こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.5



こぐれ日録433 5/16〜5/22


5/16(月)


2時限の地域芸術文化振興論。
わりとスムーズに出来たかな。日常の中にアーツを探すというテーマは、講義だけではなく、ゼミでもしようという提案が学生からあって、積極的でとてもいい反応だと感心した。バルケンホールの彫刻にも予想以上の反響あり。

専門ゼミもぼちぼち。3回生も4回生も人数は少ない。
なかなかに就職活動は簡単には終わらない。まず、第一章の終了。15〜20社ぐらいにチャレンジしちょうだ。これから第二弾。秋に第三章か。
19時半には帰る。夜は冷えるので、大阪のお袋が風邪を引いたようだ。芳江はいますぐにでも行こうとしたが、病院に行ったというので、明日朝に芳江が行くことになった。気温の変化が尋常ではないし、一人だと心細いに違いない。

5/17(火)


朝、ぼちぼち次の毎日新聞の連載エッセイを考え出そうかと思ってメールを開けるとパンプレスの原稿の依頼。2ヶ月に一回なので忘れた頃にやってくる。写真つきで1300字強を書いて送る。こんな出だし。
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踊りまわり(27)−Aサーカス−
 サーカスは、ぼくにとって文学の世界の出来事だった。夢の中のデラシネ。根無し草の異人さん。お化け屋敷以外の見世物小屋も、正月の住吉大社とかで小学生ぐらいまでは幾度か見たが、その呼び声とかが怖くて苦手だった。
 ピノキオ、中原中也、別役実、小さいときに読んだ悲しい童話のかずかず。デラシネの孤独と葛藤。ぼくの中でサーカスはいつも、親方にいじめられた少年が紫の涙を流し、象やシマウマなど動物たちがアフリカを想って彷徨する。まちからまちへ旅団は流浪を繰り返しハラッパの景色を反転して、あくどいヂンタを演奏し続けるのである。つまり、恥ずかしながら、どうしようもなく暗い小川未明的サーカスイメージしか、結局ぼくはもっていない。
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終わりに、「A」の意味が明かされる。アーツにあおもりにAUTO。

さて、大学では、英コミの学生と四方山話をしたり、3時限目の授業では、天皇制の歴史まで行ってから、アクティングアウトとカミングアウトの関係をはさみつつ、「スポーツとナショナリズム」という新しいセクションへ移る。中間テストの問題の発表。彼らにとって、はじめて大学の試験らしい試験の初体験になると思うが、これほど、至れり尽くせりの教員はぼくしかないといささか豪語したりする。だって、問題は事前に教える(それも、冒頭に予告もしていた)し、持込も何でもありだし。それでもきちんと評価できる自信がぼくにはまああるのでできることだが。

18時からは、インターンシップの事前研修。3名しかいないが、同じように(いやより濃縮に)授業をする。前半は「指定管理者制度」についてのぼくとしては一番わかりやすい説明、後半は、アーツセンターに行って新聞の切抜きを任されたとしたらどういう記事を選ぶのかを話し合うワークショップをした。

5/18(水)


1限目は、基礎ゼミ。愛知万博の裏案内の続き。コマーシャリズムとクリエイトについて、ちょっと解説。あと、端教授の必修授業のポイントフォロー。来週は、はじめてのインタビューの成果を聞くことになる。まだ、あんまりインタビューをしていないが、今後に期待。まとめ方を来週に言って、今度はレポートの書き方についての演習となる。

そのあと、健康診断。昨年はバリウムを飲んだりしたが、今年は最小限にしておく。でも、ちょっと体調の変化(花粉症?)もあるので、用心すべきだという自覚だけは持とうと思う。今朝、5時と思ったら、3時半で、それなのに何もせず(武満徹のインタビューを聞いて、しみじみと歌の力を思うのみ)ただ無闇に眠い。そのせいか、また、低血圧。92−70である。

TAM研は4名集まり、タフ5との連動を考えなくちゃ、と思う。あとで、代表を決めるべきだったと後悔。ブログをしている学生に非公開コメントでお願いしておく。
学部教授会、文化政策研究科委員会。

バスに乗って、互助会歓送迎会。席はくじ。スタッフさんに替わってもらえませんか?といわれ、何も思わず替わると、そこは、えらく前の席で、学長ら幹部の目の前、しかも事務局長と向かい合い総務課長の隣だった。下の娘の入学祝5000円。はなのときは申請することを知らないままいたので、今度はちゃんとゲットした。

5/19(木)


