|
こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.11 こぐれ日録458 11/7〜11/13
静かな月曜日の夕方、でもとっぷりと日は暮れている。 2限目のアートマネジメント論は37名。前回よりは少し多い。 2回生がどんなゼミをするのですかと聞く。いまは、就職活動まっしぐらゼミになっているなあと答える。葬式研究とか演劇ダンス鑑賞などを押し付けはしないよ、何でも出来るよと言っておく。まあ、もちろん生活文化としての限界芸術でもいいし、自分の好きな音楽でも雑貨やさんでも、和菓子でも椅子でもお帽子でも、お庭でも何でもオーケー。鳩だって文化研究できるのですよ(残念なのことに変ってしまったけれど)。 3回生ゼミは、4名。一人が前回のワークショップを受けていなかったので、3人が教えてくれる。ちょっとドラゴンしていているぜ。BGMは西洋クラシック音楽。道元とかしらないというので、机の上で座禅を組んでやった。アクションしているぜ。 11/8(火) 今朝、うなぎが食べたいとぼくがいうと、芳江が、むかしはうなぎって、誕生日とか特別(=ハレ)の日ぐらいしか食べられなかったのよ、と言ってから、すぐに、自分ではっとしている。今日が自分の誕生日だったことを突然思い出したからだ。ぼくは、よくないことだが、すっかり忘れていた。 今日の夜のうなぎは、つじとみでもサティでもなく、生協のうなぎでしかも、いつもより上等のうなぎで、とても美味しい。 さて今日は大阪成蹊大学芸術学部。アーツNPOが今日のお題。おもにNPO法人harappaをフィーチャーして説明する。復習は、アウトリーチと、ソフトウェア=ハードウェア=ヒューマンウェアの分類確認。ソフトウェアがまたシステムとプログラムに分かれ、プログラムも内部(本体)のプログラムとアウトリーチプログラムに分かれる。 最後のプレゼント(おまけ)はウンゲラーの「フリックス」。かなり好評だった。ネコ町とイヌ町のディテールの描き込みがすごいからだ(たとえば、ネコ町のレストランに掲げられている「イヌおことわり」の貼り紙:そこでパグのフリックスとイヌの恋人がネコの家族と一緒に食べている鋭い批評精神とか) 帰り、永楽屋の新しいブランド店(4月にできていた)で、泥縄だが、誕生日プレゼント購入。いつも自分の手拭を買っている永楽屋ではあるが、水色地にサクランボのピンクが上品な感じのショール(薄いもの)。 夜、建築探偵たぬきさんに教えてもらった本を読む。谷川健一『日本の神々』岩波新書、1999。宮古島のことが最後にあって、激減する森林のことにぎくりとなる。《人間は人間だけではやってはゆけない。人間には神が要る。その神とは教義も経典も教会も教祖も不要な神であるが、その神の具現である自然が要る。神と自然への畏敬を失ったことが、現代日本の精神の荒廃を招いた。それを克服することを、雪深い北の大地の友人と、雪を知らぬ南の島の人々が誓い合った二日間であった。》p216 《・・・・ 本土では食物をケというが、これはケという外来魂が付着した食物を身体に入れることで活力や威力をつけることに由来する。 天皇霊のことも別のところで触れられているが、付着するという点では同じ。大嘗祭などとセットではあるが、天皇霊は宗教的支障なく女性天皇へと付着するのかどうか、儀式は男性天皇を想定しているのではないだろうか(もちろん、かつて女帝はいたわけだから大丈夫なのかも知れないが)。宗教儀礼者としての天皇という観点からすると、いま事件みたいになっている大峰山の女性入山と地元との関係などとも絡んで気になるところ。神社庁とかは発言しているのだろうか。 いずれにせよ、ケが物に付着しないで、破裂してしまうのが「ハレ」っていうのは、破裂とかハレーションみたいな駄洒落とは無縁に、おお、って何かが開けてくる予感が少しする。 