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こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.12 こぐれ日録465 12/26〜12/31
「文化政策学科の大学力」というメモ書きを少し前に作っていて、何人かの先生方に見せている。
『図説建築の歴史〜西洋・日本・近代』(学芸出版社、2003)を読み出したが、西洋のところを読み終えた段階で、ぼく自身知らないことが多すぎるし(それでも、リブとか交差ヴォールトとか、言葉だけではよく分からなかったが図があるので何とか具体的につかめるのでいい本だ)、きっと、うちらの学生は建築史を習ってもなかなか頭に入らないのではないかなあとつい学科のことに頭が行ってしまう。世界史、日本史と対比するとなんとなく輪郭がつかめるだろうけれど。 買っておいた立川談志のDVD、代書屋(コリアンとのやりとりをちゃんとやっているのは貴重である)、つるつる(これは意外と長くてびっくり。確かにこの終わり方は明るくていい)を見る。芳江はどうにも昔から好きになれないというが、ぼくは、東京人はこういうタイプ(談志ファンには怒られるかも知れないが、しゃべり方とかは石原慎太郎に似ている感じがする)を好むし、予想以上に面白かった。 そうこうしている間に珍しく朝に読んだ朝刊のテレビ欄に14時5分からNHKにて、青森県立美術館で演劇をしたニュースが出るというので、それを見る。美術館にすでに設置されているはずの大きな犬が映らなかったのは残念だったが、6時間の演劇『津軽』の様子(最後は歌まで生である)となかなかに凛々しい長谷川孝治さんの顔が見られて嬉しかった。 役所は今日が実質的に最後のお仕事なのだろう。京都府から1月のワーキング会議の日程がメールされてきたし、大阪府からも同じくそういう日程の調整メール。同大大学院からも集中講義(9月)の調整があり、確定する(もし演劇などのPRがしたい方がいればまた要相談ということで。というのは、レポートの採点は再来年の2月なので、講義のあと演劇などを見てもらってレビューするという課題も出すことができそうなのだ)。仕事休みでのんびりしながら、それでも来年のことをするところはまあ便利ではあり、中途半端な気持ちでもあり。 家にいるのにほとんど掃除とか手伝わず、唯一したのは、ゴミを捨てに行くこと(ここのマンションはとても細分化されたごみ収集システムなので、その仕組みを聞くのも一苦労だった)。そのあと、ちょっとだけ雪が落ちてきた界隈を散歩。図書館(八幡図書館が村野藤吾建築だと知って、えっと思って調べたら北九州市の八幡だった)の横の古い文化施設が閉鎖されていたし、その横の小学校が統合でなくなるかも知れないそうで、シャッターがしまる小さな商店街を通りながら、男山のふもとにも時代の流れがひたひたやってきていることを実感する。 散歩しながら、27年前の12月、古い宮崎県庁舎で特別交付税の配分方法(延岡日向日南などの特定不況地域関連だった)をあれこれ提案してそれが採用され、勇んで電卓(左手で使えないと財政係失格っておどされていたっけ)で計算していたことをふと思い出して、そうそうブログでつい最近やりとりした方がそちら方面だったからだろうが、おかしい(一番初めにした仕事なのでたいしたことではないのにきちんと覚えているのだろう)。自分の脳(海馬)の機能を自分がコントロールできないわけで、何かリリースすることがあると思い出が甦り易くなるのだ(このときの地方課財政係長さんが今度退職されるT教授のゼミの教え子だったりするから、すでに何度か記憶を濃くするきっかけがあったのだが)。 大阪府の楽座事業(府内の近代化建築物での文化活動助成)がもっと広がればいい、とfringeに書いてもらっていて同感であるし嬉しいコメントなのだが、たとえば、助成という手法のほかに、お見合いの機会づくりというのも面白いかも知れない。 たとえばある府県内の近代建築のなかで、文化活動を取り入れてもいいという方々(民間以外に自治体なども多いと思う)にお願いして参加してもらい、ビジュアルな資料を作成し、研究者などから、建築物の説明をする。もちろん積極的に建築物の所有者・管理者からのアプローチはウェルカム。他方、趣のあるところで文化活動したいというアーティスト団体などは、書類審査(一見してあやしい所をチェックする)を通過したあと、プレゼンテーションをしてもらう。そして、「ねるとん」になるのかどうかは分からないが、所有者たちと自由に交渉してもらう。 公共団体としては、特定の企画を選ぶことはしないで、そのお見合いを促進することを中心にし、あとは、成立したプロジェクトについて、共通のチラシづくりや広報HP、プレスリリース、記録作成などなど、側面的支援に限るというのはどうだろうか。
