こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.3



こぐれ日録425 3/21〜3/26


3/21(月)


断酒暦74日。

浜大津へ。2005湖都おおつ紙芝居フェスタ。10時から、はじまりはじまり。東野さんがあいさつ。大津市による企画公募事業である。
大津には、5年間住まわせてもらっていたので、地元というわけではないが、どこか愛着が感じられる。子どもたちの反応も素直な感じがするし。駄菓子に泥饅頭。昔の遊びの体験の数々。かたぬき10円。

野外ステージと屋内ステージAB。屋外の方がやっぱり気持ちがいい。今日は青空、暖かい。
三邑会(さんゆうかい)は、大阪に唯一ある手書き紙芝居貸元。かなりの数の街頭紙芝居が残っているということで、博物館の役割も果しているそうだ。。立命館大学文学部で中国語の非常勤講師をしている(ぼくとそこは同業者でもある)鈴木常勝さんが、まず演じる。10:45から30分間。みんな(16組も!)同じ条件で、同時に2人が別々のところで演じる。よく通る声。

それもそのはず、1972年から長居公園や住吉公園で土日中心に演じ続けているからだ。アドリブですね。裏を読むことはない。太った「まる子」ちゃんのバレエ姿がおかしかった。お風呂に入ると泥棒がのびていたのは、きっと当時は風紀上よくない!といわれたに違いない。怪トランクに、最後はクイズ。だいたい、3つの構成が街頭紙芝居の基本だという。少年冒険物に少女物、そして読みきりコメディ(クイズ)が戦前のスタンダード。水飴を100円で買う。

同じく三邑会のかみしばい屋古山千賀子さん。20年前、普通の主婦が紙芝居を始めた。一番ひいきにしてくれるのが、自分の子どもたちだったという。理解のあるだんなさんと。西淀川区、淀川区の公園で週2〜3回やってきた(いまもやっているが、親の介護のため少し減っているという)。子どもたちにも音づくりを手伝ってもらうようにするところが魅力的だ。タフ候補かなあとも思う。

屋内でも、かっぷるつかだ、梅田佳声が熱演。とくに東京からの梅田佳声は、その駄洒落の多さとか、絵のこわさで大人に受けている。いそいで築港赤レンガ倉庫へ。

クリーンアーティストプロジェクト、オープンアトリエ第二期終了。14時過ぎから、パフォーマンスがあり、気持ちのいい休日の午後を過ごす。束縛のない客であることの自由を満喫。WI’RE、川崎歩、やんじゃ(音楽に清水まな、メラケンスケ、福森慶之介)、土星の会。WI’REはレンガ倉庫と倉庫の間の広場で、後半は「私は聞こえない」などと台詞つき。

川崎歩は、自分の作品とともに動く。独特の動きあり。やんじゃYangjahは春の殻、春の歌による祝福ダンス。
白く繊細でふわっとした世界にこめた願い。そんなに世界がたやすく祝福するとは思えないとしても、希望を捨てないために踊っているのかも知れないですね。最後の土星の会は、京都のくろだにさん、永雲院で踊っている人たちのもの。おかしく切ない工事中の明滅です。そのまま、みんなが入り込んでいく屋外へと戻っていく。福森さんは公演直後なのにフルートを持ってきて吹いている。

美術では、2階の奥の暗闇にとくにひかれた(つかもとやすこ自身のビデオ映像と狂わせたカメラ地平のモニタリング)。暗闇が減っているが、それに思いがけなく、まだ残されたものがあることを感じさせてくれる。脚立に上って小さきものをみる暗さもなかなかいい。照明の明暗づくりが今回は印象に残った。

そのあと、CASO。映像ばかり。シアトリカル應典院も同じカレイドスコープ大阪05の関連企画。荒島さと子の人体たちの接合。ひとつ朽木か流木に見えたのものが本堂の一番高いところに架かっていて、それが他のものとは違って感じられたので、何か質問ありませんか?という声に促されて率直な感想を述べておく。

