こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.1



414.1/1〜1/9

1/1(土)

朝、一人起きて炊飯器が活躍している音を聴く。これが、2005年にはじめて聴いた音だ。となりの芳江さんの寝息。パソコンをかたかたしていると、烏がやってくる。もちろん鳴き声で。
さて、1913年の文部省唱歌『冬景色』、これをブログにアップする。尋常小学5年生用だという。文語がむずかしくて、はなに訳して教える。

サイトには、解説や音つきもあり、親切。はじめて聴いてはじめて歌った「舟に白し」というところのメロディーがけっこう難儀だったのがおかしい。

1番が水辺の朝「さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の 舟に白し、朝の霜。ただ水鳥の声はして、いまだ覚めず、岸の家」。
2番が田園の昼「烏鳴きて木に高く、人は畑に麦を踏む。げに小春日ののどけしや。かえり咲の花も見ゆ」。
3番(父の手帳には歌詞が載っていないが)は夕べの里「嵐吹きて雲は落ち、時雨降りて日は暮れぬ。若し燈(ともしび)のもれ来ずば、それと分かじ、野辺の里」。
「冬景色」は、12/28、法事の際、帰ってきてからお袋とか家族(妹含め)たちと歌った唄の一つ。昨日、はながギターで歌ってみる。これを自分の唄に出来れば歌うかも、とはな。紅白で中島美嘉が「朧月夜(〜祈り)」を歌っていたことは偶然としても、少しこういう唄が入るのもいいのではないかと思う。ただ紅白歌合戦のなかの紅白の旗揚げ合戦は分解した日の丸賞揚だろう。きちんとは見ていないが、紅白では島倉千代子が輝いていた。

朝、恒例になっているのだが、NHK教育で能を観る。金剛流だけに残っている『内外詣』。正月にふさわしいもので、新しくなった金剛能楽堂も見れる。橋掛かりのところ窓の絵になっている部分の模様がかわいい。神楽と獅子舞(シテの金剛永謹が変化する)がここで楽しめるなんて、なんてラッキー(手軽)なのだろう。もうすでに能楽にもレビュー=バラエティショーがあったわけね。そのあと、これもいつもどおり歩いてすぐにある岩清水八幡神社へ。いつも開いている神馬の厩舎がしまっていて、よく見ると、11月20日に25歳(人間なら85歳〜11/12でなくなった父とたまたま同年齢)で亡くなったと書かれている。

書初めをしたあと、小津安二郎『戸田家の兄妹』(1941年、105分)をDVDで見る。葬祭が時間の軸になっている:突然の父の死、通夜、葬儀(かなり大勢の僧侶の読経がちょっとこっけいに聞こえてくる)、そして、母が転々と子どもの家をたらい回しにされて、一周忌法要が行われるまで。音声が特に悪いので、字幕があって助かる。

二男の昌二郎(佐分利信)と三女の節子(高峰三枝子)が父亡き後、天津で母と3人、一緒に住む(二男と三女がそれぞれ結婚するまでの間)までの家族離散の話。資本家(人を使う側)たちの息苦しさ。もうすぐ戦争に入るがブルジョアはかなり贅沢のままだったことが分かる。天津に行った後、お母さんは大丈夫だったのだろうか。三女節子の友人で、節子が好きな昌二郎に彼女との結婚をすすめる時子(桑野通子)のモダンガールぶり(でも、節子が母と自立するため、雇われる身であるオフィスガールになることは、時子とは違い、ブルジョアジーの兄弟たちには世間体=対面上許せないことだったのである)。


1/2(日)

今日もまた、NHK教育の能狂言放送から。正月2日目は狂言である。はなも起きて観ている。はなが中学2年生のとき、大津市立伝統芸能会館でいまはなき八世野村万蔵(当時は万乃丞)を観たことをうっすら覚えているという。まずは、大蔵流山本東次郎家の「福部の神〜勤入」。瓢箪(=ふくべ)を鳴らしながらダンスして歌うサマがラップそのものだなあと思う。鉢叩きという芸能者を伝えている。子どもも出てくる。

後半は和泉流九世野村万蔵による「佐渡狐」。野村萬が賄賂(まいない=袖の下)を取るところの迫力がすごい。前半を見ているから、日本の芸能の一つの進化方向としてのシンプルイズベストを辿る感じがする。


1/3(月)

