こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.5



こぐれ日録46 6/6〜6/12

6/6(月)


《・・・・日記、楽しみに読んでおります。過日の日記に、鳩の校章のことが書かれておりましたので、メールさせていただきます。
私の母校は、鳩の校章、おまけに、通称「鳩高」。同窓会は、なんとその名もずばり「鳩会」と言います。生徒新聞は「鳩陵時報」だった気がします。ここまで来ると、すごいですよね。長野県立屋代高等学校という、いわゆる田舎の進学校です。・・・・》

長野県の方から、以上のような、ありがたいメールをいただいた。長野県というのは、平和と鳩がとても似合う。信州だけ、平和憲法にするという、憲法分権化もありかも知れない・・
しかし。
鳩は、いま、どうも戦争への弱腰(はと派)とか動物行動学(烏のほうが賢い。群れてきしょい・・)とかマンションのベランダなどにおける鳩公害とかいろいろ、鳩をめぐる環境はずいぶんと苦境に陥っているけれど、鳩という存在は、それでもどこか憎めないでしょと、きっと鳩につながる人たちは思っているのだなあと心がいくぶん熱くなる。

気持ちのいい月曜日。Tシャツも明るいギャルソンを着ている自分。『大阪人』2005.6号(財団法人大阪都市協会)の特集「長屋の暮らし」。この号が、実家の野田だったので懐かしく、見たことがある長屋があるし、一枚の写真など、野田駅から帰るとき、よく通る道だったりする。

池田朗子さんの個展のレビューをたまたま(peeler?犬島通信?・・どうやらN-markとつながるみたいね)、見つける。タフ2でお世話になった人形石鹸の作家さんである。また、来て欲しいなあ、ちびこい飛行機にのって。http://www.peeler.jp/review/0504tokyo/index.html

京阪電車の朝のいつもの風景。優先座席(5人掛け)に、男子大学生(だいたい京大か同志社か京都精華か)二人合わせて合計4人で座っている。立っている男子学生は、目の前で携帯電話の電源を切ってほしいという張り紙があるのに、堂々と携帯電話でメールを眺めている。

初老の女性が中書島駅で来たので、広く席を取っている学生の方に注意する。だるそうにするが、ようやく席をつめる。彼女も座ってほっとする。このタイミングなどが難しい(それに、まだそんなにお年寄りでもないので、失礼にならないかと心配になったし)。今日は、まあ、いい具合だった(無視されたり、切れられると嫌だからなあ)。


6/7(火)


小鹿さんが金曜日にタフ4についてプレゼンするというので、リハーサル。10分間というのは短いもの。3時限目汢生の授業。イベントについて。ノートを表示装置で映しているのだが、どうも、モニターでないので、見づらいらしい。あと、しゃべることを書いているのだが、その字が汚いとクレーム。これは、もっと小さくメモるべきだな。

15時から来客。授産施設の製品をアート化するプロジェクトやそれに関して12月ごろに催しなどのご相談。少し関係することになりそうだ。ただ、学生がどれほど関係するかは自信なし。助成金はNO-MAと同じところのもの。

インターンシップは4名。どうしても1名来ない。うーん。ドキュメント2000のとき作られた年表と語句説明を久しぶりに使う。

帰ると、悲劇が待っていた。ハナジロの卵はカラスにやられたのだったそうだ。芳江がばたばたという音を聞いてガラス戸をあける。11時ごろ。そこにいたのは、生まれたばかりの雛。そして、大きな黒いカラスが音もなく飛び立って、あざ笑うかのように近くに止まって、芳江を見つめる。攻撃されたひなは血を流しながらよろよろっとして、動かなくなる。ああ、死んだ、と。

ハナジロが帰ってきて、まだ残っていた一つの卵を温める。死んだひなを哀しそうに見ていたと芳江(これは主観が入っていますね)。夕方、芳江が見ると、一つ残された卵もひなの死骸もない。ハナジロもどこかにいっているという。ああ。明日、血がついたベランダを掃除しよう。


6/8(水)


早朝、血がついたベランダを見る。巣の奥に卵から孵ろうとしているような小さな遺骸。たぶん、そうだろうなと写していると、とつぜん、鳩の羽ばたき。男山へと飛んでいった。ハナジロだ。ずっと、近くで見ていたのだろうか。

五つの赤い風船というフォークグループ(西岡たかしがリーダー)の「血まみれの鳩」を歌うしかない哀しさ。http://bunbun.boo.jp/okera/tato/chimamire_hato.htm
≪血まみれの小さな鳩が 私の窓辺で 死んでしまった今
 彼を葬り去るより 今の僕らの世界を 見つめることの方が≫

時間目、基礎演習。いい感じでインタビューの結果をまとめているので、順次発表してもらう。学祭委員による出し物の検討。

三条に行って眼鏡の修理。戻ってきて、TAM研。ちんどんをしたい学生たちも来る。
評議会。財務についての説明会。また評議会。来週の学部教授会の打ち合わせ。青山課長からの依頼レクチャーの受諾と相談。そのあと、けっこう、早く帰ってサッカーを見る。