少し頭痛(珍しく「普通に」飲んだため)。喉も少し痛し。立命館大学。名簿が出来て、登録数412名。実際に出席を取ったが、出席は半分ぐらい。就職活動が終わった(内定した)ので、今日から受けますという学生。去年取ったが、もぐっています、アーツマネージャーの仕事の可能性を探っていますという学生。同じ4回生でもいろいろだ。今日は、奈良美智展の話をします、と予告しておいて、忘れ、6/9のこの時間(2限目)に行う中間テストの問題に、わざわざ「6/9、3時限」と間違って手書きして、惑わせてしまう。

15時半から、近江八幡市でNO-MAの第1回運営委員会。駅でNO-MAを見てきた大学院生に会う。来月にはホームページが出来るという。いまの展覧会は、予想以上の来場者数。この前のワークショップ5/15も好評。
はたさんの言葉:縫うという行為が、参加者の頭の中を変えていったみたいだった。いわば、半分は空っぽで半分はこっちに向いている。だから、独り言と夢中なおしゃべりとのちょうど間の関係性が出来ていた。つまり「半分閉じて、半分開いている」という感じ。
次の企画展「モノと思い出 記憶の指標としてのアート」は、9/23から。服部正さんの企画である。アサヒビールの助成は50万なのでなかなか大変。あいだに常設展が入る。8/18.19は、アサヒアートフェスティバルの企画であるbusplanによってライブバスが来るので、どちらかは行こうと思う。

詳しくは、6月ごろに発表となるが、独立行政法人福祉医療機構から500万円が助成された関係で(ディレクターへ直接渡る委託費=展覧会経費は、この金額の内数となる)今年度末にもう一つ公募展が出来ることになり、その相談で長くなる。うまくディレクターが選考できれば、いい広報となるだろう。

5/20(金)


午前中、さまざまな雑用をしたあと、毎日新聞のコラムを書く。出だしは決まっていた。「青森のこどもは幸せである」。そして、最後に、6/25.26の「子どもの文化フォーラム」をさりげなくPRすること。13文字×54行。禁則とかあるので、送っておいても油断は出来ないが少しほっとする。

街頭紙芝居の実演を6/17にする予定だったが、学生自治会の総会が入り、2週間伸ばさせていただく(7/1の12時半から生協前などで)。古山さんから逆に週刊女性の今週号に紙芝居の記事が出ていることを教えていただく(帰り買う。来週に古山さんが出るそうだ)。

芸術文化鑑賞演習b。絵本の紹介文書きのワークショップ。すごく早く書ける学生がいた。持ってきて少し添削的な意見も言う。音楽が欲しいというので、音楽も流す。アメリやはじめにきよしなどのほか、さりげなく大バッハなども。続いての2回生ゼミ。全員が来ていてびっくりする。休講だったとかで、他のゼミの学生まで来ていた。どこかに行こうという学生もいれば、グループになったりして、このテキストをめぐって話し合いたいという学生もいる。

16時半から、タフ5のオリエンテーション。生協のカフェはかなり五月蝿くて、聞きづらい感じがした。人数が結構いるので、うまく声を出させるのも一苦労。小鹿さんが、ぼくらの苦労がわかったということ。神経を集中させてしかも和やかにして自由に発言できるようにするのは、ずいぶんと年季がいることだろうと思う。早く帰る。芳江はフェルメールとレンブラントを見たのでご機嫌さんである。

5/21(土)


中日ドラゴンズに関するニュースは開けないようにしている。株価が少し戻っているな。昨日オジーに最近断酒暦がなくなりましたねといわれる。今日はとりあえず、微酒もやめよう。

溜まっている封筒をつぎつぎと開封する。前に聞いていたNPO法人太陽と緑の会の作業所火事への募金。募金と別に、お手紙でも杉浦良さんに書かなくちゃと芳江。さきもお世話になったのだから、さきにも知らせておく必要があった。

今井祝雄さんから話のあった「デイリーポートレート」に、「あたなの忘れない-思い出す1日の日記」を書くプロジェクト。これに参加しようとあれこれ考える。いろいろぼくの場合ありすぎるのである。