観世流のテレビ能は、長いので少し解説ではしょっていた。「玄象」観世喜之。静かな前半、囃子の方々がご年配だったことも関係があるのかも知れないし、琵琶がテーマなので、そのせいで耳を澄ますものだったからかも知れない。

子どもたちも出かけていったので、ブログばかりいじっていないで外に出ることに。京阪四条駅を出るとアフリカの太鼓がリズミカルに流れる。しばし耳を傾けながら、水鳥を見る。大勢の人たち、無農薬みかんなどをうる店が橋に出ている。お坊さんも二人。真言宗の人は小さなお経だった。写真用紙をなかぬきやで買って、仏光寺通りを歩く。車が多い。

COCON KARASUMA(古今烏丸)へ。第五長谷ビルの向かいだ。隈研吾の建築、そういえば、彼の事務所からはいつも年賀状が来る(地域創造のときに彼が来てくれたからだ)。ACUTUSがメインで飲食店や紙や香のお店。3階は京都シネマに京都精華大学がやっているギャラリー&ショップshin-bi。タナカカツキ展『あかいこうせん』。けっこう、観がいのある映像だった。ドロドロになっていく、ドロドロになったから新しく生まれかわるといううたが特に印象的。


1/4(火)

はなが帰る。一日中家にいる。読んだのは、大林太良『邪馬台国〜入墨とポンチョと卑弥呼』(中公新書、1977)のみ。文身(入れ墨)についての記述がとても少なくて残念だったが、民族学のことを勉強するいい本だった。アムフィクチュオニア、歌垣、妻問婚、双系制社会。ひょっとしたら、当時はいまの1年を2年と数えていたのではないかという説があるのだそうだ(どうも違うようではあるが)。

「アーツな京都橘大学へ」というブログに書き込みをする。「社会化」について。http://kogurearts.exblog.jp/参照

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また話は替わって:
山本ゆうじさんという方が、サイト(http://cosmoshouse.com/art-aes-j.htm)で、以下のような芸術分類をしている。(混乱するとは思うが、様々な分類があることを示すためには)参考になるので、抜書きしておく。
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芸術の分類自体、そしてどの作品がどのような分類になるかについては異論もあるだろうが、考える手がかりとして、下記のような分類をしてみる。(もちろん、この分類が網羅的、決定的というわけではない。)

(1)芸術(art) 「高級芸術(high art)」。一般的に経済的効率性のための妥協は可能な限り行われない。反復、複製は忌避され、「新しさ」が求められる。(下記のポップアートについての文を参照。)
(2)デザイン(design) 応用芸術、非芸術で非娯楽。経済的、機能的効率性のための妥協が行われる。イラストレーションなども含む。
(3)娯楽(entertainment) 「大衆芸術(popular art)」。反復を特徴とする。(陳腐化、シリーズ化)経済的効率性のための妥協が行われる。※ポップアートとは異なる。
(4)クズ、ガラクタ(rubbish) 上記のどれにも属さない。大多数の人間(たぶん作者以外)にとって無価値なもの。私の作品など。
この分類から導かれるいくつかの散発的考察。
1. 純文学はこの分類では芸術に含まれる。
2. 娯楽は芸術よりつねに陳腐であるため、また妥協の結果として芸術に到達できない場合があるため、低級芸術(low art)と見なされることもある。だが、通常は娯楽は芸術とは異なる独立した意図、意義、価値、市場を持つ。
3. ポップアート(pop art)は反復、複製による意図的、批判的な陳腐化により、芸術のアウラを批判する。つまり上記のような分類をふまえた文脈に基づかなければ、理解できない。
4. 歴史的芸術価値 (HAV、Historic Artistic Value)というものが考えられる。つまり、芸術ではないデザイン、娯楽も時間の経過にともない、歴史的価値を持つようになる。
たとえば、ホームズものは文学的には探偵像の確立という歴史的意味において評価されるわけだが、十九世紀末の風俗描写はHAVを持つ。すべての娯楽(クズでさえ数百年も経てば、おそらく)は一定の時間が経てば自動的に芸術化する。
5. 「いき」がもっとも多く関わるのはデザインの分野になる。芸術は「いき」が「いき」たりうるためには複雑すぎ、新奇すぎ、日常からの乖離が大きすぎる。
6. 建築は芸術とデザインの両方にまたがる。著名な建築家の作品は芸術と見なされる側面が強いが、機能性を無視できない場合はデザインに近くなる。」(13:28 00/12/11)
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ぼくは、法学部→役人出身ということもあり、形式論理学的にすきっとしたいので、上記のような分類(とくに、芸術=高級芸術というような説明)は居心地が悪いのですね。
ただ、これは鶴見俊輔的な古典的限界芸術論とはほぼ対応します。

