こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.4
4/18(月)
断酒暦99日。
3回生の専門ゼミに際して「他己紹介」をしてもらう。これで、1回生ゼミ、2回生ゼミに続いて3度目。進路や卒業研究の話を注意深く聞く。編入生や大学院生も参加してもらって、同質でない人たち同士のインタビューだったので、適度な緊張感があって、気持ちよいものだった。
2限目の地域芸術文化振興論。文化政策に関心を持ってくれているダンサーがその前に訪ねてきてくれたので、彼女も一緒に聞いてもらった。そのために、ちょっと、ハッスルしすぎて、提示装置による紙芝居的手書きノート・パラパラですすめるつもりが、いつの間にか、黒板も併用していて、あとの学生のコメントに、混乱したと書かれていた。
「A.地域を、芸術文化で振興する」という事業と、「B.地域で、(地域の)芸術文化を振興する」という事業があるが、あなたはどちらの例を知っていますか?という問題を出して書いてもらう。事例をあんまり学生は知らなかったので、結局自分はどちらがしっくりいくか、という観点からの答えだったが、書かせて見るといろいろ分かって面白い。ちなみに、Aが39名、Bが27名だった(残りは別の回答とか、どちらもいいとか)。
昼休みは、3回生の文化政策学部向けの就職ガイダンス。まずまずの参加。何か言わなくちゃいけないので、文化政策学科の就職決定率を何とか上げていきたいので、ゼミ単位で助け合いましょう、ということと、文化政策では、結果として、就職活動の面接や作文などに役立つ勉強をしているので自信を持ちましょうという話をした。後者の例として、コミュニケーションが大事というのは、どんな学生も知っているが、コミュニケーションといっても「会話」と「対話」などの違いがあるという平田オリザさんが言っている違いをきちんとみなさんは理解できている、ということを知らせる(手を上げてもらったがほとんどこのことは知っていた)。
4回生ゼミのあと、就職活動をしていた学生が訪ねてくる。雑談しながら、基本に戻っていけばいいよということになる。文化政策における最も初歩的な定義である「文化を通じたヒトの幸せづくり」を活用して、たとえば、観光文化を標榜する企業であれば、観光を通じてお客さんの幸せに貢献している御社の姿勢に感動して応募しましたと、自分の専攻との関係から切り出す、というようなこと。まあ、みんな大変だけれど、焦らずに自分に無理のないペースで持続することが何事でも大切なのだ。回りの情報(だれそれが内定したとか)は気になるのだろうが。
4/19(火)
断酒暦100日。
今日の一番の出来事は、授業でアンケートをとったこと。その結果があまりにも鮮やかに「ニッポン大好き」だったので、少し興奮気味。
自分探しの旅C 2005/04/19 アンケート結果(回答者126名 文学部・文化政策学部の1回生)
(問1) ニッポン(日本、JAPAN)は好きですか? 選択式
1. 大好き 27名 21.4%
2. 好き 57名 45.2%
3. ふつう 27名 21.4%
4. 好きじゃない(きらい) 4名 3.2%
5. とてもきらい 0名 0.0%
6. 分からない 11名 8.7%
7.
