは『「個性」を煽られる子どもたち〜親密圏の変容を考える』土井隆義、岩波ブックレット、2004。
どれだけじっくりと読み込めるか、学生とともにトライアルすることにしよう(あと考えているのは同じブックレットの動物園についての冊子〜文化施設についての導入、京都市動物園にピクニックしようかなあと〜と、新書版でテレビの嘘についてテレビマンユニオンの副社長が書いているものなど)。以下、イベントがらみで、『「個性」を煽られる子どもたち』から、少し抜き出しておく。
《オリンピックにせよ、ワールドカップにせよ、いまの日本ではもはや「終わりなき日常」に根ざしたイベントと化しています。それらのイベントの前後で、世界はなんら変わらないからです。現在は、あらゆるものが予期化され、未来も現在とさほど変わらぬまま続いていくものと思えてしまいます。人びとは、お祭り騒ぎの後には、以前とまったく変わらない生活が舞い戻ってくるであろうことを確実に予感しているのです。新しいフロンティアを開拓する感動は、なかなか味わえないことをすでに知っているのです。だから、これらのイベントのなかに、強迫神経症的に一瞬の感動を追い求めようとするのです。》41ページ
《昨今のスポーツ・イベントで見受けられるこの「感動」志向は、私たちが自己の内面的世界へと執着しはじめたことの表れの一つです。かつての貧しさが克服され、自己の内面的世界へと関心を向ける余裕が生まれてきたにもかかわらず、そのときにはすでに感動の素材は現実の世界から消え去っていったのです。その意味で、感動ノイローゼは、感動の素材を見失った内面的世界に広がった現象といえるのではないでしょうか。》42ページ。
AI・HALL、弘前劇場『賢治幻想 電信柱の歌』作:別役実、演出:長谷川孝治。19:03〜20:21。
北村想とはまた違った宮沢賢治である。見ながら、妹としが亡くなって、オホーツクの海を見に行くときに賢治が作った「青森挽歌」のことを思った。別役さんは弘前劇場を念頭に置き、だから賢治の北への旅を取り上げたのだろうかなと考え長谷川さんに尋ねる。いずれにせよ、別役さんはずいぶんこの演出を気に入ってくれたそうだ。ジオラマはピッコロシアターでの「わが町」ではト書きで別役さんが指示していたそうで、シンクロだったと長谷川さん。汽車のおもちゃセットがずいぶん手が込んで作られている。
あとの打ち上げで長谷川さんから、これからのビジョンを聞く。ダンスも手がけるそうだ。県庁の教育委員会に移ったことなどいろいろ。白取さんが生きていたらなあと思ってしみじみ。ドイツの劇場のこと。さきがドイツに留学していたことを話しておく。
今回の演出はいままで禁じ手にしていたことをかなりやったという。暗転とか地明かりなしとか。なるほど。ビオラの生演奏もあった。ジオラマ、そして映像づかい。うちの3回生が見に来ていて、彼女は小学校低学年のとき『雪わたり』を演じたことを思い出したという。愛知県の学生だから、どうしてもプロジェクト・ナビとの関係を思ったりする。たぶんたまたまだったのだろうが。
賢治が過ごしたポラーノ広場の景色を劇団員みんなで見に行ったという。遠くにいるわたしたちは、東北というと同色に見える。でも、津軽の人には花巻はまた違う風景だったという。確かに、東北における日本海側と太平洋側とは、その広がり感や空気の乾湿、自然に対する人びとの感じ方などがまるで違うようにわたしも思う。
ぼんやり宮沢賢治が自然に対して愛情とともに諦観に満ちた憎悪を抱くところがあると前から思っていて(だから科学的にイーハトーブ改造を試みようと夢想する)、それは津軽にはない志向なのだろう。ジオラマは感受性の科学的俯瞰であるから、この演出もそういう賢治=花巻的なものの見方についての考察に関係するのかも知れない。
同じく打ち上げのとき、AI・HALLの館長が11/1のNHKを見て、コンテンポラリーダンスのことが分かったと話しかけてくれる。じつは、山下残のこの前の公演を見た客のひとりがこれはダンスではないから金返せとアンケートに書いていて、館長は悩んでいたのだそうだ。大変だなあ、苦労しはるなあと思ってしまう。少しでもお役に立って(安心感を与えるだけでも)よかった。
