こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.7



こぐれ日録441 7/11〜7/17

7/11(月)


限目の授業の最終講義。
このタイトルの授業はこれで終わりになる。まあ、次年度から「アーツマネジメント総論」となるだけで、本質は変わらないが。
宮沢賢治が、限界芸術環境づくりの実践者でもあったという話で無事完結する。彼の詩の朗読も、鶴見俊輔『限界芸術論』の引用部分のみだが、いつもの流れで、いつものように終わる。

 宙宇は絶えずわれらによって変化する
 誰が誰よりどうだとか
 誰の仕事がどうしたとか
 そんなことを言っているひまがあるか 
                  宮沢賢治『生徒諸君に寄せる』より

専門演習もずいぶんと様変わり。自分の研究テーマに真剣に向かい合ってくれるようになってきた。ただ、とても残念な話を昼休み、本を返しにきたという卒業生から聞き、若い労働者の使い捨てのような職場がどうしてこう多くなってきたのかと嘆息する。

4回生の携帯メールに、隅地茉歩(すみじ・まほ)さんのトヨタコレオグラフィーアワード受賞のことが入ってきたという。信じられないほど嬉しい。昨日は、聞くのが怖くて帰ったのだが。小鹿さんにも確認する。ぼくは、セレノグラフィカの魅力をどこまで選考委員として伝えられたかずいぶん心配していたのだが、すべて杞憂だった。ああ、よかった。http://www.theaterguide.co.jp/news/2005/07/11.html

まちかど芸術についての基本的打ち合わせ。10/15、10/16、10/23。すべて来てほしいが、10/23は、まちかど寸劇もまちかど紙芝居も一日中楽しめる。もちろん、15日の寸劇、16日の紙芝居の日もお奨め(というか、お奨めできるように、やっていこう)。


7/12(火)


午前中、来客。テレビドラマをみるように。5年前の記憶をめぐって。

1回生向けの授業の最終講義(来週テスト)。ザ・ブルーハーツのビデオへ行く前にちょっとだけメッセージ:
 ・・・・・・
 わからないことから にげないで
 めんどいことに 目を閉ざさないで
 自分の目で世界を探り 覚醒=自覚していこうね
 未来は決まっていないから
 「あきらめるなんて 死ぬまでないから」(『ブルーハーツのテーマ』より)
 ・・・・・・

そんなまとめになった。この前2回生に、ぼくのいうことって、恥ずかしくなることが多いと言われたっけな。

以下、学生の感想のなかで、ブルーハーツ以外のものを少し:
「僕自身も多分‘わからない’からと言って逃げている事が今までも多く有り、無意識にやっていたと思う。まずはそれに気付き、目をそむけないような人間になれるようにしたいです。また多勢の中からはみ出すのは確かに不安だけど、自分の中で正しいと言い、行動できるような勇気、度胸が欲しいです。そのためにはまず、自分に自信を持てるようになりたいです。」

「この授業をうけて、愛国心について考えさせられました。でも、結局自分が日本についてどう思っているかなんてあいまいで、はっきりした答えはでてきませんでした。どれだけ自分が日頃何も考えず、来ているかということがわかりました。上田かなよさんの話も同じで、私とは全く違って10代のころから色々な事を考えていたんだなあと思いました。これからは、もっといろんなことに興味をもって充実した毎日をすごしないと思いました。」

「『自分探しの旅』は自分の事ばかりの話かなと思っていましたが、自分を取り巻く現在の環境の授業だった。」

「自分探しの旅って結局自分で探して見つけなければいけないのだと感じました。」

「自覚しながら旅をすることを続けていきたい・・・というより、旅に出ます。旅出つきっかけを与えてくださりありがとうございました。これから色々頑張っていきたいです」(←こちらこそ、どうも)


7/13(水)


基礎演習。
打ち合わせ。レジュメづくり。
就職セミナー、文化政策サロン。社会学のお話(大野先生)に出てくる学者名が、大学時代に読んだ人たちなので、懐かしい。構造主義を取り入れているので、こちらも理解が経済学よりスムーズ。
生協理事会。本屋さん部門が順調で嬉しい。