限界芸術は、「(4)クズ、ガラクタ」となります。ずっと、鶴見さんのほうが柔軟で革命的ですね。
純粋芸術が、「(1)芸術=高級芸術」です。もちろん、ぼくたちは、純粋芸術を伝統芸術と先端(先駆的)芸術に分けて考えますが。
大衆芸術は、「(2)娯楽=大衆芸術」で、ほぼ鶴見さんと山本さんとは一緒ですね。山本さんによる、反復という特徴、「経済的効率という妥協」という解説は分かりやすいものだと思います。

問題は「(3)デザイン=応用芸術」が、鶴見さんにはないということです。大津絵のようなものを鶴見さんは限界芸術としていますが、これは無名性と有名性の違いだけであって、限界芸術のような「そのもの自体が楽しい」芸術ではないのではないかと思っています(工業デザインは大衆芸術に入るのかも知れませんが、彼の焦点は限界芸術だったので、そのあたりまでは不明です)。
つまり、ぼくは、応用芸術としてデザインや工芸、建築、造園などに言及しています。チンドン屋や紙芝居も大衆芸術としてもいいようですが、CMと同じく、応用芸術とみなしています。なぜなら、それ自体が目的ではなく、それを使って広告するという機能を持つためです。指摘どおり、機能的効率性という妥協がここでは発生します。
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1/5(水)

今年は、伝統芸能もそうだが、とくに映画鑑賞の比重を増やしたいなと思う。もちろん映画館で。それには、もう1ヶ月も経ってしまったが、一昨日下見した京都シネマに行くのが一番である。
「あの、会員になったらすぐに見れますか」「はい、この入会記念の招待券でどうぞ、あと1枚の招待券、どなたでも構いませんし」。さっそく4000円で入会する。入会すればRCSと同様にレターが来る(如月社)ので、映画に行く回数が増えるだろうから。『スーパーサイズ・ミー』は、一番大きなホール(といっても100席あまりで、あと2ホールはもう少し小さい)で13時5分からだという。

はなが忘れ物をしたというので、小津安二郎のDVD(突貫小僧が出ている映画がご所望である)とともに渡す。どう、映画、招待券があるよと言ったが、ファーストフードを1日3食1ヶ月食べ続ける人体実験のドキュメンタリーだというと、夢見が悪いのでやめておくという(やめておいて、よかったかも知れない。肥満アメリカ人の腹切り〜いや腹切られか〜など見ていて気持ちいい映画館初めではないから)。このあと、初詣するといっていたが、どこに行ったのだろう?

そのかわり、二人で同じ階のレストランに行くことにした。『THE BUFFET STYLE SARA』、食べ放題で1580円だが、京都シネマの会員になったぼくは1割引、つまり1420円になって、3000円ぴったしだった。こういうホテルの朝食バイキングみたいなスタイルはサービスの人件費が浮くのでこれから増えるのだろうな。ただ、つい食べ過ぎてしまうし、ほどほどではあるが、とても美味しい!というものではない。回転寿司をちょっとおしゃれにした感じか。

京都シネマに入る。そんなに多くはないが、家族連れとかいて、さびしくはない入り。入り口が上手の側面に1箇所なので、一番前を通って奥に行かなくてはいけないのが不便である。
真ん中に通路をつける余裕がなかったのだろうが、予告編のとき、スクリーンをさえぎって奥に来る客がいた。携帯電話を切る前説あり。食事は禁止で、飲み物は置けるようになっている。ただ、コーラとかを飲んでいるとこの映画を見ていると少し気持ち悪くなるだろうが。

『スーパーサイズ・ミー』監督・被験者:モーガン・スパーロック、2004年、98分。監督が自分で実験するというので、現実を写し取るドキュメントというよりも、現実にアクションを起こして、現実の深部を表に出していこうというドキュメント。「やらせ」映像というのは、やらせていることを隠して、さも、リアルのそのままの姿だと見せることだが、これは、実験していることが前提で、実際、自分の体がおかしくなっていく部分を、自虐的にはならないようにつとめつつ、でもあんまり攻撃的でもない微妙なバランス感覚で綴っている。

(詳しい内容については、これから配信する「こぐれ日記588」をご参照ください。)