手元には1986年からの日記がある。86年の日記を見ると、さきが0歳から1歳、はなが2歳から3歳。ほとんど仕事と子どもの話である。オーソドックスに長女はなが生まれたときにしよう。それから、新しい家族の風景が始まったのだから。
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1983年2月3日
いよいよ妻の陣痛が強くなる。自然分娩をめざしていた二人は、一緒に産室へ入る。なかなか出てこない。正午すぎ、ようやく赤ちゃん誕生。とっさに「男の子ですね」とぼく。へその緒をおちんちんと見間違ったのだ。
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久しぶりに大きな息を吸った。
ゆっくりと口から空気を外に出し、その呼吸はこのわたしの肺で行われているのだなと暖かくなった両手で感じていた。
花粉症と風邪で、大きく呼吸をしたり、身体をぐねぐねしたりする機会がとんとなかったのだ。
サバンナにある空気を吸ってみようといわれた。ゴビ砂漠までその息をはこう。だって、空気はこの部屋から地球上に続いているのだから。
まず、手首の関節を柔らかくして、空気を入れてください。つぎは肘。腕全体。こうして、ダンスをスケッチする企画の前に、ゆっくりと身体をほぐし感じるワークショップがついていた。これを最後にして、今日のしあわせな芸術鑑賞と体験の一日が終わる。さて、今日のお出かけのはじめから書いていこう。

みやじけいこ個展『温度の距離』うずらギャラリー。案内をもらってすぐにここには行かなくちゃと思っていた。20日から23日までの短い間の展覧会である(正午から18時)。場所が、いつも気になっていたアートコンプレックス1928の隣の富田歯科の1階だからでもある。みやじけいこの作品がこういう洋風町家では、きっといつも以上に生きるだろうと予想したからでもある。

初めて入ってわかったのだが、この昭和15(1940)年に建てられたお家は、京都の町家がもつ奥の深い佇まいで、応接室(歯医者さんの待合室でもあるようだ)だけを、去年からギャラリーとして、ときにはライブ会場(50名ほど)にしているのである。オーナーの富田民人さんは、このお家に住みつつ、うずら音楽舎という音楽関係のお仕事(CD制作やコンサート企画)をしているもの柔らかな人である。ただ、うずらレーベルを出している関係上、自分と合わない展示希望者の申し込みに対してはお断りしているのだそうだ。

靴を脱いで応接室に入る。クッションがかなり抜けた椅子に過去のファイルが置かれている。みやじけいこを版画として紹介している雑誌もある。黒のアップライトのピアノ。その壁には、ベートーヴェンのレリーフ。ずいぶん色が変わっていて、額縁と本体とが同じ模様になっている。中年の女性が入ってきて、これも作品でしょうかと聞いていた。前庭が黒いカーテンで閉ざされている。彼女の作品のモチーフに、窓とカーテンが重要だったなあとこの部屋と彼女の作品との出会いの必然に思いやる。

まん中に大きくないテーブル。両足だけがそこに置かれている。爪と指の表情が浮き上がり、色がない分、透明さが在り、二重にトレースされて、ずいぶんと加工したものになっている。だが、上から霞みゆく靄の映像のもと、それでも、よくよく見れば、わたしたちの足という代物は、なかなかにけったいな表情をしていることが見て取れる。

通り側の窓に、写真を版画にした子どもの身体。たぶんであるが、隣の部屋の仕切りにも、同じものの片割れがあり、その二つはばらばらに、しかも反対側に本体があってぼやけて裏に映っているかのように設置されている。いくぶん、一つ一つを見ると、晦渋な(=「現代美術」ぽい)感じはする。ふらりと入った方がちょっと首をかしげている。でも、いやな雰囲気ではないように見えてほっとする。

ひとり、ずっとここにいると、窓のその明瞭でない形姿こそ、この家族とか患者さんがたたずむ場所としての応接室の「温度」であり、その遠近としての「距離」なのだろうということが、じわりと伝わってくる。

烏丸御池まで歩いて行って、地下鉄。今出川駅下車、そしてバスにて今出川浄福寺まで。西陣ファクトリーGARDEN。今日は町家が続く。このあとも京都芸術センターの前身、明倫小学校が、1930年代のものだし、最後入ったshin-bi(四条烏丸)のビルも戦前のビルを全面的に改造したもの。アーツスペースがまちの保存修景と関わることがずいぶん定着していることは、素直に喜びたいことである。

さて、西陣ファクトリーGARDEN『林英世ひとり語り』。1時間があっという間に感じられる。一人で、椅子に座り、マイクもなく、この空間全体とともに、小説を読むというシンプルな公演。5年目になるという。単線なかたちなので、いくぶん変化に乏しいこともあるだろう。だが、今回の坂口安吾『桜の森の満開の下』では、そんな心配は不要だった。

白い舞台美術が、桜色にも紅色、血色にも変わる。声と読み姿、白い着物にときおり朱がにじむ衣装のみで、林英世は、ダイナミックな語りを披露してくれる。桜の木の満開の狂おしさについては、誰しも宴会など騒がしくない場所に行けば何がしかの感慨として得られることではある。だが、これほどまでに、イメージを定着して語り継がれる作品は稀有だろうと聞きながら思う。あとは、桜の下の死体というイメージぐらいか。