はしのちなつ(説明は作品としてはほとんどせず、暗くなるとお墓の様子が見えなくなってきて、気配だけでそこにあることを感じ取られることがどんなに素敵かを話す。天井からぶら下がる赤い糸に吊るされた小さな錘、そして、ANDO。彼は写真家ではなく心理学研究者として錯視から出発、お墓と都市モダニズム建築とを対比していく。大きなビルのすそにある花も、お彼岸で墓に供える花に通じ、ある種の弔いの儀式に見えてくる。ANDOさんに鶴見俊輔の「限界芸術論」の説明をする。限界建築が墓ですか!と熱心にメモっていた。

3人プラス2組のアーティストツアー/解説(大塚さんがはじめの挨拶のなかでどのようにしてこの展覧会がいままさに出来上がったのかを話す)のあとパーティ。秋田さんもジュースで乾杯。ぼくはそのあと、中国茶を楽しむ。ゆっくりとしている時間がそこにはあった。そして、茶につけた梅や種を食べながらお話も少しする、見知らぬはじめての人たちとともに。中国茶藝「さにほう」の厳愛鈴さんが一人で作っていく。なかなか回ってこない。厳は、はしのちなつさんの会社の同僚さんなのだそうだ。

「茶藝」というのは、中国語なのだろうね。茶道とはまるで違うのではないかなあ。それに、茶藝を応用すると、花藝、髪藝、衣藝、器藝、爪藝など暮らしとの関連でいろいろなものに転用できそうだ。

3/22(火)


断酒暦75日。


大学に一瞬行ったのみ。14時から東部文化会館にて、6/25.26の子どもの文化フォーラムの実行委員会。小鹿ゆかりさん、田辺剛さん、林加奈さんも出席。そのあと、東野のモスバーガーでタフ5の打ち合わせ。キムチ(膨れてきて箱がめりめりしていた)をみんなにお土産してくれた律儀な田辺さんはすぐに出かけなくてはいけなかったので、3人でいろいろ。自由度が高いだけに変数をしぼることが大切だと実感する(何かを仮にでも固定しないとなかなかにスケジュールなどが固まってこないのだ)。それでも、林加奈さんの方はずいぶんつまってくる。どきどきする。

林さんが、50人のクリエーターにインタビューした小原啓渡さんの本がなかなかに面白かったという。野村誠さんや伊藤キムさんに混じってぼくも何か語っていたのだった。でも、大学はあることのみをするためにタクシーで行き即実行委員会の会館に引き返したので、明日見ることにする。

卒業式のあとだが、4回生から嬉しい知らせ。中部地域の文化ホールに内定したということ。よかった。あきらめないことだ。それにしても行政関係の採用の遅いこと!民間企業の採用がすべてすんだときに、こうしてあるんだなあ。そういえば、教員採用もぎりぎりに決まるので、京都教育大学の卒業式は3/25だとこの前聞いた。

3/23(水)


断酒暦76日。


10時半から、非常勤講師懇談会。全体会のあと学部別懇談会(4月からの布陣になりつつある。教務委員が司会をするということでいいのだろうが、こちらで司会進行を受け持つ)。そのあと、新しい棟を見学。看護の棟(清優館だったか)は中をみる。隣の小教室が連なっている棟(清香館かな)はまだ入れない。キャンパスの移動がまた大変になる。それに、関東なら1号館とかなので、それでいいのになあと思う。教室番号はナンバーリングしているのだから、ほんとに○回生という関西独特の「○年」の呼び方と共に、どうもしっくりこない風習である。

12時15分から懇親会。13時から研究科会議、13時半から最後の学生部委員会。14時50分から全体教授会(これも最後)。17時から退職者のパーティ。同じようなメニューを2食食べる。白魚の踊り食いが2回とも出て、酢醤油を魚が跳ねて逃げまどう。今度の文化政策学科の1回生数がとんでもなく多くなりそうで、青木先生とあれこれ。

『クリエーター50人が語る創造の原点』(小原啓渡インタビュー、論創社、2005.3)が届いていた。ぼくだけ「見る人」の立場で、見ること(鑑賞すること)自体の「創造」を真正面から話すのではなく、何が創造的と感じるのかをどう表現するのかが悩ましいのだということをあれこれ考える過程にクリエイティブななにものかが潜んでいる、そんな感じのインタビューが載っていた(ずいぶんまえなので、へーっていう感じ。こういうところを載せたのか!という編集上の発見もある)。

3/24(木)


