こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.8


こぐれ日録445 8/8〜8/14


8/8(月)


朝早く出て、いとこに運転してもらって姫路のお墓へ。親父の骨をお墓にしまうため。姫路城の西側にある不動院(山野井)に行くのに、一方通行の道のため苦労する(姫路駅前からタクシーに乗るのとは勝手が違う)。約束の10時には少し遅れたが無事納骨式終了。骨をカロートにしまって、あとは石屋さんがセメンで固めてくれるという。初盆に間に合い、よかった。今度行くときは迷わないだろう。姫路南インターで下りて、市役所のところを北上して、市乃橋の交差点まで来ればあとは大丈夫になった。

福島駅で芳江と途中下車して、昼食。かなり草臥れていたが、たまたま入ったマレーシア料理が暑さ防止に最適でいい味だった。インド料理とかなり共通している。親父が戦争中にマレーシアにいたこともあり、何だかこういう料理も食べたかもしれないなあといいつつまったりとした赤いスープを飲む。

大学に行き、タフ5のチラシの打ち合わせ。学生は3名が参加。写真がなかなかいい感じなので楽しみ。「マリ亞ンヌ」という喫茶店の名前は、不思議な味がある。「亜=亞」は象形文字で、「古代の墓の部屋を上から見ら形にかたど」った漢字だという。墓のカロートをみたばっかりだったので、その照合にびっくり。亞が次という意味(亜流とかに使う)になったのは、現世の次に入る墓の部屋だからかも知れない。ほかに、みにくい、また(岐)、分岐点、どもる声などの意味があるのも興味深い。


8/9(火)


昨日の疲れもあり、外に出たのは一瞬。

朝届いた3名の追試を早速採点し、全体の評価表328人分を立命館大学へ郵送するため、マンションのすぐ近くの小さな郵便局へ。郵パックが使われるようになってきているのだな(大丸の関連物流会社を郵政公社が合併するらしいし)。これがいま民営化議論になっている特定郵便局なんだなあと、いつもなら、ただ用事で行くだけの郵便局をしみじみ眺める。毎日新聞のサイトによると、小泉支持が少し回復したという世論調査が出ていて、唖然。500億円はかかるという総選挙を、自分の信念を通すだけでやっていいのかなあ。

日本アートマネジメント学会誌に掲載予定の校正も届く。わりと素直にこの4年間のアーツマネジメント教育の実際を書いたので、参考になれば嬉しい。図表が抜けていたので、追加する。以下、その最後の締めくくりの部分のみ抽出。
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ここでは、メセナ的公的芸術投資をどうして先端芸術(先駆的芸術、コンテンポラリーアーツ、筆者はは「さきっぽアーツ」と呼ぶことにして)に重点的に行うべきなのか、それが限界芸術(「だれでもアーツ」)を刺激し蘇生させるにはどのような手法があるのかが課題となる。そして、「市場芸術=かせげるアーツ」(イベントやメディア系アーツ、ミュージカルを始めとする「大衆芸術」など)には市場を乱すような非市場的(=社会的公的)な投資を行ってはいけないことを理解すれば、実際に行われてきた(=行われつつある)行政や企業の芸術事業の批判が十分に可能になると思われる。ぜひ、それらの問題点について、アーツマネジメントに携わっている私たちは体制におもねないで、勇気を持ち理論的に指摘していくべきだといつも思っている。(「アーツマネジメントの伝習現場にて〜おもに講義形式での実際とその「すべ」」『アートマネジメント研究』(2005.10)掲載予定の原稿より)
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読んだ岩波新書(2003)、熊沢誠『リストラとワークシェアリング』。オランダにおけるワークシェア(リング)の話を読んでから、労働政策のことがぼくのアーツマネジメント研究にも関連するし、第一、大学の校務など(学生の就職活動、教職員組合活動、生協運営のあり方などなど)にとても重要であることを痛感した。

