こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.5
こぐれ日録435 5/30〜6/5
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と、今日が4回生ゼミの写真撮影の日だったようで、その本をもったり、三菱のマークを書いた白板を背に、ぼくはあたかもビジュアルデザインとか、ビジュアルマーケティングの教員のような姿で写ってしまった。集合写真を清香館の前で撮ることになったが、こんななじみのないところはいやと4回生。そこで、岩屋神社で撮ることになる。そのあと、自発的にゼミ生が発表する。奥ゆかしいゼミ生たちである。 その前の3回生ゼミでは、つい2ヶ月半ほど前に卒業した前のゼミ生3名と書道の友だちがやってきて、シンポジウムとなった。なかなかに面白い話をみんなしてくれたし、やっぱり社会に出るということでぴりりとしたなあとずいぶん感動した。 1人、ずっと休み無く仕事をしている元ゼミ生がいて、好きなことを仕事にすることの大変さとやりがいについて、きっと後輩達は大いに感じたことだろうと思う。もう一人は対照的にお役所に近いポジションなので、別の苦労もしている。でも、ワークショップの企画を出したり、ああ、こういうとき、先生冥利ということばがあるのだなと初めて思う。 午前中は、中間テスト。70名弱。まだ、採点していないが、京都芸術センターが圧倒的に多いかと思ったら京都国立近代美術館が一番多くてびっくりする。近いと言うこととか、美術館博物館はまたレポートなど別の授業にも使いまわしができる点が選ばれた理由かも知れない。最終テストの場所は少しいじることが必要かも知れないな。 演劇ビジネス研究会。どんどん、実践的になり、面白くなる。新しいメンバーも二人参加して、具体的にビジネスをしている話などとても参考になった。
1回生の中間テスト。思った以上に積極果敢な答案が多く、採点していてとても手ごたえがあった。120枚程度か。でも、時間内に終わった学生が、まだ、他は授業中なのに、平気で廊下でしゃべり出す。まったく、周囲のことが見えていない。廊下に出て、早速、携帯で話す者。この前(先週の金曜日)被害に合ったわけだが、今度は隣のS先生へ、迷惑を幾分かはトランスファーしてしまったと思う。これは、もっと厳重に事前注意をしなくちゃいけなかった。そして、注意しても、もう答案出したから、関係ないという風情があって、授業中の私語とともに、自己中心学生たちへ、どう対処するか、重大な課題でもある。 はっきりというと、TAの制度は、学生が私語したりしないように、目を光らせることがまず優先されるのではないだろうか。残念ながら、そういうレベルであって、バス関連のマナー問題など、改善すべき点が山積されている。 タフ5は、2回生と1回生が積極的なので助かる。田辺剛さんが、どうして演劇のみちに進んだのか、両輪の一つ、フリースクールにおける演劇、韓国交流の話とビデオが印象的。後半は、真っ黒小劇場を使って、名前を呼び合うキャッチボールとか、数字の集団数えあい。そして、3人が出てくる脚本を使ったワークショップ。なかなかに意義深く、しかも楽しい。この前の林加奈さんのセッションも面白かったので、学生たちは、どこに所属するのか、迷うのではないだろうか。
1時限目、基礎演習。今日は、お約束のビデオ鑑賞。でも、高知県美のファッションパフォーマンスは忙しすぎたかも。「珍しいキノコ舞踊団」つながりで、後半、ドレミノテレビを見せるための前座だったのだけれど。 大学評議会。そのあと、ちょっと研究に事前準備。基礎演習の連中、なかなかやれそうなので、以下のようなレポートを出してもらうことにする。
以下のものから一つ選択して、7/20(水)に提出する。 (1)わたしの文化体験 〜○○○○○○○○○○○○○○○○○○〜 (2)文化政策の扉をたたいて〜○○○○○○○○○○○○○○○○○○〜 (3)その他
立命館大学での授業。終わってから、眼鏡の修復。 【視覚芸術のA】 【実演芸術のB】 (2) 公立文化ホールBgにおける現状と課題 (3) 指定管理者制度 民間企業から見たパブリックビジネス
鑑賞演習はMONO『錦鯉』の後半。終わり方について、舞台を見たとき怪訝な気持ちが残ったことを思い出す。いま見てみると、すとんと来る。自爆テロを思う。それだけ、世の中、不幸が色濃くなっているからだろうか。そのあと、作曲家、映画監督、美術作家、劇作家(戯曲家)の4項目について、それぞれ、できるだけ、自分の知っている人を挙げさせる。この前、ブルデューのディスタンクシオンを拾い読みしていたら、作曲家を12名以上挙げられるグループと11名以下のグループで有意な文化資本格差がある表を見たからだ。 2回生ゼミ。19名が出席。出席をとらないと学生が不満を言っているらしい。まあ、よく出ているからとってあげようかとも思うが、まあ、本当はどうでもいいこと。というか、出席してちゃんと学習するのは、自分の得なのだから、不満を言う必要もないとは思うのだが。4期生ブログに以下のようなことを書いておく。