断酒暦77日。


京都芸術センターのちょっと西側は、まだ小さなお店やお家が残っていて、それが細長いマンションなどに変わろうとしている。そんな古いビルの3階で「まちかど芸術」の打ち合わせを、田辺さんと小鹿さんと3人でした。これで「まちかど寸劇」の方もめどがたった。

クライマックスは、10月15日(土)の岩屋神社界隈での公演となるだろう(秋祭りの前夜祭の日)。予定としては、9月の商店会まつりとの関係も引き続き考えるつもりだが、それぞれ予算案を出し合っていて、「小鹿さん、これでも5万円出てしまっているよ」(小暮)、「えっと、これでは、ぼくへの支払いゼロですねえ」(苦笑、田辺)なんていう一こまもあり、ぜったいに、足りないなかでの企画スタートでもある(すぐに怒りが巻き起こってくるがここではいいものを創ることに専念するしかない)。

赤瀬川原平のことも久しぶりに想起させてもらえるし。あとは、学生が少なくとも一人役者として出ることなど、うまく、巻き込めるようなムードづくりである。刑務所の白い壁(なぜか隣接する古い小さな教会)、コミュニティバス停留所など、野菜無人販売所とともに、気になるスポットをあげていく。大学キャンパスも看護学部の新しい棟を活用するのは、看護学部生や教員助手を巻き込むためにもいい方策かも知れない。

午後は、大阪府のお仕事。年度を越えてやっていくようにしたのは、とてもいい試みだと思う。行政では、4〜6月はほとんど何も出来ないことが多いのだが、そのネックを少しはずそうとしているのだから。この前の泉北でのダンス電車のときに、ぼくの隣にいた若い女性がぼくの娘だと思っていたという職員さんがいて、おかしかった。じつは、シゲヤンにも間違われていて、少なくともよく知っている人と思われていたが、なんだか、そのかわいい女性、顔はdBで見ている人だとは思うのだが、名前も所属も何も知らない子だった。そういうことが実はぼく昔から多いので(女性だけではないですよ)、気をつけてください。親しくしゃべっていても、何にもその相手を知らないでしゃべっているかも知れないということを。

そのあと、森小路駅を下車して、いつも気になっていた児童書中心の本屋さんに入る。心優しき「旧左翼」の人たちの匂い。おばあさんが紙芝居のありかを教えてくれる。『風の本屋〜おとなをこえる子どもの本』。http://www5e.biglobe.ne.jp/~kazehon/

ほとんどなくて・・といわれながら、童心社の紙芝居を2冊(「おとうさん」「あてっこあてっこ」)と、たまたま目に留まった北村想作(荒井良二作)の絵本「まっくろけ」(小峰書店、2004.11)を買う。紙芝居は、予算がとれていたのだが、もう待ちきれなくなって、これぐらいはまあいいやと思ってね。

大阪市立芸術創造館の二人芝居『背くらべ』再演。家族の濃い愛情のなかで、ひたすらかっこよくない二人とその親たち。過去と今の交錯。よく練れたお話。ちょっと、昔の匂いがしたが、それもまた味。作・演出:岩崎正裕、クリーニング屋の娘(姉)にみなみさゆり、息子(弟でテレビなどのタレント、役者)に中川浩三。関西弁を聞くとどうしても蟷螂襲さんを連想してしまう。新劇とかへの連続よりも、より関西的大衆演芸との近親感の方が強い感じがする。

二人の子ども姿、中川のセーラー服も愛嬌だけど、二段ベッドの上に後姿のまま、中川が父親のぶっきらぼうな(大阪人以外だったら「こわっ」て、思うに違いない)しゃべり口に変わるところにぞくぞくした。みなみのおばあさんもあったが、二人の母親の姿がちょいとよく見えなかった。

3/25(金)