もともと、パートタイマー労働者は、アルバイト、派遣社員、請負労働者とは違って無期契約で働くことが多かったのだが、いまは、パートタイマーにも有期契約が浸透したこと。このあたり、アルバイトとパートの違いがよく判らなかったのでとても勉強になる。フルタイムとパートタイムとの均等待遇への道(オランダは均等待遇ではあるが、それでも、フルタイムとの時給格差は21%)はとても険しいだろうが、ワークシェアのためには、この道がとても大切になる。教員の世界など、その差(非常勤と常勤の違い〜授業自体はまったく同じ労働なのでとても不可解な話である)は、もってのほかの議論である。

たとえば、女性正社員の時給水準1620円の80%(オランダの実態を参照)とすれば、パートの時給は約1300円となる。年1600時間の所定労働時間を想定すると、年収が208万円。わずかに支給されている6万円の賞与をたして、214万円。これが筆者の試算であり、これでパラサイトが解消されるかどうかと問いかけている。「一律型」ワークシェアとともに、この「個人選択型」ワークシェアについても、その実施可能性を考えると、現実はなかなか厳しいが、ワークシェアの意義は、以下のまとめの文章のとおり、十二分にあるとぼくには思える。

《 産業社会のマクロレベルでは、予想されるワークシェアの効果(主に〈一律型〉を念頭にしていると思われる:小暮注)はもっと積極的である。労働時間の短縮による雇用機会の拡大があれば、全体として消費が増える。長時間労働者の時短による収入減があっても、それまで消費を抑制してきた失業者、潜在失業者が就業すれば、全体としての限界消費性向は高まるからだ。職を失う不安からくる就業者の消費行動も活発になるだろう。時間短縮や休日増加によって、働きすぎで今はゆとりもない壮年層がショッピングや大型レジャー、たとえば海外旅行などを享受するようになる期待もある。それにもちろん、失業率が低下すれば、税収が増え、失業手当などの社会保障支出も節約できよう。
《・・・・・・その人の条件に応じて働ける〈個人選択型〉ワークショップは、できれば社会的労働につきたいと思っている主婦、高齢者、それに学校卒業後も実質的な仕事のないあまりにも多くの若者たちに、それなりに働ける機会を開くだろう。・・・・・・・少子高齢化に労働力率の低下が加われば、年金財政一つをとっても、危機的状況の到来は必至であろう。出産・育児の支援とともに、あらゆる属性の人びとに就職できる雇用機会を創出し、また働き続けられるように職場環境を変えること。労使関係の当事者と政府にもっとも求められているのは、そうした長期的な視野に立つ営みである。》P196〜198

引用していて、郵政民有化というのも新自由主義、アメリカグローバリズムの流れの「構造改革」で議論していては不毛だと思ってくる。同じ西洋でもヨーロッパで行われてきた労働の公平化・民主化の動きの視点から、郵政だけではなく、働く価値の共有化という視点で考えること。国有か民有かという所有価値の議論ではないだろうし、国家公務員はいらないというような皮相な論点ではなく、いまの働く環境を考えたときに必要なアソシエーションのあり方、協約について、官民(官といっても、国と地域の差があり、民にも営利と非営利の差がある)の黒白採決主義を超え(=またいで)考える必要があるのだなあ、とぼんやりと思った。


8/10(水)


京都橘大学は今日からお盆休みである。お盆とお正月だけは、割と日本中仕事がなくなる。ただ、正月はコンビニやスーパーがずっとやるようになって、聖なる時間がぐっと減ってしまった。だから、お盆のこの時期のみ日本の宗教的な文化が一番発動される時期である。まあ、花火ばかりで画一的だが、浴衣のアベックがうろうろしている。今日は宇治川で花火らしい。

午前中、読書。
14時からは、大津市で、糸賀一雄記念賞音楽祭実行委員会、第2回目。11/20、14時半から約2時間、栗東芸術文化会館さきら大ホールにて。2つの授業をここに振り替えることが出来る予定(鑑賞助成あり)。障碍のある人たちを中心とて音楽やダンスをワークショップしてきた過程は十分に勉強になるものだと思う。それに文化現場に1回生から行ける機会にもなるし。


8/11(木)