ついでに、この春うちの大学を卒業して第一志望のアパレル会社に入った元学生が言っていましたが、説明会に行くと、途中から、少人数に分けられて、相互に顔の見える形で質問を学生がして答えるという形になったそうです。 少しして、全然質問していない学生たちは、ご縁がなかったですねえ、といわれて、そこで、半数ぐらいは帰らされて、それから、専攻試験が始まったそうです。いやはや。世界は厳しいですね。
シャンソンの革命児だったということだが、シャンソンの吟遊詩人的な役割をぎゃくに実にちゃんと話している歌手であったなあと思う。おとうさん、シャンソンが嫌い、っていっていなかった?おっと、そんなことを言っていただろうか。よく聴いていた十代があったのだが。 そのあと、ボブ・ディランのビデオ。はなが賛嘆している。ドノバンとか、とてもかわいそうな脇役で、ディランを引き立ててしまっている。タイムズの記者とのやりとりがおかしい。そのあと、ロシアの歌手、ヴィソツキーのビデオが流れている。 気持ちよく、交流戦を観戦後、はなの歌を聞く。ずいぶん、伸びやかに昔の歌が歌えるようになったものだ。いつか、ブラッサンスみたいに、あるいは、ディランみたいにギターを弾くこともあるかも知れない。はなも最近つれづれ日記を頻繁に書いているが、砂連尾さんも書いているというので(どちらも清水さんにお世話になっているのだが)、見てみた。このサイトもリンクする必要がありそうだ。
大島渚の『儀式』をやっぱり鑑賞演習で見ることにして、続いて、小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』を見て、ぶじ、この授業は終わろうと思う。ということで、頭だしとかのチェックで見出すが、結局、最後までみて、いろいろチェックしている自分がいた。 1〜2回生のための読書リストに挙げた『寝ながら学べる構造主義』(内田樹、文春新書、2002)より レヴィ=ストロースによれば、人間は三つの水準でコミュニケーションを展開します。財貨サーヴィスの交換(経済活動)、メッセージの交換(言語活動)、そして女の交換(親族制度)です。 (多様な感情や価値観がそれぞれの社会集団ごとにあるが、それらが社会で機能している仕方=構造は一様である、という趣旨のあと) 人間が他者と共生してゆくためには、時代と場所を問わず、あらゆる集団に妥当するルールがあります。それは「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルールです。 p163~165 いま読んでいてじつに刺戟になっている(歴史的実証性とか心理学で社会学的な診断をすることの問題とか、そういう次元ではなく、芸術環境とワークシェアリングということをずっと思っていたぼくの関心との関係という次元において、興味深い)平凡社新書(2005)、岡田尊司『自己愛型社会〜ナルシスの時代の終焉』「第五章現代オランダ社会に見える日本の未来」より 144〜145p ≪(オランダの)回復のプロセスの端緒は、82年になされた「ワッセナーの合意」と呼ばれる政府、労働組合、使用者側の三者の合意だった。それによって、労組側が賃金抑制に協力する代わりに、企業は雇用の確保を優先し、時短を進めること、政府は税制支出を減らし、減税を行うことを取り決めたのである。雇用確保と時短が働く側のニーズに合った形で進められたのが、パートタイム労働者の正規雇用化である。 これだけよむと、オランダってずいぶんいい国だなあと思うが、その前の歴史は「卑小化した自己愛的な個人主義」のもと、オランダ(ネーデルランド)は、フェルメールが生きていた頃の50年間ぐらいの繁栄のあと、ずいぶんと荒んだ社会だったのだそうだ。 これから、意識的に若くて知らない劇団に行こうと思っていたが、どうも、ちょっとそこまで元気がない(中日が珍しく連勝していて、気持ち的にはいいんだが)。今日もせっかくいただいていた招待券を活用できなかった。演劇団箱・・・お手やわらかに第2回公演『駅〜サザンクロス修道院〜』(森之宮プラネットステーション)というもの。 聖歌隊が出るそうだ。それにしても、劇団名に「・・・」があるのは、少し珍しい。「お手やわらかに」というのは、厳しく批評してくれないでという軟弱な姿勢なのかなあとか思いつつ、意外と柔らかい手を駆使して、観客をだまくらかそうという高等戦術かも知れぬ、とか見ないといろいろいいように推察できて、もし、つまんなければ、しんどいので、空想のまま、終わるのもほどよい仮想観劇なのかも知れない。 それでも、地下鉄二条城駅をおりて、少し回りを観察した後、元教業小学校に行き、発泡酒を飲むまでは、17時からの公演に間に合わせようと思っていたのだった。第3回「中京福祉まつり」。