こぐれ日録 KOGURE Diary 2004.10



396.10/29〜10/31

10/29(金)

二つの授業。橘での講義はこの金曜日がメインである。まずまず、というか、一番ましだったという3回生の感想多し。つらいのは、その内容がアーツではなく「イベント」についてであること。さきがドイツ語の使いさしノートをくれたので、そこにぱらぱら手作りパワーポイントみたいなものを作る(バスの中にて)。これがとくに好評だった。

終わってから即、武藤課長の車にて、京都商工会議所へ。研究助成のプレゼンテーション。考えてみたら、いままでに審査される方に回ったことはなかったように思う。就職してからいつも生意気に審査ばかりしていて、22歳に受けた公務員試験の面接以来だったかも知れない。
新鮮だったが、反省することばかり。

いいむろなおきマイム公演『アンバランス―unbarance―』大阪市立芸術創造館。作・演出・いいむろなおき。はじまるまでセレノグラフィカの阿比留さんと話をする。門真の中学校での話などとても興味深い。

20:06〜21:19。いいむろなおきのほか、4名のマイムラボの人たち。技術に裏打ちされたスピード感あふれた演出。マイムの面白さを堪能する。一番面白かったのは、腕を腰に当てて丸くすると、どうしてもそこに頭を突っ込みたくなるというシーン。たぶん「スナオニナレナイ」だろう。ここにはコンテンポラリーダンスに通じる自在感があるし、ユーモア度はそれ以上である。

ところが、やはりマイムというのは意味がきちんとあるのが前提のようだ。動きの一つ一つは律儀に何かを表しているので、それがびっしりつめこまれると、少しぼんやりしてしまう。意味が分からないと不安になってしまう。だから、隙間のあるシーンがもう少し増えると観客が自由に解釈できて、もっとのびのび鑑賞できると感じると思うのだが、これはわたしがコンテンポラリーダンスに慣れてしまっているからだろうか。

10/30(土)

午後、應典院にて、病院と芸術との関係の貴重なシンポジウムがあり、中西美穂さんなどが発表することを知っていたので、行こうと思っていたが、雑用がたまりすぎていて、それにはどうしても出かけられなかった。

夕方、ようやく用事をすませて、新しく出来た小劇場(100席がぎりぎりぐらいのもの)に、京都府の演劇コンクールの対象であるお芝居を見に行く。ぎっしり。思ったより狭いこととすごく人が多かったこと、その両方でびっくりする。タイニーアリスと姉妹館なので、シュールレアリスムとかアングラとかそういう懐かしい世界を持った地下空間になるのだろうと思う。渋谷のジャンジャン的空気とかとも通じるといいなあ。

エレベーター企画『授業』アリス零番館-IST。作:ウージェーヌ・イヨネスコ、演出:外輪能隆。
スタイリッシュな演出。なかなか評判が高い演出家のようで、フジワラビルでの公演も見たくなる。

モノクロームの緊張感とスピード感が心地よい。観客としては、不条理劇の名作のためか、どうしても教養主義的な堅苦しさを感じてしまう。ただ、その歴史的な価値を再認識することも大切なのだ。そして、この舞台ではその古典的な基礎を押さえつつ、CDを懐から出して流したりすることで、いまとの接合にも心が配られている。

大量の白紙と身体に巻かれたりほどかれたりする白い包帯。白い紙に埋まる身体にはその実体がない。算術と比較言語学。その内容はまるで幼稚。教わる少女の歯痛だけがリアルな世界とのかすかな接点なのだが、その接点すらなくなっていく。閉塞へと戻る予定調和的結末。ただ、この舞台がかつては不条理劇として提起されたのにもかかわらず、いまの時代では当たり前の事態だと思えることが、現代の混迷の重症度を確認させる。

10/31(日)

10月も終わり。朝はなに電話したら、山下残さんのダンス一緒に見るという。午前中はOBPにて学会関西部会例会。

萩野美智子さんの発表「音楽が溢れる街づくり推進事業〜民間音楽ホールを通しての地域文化振興〜」。ブラームスホールが誕生した1987年、(有)ブラームスプランニングを(株)淡海自動車の完全子会社で作った1995年、そして、NPO法人ブラームスホール協会を作った2000年を軸にとてもわかりやすいまとめ。甲賀市の文化施設5つをまとめる指定管理者制度を提案しようとしているなど、いまの活動もまたアクティブそのものだ。

