こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.12


こぐれ日録462 12/5〜12/11


12/5(月)


朝、昨日見た演劇をこのこぐれ日乗だけでなく、久しぶりにこぐれ日記にしようと思い、少し追加して書きなおす。演劇レビューをずいぶんしていなかったので、やはりこうして書くことの楽しさが甦る。楽しくなくちゃ、何事もよろしくないのだ。

そうそう、2限目のアートマネジメント論で回収した中間レポートのレビューが読み応えあり。とくにある学生のレビューは短文が重ねられてリズムがあって、うまいなあと思う。35点満点で採点していて、思わず36点にしてしまった。

昼休み、月曜日は早く生協食堂にいけないので、テイクアウト。研究室に持ち帰るのもめんどうなので、ずっと近くのベンチに座って、食べているあいだ、枯葉が舞い踊るのを飽きずに見ていた。涼しいねえといいながら、実は、早く弁当を食べ終わってしまおうと焦っていて、のどにつまりそうになっていたのだが。

帰り、とても寒くて、六地蔵で乗り換えのため山科川を歩いているとき、帽子が飛ばされてしまう。睡眠を減らさないようにしておかなくちゃ、これからお風呂に入ってすぐに寝ることにしよう。


12/6(火)


あるアーティストのブログがお手紙の形になっていて、その締めくくりが、
with sunny love、「ひだまりのラブをいだいて」となっていた。
こういうとき、英語は照れないで使えていいなとふと思う。
こんな冬を告げる嵐の朝だから、なおさらだ。

朝食。塩さばがうまい(また皮を芳江からもらった)。とろろ芋とオクラの味噌汁。変わっているし少し季節感がくるっているが、意外といける。

食卓で、最近の八幡周辺はショッピング関係が乱立しているねという話題。もう、うちのそばのサティは駄目なんじゃないの?とぼく。すると、でも、大分盛り返しているのよ、ということ。近くのお年よりはここしかないから・・だったら、朝の開始を早くしたらいいんじゃない、とぼく。とっくに、サティは朝9時からになっているよ、と。

へえ。一度、ジャスコと同じく10時〜23時にしたのだが、いまは、9時〜22時になったのだという。それにしても長く店を開けているものだ。昔のように商調協とか大店法とか、そういうめんどうな調整がなくなっちゃったのだなあと小売商業課にいたことを思い出して隔世の感あり。

まだ長岡京に行くまでに時間がある。Pooka12月号で知った湯川潮音を調べる。100%ORANGEさんのジャケットイラストだったから買った「リンゴの子守唄」でBecauseを歌っているソプラノの人だった。ふちがみとふなと(タフ1のフィーチャリングデュオ)と同じゲストでメトロにて歌ったりもする予定とあって、意外と近いかも知れないとも思う。

そろそろ授業の中身はどうしようかと思っていると、アサクラコンサートの朝倉泰子さんから小包が届く。そのなかに、「奈良女子大学学生・教職員のための100年ピアノコンサート」のお知らせがあり、入場料無料、父母や一般市民の方々もどうぞということ。

100年ピアノコンサートは、12/16(金)18時開演予定。ピアノはアルバート・ロトさん。バッハやシューベルト、ショパンにリスト、チャイコフスキー、ラフマニノフと様々。場所が重要文化財の奈良女子大学記念館で、しかもその場で鳴るのは、「明治40年、日本で製造されたグランドピアノ」。4ヶ月の修理のあとに、11/24にお披露目されたものの第二弾のようだ。これは、近代建築関係の方やまちそだて系の方も含めてお奨めだと思う。楽器研究家さんとかにも。

大阪成蹊大学芸術学部へ。次年度も同じ時間にこの授業をすることに確定したみたいだ。
今日の出席、49名。アーツマネジメントの9分類の例題をやってもらう。大阪破産という本にある財政図表を見せたり、100年ピアノコンサートのお奨めをしたり。
今日は、サイモンとガーファンクルを聴きたいというリクエストがあったので、それを流したり、100%ORANGEさんの絵本を見せたり。

16時から、中央電気倶楽部でサントリー次世代研究所主催の集まりがあったので、のぞく。原久子さんがワークショップについてのレクチャーをしたあと、パーティ。京都国立近代美術館で行われた中学生が展覧会をつくるワークショップなどが語られていた。

ここの建物は昭和5(1930)年ということで、曲線が多用された5階の大ホールもパーティ会場の大食堂も興味深いつくりで、ディテールをしみじみ見る。アーバン・フロッタージュという本を古本で取り寄せているが、野外の前にこういう建物の床とか壁とか柱とかを一心に鉛筆で擦りだしたいものだ。


12/7(水)