断酒暦78日。


思わぬ事態が起きて(うれしい悲鳴ではあるが)、午前中、1回生ゼミのシラバスを作る。
4年ともゼミを持つなんて想定していなかったが、まあ、22〜23名の1回生に基礎をちゃんと仕込む(希望制でなくなったので、広く文化政策入門プログラムとする)のも、いいチャンスではある。元組合の執行委員長としてはオーバーワークを自ら進んでしようとすることになるが(数え方が大学当局はけちに数える8+1/3コマが、素直に数えれば、橘だけで9コマになる)、何とか次の人事要求に身をもって(病気になっては意味ないけれど)臨む感じにはなったかも。
・・・・・・・
ここで、新年度前半のぼくの授業を書いておきたいと思います。劇団ダンスカンパニー公演の誘いとかアーツプロジェクトの宣伝、ボランティア募集などがありましたら、どしどし遊びに来てください。何かちょっとでも話していただいたら、一緒に講義を楽しんでもらってももちろんいいです(ただ見は一応できないので、そこはうまく)。4/11(月)から始まり、4/29〜5/8までは休み(ここの後半に、青森にアーツ環境視察ツアーしにいきます。詳しくはまたアップしますので、よかったら一緒に〜アーツアポリアの中西美穂さんが代表〜いきましょう)。そして、7/22(金)までです。なお、1限目(9:00〜10:30)、2限目(1040〜12:10)、3限目(13:00〜14:30)、4限目(14:40〜16:10)・・・

月曜日 2限目 地域芸術文化振興論(専門講義、アーツマネジメントの総論含む)、5/23あたりにゲストが来る予定
月曜日 3限目 専門演習1(3回生、10名だが一人韓国留学)
月曜日 4限目 専門演習3(4回生、12名)

火曜日 3限目 自分探しの旅C(1回生)教養科目(何人かは予測不能、ただし副題が「愛国イベントからの自由」なので難しいそうと敬遠される可能性大) 6/14あたりにはゲストあり。
水曜日 1限目 基礎演習1(1回生、22〜23名)

木曜日 2限目 立命館大学産業社会学部アートマネジメント論(いままではかなりの受講生)

金曜日 3限目 芸術文化鑑賞演習b(紙芝居屋さんの実演を学内でみるほか、演劇公演をいつも1回はみんなでみているので、5月後半〜7月上旬にかけて、京都での公演があれば、ぜひ、教えてください〜いつも団体割引価格などで見させてもらっています)

金曜日 4限目 文化のまちづくり1b(2回生ゼミとして今回は位置づける、25名)
(そのほか、大学院生のための課題演習とアートマネジメント講義があるが省略)
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14時に築港赤レンガ倉庫に行き、中西美穂さんと、5月の連休後半、2泊3日の予定で青森に行く計画を話す。それ以外に、ぼくの授業のゲストスピーカーの依頼とか、いまの大阪市の情けない実情だとか、四方山な話。

難波のタワレコでbounceゲット。確かにはなの写真つきで載っていることを確認。でも、インディーズのところにもはなのCDはなし。まあ、そうだろうな。
近くのインターネットカフェ(ポパイ)で、ブログ書き。ブログにすることで、時間が有効に使える。少し、浦沢直樹のパイナップルARMYを読む。これは、購入しなくても、漫画喫茶対応でいいな。

アリス壱番舘-ISTにて、WANDERING PARTY 9th『ココアの人匙』115分。あと15分ぐらい縮めるとかなりウェルメイド演劇としてのクオリティが高まるだろうと思う。じてきん的な世界。高橋源一郎の小説をすぐに連想したが、それは参考文献としてはあげられていなかった。石川啄木のローマ字日記を読めば、このような啄木像はすでに定着しているとは思われるので、目新しくはないが、なかなかに笑える。

作・演出:吾郷賢は、金田一京助役もしている。甘ちゃんのやかましい石川啄木(金本健吾)が一応主役だが、平塚明子(後のらいてふ:宮嶋ユオリ)がいたり、大逆事件の幸徳秋水(高杉征司)や愛人もいる。明治の最後の閉塞感が出ているけれど、もちろん、これを題材にしたのはいまの日本との関連がいたく感じられるからなのだろう。

3/26(土)


断酒暦79日。


混乱(混乱の度合い)がそのものの誠実さを示すことは多い。
混乱は、混沌とした状態から逃げないことから起きることでもあるからだ。
混乱する事態がいまそこで生きようとすることの確証そのものだからかも知れない。
整然としたプログラム進行に嘘っぽさを感じることもままある。
はじめから分かっているのなら、「そんなん、やらんといてもいいんちゃう」と思いながら、座席でうとうとする公演や企画(イベント!)に出会うこともよくある。

