こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.10



388.10/1〜10/3

10/1(金)

今日も、依然としてかなり落ち込んでいたが、ぶじ授業もできたし、夜三田市に行って委員会にも出席して、あんまり不細工にはならずに過ごせたように思える。助役さんが自治省の先輩や同期や後輩の名前をよく知っていて、いろいろ聞かれる。彼は兵庫県庁の人かそこにいたことがある人だからだ。

アートマネジメント論の方が受講生数は地域文化行政論よりも倍近くいるのに、後者の方が実出席数は多いのは、先週、ぼくのテンションが前者でとくに高すぎたからだろうかとも思うが、多分3回生後期ともなると1限から出てくるほどの動機づけがないためであろう。

10/2(土)

今日も鬱だが、その鬱もまあいいかという感じ。何もせず家にいるが(リズモロジーという名前のライブ〜ソシエテ・コントル・レタ出演〜に誘われていたのに行かず)、パンプレスに原稿を書くことを忘れていて(催促のメールをみないでいたらしくて、督促メールがまた来ていた)、いまの状態を「プチ鬱」という表現で書いて、書くことでちょっとすっきりする。

さきは風邪をひいているのに。ぼくが床で午前中ぐずぐずしていたら、ドイツの女の子から買った熊の人形をぼくの寝ている横に置いてくれたり、起き上がると頭をなでなでしてくれる。一緒に小津安二郎『父ありき』(1942)をぼんやり見たりする。

はなにさきが電話したら、ちょうど那覇市の市場の2階で御飯を食べていて、30日の浦添grooveでのライブには、自由の森学園当時の友達が駆け付けてくれたという。明後日ぐらいから、鈴木翁二の作品をみんなでレコーディングするそうだ。

10/3(日)

劇団衛星『劇団衛星のコックピット、コンセプト1〜3』第五長谷ビルB1。作・演出:蓮行。
ジュンク堂でNPOジャーナル(加藤哲夫さんというせんだいみやぎNPOセンターの人が指定管理者制度について書いていると聞いた)やシアターアーツ(名古屋の共催取り消しなどについての坂手洋二さんの連載を見たかった)を探してみたがなく、残念だなあと思いつつ地下鉄の入り口へと向かう。

今回の公演のロビーはもと和食屋さんなので畳だったそうで、そこを透明なシートが養生に使われ、ふわふわとした浮遊感が乗船前の私たち観客の状態をうまく演出している。

実際、コックピットのコンセプト1を単体でその戯曲や演出、演技そのものに即して批評するのは難しいのではないだろうかと思う。なぜか。それは代表の蓮行が書いているように「もう、演劇が演劇作品として完結して存在できる時代はとっくに終わっている」からだ(当日パンフより)。なおこのパンフは、ぎりぎりで作られたことを証明するように、「共催:京都橘女子大学文化政策学部小暮研究所」となっていたり、staffサポートに入っているうちの2回生の名前が「尾上郁子」(本当は侑子)になっていたりしてる。

コックピットをこのようなビルの地下に借りること(もともとは違う公共施設を想定したものだったどうだが)、そのコックピットに別の劇団とかユニットとか詩人とか映画とかダンスとかクラウンとかを登場させることなどを含めて考えてやっと成立するかも知れないのが演劇ではないか、彼らはそう思っているのだろう。

ところが、ぼくはいやいや結構中身も面白いではないかと思ったのだ。とりわけ、前回見てうーん、ちょっと不完全燃焼だよなあと密かに思っていたコンセプト2(九連宝燈〜中華思想愛好家の集い篇)が、コンセプト1を見た直後だということもあり、その合わせ鏡としてじつによく分かるようになったせいもあるけれど、ずいぶんとテンポよく面白さが倍増したように感じたのである。

どちらも一時間半ぐらいの作品で、もしコンセプト2を先に見たときにそうなるかどうかがちょっと自信はないが、少なくともコンセプト1でちょっとどうなっているのだろう?という疑問をコンセプト2では7割ぐらい解消してくれて、でもあとの3割はまだまだあとのお楽しみだようというところがにくいし、新たに2割ぐらいまた新しい謎などを生んだりもしてくれるからうまいのである。

コンセプト3は、1時間ほどの公演で、劇中劇の構造を持ちつつ、ただそれでは終わらないよ、だって次の続くコンセプト1と2があるから、というでき方で、大半は会社の上司に企画のプレゼンテーションをするお芝居をするという演劇的仕掛けになっている。嘘から出たマコト(もちろん真実は一部分)を残して、まだまだコックピットがつぶれなかったら4本目もできるに決まっているよと予感させるものだった(そしてコンセプト4ができたときは、コンセプト3はよりパワーアップしたものになり、全体はより大河ドラマの風情を漂わせているのかも知れない)。

それにしても、3本目の公演というのは、役者としてでずっぱりなファック・ジャパン、岡嶋秀昭、金田典子、紙本明子、黒木陽子、そして蓮行のみんなはどんなに大変だろうと見ているぼくも同じ席から見ていてちょっと疲れが出てきたので思ったものだ。


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