来週の大阪成蹊大学のレジュメを朝作って絵画研究室のSさんに送付する。その冒頭部分。だいたい、まとめにかかり出していることが伺えると思う。
★ 5つのC − アーツマネジメントの潮流 − 
○  Children
子どもとアーツ 発見力 生きる力 未知であることを怖がらない
学校の楽しさ 総合の時間 ワークショップ 保育 劇遊び 
食育 生活時間を豊かにすること 手をつなぐ 体に触れる

○ Care
福祉(公共の福祉) お年寄り 障碍のある人びと 
医療 生活の質(QOL) 病院 ホスピタル・アート

○ Community
まちとアーツ まちづくりからまち育てへ  まち残し まち使い まち発見 
空き店舗活用 商店街 アートフリマ 
地域の祭りの大切さ 冠婚葬祭とアーツ 人生の節々に自分らしいアーツを

○ Communication
会話から対話 交流 双方向 芸術施設なしの直接交通 まちかど芸術
継続すること 持続力 過程(プロセス)の重視
多文化 世代間交流 マイノリティの尊重 

○ Cost(Customer,Client)-oriented
官から民へ コスト重視(効率化と有効性) アーツの有用性 
芸術施設への指定管理者制度の導入 同じコストで鑑賞者の満足を最大にすること
説明責任(アカウンタビリティ) 情報公開 市民の監視と参画

大学は、一回生ゼミのあと、校務校務、取材。互助会の忘年会。


12/8(木)


アーツの扉、受講者は少なかったが、日本の音楽の話は自分でやっていて、楽しい。
自分で講義をしていて、面白いのが一番だろう。「なんば歩き」をして見せたのだが、
それって、先生、なんば歩きっていうんでしょと書いてくれた学生がいた。

アッコ・スン氏が劇団衛星の「大陪審」のPRに来てくれていて、すぐに帰ったと思ったら、最後まで残っていた。彼女も面白かったのでつい・・といってくれたので、このネタ『ぷれJ-POP』〜古代から中世、近世、明治大正昭和・・ぶっとび戦後直後までの音楽と歌謡の歴史(最後は、買い物ブギーとテネシーワルツ)は、定番保存だなあ。薩摩琵琶(壇ノ浦)に惹かれた学生が多くてびっくり。思わず借りていった(なくさないでね)。

浪曲を紹介しようとして、講談と言ってしまった。じつは、あんまり浪曲の歴史などを勉強していない。これもまた次回以降の課題ではある。

午後、同志社大の大学院用のシラバス(文化行政論〜文化政策とアーツマネジメント〜)を記入する。すっきりとしたものでほっとする(立命館はすごく面倒だった)。以下授業計画部分。

第 1回 オリエンテーション 自己紹介を兼ねて、自治省に入省してから文化行政にいきつくまでの地域政策の動き
第 2回 文化行政総論(1)〜国と地方 地域振興と文化 行政の文化化、ソフト化 まちづくりとまちづかい
第 3回 文化行政総論(2)〜ふるさと創生 財団法人地域創造 文化庁アーツプラン 文化芸術振興基本法
第 4回 文化政策論(1)〜文化政策の一つとしての文化行政、アーツNPO、企業メセナ
第 5回 文化政策論(2)〜文化政策の一つとしてのアーツマネジメント、イベントプロデュース、ユニバーサルデザイン
第 6回 アーツマネジメント論(1)〜アーツマネジメントの定義と分類
第 7回 アーツマネジメント論(2)〜公共的社会的アーツ投資とは何か
第 8回 アーツの力はあるのか〜文化力って何か アーツマネジメント力
第 9回 文化行政各論(1)〜公の施設における指定管理者制度をめぐって
第10回 文化行政各論(2)〜NPOとの付き合い方 アーツマネージャーと公務員とは協同できないのか
第11回 アーツ理解を深めるために(1)〜コンテンポラリーダンス映像鑑賞
第12回 アーツ理解を深めるために(2)〜小劇場演劇映像鑑賞
第13回 まとめ〜文化政策的観点から 地域行政的観点から アーツマネジメントの現場から

お昼を食べに行こうとしたら、生協学生委員会オリーブさん(いまは男性もオリーブさんで、1回生は男子も活躍している)から、200字で文化政策学科の紹介を書くようにと依頼があり、以下のように書いて送る。
「文化政策?まだ聞きなれないでしょ。文化って、音楽とか京の町家とかそういう感じだから柔らかいのに、政策って、法律とか行政とか経済、社会学と関係していそうだから、いかにも堅い感じ。ちょっとミスマッチめいてはいますが、そのやわらか〜く感じる心持ちと、かた〜い社会の仕組みを出会わす工夫が、文化政策のだいご味なんです。つまり、文化政策って、「文化と社会」の「と」を知る学術であり、実践ワークなんです、と、ね。」