7/14(木)


立命館大学の最終講義。最後といっても、特段学生たちにとっては何もない。
終わってから、はじめてこの授業に出て、試験について、いまさら聞く学生たちの列などが並ぶだけだ。
青木さんが来て、少ないですねという。まあ、アンケートも100人未満だったし、こんなもの。
レジュメ(下部に「参考」として、掲示)を作って早く終わる。

今年の授業は、じぶん的には、割と面白かった。
でも、どんどん会場の熱は冷めているように思える。
こちらは、煽っているのでもなく、それにじつに、彼らの関心は単位でしかないので、その単位を出すかどうかという非常勤講師の役割のみで、対応するだけである。もし、評価とか単位とかが教員に与えられなかったら、生協のコップのような運命にすぐ教員は陥るだろう。

アーツプレイスを26指定しているのだが、それでも、梅田芸術劇場でミュージカル「モーツアルト」を見てきたからそれを書いていいかといいに来る。ここが、立命館の学生たちのずうずうしいところである。いま、加藤種男さんが市場芸術の代表であるミュージカルには公的投資は絶対にしてはいけないという話をしたばかりなのに、まったく「切り離し」(解離症候群)の事例報告のような質問なのである。

どんなかせげるアーツを見ても、それはあなたたちが選好するのですから、いいことですね、と答える。でも、この授業の対象ではないこともずいぶんとお話したんですが。それに、問題はすでにお話しているんですけどね。

なんで、授業に出ていてその中身を全く理解していない(そうする気もない)学生のこんなに理不尽ないいぶりに対して、こうも丁寧に答えなくちゃいけないのか、とも思うがサービス業はこれぐらいしなくては、勤まらない。

19時から手帳にはセレノグラフィカ、西陣ファクトリーGARDENと書かれている。でも、本当にそれはあるのだろうか。
下のサイトで、7/29.30ということがわかる。
 ↓
http://blog.goo.ne.jp/sonofeliceconte/e/96341ee3c789c33c99cb7459c22a7aa7

「参考」
アーツの公共性(芸術と公共なるものをめぐって)

(1)芸術の公共投資、その根拠づけ理論〜市場(マーケット)に任せられない理由〜
【「なぜ」の視点】
@ 遺産 将来の世代に残す
A 威信 誇り 地域アイデンティティ
B 波及 地域経済への波及効果 生活の質の向上 教養づくり オプション価値
C イノベーション 社会・経済への革新的効果 創造都市論 新サービス産業のヒント
D 社会批判 市民形成の基点 社会のあり方変革

【「どのように」の視点〜アクセス権】
E 地域差の解消
F 障碍の克服
G 所得差の解消
H 体験差(とりわけ子ども)の解消(機会の平等化)
I マイノリティの文化権保障

【「なにを」の視点〜加藤種男の芸術の社会的公的投資論】
市場芸術=市場が成立するアーツ→公的・メセナ的投資は不用
なぜなら、もしメセナすると、市場の混乱が起きるから
伝統芸術:部分的に市場が成立しない→部分的な投資(文化的ニーズに対応するもののみ)
先端芸術:市場が成立しない→重点的かつ継続的な投資

先端芸術をめぐって
○ だれも未だ望んでいないものを創りだすこと
○ 「ありうべからざること」自体の面白さに惹かれること
○ 「よくわからない、理解できない」から意味があるということ
○ わかるものはほっておいてもいい→ほっておくとなくなってしまうものを大切に
○ 企業も新しい感覚の先取りをする必要(人びとの感性の変化に鋭敏になる必要あり)

限界芸術をめぐって
○ ほっておくとなくなるもの 市場になじまないもの
○ でも、公的メセナ的投資にもなじまないもの
○ 先端芸術との連携による投資が有効→先端芸術と限界芸術の出会いの場づくりが、加藤種男のメセナ実践となってきた
1) 芸術との直接の交通
2) 芸術家との直接のコミュニケーションの場づくり