高知遺産プロジェクト(graffiti内)編・著『高知遺産』(2005、ART NPO TACO発行)をしみじみ見る。なかの「鮮魚商の看板娘」(文・イラスト:井上聡子)を芳江に聞かせる。声を出して「本を読む」ワークショップをまたしたくなる。この本は藤浩志さん経由で知ったのだが、めちゃめちゃ「山科プロジェクト」の参考になるし、こういう感じの本をどうしても作りたいと思ってしまう。めくっていると、うるうるする写真や言葉に出会いこれもまた声を出して読んでしまう。たとえば・・ 《 私たちは、この十数年のあいだに多くを失いました。それがお役所のせいなのか競争社会のせいなのか、はたまたそのことに気付きもしなかった私たち「市民」のせいなのかは分かりません。ただ、ひとつだけ言えることはこのたった十数年のうちに、高知の街はどれもこれもがいまひとつな、小さな個性なき街になり果ててしまったということです。そして、悪いことにこの症状は高知県下のあちこちへと伝染しはじめているようにも感じられます。 《 私たちの考える「遺産」とは、あくまで“現在のもの”であり、“未来につなぐもの”。したがって、『高知遺産』の具体的な定義を記すとすれば以下のようになります。 《 この10年で高知は明らかにつまらなくなった。街のどこへ行っても薄っぺらい建築が建ち並び、きれいだけれどどこまで行っても同じような道が続くようになった。・・・アッという間に目的地に着くことができるようになったかわりに街の隅っこにあるような小さなお店や風景に目を奪われることもめっきり減った。近所のおばちゃんがやっているようなお惣菜屋さんに行くよりも、ちょっと走れば突き当たるコンビニで用事を済ませることが多くなった。(p160) 《 開発に原風景を求める団塊の世代は、より快適に、より大きくを目指して地域づくりを進めてきた。この約10年で高知市が一気に「都市化」したのはその大きな成果ともいえよう。また、そのツケとして一気に財政状態が悪化しているのも、結論からいえば消費が美徳という意識もしくは経済は拡大するものだという意識が背景にあるとはいえないだろうか。
お能には偶有性などないかのように一見思われる。しかしながら、今朝見ていたDVDの『能楽師』(ワック株式会社)における稽古と本番の映像を比べると、実は偶有性に満ち満ちた世界であることが分かる。関根祥六が70歳にして、やっと関寺を自分が意図して舞ったのではなく、事前とそれを舞わされたようにずっと感じた=自由になれたと始めて思った、という語りなどにそれがよく出ている。 関根祥六の息子、関根祥人、そして祥人のまた子ども。女の子も祥人の娘さんだろう。これから女性の能楽師がより本格的に出てくるかも知れない。ラスト、学習院でサッカーを楽しむ祥人のオフの映像でどうしてこの映像が締めくくられるのか、明確ではないが、こういう映像が出来ることと関連してちょっと面白い感じがした。ただ舞いのところで能楽の囃子ではない音楽が挿入されていてこれはかなり興ざめ。 花嵐『ダンシングドール』演出:花嵐、構成・振付:伴戸千雅子。アートコンプレックス1928。チラシも最初の映像もなかなかよかった。映像のパロディ化した政治アジテーションが、伊沢はるひの毒づきとなって連動するところもよかった。ところどころいい所もあって、でも、ちょっと気が抜けてしまうところもあって。でこぼこの今年のわがダンス鑑賞歴を象徴するかのような最後の客席であった。張り詰めた能楽の世界を午前中みたのも悪かったかも知れないが。 昨夜、調子にのって、ドイツ人?(これから、彼女をG?と略すが、G?の友人からG?がユニークな言動をするたびに、ドイツに行っていたから仕方がないのよね、といわれたり、行ってもいないのにドイツの中学校ってどんなの?とか聞かれるのだそうで、したがってG?なのだ)と遊んでいて眼鏡を歪ませたのでその修理をしたりしたが、そのG?が今朝、昨日の新幹線自由席でのエピソードを面白おかしくしてくれて、家族中、大笑いする。以下G?の話の概要: G?は、始発の東京駅から三人がけの席の通路側に座る。さて、読書はパレスチナ問題についての翻訳書(尊敬する先生が訳した本なのだそうだ)。窓際には中年の女性。遅い昼食のようで、釜飯弁当がテーブルに置かれている。品川駅で、ふうふういって太った男性(20歳代半ば)が荷物を持たないで乗り込んでくる。そこ、空いていますか。運悪くG?と釜飯おばさんの間に座りたいらしい。ええ、どうぞ。 太っているので気兼ねしているのだろう、G?の肩に当たるたびすぐに恐縮して「どうも」という。でも、おばさんよりもG?の方へと傾斜しているのだ。というのも、いましがら釜飯の包みを開けたおばさんが、どうしても見つからない箸に業を煮やして、なあんと、携帯電話でその釜飯製造工場へ電話抗議しだしたのである。何ということ。そのしつこい抗議といやみ、どれだけ自分が迷惑したか、気分が悪くなったかを、そのおばさんはそこにでーんと座って延々と言い立てるものだから、ますます気が弱くてしかも太った男さんは、G?