(問2) あなたにとって日本はどんな国ですか? 自由に書いてください(あなたの思いや印象でOK)
(「1.大好き」と答えた人たちの自由記述をランダムに抽出、以下同じ。ここでは、またその一部のみ掲載)
すごく居心地がいいところ。同じ言葉を話す人ばかりやからかもしれんけれどすごくスキ。安全で平和な国。ふるさとと言うだけでなく、帰るべき居場所。おもしろい、独特な考え方があると思う(宗教とか)。歴史や文化がたくさん残っていて、そのことを身近にふれられる国。
平和な国。自国の事を冷静に客観的に見れている国だと思う(他国に比べて)。それは愛国心のうすさにもつながっているとも思うけれど。。。平和で自分が一生を送る国。(多分)他の国と比べたら、ホントに安全だと思います。でも犯罪が多いのがイヤです。特に未成年(12歳くらい)とか・・・。
きれいだけど内気っぽいし情けない感じ。国内ではどーでもいいことで争いすぎ。表と裏がある国。今の日本は西洋とくらべすぎだと思う。なぜ髪の毛を染めるのか、洋服を着るのか、足が短い、ずんどうなど身体的コンプレックスを持たなければならないのか。律する事を重んじ、争いが嫌いで必死に和を保とうとする。一方で和を保つために生ずる闇も持っている国だと思う。
(以下、略)
さらに、問2の自由記述式を読むと、より時代やそれに対応する18歳を中心とする若者の心情が読み取れる。これをもとに授業を進めるのだが、最後にまたアンケートをとってみようと思う。ただ、選択式と記述式ではニュアンスが違っている人もいるし、まったくコンサーバティブかというとそうでもない気もする。
それに、うちの大学に来る学生は、「京都」にあこがれて来る比率が強く、京都=伝統的な日本なので、好きという気持ちはより強いだろうし、いまは、入学した嬉しさの直後なので、肯定的に何もかも感じられるからだろうと思われる。いまのスーツ姿に身を固めた4回生(社会の厳しさや理不尽さを肌で感じているはず)に聞くとどうなるのか、これもやってみたいものであるが、就職活動でなかなかつかまらないだろう。
このアンケートを集計していたら、まったく大学に来ていなかった4回生が研究室にやってくる。あんまり、雰囲気はかわっていない。昼夜逆転していた学生だったので、とても眠いという。それでも、昨日はとても早く寝たのだ、と。大学にいかずに何をしていたのだろうと思ったが、そういうことには触れずにひたすらどうしたら単位が取れるようにできるかを話し合う。それと、卒業研究の進め方。これから彼女の興味を探っていかなくちゃいけない。
そうこうしていると、外部から電話。・・・ごめんなさい。いま打ち合わせで、連絡しなくちゃと思っていてつい・・・とだけ言うと、相手は、用事が出来たので欠席ということにしますといっていただく。ありがたい。すみません、今度こそ行きます。ただ、ここにぐずぐずいたので(明日のための学部教授会の打ち合わせのあとの作業とか、事務山積なのだ)、なかなかに大学に来なかった学生にも会えた。
少し処理能力以上の仕事を抱えてしまっているかも知れない。
京都芸術センターへ。観劇はする。でも、授業直後に外部の日程を入れるのは危険だと反省。五反田団『いやむしろわすれ草』。前回に見たものと比較しつつ、ここの面白さ(作・演出の前田司郎の才能ということにかなりなるのだろうが)が、より鮮明になってきたように思われる。前回のアトリエ劇研で見たのが、男子生徒中心だったのに比べて、今度は若草物語の設定を使っているので、4姉妹という女性中心であり、かつ、懐古シーンと現在とが組み合わせっている違いがあり、そのために、五反田団の奥行きがよく見れたからだ。あと、同じ世代の登場人物だけでなく、一人世代の違う父親(志賀廣太郎)が登場しているのも、立体的な構成になっていて、奥行きを感じた。
