こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.7
こぐれ日録440 7/4〜7/10
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地域芸術文化振興論。どこかにノートを忘れた(立命で使って教室にあるのかも)こともあり、学生たちを少しは前に集めて授業をしてみた。マイクもいらない。40数名ぐらいしか来ていないので、まったく問題なし。ちょっと、当てても答えてくれそうな学生に当ててみる。 おお、授業している感じがする。でも、アーツマネージャーの固有名詞はいいかげんだし(愛知情報文化センターの卓越さを紹介するときに、越後谷卓司さんと書こうと思い、黒板に向かったのはいいが、「越」のつぎの感じが分からなくなる・・おおこれは末期的症状だ)、やっぱり危ないことは危ない。 逆に、本質的なこと、少なくともぼくが言いたいから忘れないことだけ言っているという感じがする。親父の葬式のことを思い出して言葉がつまってしまった。繰り返しがあっただろうが、まあ、これもいい。次回は最終回なので、一応きちんとしたいから、またノート紙芝居(掲示装置つき)に戻る予定。でも、後期のアートマネジメント論でもまた、限界芸術論(だれでもアーツ論)が続くし、どこが区切りかは分かりずらいけれど。 先週みたいに、やってこなかったらサービスで授業をしてあげるようなことを今週はしなかった3回生ゼミ。そして、4回生ゼミは、もう自分たちでやっていただくしかないので、これでいいだろう。3回生で、嬉しいことに、卒業研究についてのメモを途中まで作って帰りに見せて帰ってくる学生あり。それなりに、努力している。 代々木ゼミナールの偏差値(こんなものを見るようになったのも、堕落したというか、まあ、教員らしくなったというか)が出ているようだ。うーん。全体に二層分化がますます進んでいるように思える。わが京都橘大学も、他学部は中の中になんとかあるが(看護学部はもう少し上にでるかと思った)、文化政策学部は中の下のまま(なかなか50に届かない)。それも少し悪くなっている。受験生が3倍以上になったが、それでも、偏差値的には同じような層がわんさか受けるだけということなのだろうか。受験情報とそのテクニックは精密になっているから、思いがけないことはほんとに起きづらくなっているんだろう。でも、センター入試の%がずいぶんよくなった。文化政策学部で、60%台だったのが、70%の大台に乗っている。これはサンプル数が少ないが、悪いことだけではない。 18時から大学院2回生の発表の準備発表。中味ではなくその博物館制度というか周辺のようなことにまるで興味がない者としては、ホントはずっと黙っていたいのだが、まあ、何か言わなくちゃ悪いかと思って、少し指摘する。がっかりしたのは、この人たちの発表が23日の午後にあるということ(午前中なら助かったのに)。24日に街頭紙芝居がCAP HOUSEである(18時)ので、23日の午後にびわ湖ホールのダンスと思っていたのだが、どうにも身動きがとれない。 さあ、どっちがいいか。23日、大学院生の発表に行って、まるで興味のない発表を聞いて、当たり障りのないコメントをするか(といっても、ちょっとほんとのことを言ってしまうおそれがある)、それとも、もう今回いろいろと指導したので、みなさん、がんばって!とにこにこダンスを見に行くか。悩ましいなあと思いつつ、パセリで食事。パセリのおっちゃんは、すごいものを作っていてびっくり。
尾崎豊の『卒業』の詩が、テキストに引用されていた(ぷちなしょを説明するテキストの部分は、エディプスコンプレックスの説明であり、いまの屈託のない二世の時代には父親への反抗などまったくないという流れである)ので、尾崎のライブ映像を流してみる。冒頭の長いMCをあえていれたのは、異化作用を強めるため。「こんな熱狂もあったんだし、違う形でいまからも起きるかも知れないが、それを別世界から眺めたらこういう風に映るんだよ、きっと」ということにきづいてもらえればなあと思ったのである。1992.4に尾崎は亡くなったので、13回忌になるのだろうか。遠い世界のライブを見るように学生たちは眺めていた。
長坂 寿久著『オランダモデル―制度疲労なき成熟社会』(2000、日本経済新聞社)を読み終える。とても刺戟になった。
京都橘大学へ。激しい雨。15時からヴィラ山科(特別養護老人施設)で紙芝居作りのためのヒアリング。今日は学生一人。先週のメンバーとはがらりと代わって(同じ人も2名だったか、いたが)、なかなかに一つのものを作り上げることはできないかも知れない。毎回、違うきり口になる。出てくる言葉は深読みしてしまっているかも知れないが、なかなかに重い。 ピッコロシアターへ。尼崎駅で『20世紀少年』19号(浦沢直樹、小学館、2005.8.1)を買う。CDつきは売り切れ。連載6年、そろそろ終局へと向かっていて、判りやすい分、善玉対悪玉の勧善懲悪ぽい流れになってしまっている。これをまたひっくり返すのだろうか。 ずっと読んでいなかった(映画も見ていない)『A〜マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(森達也、角川文庫、2002)を読み始める。一連の森達也(著作と映像を合わせて)をテキストにした授業(1回生向け)は出来ないだろうかと思いつつ読む。 行きは事故現場を普通に眺めた。よく見ている風景だったと再確認。帰りは、暗くて見えなかった。だれも、そんなことを気にしている人はいない。もう、すでに過去の事件になっているのだろう。演劇の方は、兵庫県立ピッコロ劇団第22回公演『雨かしら』(作・演出:内藤裕敬)。作品的には1998年に上演されている(ピッコロ劇団では2001年の上演)ので、ずいぶんと前のもの。父親の不在など少し歴史的な感じさえする。 2時間。もう少しテンポがあればなあと前半思ったが、バックステージものであり、劇中劇が入りこむものなので、幾重にもイメージが重なりずれていくあたりを見ていると、なかなかに楽しく見られるもので、最後の終わり方もすっきりと等身大なのが気持ちいい。どう拍手したらいいのかなあと思わせての落ちなので、深読みすれば、観客への問いかけ、観客批評、客席への挑発というアングラ的な尾骨をこういう部分で感じる楽しさもある。
