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6/27(月)
振替で自由な時間がたっぷり。
明日の授業の準備ものんびり。
それでも、余裕に時間があるね。
紅茶を入れる。聴かないCDをかける。
いらない書類を捨てる。書棚を整理する。
次年度のゼミとかの課題も整理して紙にする。
と、OBPアーツプロジェクトの原稿依頼がやってくる。
モードが変わる。3時間で1万字。引用とかもあっていいということで、
何とか書き上げる。
16時半から演劇ビジネス研究会。
8月に実践があるので、その打ち合わせ。
なかなか面白くて有意義なものが出来そうだ。
7月は、21日(木)からになる。25日にぼくがシンポをしなくちゃいけないからだ.
8月は、実践するワークショップの発表会が研究会となる。
いい進展である。
でも、演劇界の裾野もせばまり全体的にやせているなあという話になる。
若い人、みんなヒップホップみたいなダンスを踊っているものなあ。
あと、同じくストリート芸へと目がいっている。
ただ、テレビタレントはどんどん日替わりぐらいに使い捨てである。
演劇みたいなスロースタイルこそ大切なんだけれどねえ。
6/28(火)
午前中、集中して、20日に依頼を受けた、ある仕事を片付ける。
それは、秋以降にいるものなのだが、依頼があれば、すぐに対応したくなるという貧乏性がでてしまう。
すると、A教授に、きっと事務局忘れるよと言われる。だから、先生にやった!って話したんでしょ。
午後からの汢生用の授業。出足は悪かったが、132名。あついのに、ほとんど来るのだ。それでも、まだおしゃべりはあったが、冒頭、口惜しかった上田
假奈代さんの詩を読ませてもらったとき、マイクを一部使わなかった。それが、意外としーんとする空気を作ったし、正直、自分の生声を響かせるのは気持ちがいい。ずいぶん、声が講義用になったなあとちょっとうれしい。
でも、ノートはまだ汚いとのお達し。もう。歳をとると字形は乱れるのよ。大人の字を判読して!といいたいのだが、もう少し丁寧に書くしかないかな。万博から始まって、官僚制とか公務員の種類と数とか。もちろん、興味のない学生もいるのだが、辛抱して徐々に必要性を悟らせるしかない。
来週はやっと第2章『崩壊するエディプス神話』へ。村治佳織のCDを注文したり、和泉流の系譜を調べたり。野村(万蔵vs.万作)家を確認するのに手間取る。
精神分析学のフロイト、分析心理学のユング、そしてパリ・フロイト派のラカン。ラカンとなると、構造主義、ポスト構造主義に話が及ばざるをえない。一気に現代思想になるなあ。
エディプス・コンプレクスといえば、ギリシャ悲劇。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス。
コロスやオルケストラやテアトロンの話に行きそうな勢い。ほんとに教科書はきっかけに過ぎない授業だったなあ(もう、すでに過去形に近づいている)。
6/29(水)
雨。ようやくの雨はどしゃぶり。間歇的。
基礎演習は、市場モデルから「ステイクホルダーモデル」へという流れで、
21世紀に向けたマーケティング論。近藤文男さんの論考を読む。
そのあと、学部長からの伝達をI教授へしてから、尾崎豊の「卒業」ライブを次週に使うのでチェック。
どうしても尾崎を見るとブルーハーツを見てしまう。
昼休みの組合の教員集会を忘れて、生協の焼き豚冷麺を食す。惣菜のナスがうまい。
集会で配られる昼食用のサンドイッチが余る。帰りに持っていき、ウイングフィールド前で、芳江と食しようと思って、忘れる。
研究室の冷蔵庫に残された三角形たち。それらは、いずこへ。
ただただ、しずかに腐乱するのみであろうか。
果たして、ぼくは、金曜日に思い切ってしずかに発酵する三角形を捨てられるであろうか。
まちかど芸術、紙芝居編。林加奈のしずかなヒアリング。
でも、男は心穏やかにはいられない。スリリングな老人たち。
ヴィラ山科において、素直になりつつある彼女たちの話と聞き違いは面白すぎる。
京都の男でなかったことに感謝する。
自由が丘の男にも注意せよ。