(2)アーツ政策のレゾンデートル:「自分の人生と、自分たちの住む社会は、自分たちで決めて、自分たちで作る。」
アーツマネジメント(アーツ政策をはじめとする文化政策)が、市民社会に貢献する意義
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自立する「市民」の確立⇔公共圏の形成⇔親密圏の多元化(復権)
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19世紀以降:親密圏の空洞化(肥大化)→群集的公共圏:メディア的操作とイベント的演出の公共圏
市民的公共圏の原則(@公開性 A対等性 B事柄の問題化)→この復権(アーツによる共和制)

アーツ・リパブリック(再公共圏)⇔コモン・アーツ(マイノリティ・スロー・リバティ・リアル)⇔多元的親密圏


7/15(金)


昨日は、夕方から森達也監督作品『A』、そして『A2』を続けてみる。DVDで。
報道するという特権者の暴力、そして、住民エゴという暴力。
別件逮捕のときに行われる信じられない演技。
オウム追放という大義があるために、何でも許される「世間」。

だが、まだまだ人間は優しいはずだという監督の目線が、報道のなかの女性キャスター(NHK)の絶句シーンとか、一緒に記念撮影を撮って、追い出す住民たちが、これじゃ、オウムになっちゃうよ、というシーンとか、随所に見られる。また、右翼の街宣車や右翼デモの様子、右翼の日常的そぶりまで写されていて、それぞれオウム信者と同じように社会と相容れない集団同士の奇妙な親和性が目撃できる。

ただ、このドキュメント映画そのものもここに出演してしまったオウム信者たちにさまざまな影響を与えていることは確かである。オウムの拠点の窓から報道陣を見る。自分たちもその窓から見ている、ということを撮影中、そして映画となったあとも意識してしまうだろう。それは、信仰にとって影響が出るに違いない。

できるだけ、穏やかで、何も変わらない表情を撮影している作品であり、何が写せて何を写せなかったかという部分にも自覚的なものではあっても、隠されていることの大きさもまた感じられる。いや、隠されているというよりも、それを写してもそれが何なのかが判らないことの戸惑いといったほうが的確であろう。その戸惑いを含めて、この映画が見る側で感じられれば、学生たちとも一緒に考えられるのではないかと、まだためらってはいるが今時点では、ひそかに思っている。

少なくとも、1996年当時の「山科ハイツ」の映像がある『A』は、タフ5のスタッフには見てもらっておこうと思う。去年は、オウム追い出し運動によって、結束が固まった山科ハイツだから、そこで音楽とダンスは可能でしょうという情報によって「移動するアーツ」を展開させてもらった。この住人たちが、オウム追い出しに出したかなりエキセントリックな裁判長宛の文章とか、弾幕や張り紙など当時の映像をまず見ておこうと思う。

それでも、そのあとも人びとはそこに住み、異質な者を追い出したりした記憶はなくなりはしないが、宗教ではなく、アーツだったらまあいいかと去年ぼくたちに対して思ったりしていただろうことを、もっとちゃんと思いいたすべきであろう。それは今度のまちかど紙芝居とは直接関係なくても、底流として、「まちづくり」「コミュニティ結束」の光と影(闇)について、きちんと考えるきっかけになるような気がする。

朝、少し残していた『A2』を見終わって、オウム追い出しではじめて団結したり、その町内の対立構造が顕在化したりする話ってすごく身につまされるなあと思いつつ、ブログを見ると、思わぬ波紋が起きていた。昨日、授業の後、立命館大学の非常勤講師控え室で、セレノグラフィカの検索をしていてたまたま見つけたサイトへの不用意なコメント書き込みが大変になっている。あわてて、自分のブログにその波紋を移すことにする。まあ、どちらにせよ、ダンスの選考委員の経験はとても自分にはよかったが、ダンス業界人として、これからやっていくわけでもないので(これはすべての専門ジャンルとも同じことである。芸術環境に関わるものは当分続けるしかない。それは本務だから)、その文化現場体験をまた、芸術環境づくり研究に生かそうと思うという決断を書いておく。