へと傾斜するのであった(もちろん、両側の女性の年齢差もその傾斜の理由の一つにはなっているだろうとG?は思う)。 G?は気になって仕方がない。そんなにお腹がすかしているのなら、お箸をもらってあげようかと思っていると、おばさんはやっと電話を切る、捨て台詞を残して。そして、そっと見ていると、どうも、箸が見つかったらしい。窓のほうを向いて、G?へは箸を見せないように隠している。太った男もそれには気付いたようだが、男はおばさんに背をむけて、車内販売のアイスクリームを注文し、ますますG?のすぐ目の前でむしゃむしゃアイスクリームを食べ出す。 後ろのほうの通路に立っていたこれも若い男も、いつの間にやら、G?のすぐ横にいる。どうも、G?が読んでいるパレスチナ問題の本をのぞき読みしているようである。早くめくると「チっ」と舌を鳴らし、ぼんやりページをめくらないまま考え事をしていると、今度は早くめくれというように「チっ」が連発されるのである。 またアイスクリーム屋が通路を通過する。260円と高いため、子どもでもねだらないご時勢なのに、またその太った男が注文。二つ目である。アレルギーがある皮膚をしているのになあと、他人事だけれど気になってしまう。もう、パレスチナ問題の本を読んでいるのもいやになる。ちょっとうとうとしたい。でも、通路側の男がまだ読みたそうにのぞいている。なんということだ。 窓際のおばさんが、30分以上もしてから、窓に向って釜飯を食べ始める。周囲の目を気にしていたので、もう忘れただろうと思ったからだろう。少しは羞恥心が残っているのだなあとちょっとかわいくなるが、でも、客席であれだけ人の迷惑考えずに携帯電話での抗議・嫌味毒づき・鬱憤晴らしをしていたのだから、その彼女が、毒づいた会社製造の釜飯をその会社が入れたお箸でぬけしゃーしゃーと食べていることのおかしさは格別であって、そうそう忘れるようなものではない(実際、小暮家ではとてもいいネタとして披露され、このブログにまで、偶有性の一番生活密着型な「生活文化」知の例示として活用されている始末である)。 米原過ぎたところで、かの太った男、3つめのアイスクリームを注文。釜飯女といい、アイスクリーム男といい、パレスチナ本覗き見男といい、なかなかに面白いキャラクターを引き連れての関西への旅であったそうだ。そもそも、どうして、G?には、そんな面白い人達が隣に座るのか。偶有性の仕業なのか。はたまた、エッセイねた、お笑いねたになるように、面白い人がひきつられる何らかの引力がG?にはあるのか。どうも、半分は必然で、半分は偶然。偶有なのだろうが、大切なのは、その偶有性をきめ細かくエピソードとして観察記憶し、トークする術がG?にあるという点であろう。 ただ、日本語ぺらぺらの中国人が隣に座って、日本語の「が」と「は」の違いを教えてくれといわれて話していると突然プロポーズ?されたというまたまたおかしな体験も、この前G?がやってきたときにやはりのぞみ自由席での出来事としてあったというから、単なる偶然ではないようにも思われるし、どうも謎は残ったままだ。
西洋音楽ではヘンデルのオルランド(バロックオペラ?)という曲(HWV31)のなかでオルランドが幻の中で地獄を見るときの曲が五拍子でそれが一番古いということ。 雅楽に、5拍子の舞があるそうだ。 《夜多羅拍子(やたらびょうし)・・・二泊と三泊とを交互に連続刻んでいくリズムで、同じく混合拍子です。西洋の五拍子に近いと言えばわかりやすいでしょうか。クラッシックでは「悲愴」の第二楽章のリズムが、四分の五拍子です。ポップスの曲ではちょっと思い出せませんけど、混合拍子の共通点でいうと、ラルクの「侵食」のサビや、マリスの「ル・ミゼラブル」のサビの部分が変拍子なので、雰囲気は近いと思います。ちなみに「やたら難しい・・・」なんて表現をつかったりすると思いますが、由来はここかららしいです。二拍と三泊の混合拍子は、「演奏していると混乱してしてしまって、訳がわからなくなってしまう・・・」というところからきています。》 変拍子とはがらりと趣が代わるが、おもいやり予算について。この話を芳江にしてびっくりされる。こちとらはおもいやり予算は沖縄開発庁時代に、いくらヤマトから沖縄へ税金を流し込むかが重要なテーマだったのでよく調べに行ったことから、当たり前のことだった(なぜ「おもいやり」なのかはどうもハテナだった)が、あんまり知らされていない予算なのかも知れない。 また、違う話になるが、夜にメールを見ると、ゼミ生から卒論の要約が届いていた。年内といっていたから、律儀じゃのうと思いつつ読む。自分の好きなものを文化史上に(政治・政策的な動きも含んで)位置づけながら、その対象をただ遠い歴史的なものにしないで、自分へと最後には近づけて調べたことがよく分かるものになっているので、もちろん、よく出来ていますねと返信。
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