夜は、お芝居。兵庫県立芸術文化センター中ホール。ここは遠いが最近結構気に入っている。『パウダー 〜 おしろい』。しっとりと丁寧に仮設住宅に住む離婚女性と地元記者との交流が描かれる。過去との交差を絡めつつ。

この記者のおじいさんがカストリ雑誌のライターでその子ども(つまり父親)が、同じ新聞社(まあ、神戸新聞という想定だろうね)の政治部のエリート記者。そしてその子はエリートではなく社会派の記者らしくない(つまり、自分が描くストーリーを押し付けていく感じがしない)記者という設定。

いしのようこという女優さんがすらりとしてきれいなあと見とれつつ(前の席だったので表情が読めて楽しい)、どうしても小屋として大きすぎるんじゃないかなあと。仮設住宅の外での演技で工夫はしているにしても、無理があるねと思って見ていた。空席が目立つこともその原因の一つではあるが。やっぱり、ストレートプレイの場合、ミュージカルとか歌舞伎的な派手なものがない場合は、客席数は最大400席ぐらいが限度ではないかなあという意見(たまたま読んでいる平田オリザ『演劇のことば』[岩波書店。日本の戦前の演劇史をさらりと知るにはなかなかにいい読み物である]にも書いてあったが)にぼくもまったく同意見。本多劇場ぐらい(関西ならさてどこになるか、神戸アートビレッジセンターとかぴっころ劇場の中ホールか)で見ればもう少しすかすかした時間は減るだろう。それでも、あと20分ぐらい縮めた演出をぼくがプロデューサーなら希望するかも知れない。

朝、早く大学に着いたので、葉っぱを取ってきて、エルンストのようにフロッタージュをしてみる。鉛筆で十分出来るなと分かったので、研究室のすぐ横の消火器と書かれた文字と排気口みたいなものをこすり出す。いい感じ。凹んだ模様が白く残るのって面白い。

滲んだ空白。空白が実際は闇で、鉛筆の墨になったところが、実際は、つるりとした平面の無意味さであるその反転もちょっと気になるが、それよりも、こすっているときの手の感触。触覚で場所を感じること、それをやっているときの自分の体形の歪み、そのおかしさがもっとアーバンフロッタージュでは浮き彫りになるだろう。あと、他者の目線。でも、通報されたりしないような工夫もいるね。人の目を気にする若者がほんとにするのかという大問題?もある。


12/9(金)


今朝、昨日送ったシラバスに概要を書くのを忘れたことを思い出し、あわてて書き足す。以下のごとし。

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文化行政論
まず、行政のなかで「文化」はどのように扱われてきたかを、国家公務員だった自分の実体験から振り返りつつ、その制度的な歴史と非制度的な実際を、国と地域との関係を中心にサーベイしていく。
そして、現在は民間非営利活動や企業メセナの動向を含め、文化行政が「文化政策」と再構築されていくべき時代のなかで、いかに文化行政主体が民間の諸活動とタイアップし、ミッションとしての「市民文化環境づくり」へと展開するのか、その諸課題をトピックスや実例とともに探っていく。さらに、文化行政に最も不足している「術」であるアーツマネジメントの概要も紹介しつつ、いかにアーツマネージャーを活用できるのかという論点、そしてアーツそれ自身の最先端にも触れうる授業にしたいと思う。
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次年度のこぐゼミ(第4期)のメンバーが決まったので(6名)、基本方針(案)を決める。

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2006年度からの第4期こぐゼミの基本方針案
【原っぱで遊ぶように】
なお、次のブログを読んでもらうと、遊園地じゃなくて原っぱだよね、とわかると思う。
→http://harappa-h.org/about/whats.htm
あとは、ブログを作ってリンクします。危なくない情報はそこに流します。
授業では、とりあえず、簡単な遊び(ワークショップ)をします。
そのあと、自分で遊び(ワークショップ)を考えて、
みんなが楽しい気持ちになるようにします。  以上です。
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谷町四丁目。大阪府庁のアネックス。たまにいくと、近いのにビルの外と内の関係とか階数の関係で迷ってしまう大阪府立現代美術センターである。
第3回大阪・アート・カレイドスコープ“do art yourself”。17時すぎから18時、そのあと、休憩のあと(ぼくは地下のもう一つの展示を見る。なかでは、まんまですが、カレイドスコープがキレイだったね)、トークや橘安純さんのポエムパフォーマンス。