朝、4時とかに目が覚めない。男山のセミが鳴き始めている5時過ぎまで眠れるから、ずいぶん気持ちがいい。休暇ならでは。
今年は、冷房を入れていないので、電気代が少し節約になったかなあと思って、ついポータブルDVDを買う。大学にあるのが古くて一つしかなくて、それもこの前故障していたからだ。いま、聴いているのは、バルバラ(黒い人、暗いというイメージしか残っていなかったが)のベストアルバム。2度、3度聴くとその味がどんどん伝わってくる。自分の加齢が関係しているとは思うが。

芳江とDVDで『映画日本国憲法』を見る。ジャン・ユンカーマン監督作品(見た目より実年齢は若い)。78分だが、20分のインタビュア紹介がオマケでついている。Mシグロ(佐藤真監督作品を出しているところ)の2005年製作のもの。日高六郎は、いま読んでいる本にも出てくるので、いい具合にシンクロしている。見たあとに、一緒に見た人と語り合いたくなる。悔恨がどうしても出てしまうが(どうしてこういう日本になっちゃったんだろう、ブッシュの子犬に擬される総理って一体!と思うが、それは、マッカーサー大元帥にご機嫌伺いに出かけた昭和天皇のときから続いているということもできる)、これが、日本だ、ぼくらの国だ、と思うしかない。

ということで、読書しているのは、拾い読みしかしてなった、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉〜戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社、2002)である。大学の図書館にまだ入っていなかったら、すぐに要求して学生と読みたいと思う。少なくとも、うちの大学院生は自分で買う価値があると思う。6300円だが、ここで「市民」という言葉の変遷をしり、多くの日本の知識人の言説と心情を知ることが出来るから、高いとは言えない。政治・政策学をもっときちんと教育するシステムが必要だと痛感しているが、自分で学習することだって出来る。これは、ほんとに目から鱗が多い本だと思うよ。
サンプルとして、第4章憲法愛国主義から引用しておこう(p157〜158):

《 こうした第九条歓迎論は、政府の公式見解でもあった。・・・さらにこの憲法改正審議で吉田(茂=当時の首相:小暮注)が「今日までの戦争は多くは自衛権の名に依って戦争を始められた」と述べて、自衛権を明確に否定したことはよく知られている。また吉田とともに答弁に立った前首相の幣原喜重郎も、核兵器が開発された現代においては、軍備による自衛で生き残ろうという思想のほうが、「全く夢のような理想に子供らしい信頼を置くものでなくて何であろうか」と主張している。
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憲法改正審議のあと、1946年11月に新憲法が正式に公布され、1947年5月3日から施行された。政府は新憲法を周知させるべく、全国に遊説隊を派遣し、紙芝居などによる啓蒙活動を行なった。・・》

同じ章より、もう少し引用(p171)
《 敗戦直後の憲法論議で興味深いのは、南原(繁:東大総長で貴族院議員:小暮注)をはじめ、のちに護憲勢力となる人びとが新憲法に疑問を呈し、のちに改憲勢力となった保守政治家たちが憲法を賞賛していたことである。しかしくりかえしになるが、南原が憲法を批判したのは、憲法の内容もさることながら、安易に憲法を改正する政治姿勢に疑問を抱いたからだった。そして、当時は占領軍を恐れて憲法を賞賛していた保守政治家たちが、アメリカの方針が転換した50年代以降になって、憲法批判を始めたのである。》

 また、政党では憲法改正(帝国憲法から第9条のあるいまの憲法へ)に反対したのは、共産党のみだった(社会党との分断を第九条が可能にするというのも保守派が戦争放棄を受け入れる動機のひとつ:もちろん天皇制国体の維持とそれによって戦争責任がうやむやになることで達成される自らの保身が最も強い動機であるが)。この時点では、共産党だけは、天皇制の残存は容認できないものであったし、第九条についても次の理由から反対であった。つまり、すべての戦争の放棄ではなく、人民のために行なわれる「解放戦争」と、資本主義・帝国主義による「侵略戦争」を区別し、「民主主義的国際平和機構に参加し、如何なる侵略戦争をも指示せず」という趣旨への変更を主張していた。これも、今から見れば、歴史のねじれ現象として興味深いところである。