7/9,10の東京行き(セタパブでのダンス)の「出張名人」を三条京阪で途中下車して、近くのJTBで買う。ここで買うと2500円引きなので、29000円なり。安くて昔からよく使った赤坂のホテル陽光にする。スタバの外で橋本さんがいる。手を振る。確かに味が出てきた。
冷麺では腹がすく。伊藤ハムのイタリアハンバーグ210円をコンビニで買う。まずい。
北浜で30円引きの卵ハムドッグ。こちらのほうがずっとましだ。
北浜でウンチをしたあと地下鉄駅で芳江と出会う。
ウイングフィールドの前で軽く食事。いつも終わったら誘ってくれるはせひろいち(作・演出)さんの劇団ジャブジャブサーキットは、アベックで見るのに一番適している。岐阜県というところで、いかも三都でずっと上演し続けていた(でも、大阪はもう無理かもしれない。なんで。もったいない!)劇団。
演技はたしかに、うまいひととそうでない(ように見える〜実はぼくはそこに味があると見ているんですが)ひとがいます。でも、本がミステリーでしかも優しい。2度泣く。大学生料金があるのがぼくには嬉しい。
天文学者の死。残された言葉を捜す。文化予算のカット、悪い噂の正体。
娘と自殺願望者の集まり、レストランや和菓子屋は続けられるのか・・
『成層圏まで徒歩6分』。前説で1時間46分から47分のお芝居ですとはせ。きっかりと、19:35〜21:21。たびたび前説が言う時間とかなり違う場合もあるから、そのぴたり感が嬉しい。
通り道に落ち葉を少し落とすのを忘れていました。こうするように言われていたのです、とはせが落ち葉を落とす。ここは役者が通りますので荷物はご遠慮ねがいます(はせが演出なのになあと思いつつ、きっと誰か、小道具係〜奥さんかもしれない?〜に言われたかなと思わせる)。これは少ないので持ち帰らないようにという注意あり。このどうでもいいような注意がこの劇団のすべてを語っている。というのは、おおげさかも知れないが、「細部に神が宿る」という芸術環境レビューの基本原点がこの前説一つで理解できるのが嬉しい。
内容を書き出すときりがない。
ゲームとミステリー。謎解き、小道具の活躍。
西の空と東の月。恒星たち。
恒星食のほうがいいのだと大先生はいう。確かに月食は哀しい。日食は熱すぎる(たぶん)。
白い大きな袋をかついで登場の、オオクニヌシではありませんとあえて言う謎の女。彼女など、彼の作品をずっと長く見ていると、なじみのキャラクターなので、こういうつながりにも、謎解き以外の劇団と作家を長く見る喜びとなる。
香具師が出たお芝居にはたしか八百万の神々が出ていた。
動物、狸とかがお葬式のときなどに出てくることもあった。
はせにとって「死」はただ暗く理解不能なだけではない。重いものだけれど、重いものだからこそ、それを一緒に背負う(分かち合おうとする)人間たちの姿がある。
成層圏には、八百万の神たちも、鳥たちも飛び交う。
もちろん、商売人やミサイルも来て、エゴと憎しみまで常にそこを通過できるようになってしまった。その両方を見やる舞台である。
二人で帰り納得しあう台詞のみ引用しておこう。
大先生の言葉となった謎の女(今日は荘加真美)の言葉より:
《・・・・老いて情熱がなくなるんじゃないんだな。精神はまだまだ熱いのに、それを継続する力がなくなる。「老い」はまずそこから我々を攻めてくる。これはなかなかの発見です。》
《雨月(咲田とばこ)『先生・・・・・・』》
《所詮は同じだからね。全て等価で出来ている。あの遠い戦争も、あの荒んだ事件も、2度と会えなくなったあの人も。》
6/30(木)
立命館での授業のあと、あわてて、大津駅へ向かう。
糸賀一雄記念賞音楽祭実行委員会。滋賀県厚生会館にて。
今年度からなぜか委員になる。
しげやんも入っている障害者中心のワークショップが、昨年度から引き続いていて、なかなかに今年度は本格的(=持続的)になり、そのためもあって、ゲストは呼ばずに、その発表そのものが、この音楽祭となるということ(今年度は栗東市のさきらにて、11/20日の14時30分から)。学生たちも見たほうがいいように思える。予算を振り返られるかどうか、まずその交渉からだ。少し遠いという不満が出ないかどうか。1回生は滋賀県出身が多いので、それらの授業がいいかも知れないが、アーツマネジメント論ももちろんちょうどいいテーマ(アウトサイダーアーツをこの頃にすればいい)にはなる。