11/7(日)
オープンした難波の精華小劇場へ行く。昨夜学生が迷ったといっていた。地下鉄の出口11番から出てすぐなのだが、至る所派手でいかがわしいものが目に付く場所なので、喧噪に酔ってしまうし、その喧騒に紛れてしまうとみんな同じに見えて位置感覚がなくなってくる。エロビデオ屋、ビデオ試写室、マンガ喫茶。劇場の真ん前にラブホテルまでできている。もちろんファッションヘルスにパチンコ屋、ブランド安売り店に古着屋。サブカルチャー観察にはもってこいなのかも知れないが。
「眠らない街、眠らせない〈拠点劇場〉」(チラシの文句がなかなかにうまい)。200席、平凡だが見やすい空間になっている。精華小学校(もしもここが精華高等学校だったら、精華高等劇場になったのかなと天野天街はうまいことをいう。確かに精華高等小学校も併設していたことがあったはずだ)は、京都の明倫小学校との違いが明白で、でも幼稚園スペースの講堂や中庭、2階のプールなどお宝を目の前にしてもったいないとは思う。地下給食室の味わいも含めてね。
桃園会第28回公演『熱帯夜』13:35〜14:54。『うちやまつり』が見られないのがとて残念である。『うちやまつり』の前の季節における出来事の『熱帯夜』が、『うちやまつり』の続編としてできて、この順序で初演をみたから、今度は、『熱帯夜』のあと『うちやまつり』を見たかったのだ。
作・演出の深津篤史が当日パンフに書いているのを興味深く読む。チラシとか当日パンフにおける作者などの言葉によって、その芝居の雰囲気は随分明白になると思っている。昨夜の長谷川孝治の文章も好きでいつも楽しみにしているが、この深津の文章もとても心に沁みた。さぼりで悪いが、公演の内容に触れないで(もちろんこの作品の演出は初演よりもより計算され作品が持つ怖さが深まっていたと思う)、それを引用することにしたい。
《好きな場所がある。・・・・・そしてどの劇場にも共通するのが開演前の暗闇と、バラシが終わった後のがらんとした空間。
《何ヶ月という準備期間を経て圧縮された濃密な時間が劇場にある。だからよけいに呆けた時間が貴重なんだろう。初めて劇場のたちあげから関わった。数年に渡る助走期間が圧縮されて今、ここに劇場がある。好きな場所は、これから探そうと思う。》
書きながら、自分の略歴に、2000年春、「精華小劇場コトハジメ」実行委員長という1行を入れておこうと思った。ところで小堀純さんが書いていたIさんこと乾さんは、いまどうしているだろう。もう劇場に来ただろうか。帰り、わたしを知らない大阪市の文化振興課長らしき人たちがわさわさと入ってきた。ちょっと地域創造のときと似ている気がした。
神戸アートビレッジセンター。KOBE ART ANNUAL 2004『トナリノノマド』。ちょうど、1roomにて、メセナ担当者によるトークが行われていて、知っている顔も初めての人もいた。だいたい終わりぐらいだった。1階のキャラリーを見てから地下へ。ここのトイレの廊下にも絵画。階段の使い方がこのアニュアルの特色になっている。ギャラリーに入る前にしばたゆりさんの顔。学生達が廊下にべちゃっと座っている。しばたさんは成安造形大学で教えているのだという。何だか分からないままに学生の前で挨拶。
トークが終わってから、金沢寿美「公開交換日記(何でもない世間話から)」を読む。でも他はみんな読んでいて、床屋さんとの交換日記1冊だけ。でも実にインスパイアされるものだった。本当はゼミ生達とも交換日記をしたいぐらいなのだが、そんな余裕はなく・・
夜は、三田市の委員会。傍聴席に議員さんたちがいた。小山内委員から指定管理者制度のあり方の具体的な提案があったりとても勉強になる。ただ、KAVCから神戸電鉄で来れば一本で行けたのに尼崎経由のJRで行ったのが悔しい。
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