8/12(金)


軍事力=戦時の暴力(violence)。それらに担保された強制力(force)。強制力の一つとして核抑止力がある。つまり、単純に「力」といっても、前にあげた権力のほか、物理力、実力、権威、そして、この暴力や強制力があるわけだ。なんとまあ「力」には様々な種類があることよ、と政治学を勉強する学生さんは思うことだろうね。

さて、平時における(死刑が認められている国においては)合法的=法の下での殺人としての死刑(死罪確定→死刑執行)。と、戦時における自衛権として発動される軍隊による敵対する軍隊への殺傷行為(および軍事施設への物理的破壊行為)。二つとも、人間に対する物理的な破壊行為であるということには変わりなく、それらはどちらも「暴力、バイオレンス」ということになるだろう。

そこで、いかなる名目でも(平時においても戦時においても)バイオレンスを認めないとする絶対的平和主義=理想主義と、やむを得ぬときにのみ発動される正当なる防衛的な暴力の権利は国家の固有権として最終的に残されているという、安全と平和のための自衛戦争容認主義=現実主義が考えられる。そういう議論を昨日の引用によって読んでいただいている方のなかで引き起こしたのは予想外だったが(憲法九条をめぐって書けばそうなることは自然ではあった)、それ以上、つきつめて考えることは、ここではしないでおく。

14時すぎに東山青少年活動センターへ行き、演劇ビジネス研究会の一環で関西電力の職員さんとワークショップするための準備作業をのぞく(ビジネスパーソンのプレゼンテーション能力をアップするために演劇や身体表現の術を活用するもの)。なかなか面白いものになりそうだ。となりの部屋で演劇ビギナーズユニットの自主練習があると表さんから聞く。うちの1回生のMさんも熱心に制作を担当してがんばっていますと聞いて、正直嬉しいが、彼女の顔を見ることは出来なかった。チラシが出来ていて手渡し<a href="http://www.jade.dti.ne.jp/~fromeast/HigashiyamaSite/festa2005/9gatsu.html" target="_blank">。『見よ、飛行機の高く飛べるを』・</a>・これって流行っているな。9/3は大学の用事があるので、9/4の13:30からの公演に行こうと手帳に書き付ける。

AI・HALL+北村想プロデュース『MONO語り 怪人二十面相・伝』。作者、北村想の構想が冴え、悠々2時間を越えて持続する語りの世界を、大衆に愛された物語の別伝ではあるが、はじめて聞いたストーリのように、わくわくする気持ちを失わないで、堪能した。

一人芝居は、どうしても単調になりがちではあるが、そこは、丁寧な演出(中村賢司)によって黒子がきびきび動き、ごてごてしない程度の美術と明かり、にぎやかすぎない音楽や曲馬団のざわめきによる変化づけがあった。なによりも、一人で演じきることの悲壮感もなく、北村想ワールドをモノ語り演じ分ける船戸香里。彼女がここですんなりと受肉してしまったのには驚く、もちろん、常識では考えられないほどの長い稽古があったそうだが。

清流劇場の船戸香里は、もとよりボーイッシュなところがあり、今回は、語りかける役とともに、演じ分ける二人の少年(サーカスに入る平吉少年と明智探偵事務所の小林少年)や青年探偵として颯爽と登場する明智小五郎が清々しく四角いステージ上を飛び回る。そして、主人公(二十面相の二代目になるという少年平吉が主人公かなとはじめ思った)、丈吉=二十面相も渋みのある声ながら若々しい。こんな万年青年のような北村想の世界とぴたっとフィットしているので、船戸はプロジェクト・ナビのステージを引き継いでいるかのように、違和感とかはまるでない。この公演がアイホールだけで終わるということがないことを祈るのみである。

やっぱり、お芝居を見に行くことをやめるわけにはいかないなあ、と思いながら帰る。JR東西線は、信号機故障で京橋から先が不通になってしまっていたが。


8/13(土)