19:07〜20:37。あおさくという八百屋の家族。じゃりんこチエみたいな姉妹間のつかみあい。三女の三樹(端田新菜)は病気でベッドの上。難病のようだ。彼女だけ顔つきなども違う。そこにやってくるライナス君のような隣の男の子、たかちゃん(奥田洋平)。大きくなっても社会とうまくやってはいけないような雰囲気。じっさい、フリーターになっていて、ピアノの夢を捨てられない。彼のピアノMDが三樹の耳元で二人を結ぶ。
脇役だが、病院にいた伊藤夫妻のキャラもなかなかにおかしい。喜劇なのだが、しんみりさせられるのは、空白の時間の使い方。ちょっと、うとうとしたのは、風邪のせいでしょう。
4/20(水)
断酒暦中断。
文化政策学部に新しく入ってきていただいた4名の教員さんの歓迎会で飲んだ。たまたま、おじいさん、おばあさんたちと山科芸能文化祭をやっていた大きな宴会場だったので、昔はここで1回生ゼミとしていろいろな活動をしたのだなあと懐かしい。微酒だったのだが、帰りに、缶ビールに手を出す。寝る前の体重、71.4kg。これも、飲んだためか、1kg増加。
基礎演習は順調な滑り出しのように思う。インターネットで「文化政策」の意味と文献を調べてもらっていて、それを発表し、互いの定義などを書き取るワーク。来週は、文献も含めて「文化」について、調べてもらう。文献を引用するときのルールなど、完全に卒業論文までの道の第一歩を意識した授業。
金曜日の鑑賞演習のための準備。「紙芝居」原論みたいな1回、90分完結のノートづくり。反復が可能になるように工夫しなくちゃと思う、そうしないと自転車操業から脱せない。
学部教授会。今年度からここでいろいろなことが決定されるので、当分は、その運営などのルールづくりの模索が続くだろう。基本的に分権化は顔の見える関係と責任の所在が分かりやすくなるので、うまく運営すれば、スムーズにいくはずであるが、さて。
4/21(木)
断酒暦101日。
70.8kg,19.0%(体脂肪率)。
立命館大学アートマネジメント論の2回目。250人ぐらい。
2時限目というのは、どうしても早く終わらなくちゃと思うのと、12時で終わりと間違うので、予定よりかなり進度がゆっくりしてしまう。アーツマネジメントの定義をいくつか話しているうちに終わった感じ。最後はこれからの展開に関わる少し具体的な説明:1)アーツ・ファンドレイジング、2)オーディエンス・ディベロップメント、3)ニュー・ソーシャルネットワーキング。やっぱりアーツマネジメントがそもそも西洋から来たものなので、カタカナにどうしてもなってしまう。ただ、NO-MAの去年の報道を見てもらったのはよかった感じがする。映像の力は確かに侮れない。
いただいていたチケットで、『人体の不思議展』。京都文化博物館。こわいもの見たさの見世物小屋とどう違うのか、一度確かめようと思ってうかがう(鑑賞者の好奇心という面で共通する部分があってもそれはそれだとは思うが)。2名の大学院生ぐらいの人が聞くと丁寧に解説してくれる。4階にいた女性は、脳について(脳は最後のところでその重さを実際に手で確かめるコーナーがある)解説してくれる。頭蓋骨に豆腐のように浮かんでいるのだそうで、脳から作られる液体は頭上ちかくにある静脈などから心臓に送られていく。
3階の男性には、もととなった遺体について聞く。日本以外の中国などアジアの人たちのものだそうだ。国内では到底出来ない、と。江戸時代に、蘭学者たちが徒刑場に行って腑分けしていたことを思い出す。ちゃんと本人(胎児は別として)や遺族の了解はあるのだろう。それに、臓器など内部のものには個性はなく、ただ、人類標本としてのものだと割り切るといいのだろう、が、なかなかに割り切れない気持ちになってしまう。だって、生きているときの環境などが分かる部分もあって、複雑な気持ちになるから。肺が黒ずんでいるのは、タバコのせいもあるが、煤けた労働環境などとも関係があるのではないかと言う。
商魂というのではないかも知れないが、絵葉書などグッズも充実。結局、私たちは、自分のこと、自分の身体の中が一番知らないし興味があるのだ。とりわけ、ぼくには脳とその神経が自分の目の前にあることに興奮した。小さいとき、自分の脳を開いて、それを鏡で見る(見られている脳が見るという機能を果すという自己反復的行為)という状態を想像しようとして、くらくらしたことが何度もあったので。