今日は、二つの混沌に出会った。
さまざまな一筋縄でいかないという意味での「混乱」のなかで、その着地点が見えないまま、戸惑いつつそれでも行うことの大切さをとても感じさせてもらえる展示と公演がそこには存在していた。
だから、書くことが、わんさとあるのに、どうもうまく伝えきれない気がすでにしている。詳しくはのちほど配信する「こぐれ日記」を見てください。

門真からモノレールで万博記念公園駅へ。駅下に並んでいる450円のふるさと弁当を買って(お茶もここで買った方が安上がりだった。中は高い)橋を渡り、420円のミンパク常設展入場料を買う。これがゲートを開ける魔法となる(ミンパクに入るにはまたゲートをそのチケットで一旦出る必要がある)。太陽の塔をしみじみ見つめ、その奥の万博お祭り広場に残された鉄骨の太さを眺める。故丹下健三の作品だから。万博といえば、いまは愛知。だから、万博のミンパクで小山田徹さんらが面白い展示をしているから、見たほうがいいよ、と娘はなに言ったら、だったら4月東京の帰りに寄るわ、と言っていて、話が見えなかった(愛知だとばかり思っていたのだそうだ)。

3/17から始まった特別展『きのうよりワクワクしてきた〜ブリコラージュ・アート・ナウ〜日常の冒険者たち』のポスターが気まぐれな春を待っている。
国立民族学博物館。当日パンフが案内地図になっている。以下、案内風にですます調で:
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エントランスから小道を抜けると、家族紹介のお人形が三対います。「空き缶ハウス」(増岡巽)のあたりは広場(大通り)です。冨塚純光(とみづかよしみつ)のぎっしとした絵文字がかかっています。青い山脈の歌がモチーフのようです。駐輪場にはアジアのリキシャもあります。玄関は世界中の履物が置いてあって、なんてワールドワイドな家族なのかと感心します。

フジタマの切り出したものがごちゃごちゃの世界に少し道筋を与えているのかも知れません。キッチンにも世界中の台所用品。ダイニングは今村源と八島孝一が一緒にやっています。楽器部屋から裏庭へ。滑り台があります。裏庭は、伊達伸明の「なみいた」コレクション。そこの塀から思わぬものがのぞかれます。裏庭のとても細い通路は別の時空への通り道なのでしょう。

下田賢宗のパジャマがずっと干しっぱなしになっているベランダでは、音の達人、仙人のような鈴木昭男がライブを始めました。11時。そのために、彼がコーディネートした音などモニターからの音が消されます。マイクを使って今日は小さな音も丁寧に響かせます。こだまする独自の楽器。管が伸ばされます。ごわぐわいうバグパイプみたいなもの、どうしてそんな綺麗な音が出るのか分からないもの。途中、中学生ぐらいの集団がベランダ前を横切ります。きっと不思議な風景と音ライブにどきどきしていることでしょう。

茶の間に上がって音を楽しみつつ、今村花子の写真を見ます。あの食べ残しをお母さんが写したものたちです。毎日増え続けるということでは、小学生の松浦萌のビニールテープもすごい量でしょう。現役の子供部屋ですね。ムラギしマナヴ。リビングは生意気ですが、その後ろにも彼らのバックヤードがあります。

夫婦寝室とあって、それはどこかはじめ分かりませんでした。靴を脱いで、這ってのぼる四角いチューブがありました。産道というか参道というか。なるほど、子供たちには秘密の両親の営みの部屋だからですね。奇妙な置物がしゃべります、ライトが当たったりはずれたりして。モニターではどこか外国のフリーマーケットみたいな所で、男の人が服をとりかえています。ズボンをぬいでスカートをはき、入るパンプスを探します。高峰格の「何人か」という問いかけに関わる作品のようです。

2階は巨大リリアンがあり体験できたり、ぬいぐるみが出てきたりする映像のトリックがあったり、作者、作品紹介があったりしています。少しのんびりと巨大で広大なお家訪問という混乱体験を上から眺めます。そうそう、キッチンのそばだったか、山本純子のアップリケもありました。伊達伸明の建築物ウクレレ化の展示もありました。これは、一度だけではなかなか見切れませんね。