ゆっくりと大学。鑑賞演習。この映画を見せてよかったと思う。
2回生ゼミ。順調である。この手法は、2回生に最適かも知れない。レポートもみんなよく書いてくる。
終わって、このゼミ生たちがよく来る。ゆっくり話していたい。でも、無理。ゼミが金曜日というのは、ぼくにとってよくない。見落とせないものがいつも待っているからだ。火曜日や木曜日の4(5)時限とかにならないだろうか。

ちょっと、演劇やダンスの場面に今日は行きたくなかった。
ということで、気になっていた(ゼミ生も手伝っている)築港赤レンガ倉庫に足を運ぶ。ライブが19時からかと思ったら、音の展示が終わる20時からが、目的のaka-funのライブだった。それで、明日聴こう(体験しよう)と思っていた2階の倉庫での音インスタレーションを楽しむ。かなり「あったかい」。確かに20分ほどいたが、あとでビールが飲みたくなるものだった。

Sound Art Lab 2005 vol.1「・Na・Ri・Ka・Na・De・Mi・Ru・Ya・Mi・Yo・Mi・」。これは全体のタイトルでもあり、222号室のタイトルでもある。221号室(はいってすぐのところ)「SPINNER ENSEMBLE」、そして一番奥の221号室は「OPTRON fo akarenga・223」。

つまり、伊東篤宏の音のインスタレーション。音といったが、光と闇、そして空間そのものと向き合うようなもの。

はじめの部屋はメロディパイプが扇風機みたいに周り出し、それがやむというもので、ほのぼの感が嬉しい。動くと音の聞こえ方が変わりますよと案内の人。動くのだが、回る音扇風機も止まったり動いたりするので、その音の場所的地図を探すには至らない。それでも、ゆっくりとひとシークエンスが終わるまでたたずむ。次の部屋。天井の高さが、そのほの暗さとともに、大きなポイントとなる。音が垂直に飛び上がり下降してくる。暗闇が音で振動しているような体験。明かりが足元だけを照らしているのだが、そのデザインに心がこもっている。最後の部屋は、黒い暗幕の向こうにある。

ここは、蛍光灯の点滅も激しく、とても気持ちが落ち着く。ちょっと、いろいろ朝あったので、その気持ちがここで浄化されるように思える。「癒しの空間」がもしぼくにあるとしたら、こういう場所だなあと思って一番長くいる。いつしか担当の人が立っている。ぼくが危なくなったかと思っているのかなあ。瞑想しているみたいに、いたから、まったく気づかなかった。19時をずいぶん回っていたので、そろそろと引き上げる。少しずつ、帰って行くのが、またいい。

アカフンのライブの前に、小島さんらとこの前大学の研究室に来た珍客の話をする。ほんとにドラマを見ている気持ちになる。そうそう、1年半いた警備員さんとも立ち話。ずっとここにいる(アーティストインレジデンスしている)伊東さんの話を聞き、9日のライブを見ると何だかいいんですよ、自分もしたいことがあったんだと気づくのですと、警備員さんがいう。50歳にいろいろ考えなくちゃってね、51歳になるともう60歳まであっという間だと思うんです。(おー)

彼は、ぼくと同年生まれだった。高校野球の話で同時代を生きていると思えるのは、ぼくらの世代(それも男子)までだろう。瞬間、はじめて東京に行った高校三年生の夏を思い出す。皇居を眺め、一応受験準備として、駒場と本郷、それぞれの東大の行き方を確認した夏休み。一泊したホテルで、江川が投げているテレビを見ている自分。その頃、この人は、母校の校旗を掲げて野球の応援団をしていたのだ。

アカフンのライブ。はじまりは、ギターの外国人のソロ。antoine berthiaumeとか言う人。かなり心に沁みる。それから、小島さんとトランペットの何とかさん(忘れちゃった、昔青木マリさんと一緒にライブしたこともあるよく知っている人、ヤザキさんだったか?江崎将史さんでした)。休憩の後、伊東篤宏さんも入って「オプトロン」(かなり長い蛍光灯としか見えないが、それが音になるように何らかの加工を施したもの)演奏。いやー。これは確かに来ます。