ゆっくりと、ピッコロシアター中ホールへ(各駅停車などで、駅内読書。いま読んでいるのは、吉見俊哉『万博幻想―戦後政治の呪縛』ちくま新書、2005.3)。西宮北口に10月やっとできる兵庫県立芸術文化センターのチラシが挟み込まれていたが、みんな音楽のものばかり。山崎正和顧問もずいぶん待たされたので、結局、佐渡裕芸術監督というわけ。これだったら、びわ湖ホールとあんまり変わらない感じ。無難なのだろうし、演劇環境としてはピッコロがあるからいいともいえるが。
兵庫県立ピッコロ劇団オフシアターvol.12『汚れちまった悲しみに・・・―Nへの手紙』。作:鐘下辰男、演出:眞山直則、19:03〜20:45。時間的にちょうどいい。このまえ、石川啄木を題材としたコメディを見たが、これも30歳で死んだ中原中也(孫高宏)と中也の女泰子(平井久美子)を奪った小林秀雄(吉村祐樹)の関係を中心とした文学青年もの。25歳で亡くなった富永太郎(奇異保)が新鮮だった。ダダイズムとダンディズムが混淆して、バンカラが文学して、鍋を靴にして歩いたりする。
政治的な部分は、練兵隊を見る部分で少しだけあるぐらいだが、嫌な時代になるというつぶやきは、いまのものでもある(個人情報保護法が4月から施行されたのだが、それとの抱き合わせで〜個人情報の保護を「奇貨」として〜組織忠誠心や職場のインターネットチェックを強化するという管理支配者側のお達しなど、各地で色々あるのだろうね)。
4/22(金)
東部文化会館で、6/25,6/26に開かれる「子どもの文化フォーラムin山科醍醐」の打ち合わせ。
ちらしの原案が固まる。ぼくは、いかに学生をここへと誘導するか。そして、当日の司会をどうまとめるかである。
昼休み、総務課長からのお話。恐縮して聞く。今後、十分に気をつけなくちゃ。せっかくなので、ぼくもこちらの課題を2点話しておく。「転んでもただでは起きない」ぞよと。
それも関係して、個人情報ができるだけ保護されるように、ぼくも含めて表現者以外の固有名詞を減らすようにしようと、ブログのタイトルなどを再検討する。
13時から鑑賞演習。文学部の学生もいて、和気藹々と「紙芝居原論」の一幕講義がぶじ終了。はやく、紙芝居の枠が届くことを願う。紙芝居の三要素「声、間、ぬき」の話を終えたあと、実演をして見て、声のトーンはなかなかに区別できないし、「ぬき」となると、もう全然むずかしい。
14時40分からは2回生ゼミ。パソコン教室で、楽しくブログづくりをする。パソコン教室での教員の苦労を少し味わう。でも、それぞれの学生の好みなどが出るので、今後、うまく活用すれば、過去に、1回生ゼミで、「アーツ日記」提出をしていたものの延長線になるのではないかと考える。書き込みが過剰になって、活性化「酸素」みたいな分子が出てこないような、チェック機能(原爆化しちゃうとあとが大変)が課題かな。
O研究室で申請書の打ち合わせ。
JRで大阪港駅へ。電車のなかで学生たちに会う。一人の学生が実家のそばだったことが分かって雑談。自分探しの旅Cでどういうタイミングに「20世紀少年」を登場させるのか、話しながら、思案中。
ニットキャップシアター第20回公演『美脚ルノアール』。休憩があって、維新派みたい。2時間ぐらいだったか、休憩があった分、長く感じられるが、お客さんにとっては、トイレ休憩的な必要もあったかも知れない。毛布を借りたりする人もいたかも知れないし。
後半ががぜん面白くなる。どうして、女性が原爆になったのか、前半をちゃんと聞いていなかったのかも知れないが、分からなかった。まあ、それはそれとして、ちょっと世界同時革命とかいうふるい言葉を思い出した。
それにしても、客席は冷える。帰りに、日本酒購入。だから、断酒は中断であった。
4/23(土)
断酒暦102日。