ライトハウスによる点字用紙を再利用した植木鉢を買おうと思い、ちょっとふらりと出かけたのだが、そこで展開されていた「車いすダンス」などの参加体験コーナーに見ほれてしまったのだ。(もちろん、ドライフラワーの白くて可愛い植木鉢もゲットしていま家に飾られているが。) モーニング娘のひょっこりひょうたん島とか、演歌に合わせてのダンス。車いす体験をする子どもたちと、車いすに乗った身体に障碍のある男性、そして、障害の軽い人など立って踊る人たちの輪が出来、途中からちょっと一緒に踊る男の子もいて、じつにいい雰囲気なのである。あとで聞いてびっくりしたのは、子どもとお年寄りとはみんな初対面だったそうで、よく、子どもたちは恥ずかしがらないで、一緒に踊ったものだと感心。 一つには、車いすに乗っていることで、普段の自分ではなくなっていることも原因しているのではないかと思う。かなり年配の女性に聞くと、以前は障碍のある連れ合いと一緒に参加していたのだが、その連れ合いをなくしたので、いまは一人で参加しているのだそうだ。年寄りなので、障碍者と同じですからと笑う。講堂では、人権のつどい(梶寿美子さん)があり、そのあと、珍獣王国という一人だけ障害者なのかな、ブルーストリオが出ていた。 朝みたら、ハナジロがいない。朝食の時間かな、鉄の蓋に直接置かれた二つの卵の下に、彼女が集めた小枝をそうっと敷いておく。卵が生暖かい。生きているという実感がした。 いま読んでいてじつに刺戟になっている(歴史的実証性とか心理学で社会学的な診断をすることの問題とか、そういう次元ではなく、芸術環境とワークシェアリングということをずっと思っていたぼくの関心との関係という次元において、興味深い)平凡社新書(2005)、岡田尊司 <http://blogs.dion.ne.jp/mimimosimosi/archives/852569.html> 『自己愛型社会〜ナルシスの時代の終焉』「第五章現代オランダ社会に見える日本の未来」より 144〜145p ≪(オランダの)回復のプロセスの端緒は、82年になされた「ワッセナーの合意」と呼ばれる政府、労働組合、使用者側の三者の合意だった。それによって、労組側が賃金抑制に協力する代わりに、企業は雇用の確保を優先し、時短を進めること、政府は税制支出を減らし、減税を行うことを取り決めたのである。雇用確保と時短が働く側のニーズに合った形で進められたのが、パートタイム労働者の正規雇用化である。 これだけよむと、オランダってずいぶんいい国だなあと思うが、その前の歴史は「卑小化した自己愛的な個人主義」のもと、オランダ(ネーデルランド)は、フェルメールが生きていた頃の50年間ぐらいの繁栄のあと、ずいぶんと荒んだ社会だったのだそうだ。 これから、意識的に若くて知らない劇団に行こうと思っていたが、どうも、ちょっとそこまで元気がない(中日が珍しく連勝していて、気持ち的にはいいんだが)。今日もせっかくいただいていた招待券を活用できなかった。演劇団箱・・・お手やわらかに第2回公演『駅〜サザンクロス修道院〜』(森之宮プラネットステーション)というもの。 聖歌隊が出るそうだ。それにしても、劇団名に「・・・」があるのは、少し珍しい。「お手やわらかに」というのは、厳しく批評してくれないでという軟弱な姿勢なのかなあとか思いつつ、意外と柔らかい手を駆使して、観客をだまくらかそうという高等戦術かも知れぬ、とか見ないといろいろいいように推察できて、もし、つまんなければ、しんどいので、空想のまま、終わるのもほどよい仮想観劇なのかも知れない。 それでも、地下鉄二条城駅をおりて、少し回りを観察した後、元教業小学校に行き、発泡酒を飲むまでは、17時からの公演に間に合わせようと思っていたのだった。第3回「中京福祉まつり」。ライトハウスによる点字用紙を再利用した植木鉢を買おうと思い、ちょっとふらりと出かけたのだが、そこで展開されていた「車いすダンス」などの参加体験コーナーに見ほれてしまったのだ。(もちろん、ドライフラワーの白くて可愛い植木鉢もゲットしていま家に飾られているが。) モーニング娘のひょっこりひょうたん島とか、演歌に合わせてのダンス。車いす体験をする子どもたちと、車いすに乗った身体に障碍のある男性、そして、障害の軽い人など立って踊る人たちの輪が出来、途中からちょっと一緒に踊る男の子もいて、じつにいい雰囲気なのである。あとで聞いてびっくりしたのは、子どもとお年寄りとはみんな初対面だったそうで、よく、子どもたちは恥ずかしがらないで、一緒に踊ったものだと感心。 一つには、車いすに乗っていることで、普段の自分ではなくなっていることも原因しているのではないかと思う。かなり年配の女性に聞くと、以前は障碍のある連れ合いと一緒に参加していたのだが、その連れ合いをなくしたので、いまは一人で参加しているのだそうだ。年寄りなので、障碍者と同じですからと笑う。講堂では、人権のつどい(梶寿美子さん)があり、そのあと、珍獣王国という一人だけ障害者なのかな、ブルーストリオが出ていた。 |