そこから、武満徹音楽の『儀式』大島渚監督作品、1971年。公益社にわたべ衣装店が協力している。宴会の歌のシーンが特に面白くて、この部分を限界芸術の説明で使おうかとも思いつつ、一緒に前半をみている。ぼくが話す話がすべて学生たちには、無縁で昔のものらしくて、どこから、糸口をつかむか・・(もう、絵本読みきかせと、紙芝居など彼女たちでもよかったと思わせるもので終わるのも授業評価的高得点ねらいなら得策なのだが)。 2回生ゼミ。今日はほとんど出席。みんな素直に課題をやってきてくれるので、和気藹々の授業になる。参加型授業というのは、空気を作るのがすべてみたいで、それさえできれば、どんどん面白くなる。とりわけ、日本に昭和初期にはとても盛んだったアクセサリー加工技術がなくなったという話を現物を持ってきて、話してくれる学生あり。教室がもう少しゼミぽいということないのだが。 『A』のなかの女子法学部生のことば:(麻原には人権がないという男子学生に対して)「例外のある人権なんて、人権ではないわ」。はやく映像を見たい。オウムを追い出した(オウム側からは加害者になるし、自分たちはもちろん被害者と思って訴えてきたはずの)「山科ハイツ」はどう映っているのかを確認したいし。 アトリエ劇研。マレビトの会『王女A』作・演出:松田正隆。少し、なんでも精神病院になってしまう鈴木忠志みたいだった。まあ、そこまで様式でがちがちではないけど。モノローグの集積、詩劇といってもいいが、たとえば、T.S.エリオットの詩ほど昇華していない詞章なので・・・。駄洒落みたいでもある。灰に、はい。ファック・ジャパンがお化粧するとなかなかにかわいくて、それが一番よかった。19:33〜20:56。何とか目を開けようとしていたが・・・。
が、こちらの生理を伴う思考とか感情の揺れを垣間見るということで、何らかのワークショップ的効果があるのではないかと独断的に楽観視して、へんな媚を売ったりせず、自分で文化法について、読みながら考え、思い、迷っている自分をそこに曝している。 (文化政策についての小林版年表に単純なる間違い〜「特定」がぬけているNPO法〜があり、おお、この前指摘した院生の間違いはこのコピーかと納得。何だか法医学区鑑定みたいでおもしろい。小林本のまたその前にも同じ間違いがあるのか、どうあるのか、それは知らず。) 世田谷パブリックホールで、高知県の藤田さんに会い、どうも、近頃、授業が快感で、ダンスとか芝居とか見なくなっちゃったんですよと話した。彼のほうは、橘の学生さんもぜひインターンシップしにきてください、今年から高知女子大の学生さん5名を入れているのですよということ。忘れずに学生支援課に告げておこう。高知県立美術館の新しい館長はなかなか猛烈なのだという。学芸員に町へ出て行くことを促しているらしい。 そうそう、学生に大島渚の『儀式』を見せたんです、というと、即座に、あれはいい映画です!ときっぱり藤田さん。こういうきっぱりした言葉を久しぶりに聞いた気がする。 トヨタコレオグラフィーアオードの前半。まあ、それなりのセレクションだったのではないかと見終わってほっとする。組み合わせも工夫されている。トラムは数度いったが、パブリックの方は初体験。なかなか、舞台の奥がすっきりしていて、一度も眠くならずに、自分で自分がびっくり。まあ、ビデオでも何度も確認して、これらを選ぶかどうか、議論したのだから当然といえば当然か。 赤坂の大学時代ぐらいにも泊ったことのある赤坂陽光ホテルに行く。気がつくと、ここって、地域創造が入っているビルのそばだった。地域創造にはきっと出かけることはないのだが、サリン事件の朝、この千代田線の霞ヶ関駅を素通りして赤坂駅に降りたこと、そして、地域創造でぼくが麻原的な存在と揶揄されていたらしいことは、自分のことでもあるので、覚えていることになるだろう。
フランス語の動詞の変化。 そういえば、ここは、鳥の名前がついていたっけね。 午後は、三軒茶屋。昨日も今日も、終わってしまっているはずの人たちがはしゃいでいる。 松山市の助役だったIさんもいる。彼に、東京ってなんだかつまんないねえ、といってわかれたあと、そうそう、松山の人たちが出るのだと気づく。前みたときよりも格段によくなっていたと思った。 はじめのもの以外はいいセレクションをしたんじゃないかなあと満足。でも、座らされた場所があまりにも悪い空気が流れるところで、そうそうに退場。席を替わってもらったら、まったく寝ないようになった。ダンスよりも周りの空気の悪さに辟易して、つまらんデュオと思ったのだろうか。音楽が特にわるすぎる。つねに、悪い空気が支配しているのは、政治でも芸術でも同じなのだろう。どこにいても、よくないが、たまたま人口が一番多い東京が一番汚れているというだけに違いない。 |