6/9(木)


立命館大アートマネジメント論、中間テスト。275名。2問を全部答えられない学生に、少し甘く、メールで受けつけるといってしまった。メール処理が大変になりそうだ(30名以上いたから)。4月からアーツプレースを24も紹介していて、できるだけ行くようにいっているのに、やっぱり、直近になって、やっと出かけている。そこで面白い芝居が見れなかったといわれてもなあ。ゴッホ展は先週追加したばかりなのにかなりの数あり。東山青少年活動センターもいるが、京都橘大学jの学生よりも少ない。

京都芸術センターが圧倒的に多く(翌朝調べたら、116名。第2位は、京都国立近代美術館40名、第3位、アルティ27名〜授業でのギター生演奏がアウトリーチになった〜。1928や劇研、東山などが続く。京都府外は、51名で、ミンパクと国際美がそのなかでは多い)、さらに直近なので、みんなおんなじ展示についての答案になっている。

まあ、初めて行った学生はいいが、前に行ったから行ったという安直さには、うーんと思ってしまう(自分で探す、自らの「未知」にチャレンジするという授業の趣旨が理解されていないし、そもそも開拓精神がまるでなく保守、防御、自然滅亡路線に若者たちは入っているのではないかとすら頭を掠めるもの)。確かに、ぼくが原因している部分もある。というのは、京都芸術センターはアーツセンターの模範であると書いてしまったので、ここに行けばいいと太鼓判を押してしまったからである。

冒険しないこと、これもまた時代なのだろう。素直に、お金がなく時間がなかったので、ここに行ったという答案が続く。公演があるかどうかも調べず、nfGに出かけて、判らなかったというのも多い。でも、立命館大でぼくの授業をとっている学生などずいぶんと善良でしかも健気だと思う。変にずるがしこいやつよりはやっぱりましだものね。

築港赤レンガ倉庫に行き、夕方の打ち合わせまで採点をさせてもらう。ぼくって、実に甘い点になるなあとあとで転記しながら思っている次第。中間テストを受けている学生は最後の定期試験を受ければ、ほとんどすべて何とか単位をあげれるようになるだろうと思う。ただ、もう少し悪い点も出て、一番初めに遠藤先生に言われたように、だいたい正規分布に成績がなるような問題に今度はしなくちゃなあ。

芳江がゴッホ展に行ってきた。帰り、太鼓橋のところで鳩が円になっていて、おじさんにパンをもらっている。そのなかに、ハナジロが混じっていたという。ハナジロしか、くちばしの上が白くなかったし、あの目はハナジロだったという。私のほうをじっとみていたの・・・また、静かに下を向いて黙りこくなる二人・・


6/10(金)


今日は、まずまずの一日。
3限目、鑑賞演習でみせたヤザキヤケシの生をGUYS3(ガイズ3)で見られたし、これは、いい連動。
2回生ゼミも、みんなけっこうまじにレポートを書いて出してくれる。嬉しい。そういえば、昔、ワイドなどの利息が8%ぐらいのときがあった、という雑談をしたら、びっくりして、それはいつの時代ですか!と聞く学生あり。いつだったか。郵便貯金も10年おいていたら、ずいぶん増えたことがあったよなあ。
プロ野球、これは、今年はどうも中日、だめみたいだ。

大阪港のWAをとても楽しく使ったGUYS3。19時半すぎから、きっかり2時間。ぜんぜん疲れなかった。思った以上に楽しく、男の裸を堪能した。構成・演出:菱田信也、演出:竹ち代毬也、振付ディレクター:ヤザキタケシ。

WA帰りの阪大の鷲田さんと一緒になる。どうしても歌謡曲の題名がわからないという。こちらももちろんだ。もとから知らないのである(A.K.さんのコメントにより、荒木一郎『いとしのマックス』であると判明。さっそく、荒木一郎ベストを注文する。6/11朝)。うちの学生も2名来ていた。反応はわからないが、2時間、ぼくとしては、鑑賞演習にふさわしい、いい対象ライブであったと思っている。明後日は、スタッフと同じTシャツで行く予定だ。



6/11(土)


朝、イコカに続いて京阪バスカードも落とした模様なので、いままで使っていた二つの定期入れを、どちらも使わないことにして、平凡な黒い蓋のある皮製のものに移し変えた。一つは、娘たちがシールを張って手づくりブルーナにして、誕生日にプレゼントしてくれたものなので、残念だが、記念に写真を写して、しまっておくことにする。

1限目、2限目。久しぶりの大学院講義。たまにやってくる感じ。まず、アサヒアートフェスティバルのリーフレットが届いていたので、全部のプロジェクトを一緒に見ていく。文化経済学会が鳥取県米子市でやっているそうで、そのため受講者は4名のみ。限界芸術と先端芸術の説明をどうしたらうまくいくのか、話しながら考えた。

睡眠不足のため、研究室で座りながら、ちょっと眠ろうとしたら、1時間は寝ていた。不自然な寝方だったためか、意識が戻る瞬間が、昔、全身麻酔をされて、それがとれて意識が回復するときと同じような気持ち悪いものだった。