京都芸術センターでは、篠原資明+佐倉密『言ノ葉ノかぜ、二人の詩人の二つの美術』が行われていた。篠原資明はおやじギャク的な余裕。一方の佐倉密という方は、より美術的に凝縮した展示だった。詩人というのは、いい意味でプロフェッショナルではないのかも知れないと、この展示を見る限り、そんな気がした。講談に来てくださいと奥田さんに言われる。

COCON烏丸3階、shin-biに行く。ショップでは、off-noteレーベルがいっぱいあって、よかった。はなのCDも少しは売れているのかも知れない。スタジオで、ポポル・ヴフのスケッチコール。《5月の森へ行こう もゆる みどり もゆる ひかり もゆる もゆる》。ダンス公演自体は10分強ぐらいで、それをあと、2回して、そのあとに最終公演となる(なんと、来年の5月)。

机になる木箱を、横にしてゆっくりと座る。10名プラスぐらい。まず、身体のほぐしワークショップ。これが、冒頭に書いた、気持ちのいい身体ほぐしだった。やってくれたのは、はまだくみ(たぶん)。そのあと、休憩した後(ぼくは、休憩中、ずっとからだをくねくねしていた)、スケッチコールへ。このスケッチコールというのは、客席の照明を落とさないで、お客さんも、ダンスを見ながら、それに基づいて絵でも言葉でもなんでもいいので、紙にスケッチするというものだった。

ぼくは、単にダンスを見に来たので、スケッチをするつもりは始めなかったのだが、ワークショップをして体とともに気持ちがほぐれて、自然に何かやりたくなった。アンケート用紙の裏に黒と赤のペンで、まずは、舩橋陽のソプラノサックスが背後に響いて自動的に、抽象的な線が生まれ、そのあと、腕の動きに、腕のみが、下津浦端希と徳毛洋子のデュオを見ながら紙に残されていった。

あと、幾分詩的な言葉の走り書き。田村さんとのトークでも、ちょっとスケッチの手は止まらないようになっていた。帰り、いたずら書きのようなメモを葦田さんに渡した。いつもより、早く家に帰ったのだが、それでも、実に充実した土曜日だったと、また一日を芳江に話していた。

5/22(日)


日曜日というのは、明日からの授業のための休息日でもあるし、一週間のアーツ体験のまとめの日でもある。だから、経験上、少しライトにするほうがいい。午前中、昨日の日記書き。バーンスリー(インドの横笛、HIROSさんの名演奏)のCDを聞いていたら、眠っていた。

京都芸術劇場<春秋座>。ほんとにここは色々よくやっている。チラシを見ただけで、高踏的な感じがして学生に奨めにくいものもあるが、どんどん来て欲しいと志賀さん。同じ学生たちが参加しているのだから、京都橘大学生も食わず嫌いにならず、来たらいいよなあ。今日は、音楽。高田和子SANGEN SPACE vol.4<帰ってきた「糸」>。

三絃弾きうたう高田和子のソロから。はじめ、おとなしい感じでついうとっとしていたが、どんどんその充実した演奏の襞が聞き分けられてくると徐々に面白くなっていく。田中悠美子の太棹は抑えているが、声を出すと独特のテンションが他との違いとなる。笙が入ると、異次元へと飛んでいく。石川高も中堅の風貌。6曲目の「黄連雀」はとりわけ聴き入った。最後はコントラバスの斉藤徹が入って、シリアス音楽から流れ出るようなムーブメントが感じられる。パーカッションの神田佳子が、3曲目の練習曲では、なかなかにかっこよかった。箏は、西陽子。三絃、太棹、箏。三様の糸ながら、合わせると合奏の相乗効果もあり、ハーモニーを生むのではないが、かといってソロがただ平行して走っているというだけでもない、何らかの意義があるのだろうと思う。

17時20分ぐらいになったので、あわててアトリエ劇研へ。タクシー。800円かかったというと、それはかかりすぎと鎌田さんに言われる。同じ移動をしたものが、ぼくを入れて3人はいる。黒子さなえのダンスソロ。独特の動きにまた新しい語彙が発見できて、いつも驚きを創ろうとする姿勢に感心する。最後の手廻しオルゴールだろうか、その音で踊るのが印象的。それと自分で立てる音も興味が起きる。あと、上からたれる白いカーテン。應典院みたいに光の垂直性がダンスに生かされる。映像は必要だったかなあ。逆光のシルエットのみで十分ではなかったかと思う。


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