さて、お名残惜しいですが帰ることにしましょう。路地には、平岡伸太、そして、木伏大助による映画のポスターの作品が並んでいます。ずいぶんと時代がさかのぼっています。いい時代だったように思うのは郷愁だからでしょうか。
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ミンパク館を出て、バラ園(みんな刈り取られている)のベンチで弁当を食べ、工事中の壁をみながら、大阪府立国際児童文学館へ。1階は、2週間以内で貸し出し可能な部分で、教育紙芝居がある。童心社が大部分だが、それ以外のものも少しある。2階はロッカーに荷物を預けて入る大人の場所で、ここでは、請求すると街頭紙芝居を見せてもらえるし、街頭紙芝居を展覧会などで貸し出すことも出来るという。1990年に作られた図録集があり、それによると街頭紙芝居の部分は塩崎さん(三邑会)による提供であることが分かる。

南茨木駅で阪急に乗り換え、塚口へ。千鳥屋(福岡とは別の会社だという)で蓬饅頭を買い、ずしっとしたドイツパンが最高のファインブロートでもアンパンなどを買う。レジのところに三田村管打団?のチラシがありびっくり。ピッコロシアターで練習するので、ここでパンを彼らが買うから置かせてもらっているそうだ。レジの女性も少し知り合いなのかも知れない。

ピッコロシアター中ホール。早く着きすぎたなと思ったら、五島智子さんが「混乱していて・・」という。視覚障害者がこんなに出演もし鑑賞もするのだから、混乱することは確かだろうが、かなり悲痛な感じではあった。中に入ってという。ワークショップでもしているのだろうか。入ってみる。入ると、ちょうど「舞台空間体験タイム」が始まっていたのだった。

15時の始まりまで、野村誠さんらと話す。彼はこの『ダンスパフォーマンス 見えるひと、見えないひと 見えにくいひと 見えすぎるひと〜視覚障害者と晴眼者がつくる舞台〜』だけではなく、今年度(第1期)は8つが選ばれたという明治安田生命社会貢献プログラム(エイブルアート・オンステージ。第2期もすでに募集されている)の実行委員で、福岡や東京などですでに3つも見ているという。

ぼくもあるプログラムで審査員をしていて選んだものを出来るだけ見るつもりなのだが、これが1地域だけなのになかなか大変だから、全国の企画を見る野村さんはもっと大変で、でも、見るといろいろいえるからと言っていた。「障害者と一緒に作る」実演ステージのパタンが決まってしまっていることが多くて、それについてもっと面白くできないかを考えているのだろうと思う。ぼくのように審査委員ではなく、実行委員というのはそういう役目もあるのだろう。

肩ほぐしとごあいさつをする五島さん。照明が落とされていくのはなかなかに気持ちのいい経験だし、ずっと公演中も照明が落とされることが多く、それによって、ここに見えないひとがいっぱいいることを実体験させてもらえ、暗闇の方がつながっている気持ちがする。ぼくだけ、こんなにダンスを楽しむなんて悪いなとどうしても思ってしまうからだ。
また、今回、急遽、音声ガイドを中西恵子さんが務めて、20のイヤホンには、見えない人もどんな動きかを解説してもらえる工夫がされていた(映画の音声ガイドもそうだが、視覚を言葉にすることは、とてもむずかしく無理がある。それに同時通訳とは至難の技。言葉に出来ないダンスの方が素敵であるともいえるぐらいだから、よく中西さんはやったなあと感心した)。

(中略:こぐれ日記にて、のちほど)

じつは、ステージ上もとても楽しかったのだが、もっと楽しかったのは隣の男の子の反応だった。車椅子で、言葉も不自由そうなのだが、暗くなると、暗くなったで〜とぼくに合図するし、後半のなかで、走る格好があると、自分もその格好をシュシュシュシュシュとするので、もうおかしくて、おかしくて。帰り、さよならというと、ぼくの頭をなでるではないか。おっと、先を越されたな、あわてて、こちらも彼の頭をなでる。

そのあと、新開地まで行き、神戸アートビレッジに入る。まだ時間があったので、ギャラリーでの作業(大きな紙でアーチになるインスタレーションをみんなで折っているところだった)を観察する。木ノ下さんがいて、映像は久保田君が写していた。