毎日新聞の昨日の夕刊を見る。無事、7面に載っていた。前回だけが少し多くて、これからあと3回は、この大きさだ。今度は禁則処理をちゃんとして、一発で通るようにしよう。


6/12(日)


平凡にまた日曜日がめぐってくる。
最近、なんと代わり映えがしない日々だなあと思うことも多い。
記憶力はとうになくなっていて、前まではいったん学生の名前と顔を覚えたあと忘れたが、最近は覚える努力すらしなくなった(たまに思い出してするのだが、結局無駄だと悟るばかり)。名刺をもらっても、そこに書いてある名前を見ようとすらしない怠慢な自分である。

それとなく時間が経ち、気がつくと、何かが終わっているだけというぐらいで。
さいわいにも(不幸せなことかも知れないが)、何かに白黒をつけることをしないまま、まあ、野暮用などもあってうっちゃっておけば、それとなく、またまた同じ繰り返しだが学生たちもメンバーが移動し、いい加減に、ふざけた時間を食いつぶして行くのである。

ただ、確実なのは、個人というのは、じょじょに壊れていくこと。
数ヶ月ぐらいだと壊れた変化はあまり気づかず、たまに出会うと、お互いが壊れ崩れつつあることに気づいて、きっと、こいつも気づいているんだろうなあと思うばかりである。

こういうことで変化を見ることが出来たのも皮肉なのだが、いま、8年ぐらい前の眼鏡(アルマーニ)を仕方なくかけていて(明日、アランミクリとかいったか〜いまの眼鏡が戻ってくる)、それで、時の経過を知った。この眼鏡が机の引き出しから取り出され、ぼくの顔へと一時現役化したために、自分が老人ぽくなっていることをまざまざと知らされ、普段そんなに言わない芳江も「ふけたねえ、お年寄りみたい」としみじみいうのである。

49歳の最後の一日。いちおう、芸術文化鑑賞演習として、WAでもう一度GUIS。を楽しむ。が、1997年だったと大谷燠さんから聞いて、そんなに時間が経ったのかとそれは驚いた。この昔の丸眼鏡でトリイホールにすわり、見あげるように見させてもらったのだ。授業指定なので、学生たちもいるが、さきに書いたように、名前も知らないし、何か期待をしすぎることもない。大学の広報の関係でカメラが入るが、眼鏡を取ったら、と芳江に言われていて、そうしようと思いつつ、めんどうになるし、どうでもいいことである。

すべて世界は確率なのである。経験則が出来てきて、アーツに無限定に反応でき、それを自分に内生化していける割合は、だいたい1%程度だろうと思う、甘く見ても。100人に1人。100人に1人の可能性すら、みすみす機会を逃していたから、不幸なのであって、そのためにアウトリーチなどの芸術アクセスプログラムは存在すると言ってもいい(継続的なちゃんとしたスタッフによるものとしてのアウトリーチは)。

つまり、もともと99%は、そういう世界を一度知っていただければ十分なのであるし、まあ、そういうことで、お試し的な(イベントちっくな)アウトリーチも、まあ、広くしていいとは言える。この授業も広義のアウトリーチの方であることはいうまでもない。だから、どんな感想を持っても(何も感想も書くこともないとしても)いささかも動じない。ちゃんと見て何かしら言葉化できれば、とても僥倖であるわい、と感じるだけである。

防備録的に。
≪人間ドキュメント〜故・塩崎源一郎さんの遺志を受け継いだ街頭紙芝居師のみなさん≫ 「熱気あふれる“こどもだまり”が心を育む!」 『週間女性』6月7日号 「大阪・紙芝居物語(後編)」より、p56。

これは、7/1の12時半から大学キャンパスで実演していただく古山千賀子さんに教えてもらって、やっと取り寄せられたもの。今度じっくり聞かせてもらう話の事前勉強にとても役立つ古山さんの紹介のあと、豊中市の古橋理絵さんが登場。その部分を引用:

《メンバーの活躍で、『三邑会』には全国からイベントへの参加依頼も増えた。祭りや地域の催しなどで出し物として披露する紙芝居だ。
 古橋さんも一時期、毎週のようにイベントに奔走していたことがあった。忙しくなると必然的に、街頭に出る機会は減った。
「イベントは華々しいうえに、街頭と違ってお金が入るんです。紙芝居をやってお金がもらえるというのは理想の形でもありますから、イベントが入るとうれしかったです。素敵な出会いもありますし・・・・。でも、はたしで街頭をなおざりにしてこれが自分の求める紙芝居の姿かと、あるとき立ち止まったんです」
 2ヶ月“留守”にした公園に帰ってみると、もとの“人のいない公園”に戻っていた。古橋さんは「子供たちを裏切った」と、自分を責めざるをえなかった。
「長い月日を経て築いたものも、崩れるのは一瞬。寂しかったけど、自業自得でした。それでまた・・・・やり直したんです」≫

こちらがいいたいことがすべてこの言葉と実践につまっている。脱帽である。



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