おっと、忘れていた。毎日新聞夕刊を本町駅で買う。めずらしく、右側の紙面に無事「しじまを聴く」が載っている。これも、2度ほど書き直した。字数処理の関係だけれど、一つは「振付」という名詞は「振り付け」でないといけないという校閲が入って、ちょっと、文章の見てくれ上いやだったが、直したもの。演出と振付。これって、こういう風にしたいのだが、音読みと訓読みなので、無理なのねえ。同じ紙面に岸記者による芦屋市美についての丁寧でためになる記事あり。「下」なので、「上」とかを探さなくちゃいけない。


7/16(土)


週末の予定を二転三転していて、
結局、どこにも行かずという選択。
よくするのですね、これが。
MOPに、18日14時から行きますとファックスしていたが、これって授業日だった。

デラシネ。行こうと思っていた。なかなか見るのに勇気がいるのだが、行こうと決意した。
で、いまさっき、挫折した。精華小劇場。この申込用紙を学生もいけるものだったので、
渡したはずだが、どこに行ったか。それも原因しているというか、いけない口実など無数にある。

夜は、築港赤レンガと思ったが、芋づる式に中止。昨日行ったしね。明日は、ジャレミサだけは行こう。変更のファックス、念のためしておくべきですね。

いまから、芳江さんはお昼ねらしい。そのあと、ヤマダ電機で動かなくなった扇風機の後任をゲットする予定。あと、CDウオークマン。最近、騒音とかマンション間で厳しくなっているようなので。学生がぜひ聞いてくださいと書いてあったので、ジャパハリネットというバンドのCDがとどく。あと、バンプオブチキンとかいうの。少しは学生が聞いているというものも聴こうと思って。


7/17(日)


じゃれみささんのサイトを見ると、16時の公演が満席ということ。
素晴らしい。

15日に行くとずいぶん前にファックスを出して、昨日、変更はしたけれど、遅すぎるよね。
それに、見たい人がいっぱいいるのだから、これからダンス批評家になってもらう人たちに見てもらうほうがいいに決まっていて、ぼくみたいに、そういう世界にいないし、もう先はしれている人は見ても仕方がないから、辞めにしようと思う。
つまり。今日もまた、のんびり家の中。セミの声を聴く日曜日になる。

青木淳『原っぱと遊園地』(王国社、2004)を読んでいる。P10〜11にはっとさせられる建築の定義につながるセンテンスがあって、びっくり。

《しかし、いつしか、その学校が、廃校になり、子供たちが消え、荷物が片づけられ、貼り紙が剥がされ、什器備品が運び出される。すると、その自然性、つまり、人にそれをどう感じさせようかという視点をもたない、明快な決定ルールが際立ってくる。それは、なにものでもない、しかし、確かに人の手によってつくられた環境になる。そうして、ぼくには、この瞬間が、人間にとって最良の環境なのではないか、と思われるのである。そういうところではじめて、人間はなにか自分の力でその環境を変えられる、つまりそれに拮抗できると感じられるのではないか、と思うのである。大きくいえば、ぼくは、建築とは、自分を取り巻く環境は自分次第である、そういう感覚のために行う行為だと考えている。》

いまの建築への痛切な批評である「遊園地」的なるもの(たとえば、「いたれりつくせり」の美術館、芸術センター、学校、住宅)の蔓延についての指摘になるほどと思い、自分の知っているアーツスペースに置き換えてさまざまに感じ、自分ももっと建築、建物の観察をちゃんとしようと思わせる本であった。

P35《「原っぱ」というのは、そこで行われることでその中身がつくられていく建築のことであり、「遊園地」というのは、あらかじめそこで行われることがわかっている建築のことである。そして、「原っぱ」というものは、機能をとりあえず括弧に括って、結局のところは無根拠である、ある決定ルールのオーバードライブによって、つくられるのではないか、という主旨である。》

オーバードライブ、暴走。この決定ルールの暴走を新築する場合に可能かどうか、という実践が青木淳の挑戦なのである。もちろん、たとえば、機能一点張りの学校や工場を、まったく目的の違うアーツセンターに転用する場合には、かなり理想的(意図されずに行われるので、それをどう意図的に「原っぱ」として成立させるかが、彼の課題となる)に働くわけで、既存施設の「リノベーション」の意味もまた建築的に明らかにされていく。