太陽基地アパッシュ第8回公演『オーロラとみみたぶ』。チャレンジシアター・セレクション。感じは、劇団八時半的な設定(「命の電話」みたいな、ヒューマンホットラインのボランティアオフィス)会話劇。少しクリシェ的なやりとりが目立ち、それがもっとナチュラルにならないものかとは思ったが、それなりに物語を紡ごうとしていることは分かった。ただ、自分はどんどん若返ってきたという自称61歳の若い女性が登場して場面が「転」になるのだが、それをどう起承転結の「結」にするのかがこちらにはいまいち伝わらなかった。

3/27(日)


断酒暦80日。


はなが昨夜から来ていて、藤田君が撮ってくれたこの前の磔磔のライブビデオを見ている。たまたま、沖縄音楽を聴いたあと入っていた中華料理屋で井口啓子さんが声をかけてくれたそうだ。今日は、芳江とふたりで服を取り替えごっこしてファッションショーをしている。
今日は、近未来系築港赤レンガ倉庫「労働と音楽」に行こうと思っていたのだが、どうも頭痛がひどくて、一人お留守番をした。昨日のことをゆっくり書いたのみの日曜日である。

古本がどんどん届いている。
田辺剛さん(まちかど芸術)つながりで、赤瀬川原平『超芸術トマソン』(ちくま文庫、1987。初出は1985)が届いた。序文がおかしく、初々しい。書き出しのp9〜10より

《 東京に幽霊が出る。トマソンという幽霊である。東京だけでなく大阪にも、神戸にも、横浜にも、名古屋にさえも、いやそういう有名都市だけではない。日本列島の、人が集まり住むところには町が出来て、家並がひろがり、賑やかな生活が繰り返されてる、その生活に隠れて、いつしかトマソンの幽霊が出ている。
・・・・・
 トマソンのことを話しても、はじめは誰も信じなかった。ただの冗談かと思われていた。たしかにこれは冗談でもあるのだけれど、その冗談の裏側にひっそりと、冗談ではなく幽霊がはりついている。
 しかし最近は世の中の進歩が早く、トマソンという言葉の通りがよくなった。人々にトマソンの知識が普及してきたのである。トマソンとはかつてアメリカの大リーガーで、それが高給で日本に迎えられてジャイアンツの選手となった。ところがスイングは出来るがボールに当たらず、空振りとなり、野球には使いようがなくてベンチにはりついていた。そのトマソンを漢字で書くと「超芸術」というふうになり、その双方の言葉のねじれた位相に、都市の幽霊がぼんやりあぶり出される。》

トマソン、超芸術(赤瀬川原平)。もともと都市や生活に欠かせない機能を持ったものだったのに(柱や門、庇など)、それがなくなってしまったことによって、目的としての芸術と並行的に対置できるトマソン。作者や設置者に意図がないから「芸術を超える」ということなのだろうか。

そのほかに、似ているものとして、アウトサイダーアート、外部者芸術。ブリコラージュアート、間に合わせ芸術。反芸術。アートレス(川俣正)。オールタナティブアート、代替芸術。OSとしてのアート(藤浩志)、過程芸術。もちろんマージナルアーツ、限界芸術。いろいろあるが、まちかど芸術においては、反芸術と超芸術の関係について、少し考えることが必要かも知れない。
なお、「幽霊」については、マルクス+エンゲルス『共産党宣言』序文を踏まえているのだろうが、そういうことはもう誰も言わなくなったのだろうね。つまり、「ヨーロッパに幽霊が出る―共産主義という幽霊である」のパロディーだと(ブルジョアジーが担っている資本主義に比肩しうるような正統な芸術に対して、プロレタリアートが準拠すべきものとしての共産主義に対応するかのようなトマソン。まあ、これはちょっと著者の洒脱な文章意図とはそぐわない牽強付会のものではあるが)。

さて、問題。
《ここで赤瀬川さんが「幽霊」として指ししめしているものは、冗談のようだがそうではなく○○○だったという風に読めます。○○○は何でしょう。日本語で答えなさい》
まあ、この問題は答えがすぐに分かる企業の新商品クイズみたいなものだが、でもさて本当に「○○○」はすぐに分かる答えである「超芸術」でいいのだろうか。芸術を超える芸術とは何か。共産主義がかつて弾圧・排除されてきたように、トマソンは迫害を受けたのだろうか。さて。


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