一日中、家にいる。
読書といいたいが、結構高校野球を見たり、マラソンを見たり(民放は宣伝が主体なのだから仕方がないとしてもやけにコマーシャルが多いし、選手の家族などどうでもいいネタ満載でうんざり〜いつスタートするのだろうとプロ野球と交互に見ていた)。安逸なる夏休みである。

昨夜のお芝居について、少し前だったらきっちりと書くのだが(書くことが多すぎるぐらいに、見終わったあとあれこれ気づく)、どうも面倒になっている自分が居る。二十面相が芸術家で、明智探偵が芸術評論家であるという対比のシーンがあったはずで、これだけでも面白い話が出来るのかも知れないのだが。

坂上香/アミティを学ぶ会編『アミティ 「脱暴力」への挑戦』〜傷ついた自己とエモーショナル・リテラシー。日本評論社、2002。坂上監督のドキュメンタリー映画『ライファーズ〜終身刑を越えて』を見て、地元の京都刑務所との関係もあって、読んでいる書籍の一つ。

エモーショナル・リテラシーとは、アミティにおいては「感情に振り回されるのではなく、自分の感情を使いこなす能力」と定義されている(p130)。確かに感情をコントロールすることは、生半可ではむずかしいことで、ただ抑制するというのではなく、「ある感情にアクセスしたり生み出したりする能力」として、このエモーショナル・リテラシーを捉えることが大切。だから、アミティでのワークショップ、グループワークでは、ロールプレイイングやサイコドラマなど演劇的手法が活用されたりしている。

1981年、アリゾナ州ツーソンで」始まったアミティの活動は、主に薬物依存者を対象とした社会復帰施設だが、広く、反社会的行動(犯罪を含む)や、自傷・他害を含むさまざまな依存(嗜癖)問題を抱えている人たちを対象とした「治療共同体therapeutic community」である。

アミティが切り開いてきたこれらの活動、組織の理念、方法論は、家族によっては解決できない問題に対応するため、いまの時代に希求されている親密圏のあり方を考えるのに最適だと思う。たとえば、安全な場所(サンクチュアリー)づくりの重要性が強調されていて、これこそ親密圏のキーワードでもある。「自発的に自らの体験や気持ちを語れる」場、周囲が真剣に耳を傾け、受け止めてくれるという信頼感の醸成が大切なのである。

アミティでは、「アウトリーチプログラム(訪問・通所プログラム)」とは、病院などと連携して、薬物やアルコール問題を抱える人に早い段階で対応するものである。これは、共同生活プログラムや刑務所内プログラムの修了者のたけのアフターケアや、家族に対するサポートとともに、コミュニティ・プログラムと呼ばれている。

たとえば、アミティのスタッフの大半が元受刑者や元薬物依存者である。セルフヘルプ(自助)的要素の強いアミティでは、したがって、スタッフは教官でもカウンセラーでもなく(カウンセラーの資格は持っているが)、「デモンストレーター」と呼ばれているのだそうだ。「変わることができるということを自らが示してみせる人」、なるほど!

この前、京都刑務所の職員から聞かされたことを並行して考える。ここは再犯以上の受刑者ですから、紙芝居を作るなどというのはどうでしょうかねえ。初犯のところとか、少年関連とかの方はまだ可能性はあるでしょう・・・
ただ、ここも薬物関係の受刑者がかなりの割合を占めている。アミティ的なプログラム(日本では「ダルク」という組織があるという)の可能性はあるのではないだろうか。

P185から、「日本での実現に向けて」についても触れられている。でも、管理や規律の発想のままであると、少年院におけるグループワークは単なるいじめの場だったということになりかねない。加害者の少年たちの半分以上が幼少時に何らかの虐待を受けていたことが明らかになっている。かつて「被害者」であったことを少年たちが自覚し、痛みや苦しみを受け止める過程が必要となる。