土木構造物や機械においては、決定ルールが自律的である。鉄塔やクレーンをつくるルールは、数学と力学と経済性によっておのずから最適解が導き出される。どうしてか、そこには、建築みたいに、「人間という項が介在」しないからだ。つまり、建築においては、「カタチを決めていく途中途中で、ついついそれが人間―ナカミを溯っていけば人間に辿り着く―に対応しているのか、ぼくたちの心に参照してみようとする」から、自律する決定ルールを維持できない。つくり手からの押しつけがましさが生じ、訪れる人が自由を感じることがない建築になってしまうのである(「決定ルール、あるいはそのオーバードライブ」)。

P80〜81《その結果、たいていの建築は、決定ルールが中途半端な適用になる。ある程度は形式的で機械的だけど、まだある程度は、人の心の反応を想定した経験的なものになる。こんなふうにすると人はこんな感覚をもつだろう。こんな感覚をもたせたいからここはこうしよう、そんな意識が混入する。確かに人間は、歴史的にでき上がってきているそうした意味の網目の世界に住んでいる。だけど、こういう作業が当然のように行われることによって、建築は人間の心をきっと不自由にする。
《実際に、ぼくがある種の建築に感じるのは、それゆえのあざとさであり、お仕着せがましさだ。ベタベタして、暑苦しく、重い。ディズニーランドに行ってみればよい。そこでのモノはどれも人の心を操作する道具として使われているにすぎない。意味がただただ再生産されている。これは、徹底的に暑苦しく、同時にひどく貧しい世界だ。(省略)
《そもそも、人間は抽象的な論理に回収され得ない。それなのに、まるで回収されたような見せかけをする。その行き着く先が、たぶんディズニーランドである。そしてその一方で、それが回収され得ないことをそのまま受け入れる立場がある。だからこそ敢えて徹底的に抽象的で形式的なルールでモノをつくろうとする。そうすることで、それが人間にようやく釣り合うようになるかもしれない、というふうに思いながら、人間がはかなく不定形であればあるほど、「倫理的」な意味合いにおいて、逆に決定ルールは非人間的といってよいほどの完全さを備えている必要があるのではないか。たぶんこれは古典主義の美意識である。そしてどういうわけか、その気分をぼくは共有している。》

長くなってしまった。ここまで引用する必要つもりはなかったのだが、やはり先週からの自分の動揺を引きずっているので、セレノグラフィカをぼくがいいなあといつも思っていることとつながっている。つまり、見る側の自由度、解釈の多元性ということが鑑賞する立場としては、一番嬉しく、どこか押しつけてくるものにまぶたを閉ざしてしまう自分ということの内省みたいなことを、これを書きながらしていたと思われる。建築というアーツを同じように捉えている人とともに。

夕方、太鼓御輿の音に誘われて散歩する。目的地なく近所を歩くことはほとんどなかったので、ちょっと得した気分になる。囲碁道場の前のひまわりがすでに咲いている。鳳仙花っていつ咲くのか。最近見かけなくなったなあと話していたので、周囲を見渡したが、なかった。ただ、廃屋に近い袋地に背の高い黄色い花が林立していた。確かに人間がつくったものよりも美しいものがそこにはある。八幡でも廃屋が人間の造ったもののなかでは一番美しいけれど。

あわてんぼうのお坊さんが、岩清水八幡宮と思って間違ってお参りしてしまったと徒然草に書かれている神社の太鼓祭り(その宵宮)とかいうもので、歴史は、一応江戸時代末期からということ。ぼくらのマンションがある自治区は確か3区だったが、ちょうど、1.5トンの御輿を担いで遷宮のあたりにやってきていた。子供たちもおそろいのはっぴを着て、提灯を掲げる掛け声の練習をしている。

まわりのはっぴ姿から浮き出るように背広を着た議員バッチが二人。布団みたいなものをアメフトの選手みたいに両肩につけた担ぎ手たち(みんな男)に、にこやかな顔で声をかけている〜いまが大切な政治行動なのだろう。クールビズはここまでは到達していない。



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