バーゲンか。物欲は以前よりはずいぶん減少した。スーツは着ないから、少しは安上がりだ。でも、一つだけは買おう。自分に許可を求めてもどうかと思ったが、御池まで歩き、コムデギャルソン(この小さなビルはどうも買いにくい、前のBAL店ならワイズなども冷やかしながらいけたのだが)で、セーター一つ。4割引。

時間があるので、三条から京橋まで準急。まだ時間があるのでインターネットカフェでブログ。そして、大阪市立中央青年センターにて初仕事。アーツコンペの話をしていて「アーツ・コンパ」のほうがいいやということになって、初笑い。ピザを本田さんが注文してくれていて、うーんと思いながら少しつまむ。御うどんの注文が間に合わなかったのだ。

帰って体重計に乗る。体脂肪率が19.0%。正月3日には、24.0%だったから、歩いた分燃焼して元に戻った。でも、70kgを切るのはいつの日だろう。


1/6(木)

2005年、京都橘大学にはじめて行く。やっぱり、帰ってくると疲れが出る。
授業はなかったのだが、なんだか少し研究会がらみの書類を作っただけで、明日の講義のおさらいはほとんどしなかった。まあ、何とかなるだろう。
今度専門ゼミに入るrinちゃんに無理やりブログを作らせる。もう少し、うまく誘導できないのか。彼女だから素直にやってくれたが、やり方を考えなくちゃ。

帰り、雨。生協の拡張部分がずいぶんと完成しつつある。カフェ委員会が13時半からあるというので響ちゃんと一緒にのぞきにいったのだが、清水焼団地に行ったということ。すでに食器などを買い出しているのだろう。響ちゃんはぼくよりずいぶん記憶力がいい。すでに彼女にこの委員会がある曜日を伝えたことすら忘れていた。ゼミ生の名前が出てこなくて、hiroeちゃんにおこられたし。


1/7(金)

1時限目、アートマネジメント論。島田裕巳『戒名』をずいぶん活用させていただきながら、限界芸術の一つとしての「命名」。またその一つとして死後の名前を考えるという意義付けをまずする。そして、なにやら家制度維持という社会的本音や寺院経済的本音を超えて、戒名を身近なもの、意味のあるものにすることは出来るのかどうか、という問いかけをして、最終回を終えた。

いまは、死後の配役としての戒名は、すべて僧侶という演出家が決めてしまう。すでに陳腐になってしまった「往生物語」のもとに。その構造を葬祭と演劇舞台との比較で何とか形になったかと思う。さて、来週は最終日テスト。問題を今日配布。応用問題は、選択式だが、かなり難しいと学生。だから、いま配って考えてもらうのじゃよ。

3時限目は2回生中心の地域文化行政論。ユニバーサルデザインからみた文化政策。駆け足だったが反応はよい。3年間やってきて、この講座は今年で終わり。またどこかでこのテーマは復活するだろう。最後に流した福野町ヘリオスのスキヤキミーツザワールドの映像を見ていて、もう10年前かと感慨深い。でも95年のこの映像が古いと感じさせないし、この時期が一番よかったなあと思ってしまう。今年もカンバセーションからオレンジの手ぬぐいが届いてこれは嬉しかったが。米田さんは元気だろうか。

組合の新年会の変更メールがあって、7日(金)になったとあったので、出かけてみたがそんな予約はないという。変だなあと思いつつ帰る。よく考えると、12日(水)にやっぱりあるのだが、申し込み締切日が、7日(水)→7日(金)ということだったのだと気づく。阿呆でした。

でも、今日も酒を一滴も入れず。1月4日から連続4日目なり。断酒元年4日ととりあえず、小声で言っておこう(お酒を飲んでしまったら、マイナス2日ぐらいにして、反動を起こさないようにしたほうがいいよとさきが言う。そうだねえ)。


1/8(土)

断酒元年5日。
ドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』の影響は大きかった。外に出ている間、何も口に入れなかった。つい、アイスクリームやシュークリームをコンビニで買ったりするのだが、夕方帰るまで我慢する。意外とできるものだ。問題は自動販売機の誘惑かな。

いい映画だと直感するのは、冒頭の数秒であることが多い。この映画『父、帰る』(2003年、111分、ロシア)もまさしくそうだった。そしてそれは正しかった。・・アンドレイ・ズビャギンツェフ監督、1964年、シベリアのノヴォシビルスク生まれ、俳優出身でロシアでは映画の専門的教育を受けないで監督になるというのはレアケースだそうだ。