《・・・そのためには、問題を抱える人々への眼差しや、問題解決への発想そのものを、改めて問い直す必要があるのではないか。彼らを「更生させる」のではなく、彼らのなかにある回復能力をどう機能させ、行き直すきっかけをどうみつけていくか、という発想の転換が必要に思える。・・・
《アミティのスタッフは、あらゆる感情や出来事に対応できるようにと、日頃から「感情の筋肉」を鍛えているという。そのためにも、スタッフ間に信頼関係がしっかりと築かれていて、それぞれが本音を語り合えることが重要である。エモーショナル・リテラシーとは、私たち全員に問われていることなのである。》p187〜188


8/14(日)


あさ、思いがけない電話。思いがけない対面。

12日に、東山青少年活動センターの帰りに、鳥辺野(鳥辺山との違いなどなかなか分かりづらい)とかつて呼ばれた付近(死者が捨てられ〜風葬〜、次第に埋葬されてきた京都の重要な墓地であり葬送の地域なのだが、その範囲などはどうもはっきり判らないから、葬送を勉強するためもあり)を少しぶらつく。インターネットで調べると、平安時代からその場所が南に下っていったようで、それで場所が特定しづらい。京の人たちにとって、日常生活の場ではなく、一種異界であったのもその理由だろうが、いまはこのあたりのみがそう呼ばれている(市街地地名ではないが)みたいだ。

大谷本廟の脇の道を上っていくと、墓石屋が並び、仏花を売っている。お墓参りの人たちに出会う。親鸞が火葬された場所の案内がある。御荼毘所とか書いてあったっけ。一応、このお墓だらけの場所は大谷墓地というのだが、面白かったのは、途中、日蓮宗のお寺の墓地を通っていくので、すべてが浄土真宗のお墓(戒名〜いや真宗では、法名か〜でだいたい分かる)だとてっきり思っていたが、違っていたこと。

薄暗くなると、このあたりやはり少し不気味かも知れない。ここでのお墓参りは、広い駐車場と同じでうかうかすると見つからなかったり、道に迷ったりするかもね。親鸞が火葬されたというところは、くぼみになっていて、カラスがいっぱいいる。薄暗くて、行き止まりになっている。それでも、お花とか供物があるので、毎日お参りされているのかも知れない。

今日は、そういうことで、何もなく、数日間は、お盆休みです。

NHKをぼんやりみていたら、厚生省の認定する公務死となれば、靖国神社で、英霊となって神様(お柱)、何とかのミコトってかってに(=祀ってほしいとかほしくないとか言えない)なってしまうという話が聞こえてきて、やっぱりヘンテコリンだと思ってしまう。《A級戦犯の合祀については、彼らの戦争責任(アジア諸国民に対しての責任と、特攻隊など「無駄死に」を承知で行なった数々の神風頼みの作戦、保身のための誤謬についてなどかずかずの責任がある)が、昭和天皇の無謬性(=戦争に対する無責任)に由来し、国際と国内との間に作られたダブルスタンダードによって「禊」とされた問題に及ぶが勉強不足のため、ここでは、触れない〜あとで、天皇の責任(戦争終結を長引かせた言動について次第に明らかにされているようだ)関連については、戦後についてだが、いま読書している本の引用を補足〜》

たとえば、大谷墓地に埋葬された熱心な浄土真宗の信者も、戦死したり、沖縄戦で集団自決したりすると有無を言わせずに、神道のミコトになって「顕彰」(いいことだと誉める)してしまう。合祀されたりされなかったりと、平等なはずの死者にまで差別、区別があるのはなぜか。「二人称の死」にかかわっても(親密なる人たちの気持ちや意思とは無関係に)、国家が管理してしまうのはどうしてか。国家の戦争に参加(無駄死にの命令、国際法違反の惨殺命令と分かっていても、日本に残された親族への迫害を恐れて拒否できなかった)した時点で、個の死も国家が関与する死(愛国心に寄与する死)になるということ。それが一応の理由だろう。また、戦犯が合祀されて以来、閣僚はお参りすることに熱心なのに、神道の頂点にいる天皇が、お参りしないのはなぜか。疑問ばかり出てくる靖国問題も少し整理して勉強しておこうと、積読の山を増やすだけかも知れないのに、ついアマゾンしてしまう。天皇からの距離付けである叙勲のみならず、芸術でも何でもコンテストや顕彰を日本人がすきなのは、死の序列付けである靖国合祀と関係があるのかも知れない。顕彰とアーツに関わる諸点、「パブリック」アート(おおやけ芸術、滅私奉公アーツ)としての二宮尊徳、明治偉人たちの銅像、八紘一宇など軍事的な碑、そして御真影という名前の修正写真など、様々なことをこうして、日記を記していると思い出す。