大学院の授業。9時から12時10分まで(あと、S君のアンケートについての相談など個別対応)。
「芸術と私」。6名の発表と交流。いい味がみんな出ていた。アーツが縦糸になって、忘れていた昔のことを想起させ、心の奥へと誘っていく。アーツが横糸となって語り合い、参加者同士の違いと共通項が浮かび上がる。いつしか集う人たちを横断縦走していくアーツ語り。メイプルソープの画集を久しぶりに見せる。
内田樹さんが書いているように、大学院の授業が一番気持ちよくその場その場で対応できる(あらかじめシナリオを作ると野暮になる)。他方、1回生の授業はそうはできない。周到なる準備が必要だ。ということで、マチネ公演について、ユリイカ百貨店さんからのお誘いがあったのだが、火曜日の準備のために、大学で作業をする。
流すCDはこれ。開ける漫画のページに付箋。香山リカの新聞切り抜きなどを見せる手順。今週のお奨めはビッグイッシューを読む(ココルーム、4/29)なので、ビッグイッシューを数冊(ちょうど香山リカも載っている)。そして教科書。こちらについては、「ぷち」(彼氏petit amiについてのミニフランス会話を使って、語学の面白さを伝えるという教養科目横断的趣向)と「ナショナリズム」(国旗国歌法つき〜こちらは、法学系の勉強に興味を持たす糸口的趣向)、「症候群」(ちょっとまじめにシンドローム解説)について、あれこれ面白く伝える話をノート紙芝居にしたところであえなく時間。これだったら、表紙だけしか進まないや。
今日もまた大阪港で下りる。昨日は一人だったが、今日は、もう一人の中川さんやもう一つのガムラン演奏グループの山崎さん(音楽心理学を教えるようになったと聞く)などと一緒。帰りも5/1まで行われている宮永甲太郎展『ひとときの橋』を作者に誘われて荒木さんと一緒に見て(CASOで展示替えがあって開いているのでみさせてもらったのだ)、そのまま二人で帰る(『ひとときの橋』は、大きな会場にアーチのレンガとイラリアンライグラスがイタリアモダンデザインのようなスマートなシェイプをともなって伸びていた。築港赤レンガ倉庫の帰りだったので、いろいろなブリッジを想起させる作品展示である)。
エイブルアート・オンステージ・ガムラン『さあトーマス』公演は、思ったよりまともで、めりはりもあって素敵だった。ただ、移動のときに座布団を持っていかず、しかも、スクリーンの前に座ったのは失敗だったが、それ以外は気持ちよく、みんなの音の洪水とパフォーマンスの流れに乗りいい気持ちになれた。うちの学生もいて、今度音楽芸術論を習う先生って、あのコートを着ている中川真さんだよというと、「中川先生をみていると、こちらのせいせい(=こぐれ)がまともにみえてくる」というので、それはよかったとリプトン紅茶をすするのだった。
終わってトーマス君と握手すると、トーマス君「さっぱり分かりませんでした」としんみり言う。出演者はみんな特徴のある面白い人たちであったが、彼はとくに味のある出演者である。渋くしかもとぼけているが、実に深い哲学者であった。そういえば、機関車トーマスも思索的なアニメだったと思い出す。
4/24(日)
断酒暦103日。
アサヒスーパードライ330mlだけにしたので、断酒暦更新。
cap houseにとても久しぶりに行く。綺麗な春の光、神戸のまち。
cap 春の集い。アサヒビールの芸術賞のお祝い、10周年のこと、みんなの支援のお願い。
New HEAVY『自覚する鉄』5人の彫刻家による提案。その一人、塚脇淳さんに案内してもらう。
ネクタイ姿の人に来て欲しいという主宰の杉山知子さんの挨拶にあるように、今日は、いつもと違う年齢層の人たちが、とても楽しそうに館内外をめぐっている。子どもになったみたいに。
杉並からきたお祝いの獅子舞。そのパフォーマンスが本格的でびっくりした。思わぬ収穫。そしておししいパーティ。
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