京都みなみ会館。20分ほど余裕を持って行くとすでにロビーには人の群れ、熱気がこもっている、ロシア人もいて、華やぐ期待感。午前中の上映なので、がらがらだろうと見くびって思っていたのでびっくり。それもそのはず、初日であり(昨日の夕刊に紹介文も出ていたようだ)、ズビャギンツェフ監督は新人なのに金獅子賞(03年ヴェネチア国際映画祭グランプリ)を取った期待の監督だから。

さらに、ここでは本当にないことらしいのだが、外国人監督が映写後に挨拶に立つ(実際は、質問に答える形だったが、質問は絶えずぼくの前の人も手を挙げていたが時間切れ〜次の上映があるから〜となった)。

(詳しい内容については、後ほど配信する「こぐれ日記589」をご参照ください。)

監督の話で面白かったのは、原題は「帰郷」であり、それは他国ではみなそれに忠実だったのに、日本の配給会社だけ「父」をつけたことが「本意でない」という回答である。「父帰る」って確かに日本では菊池寛などが連想されてしまって(監督はそんなことは関係ないと思うけれど)、どうしても人情話的になることが気持ち悪いのは確かである。それにしても監督が嫌がってもつける邦題って何だろうと思う。きっと、映画会社が強かった時代、作者である監督も被雇用者であったという関係の名残なのだろう。

あと、好きな監督としてズビャギンツェフさん(この名前もまた、覚えられない大事な監督名の一人となっていくだろうなあ)が上げていた監督は:オタール・イオセリアーニ、アンドレイ・タルコフスキー、アレクセイ・ゲルマン。これがロシア語で見れる監督たち。イオセリアーニ監督映画は見たいと思っていて観ていない。月曜日に乾杯だったっけ。ゲルマン監督というのは、確かスターリンを描いていたね。

あと、ミケランジェロ・アントニオーニとロベール・ブレッソンだという。アントニオーニ映画は大学時代、もっとも好きだったなあと思い出す。特に「さすらい」と「情事」。アテネ・フランスで数回見たな。

京都文化博物館に寄って、京都府美術工芸新鋭選抜展を見る。ここに出展している人の誰かがお便りをくれていたからだ。その人が誰だったか、もう忘れてしまった。中川トラヲさんだったかも知れない。KAVCでみたものね。洋画では坂口浩之の糸縫いが面白かった。自分がこの前糸を使ったからかも知れないが。彫刻では金魚の山内麻紀子。

ミクスト・メディアに宮永甲太郎作品が思いがけなくあってうれしかった。ぼく的には「虹 混ざるのではなく織るように」の正方形10枚の(立てかけられるが微妙に立体の)作品がぐっときた。洋菓子の黄身いっぱいのなかの姿が見え隠れするフルーツ色の埋もり方、すーっと白いホイップがかかったみたいなぼんやりした表面の動きが好き。


1/9(日)

朝、お年始としていつもいただいている橙色のカンバセーション手拭いと格闘。芳江がいなかったが、無事頭に巻けるようにお裁縫完了。

酒断って6日目。磔磔でもトマトジュースを頼む。何とうまいことか。外出中、口にしたのはこれのみ。ただ、昼あわてて出かけるとき、干し柿(カビがぽつぽつ)4つにメロン(危うく発酵するところのもの)、残り御飯に味噌汁ぶっかけ食べて出てきたのは、スローフードとしてはずいぶん失格だったが。

大阪港駅。レンガ倉庫とは逆方向にあるくと、NPO、NGOがあつまり図書室などもあるpiaNPOがあった。6階の会議室で、シンポジウムがあるのだ。だいたいいまのシンポジウムというのは、9割ぐらいは、学会だからね、とか、何かの周年記念だからね、とか、年度末も近づき何としても科研費を使わなくちゃ、とか、そういう催事での定番かつ安易な消化試合として催されるものである。残り1割ぐらいだけが、どうしても開きたい、聴きたいシンポジウムなのだが、今日のシンポは、嬉しいことに、後者のシンポジウムだった。

『不在の他者とつながる表現〜造形作家・井上廣子の仕事を起点に』。昨日にアーティストトークが大阪市立中央図書館であったという。美術とは無縁の人が、場所柄ふらりとのぞいてくれたそうだ。今日は、美術関係の人やフェミニズム関係の人が多い感じ。お父さんがされていた『内科画廊』を今に伝える活動をしている宮田有香さん(『あいだ』でよく知っていたが、帰ってからこぐれ日録を振り返って、どうして彼女がぼくと自森を結び付けることが出来たのかがわかった)から挨拶を受ける。自由の森学園出身なのです(池田宏子さんと同期だという)。