小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉〜戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社、2002)の引用(象徴といえど、生身の人間なので、いろいろ外交や政治に影響を与えてきた昭和天皇に関わる部分:

《(日本の再軍備容認に転換する前に本国アメリカの再軍備要請に対して) こうしたマッカーサーが、第九条擁護のためにもちだしたのが、沖縄の存在であった。彼はケナンらとの会談で、「沖縄を適切に整備し要塞化するならば、我々は外敵の攻撃から日本の安全を守るために、必ずしも日本の国土の上に軍隊を維持する必要はないのだ」と強調したのである。また昭和天皇はマッカーサーに、沖縄を長期にわたり利用することを認めるメッセージを渡していた。》p452

《(アメリカの国務省顧問だったダレスが来日したが、吉田茂には何度も煙に巻かれてしまう) 一方でダレスにとって収穫だったのは、1951年2月の天皇との会見だった。天皇はアメリカ主導の講和条約に支持を述べる一方、ダレスに対して、鳩山一郎など公職追放された政治家たちに会うことを薦めた。鳩山は吉田に対抗できる、保守政界の有力者だった。もともと天皇は、1947年5月6日のマッカーサーとの会見で、「日本の安全保障を図る為には、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを執ることを要するのでありました、此の為元帥の御支援を期待して居ります」と述べていた。また1950年8月にはダレスに文書を送り、公職追放の緩和によって「有能」な人物たちが活動できるよいうになれば、「基地問題をめぐる最近の誤った論争も、日本の側から》修正できると述べていたのである。」p457

やっぱり、はじめの部分も引用しておこう。P57〜58
《 戦争終結が遅れた主な理由は、降伏条件だった。上層部では、いずれかの局地戦闘に勝利して、降伏条件を改善すべきだという意見が強かった。降伏条件の改善とは、まず天皇制の防衛であり、次に戦犯裁判を日本側で行なうことだった。作家の小田実は後年、「天皇制が護持されることは、とりもなおさず天皇の生命が助かることだ。そして、戦争の最高指導者だった天皇の生命が助かることは、他の二番目、三番目の指導者の生命が助かることだ」と述べている。
《 1945年2月には、近衛文麿が天皇に降伏交渉を上奏したが、天皇は「もう一度戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う」とそれを拒否した。その後の半年のうちに、沖縄戦と大量の特攻が行なわれ、各地の空襲と原爆投下があり、ソ連参戦と朝鮮半島の分断が生じ、南方戦線でも大量の戦死と餓死が発生した。多くの日本の戦死者、とくに民間犠牲者のほとんどは、この半年に集中して死んだ。》

長くなったが、戦後の憲法づくりのなかで、どのように天皇制を護持しつつ、天皇を戦争責任追及から逃れさせたかの国会答弁のくだり:p146
《 金森(金森徳次郎担当大臣:小暮注)の答弁によれば、新憲法が定める天皇は「国民が天皇を中心として結合して居ると云う道義的な」象徴である。そうした天皇には、政治上の権力がないのみならず、司法大臣の木村篤太郎によれば「刑事上の責任は勿論、民事上の責任は御持ちにならむ」。そして金森は、「天皇に責任なきようにこの憲法を作る」のが趣旨であり、「天皇は無責任だ」と述べている。
《 しかし政府によれば、天皇は日本の「道義的」な象徴であった。それと同時に「天皇は無責任」であるとすれば、猪木正道が述べたように、「天皇は日本国民の無責任の象徴」という解釈が成立しかねなかった。》


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