むすびさんたちの紙芝居『文ちゃんの冥土めぐり』の前に、上田假奈代さんによる「あいたいひとよ」の朗読があり(彼女の詩はどんどん平易になりかつまっすぐにやってくるようになっていると思う)、そのあと、エメスズキさん(狸さんのお面)率いるむすびダンサーズ8名による、まねっこ椅子ダンス、ラジオ体操第一による「体操、首まわらんし足腰いてて」ダンスがあった。

ゆっくり椅子に座って紙芝居も見られたし(この前うちの大学でやってもらったときは、着替えにくる学生たちの往来整理などをしていておちおち見ていられなかったので)、ダンスのワークショップについて、ぼくが次年度のゼミでしたいことを見ながら考えたりしていて、いろいろと成果があった。それに、早く帰れたのも、むすびさんたちのおかげである。


12/10(土)


のんびり。
でも、街育という言葉であれこれ考えていると隣町の宇治市で小学生の惨殺があり、心が揺れる。
文章でなくなり、限界詩歌みたいなものになる。

・・・・・・・・・・・・・・・
【月の窪み】
≪街に行くのもままならない少年少女ではあるけれど
≪「街育」の0.1%の可能性にあえて賭けるとすれば
≪どうしたらいいかと問う前にあった心のざわめきを
≪ことばにすれば自ずから生るささやかな限界詩歌

いかにことばでスロー風土といえどきれいごと
乱雑にスプロール化進む山科の辺り世迷言
のぐねぐねの細い道を駆け抜ける自動車の群
に脅えながら帰る下り坂走り抜ける学生自転車
少年少女の笑い声にときたま不協和する足音
を思い出していると宇治学習塾での惨劇があり
少年少女にまたもや受難の
放置自転車と落書きがある所はひと気がなく見えない場所故に悪所だから
危ない大人はだます嘘つく油断するなと教えるこどもTVに納得しかかれど
さりながら
見えない場所は即危険な場所でくぐもった街角には烏はいてもけがれなき少年少女は
ゆめゆめ夢でも
近づいてはいけない大人が監視できないような総ての冒険探検秘密基地佇む屯する
などとんでもない
と教える安全パトロール地獄の沙汰も金次第だね街は闇なく保護管理ラップに包まれ
つるつるん
の表面ばかりの路面壁面フロッタージュもままならぬ監視カメラスルット電波
のそんな状況で果たして街での育てができるのかしらん頭上には疑問符ばかり鳩ばかり
おやおや
父親が42歳後厄?京都府職員で今春娘が東京からの転校生中学受験
地方都市の閉鎖性没個性貧弱犯罪多発いかにもな原因そろっていまだ不可解なる歌の断片

ふろふろと
痛ましく虚ろ
に光る冬空
昼下がり
の半月
の影穴
・・・・・・・・・・・・・・・


12/11(日)


夏休みに読もうとして中座していた本の続きを断片的に読んでいて、いま、米軍の基地として統治された沖縄の戦後のところにさしかかっている。小熊英二『〈日本人〉の境界』新曜社、1998。沖縄開発庁時代にお会いした元国会議員さんとか元知事さんの名前も出てきて、一挙に自分の個人的思い出と直結したりもする。

アメリカの沖縄統治と戦前の日本による統治との大きな違いは、アメリカは沖縄人をアメリカ人にはしたくないという点にあった(戦前、大日本帝国は日本人≒ヤマト民族への同化を、ご都合主義的に=教育や雇用上においての差別を温存しつつ、強制してきた)。そのために、以下の引用のように(p473〜474)、戦前と違って「琉球文化の奨励」がアメリカの琉球地域「文化政策」となったのである。 

《(アメリカの協力者になる現地エリート育成のための大学教育の振興とともに:小暮注)並行して行われたのは、琉球文化を奨励することであった。アメリカ占領下で、日本統治時代には禁止同然となっていた伝統芸能が復活させられた。統治初期においては、結局は失敗したものの、沖縄語による教科書作成を試みたことはよく知られる。日本統治時代とは逆に、「沖縄」ではなく「琉球」という呼称が公式機関には用いられたし、1950年には青・白・赤の三色と星を配置した「琉球旗」の制定を勧めている。》

午後から京都駅前のぱるるで大学院の説明会。
博士課程後期志望の人のほうが多かったので、アーツマネジメントは用事がないかと思ったら、一人とても熱心な人がいてずっと話し合う。北京の芸術村の話とか逆に教えてもらったりもした。
ぼくは京都の画廊の役割の重要さを彼女に話した。画廊(企画、育成機能を持つギャラリー)の文化環境としての大切さと裏腹に経営というかマネジメント的な基盤の弱さ、あるいはその意識不足みたいなことが気になるなあというのがとりあえずの結論。



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