また、二条駅まで戻ろうと思ったが(会議が14時からだったので、立命館の帰り、バスを降り、二条駅からJRにすぐ飛び乗ったのだ)、17時までで最終日は終わるということなので、円満寺さんのスケッチを見に行けなかった。KAVCのエイズプロジェクトの予定も考えていたが、もうこの暑さでは無理はできない気がする。
明日の紙芝居実演授業のことで、大学にファックスがあったということで、自宅から、古山さんに連絡。みずあめなども無料で学生たちに与えてくれるという(人数の確認だった)。嬉しい。でも、飴は楽しみだが、雨が心配だ。曇りがベスト。
7/1(金)
雨が降ったら小アリーナでしようと思っていたが、人が集まりやすいカフェですることにした。
ここのカフェの問題なのか学生だから仕方がないのかわからないが、なんだか中途半端な空間ではある(センスがなく重いだけの食器や食べ物、サービスみんなそう)。
古山千賀子さんとお父さん(千賀子さんの夫)が車で来る。自転車を下ろす。結婚記念としていただいたものだという。色が塗りなおされている。紙芝居の額縁と箱は手づくり。ちょっと下を向いている額縁に感動する。
12:30から街頭紙芝居の実演なのだが、そのまえからお菓子をつくって渡していただく(こういうときは無料なので嬉しい限り)。水飴、おばちゃんせんべい、キャラクターを描いたかわいいもの。カタヌキも。チョっちゃんに、こどものまま医者になった子の話。かなりシュールな味。
13時からは鑑賞演習として授業になる。白馬童子。HIVについての新作紙芝居も興味深かった。はじめたきっかけにはぐっとくるものあり。
この前に見た、ガイズ。で、大学の名前をいわずに買った学生が出現。お互い損だが、まあ、仕方ないか。
つぎは2回生ゼミ。発表したのは数名。でも、それぞれ面白かった。来週に少しは増えるはず。そのあと、おいしい手づくりお菓子を持ってきてくれた学生とその仲間でお茶。雨がすごくふっていて、ギャルソンのバーゲンには行かず。早く帰ってぼんやり。
7/2(土)
祝賀会とかあって、一日ネクタイおじさんであった。
立命館で使ったノートがどうも見当たらず(研究室にも自宅にもなく)、かなりしょげる。
体重がまた70kgをずいぶんオーバーし出している。
ということで、いいことなしの7月のはじまりである。
それでも式典で柳田邦男さんから『いのちを見る眼〜専門的職業人に期待すること』と題する講演を聞き、「いのちの人称性」とか、傾聴ボランティア(active
listening)のこと、そして、いま小学校で行われている10分間読書のことなどいろいろと、参考になった。
1人称の「生と死」、2人称の「生と死」、3人称の「生と死」、乾いた3人称の視点から、潤いのある「2.5人称の視点」へ。
7/3(日)
昨日、22時前に寝たために、目が覚めたのは4時前。まあ、いいか。
掲示用ノートは立命館の教室に忘れたのかも知れない。
明日の講義は、自分の様式からフリーになって、対話型ですすめよう。今年作ったスタイルのままだと、学生が置いてきぼりといっていたから。
びわ湖ホールにて、ベルリンバレエを見る予定だったが、雨がじゃんじゃか降り出してどこにも行きたくなくなる。バーゲンだけは行きたいなあと思っていたが、今年は辛抱するか。
そのかわり、ノートが見当たらないためあわてて作った図を活用して、日本アートマネジメント学会誌に寄稿することを頼まれていた原稿を書く。本文が9000字のもの。
以下は、目次。
・・・・・・
『アートマネジメント研究』(2005)【教育現場から】の原稿
『アーツマネジメントの伝習現場にて〜おもに講義形式での実際とその「すべ」〜』
はじめに
1. 大学とアーツマネジメント
1−1. アーツマネジメントと大学の相性
1−2. 文化政策学のなかのアーツマネジメント論
1−3. アーツマネジメントを専攻したり、授業を受けたりするということ
2. アーツマネジメントの講義の実際
2−1. アーツマネージャーの心構え10か条
2−2. 講義を通じて、アーツ現場に行かせるように仕向けるには
3. アーツマネジメント講義の進め方
3−1. アーツマネージャーの9つの居場所
3−2. 限界芸術論を公共的アーツ投資論とからめて展開する
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