まず、原久子さんと小勝禮子さん(栃木県立美術館特別研究員)の話があり、原さんの南芦屋浜震災復興住宅のコミュニティ&アート計画の映像は懐かしかった。小勝さんについては、ずっと中西美穂さんの活動などで気にしていたので、ご本人に会えて嬉しかった。北欧の女性の感じがなぜかした。関西にはいない感じの穏やかな話口で、美術館/学芸員が出来てアートセンターでは出来ないことについての説明が実に的確だと思った。守旧派と思われるかも知れません、と謙遜されていたが、いままさに、美術館の基本に戻るべきだと納得する。基本はコレクションの形成、それを通じて、芸術を歴史化する機能。過去の美術を原題につなぐという使命がある、そのときに歴史の問いなおしが必要である。

「ものを創る人の歴史、ものを視る人の歴史」として美術史を捉えなおすという言葉が一番印象的。美術史の継続的研究こそ、学芸員に期待させることなのである、地味かも知れないが、戦前から戦後にかけての日本の女性画家の展覧会など、実にすごいものだろうと想像する。夏休みの「前衛の女性」展は栃木に見に行きたいとまじに思う。

井上廣子さんの話とスライドは、思うことがいっぱいで書き切れない。眼を閉じた少年たちの写真。白いベッドが半分切断されている。繭が白い。閉じこもっている繭のなかの幼虫。抜け殻の温かさがまだかすかに残っているようなシーツ。かつて在ったものが無いということ。忘却のなかの無在。出会えない過去の他者への想起。いま出来ることとは。「出来る」。つまり、窓から外に出て来るために。来るものは果たして不在の他者か。不在に気づくこと。不在の他者とは。在ってはならないという否定としての否在の他者。否在の他者を眼差せるのか。

無在、不在、否在。精神病院の窓、チェコにあるテレジン収容所の窓。内側から見る。突き刺さる気配。孫を抱き泣いている老女の声。同じ窓を外側から見る。窓を双方から見るということに込められている感情と意味・・苦渋、鎮魂、懐疑、愛惜、怒り・・を、考えていくのだと思う。説明文では伝えられないから表現があるのだということで、今回はパスに。ただ、少年院と向き合うプロジェクトを日本で可能にするにはどうしたらいいかとずっと思っていた。

17時になっても続いていたが、あわてて磔磔へ。こまっちゃクレズマ。6人編成のこのグループには、西陣北座とかで幾度か遭遇したが、きちんとこうして聞くと、やっぱり「すごいや」の一言。ビールを飲まないこともあり、最後まできちんと聞けるし、感動も沁みる。こんなにしみじみと音が重なる出だしとは思いがけず、2曲目からはリズム(ドラムはいぶし銀のような荒井田耕造)も、もちろんびしっと決まるのだが、ずいぶんと優しいジプシーやクレズマーでありトルコ風だなあと聞いている。日本的(だと考えていた)ものがどんどんユーラシアの広がりに溶け込む感じがする。アコーディオンの張(チャン)紅陽さんの演奏振りがどんどん大きく愉快になっていく。アコーディオンやバイオリン(新井亜由美)はどうしても脇役になるが、ここでは6名という少人数のために見せ場をうまくリーダーの梅津和時さんが作っている。梅津さんはここでは6割ぐらいクラリネット。踊ったり、客席をぐるぐる旋回するあたり、ほんとにかわいくショーマンシップいっぱいの梅津さんである。秋、ロシアのクレズマー祭みたいなものに招待を受けたそうだが、旅費はこちらで工面する必要があるのだという。

かすみさん(華乃家一座、フレイレフ・ジャンボリー)が同じサックスの多田葉子さんと挨拶している。多田さんもチンドンやっているのかも知れない。関島岳郎さんが終わってから2/12のCOCON烏丸でのことを話す。はなも一つ面白い曲(「かくれんぼしましょう」)完成しましたよと言ったら、はなちゃんに送って欲しいと言っているところだと言う。1/27(off note 3dayのなかび)に間に合うといいな。

なお、2/9(水)にここ磔磔で京都橘女子大学の軽音クラブが演奏するという。残念ながら山科区役所のリサイクルアートの審査で行けないけれど。



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