興味深かったのは、滋賀県庁の文化振興課と観光課を同じテーブルに集めて話し合い、自分としては集客という結果を大切にする観光課の仕事をすると決断したというくだり。もう一度NPO法人とともに株式会社を作りたいという萩野さんの希望とあいまって、いまわたしのテーマであるチンドンなど応用芸術(注文を受けて個別創作するアーツ)のためのコミュニティ・ビジネスのアウトラインをより明確にしてもらえる発表だった。つまりイベントマネジメントは収益事業であり、結果を約束するビジネスモデルがふさわしく、それらと、過程を大切にする創発的アーツマネジメントとを切り離すことの意義を実証するものだからだ。

次に松本茂章さんから「京都芸術センターの現状と特色ある運営システム」の発表。なかでも京都市の事業評価システムが集客一本やりであるという事実にびっくりもし、がっかりもした。京都市も同じなのか。アーツをイベントと同じ土俵で評価したがる、あるいはアーツもイベントのひとつとしか考えられない人たちが支配している世の中だということがよく分かる。多勢に無勢のなか、こういう風潮に対して物申すのが完璧にむなしい時代。竹林の七賢人ではないが、隠遁するのが一番賢い選択なのかも知れない。15時からの公演なので珍しく一緒に参加者同士で昼食もする。

そのあとAI・HALL。山下残ダンス公演『せき』。15:07〜15:59。傾いたスクリーン、そこには最近の彼の作品の特徴である言葉がおもに動作を指示するために映し出される。スクリーンの前に、25個もある黒ずんだドラム缶がひとり芝居ダンスのさびしく厳しい心意気を励ましている。美しい。演者はそこに上ったり隠れたりする。囲碁の台にもなるし、ときには、怒りで拳をたたきつけ、絶望で頭をたたきつけてしまう堅く痛い鉄板にもなる。

はなと一緒にステージを見たのはとても久しぶりで、こうして一緒に劇場に座り、そのあとベルギービールを飲むなんて、むかしは想像すらできなかったことだ。それも、山下残の作品の魅力と余韻がそうさせたのは言うまでもない。それに、はなは最近わたしの突発的な怒り発作のことがいくらか(許せないことのほうが多いとしても)理解できるようになったというが、それは今回のステージもその理解を促進させるものでもあった。

京都造形芸術大学で8/22に見た『せきをしてもひとり』。それは本公演のワークインプログレスという位置づけでもあったが、そのときは、尾崎放哉の自由律の俳句をもとに踊っている部分がもっと多かった。この本公演にいたるまでに、ずいぶんと「せき」する練習も繰り返したのだろう。台詞も彫琢し、美術にも心を注ぎ、演出における枝葉を取り除いたりもしたのだろう。

その結果、俳句と寄り添うようにそのまま踊る前回とは違っていた。つまり、尾崎放哉という固有名詞からはずいぶん離れていったように思えた(俳句としては「爪切はさみさへ借りねばならぬ」一句のみ)。いや放哉的世界を山下残として消化し内面化して、このシンプルでじつに奇妙奇天烈な題名を持つ作品を仕上げたという方が正確であろう。

とはいえ、山下残はいままで、観客を前にしては、すこぶる天然に振舞い、その場を呼吸して感応して、偶然的・即興的に踊る舞踊家であった。
が、そういう外観とは対蹠的に、彼は長い準備と研究を行う苦吟型探求者という一面を持つ芸術家である。今回はその真摯な探求者、修行者の姿が、放哉という先駆者に出会い、放哉が眠る穏やかな空にくっきりと映ったように思えた。小豆島から見える海の波、船、背後の山の煙も作品に登場して、これは、放哉とともに行脚してきたことが分かる残の旅日記でもある。

(詳しい内容については、「こぐれ日記572」をご参照ください。)


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