11/9(水) 基礎ゼミのあとは、入学課と打ち合わせたり、教務課に頼まれて、非常勤の先生の授業を隔年にすることを詫びるメールを書いたり。 でも、文化政策って一番短い説明は、じつは、「と」なんだ、なんて話していたら、15時半を過ぎていて、あわてて大学評議会に走ったり、ばたばたな一日でもあった。 11/10(木) 1時間目が終わる。 11/20のさきらの音楽祭でも北村成美さんが関係するし、ちょうどアウトサイダーアートの展覧会(+ダンス:yunさんも出る→ビデオでも出ていたし)が西宮北口であるので、アウトサイダーアーツの話もして、そのあと「むすび」さんのNHKのクローズアップ関西を見てもらう。解説をしなかったが、これはアウトサイダーアーツとしての味がふんだんにあるし、もちろん、限界芸術的な即応性もまた興味深いのだわなあと、見ながら心でぶつぶつ。 今日は、48名。まあ、これぐらいが、カメムシの飛ぶ晩秋の出席人数の減少度合いであるし、いい方だ。不思議なのは、いつもこの頃、きっと来週ぐらいかな、ボトムぐらいで授業アンケートをいつも取るという点で、これってねえ、あんまり傾向を把握していないのじゃないかとも思うし、まあ、来る学生はついてきている学生のみだから、最終近くでとるよりは、プラスにぶれているとも思える(まあ、やってみなくちゃわからないが)。 いま、3回生は、就職活動を前にして少しあせりだしたのか、SPI問題を、こともあろうに授業中に解いているらしい。 だって、授業をよく理解しようとして、分からない部分を質問したり、自分で調べたり、まとめたりする(あるいは、自分は教員と違う考えならそれを自分で併記していく)ことの方がずっと、就職活動にも役立つのにねえ。もったいない限り。 大学のメールボックスに、来年度シラバス記入依頼が入っていた。後期などまだその成果が出ていないのに、もう来年度の後期の授業計画を考えなくちゃいけない。まあ、それも慣れた。 このアーツの扉はだいたいこのままでいいだろう(シラバスでは後半先行き不透明な書き方だったが、まずまず内容は押さえてきている)。ただし、副題はスローアーツではなく、「“風”流社会」としよう。これって、もちろん、上流社会、中流社会、下流社会という日本の経済階層化問題についてのアーツ関係者としての投げかけの一つになるはずだ。 また、2回生の専門演習選びの季節である。だれもアーツマネジメントなんて、なかなか、できるわけないのだから(哲学や思想をベースとしつつ様々なアーツ〜周辺と思われている浪曲とか講談なども面白いよねえ〜と社会=法学や社会学経済学に通暁し、さらにそのつなぎとしての「と」の手法を体験して熟知していることが要件となる)、だれもぼくのゼミを希望しないということは当然であると頭で理解しているのではあるが、それでも、誰も選ばないとちょいと寂しい気持ちも残る。微妙な気持ち。定員オーバーでないかぎり、こちらにはまったく選ぶ方策がないというのも、マゾっぽい。 地域の6次元考察であるが、とりあえずのスケッチは 11/11(金) 昨日、かなり早く寝た(21時過ぎ)からではあるが、2時半ごろに目が覚めて、それからどうも寝なおせない。 おっと、浅い眠りだったのかも知れない。あるいは、見ているうちに目の中に自分がもう一人できちゃったの?洞窟壁画の一番古いものは、網膜で見る模様ではなかったかという説を思い出す。そんなことを思っているうちに、美しい雲の流れも、南画みたいな人物もいなくなっていた。 大学でいつものとおり。 11/12(土) 今日は、アートマネジメント学会の会員さんたちが宝塚でまちじゅう音楽祭のようなことをするということで楽しみにしていたのだが、用事が出来てしまった。須山久美子さんとか、久しぶりに聴けると思っていたのですが、残念。 名前の読み方というのは、覚えていたはずなのに間違ったりするもので、奈良美智さんとか、女性だと思ってしまっている人とかいるし、100%ORANGEさんとか、こういうお二人なんだよとか学生さんにいうとびっくりしたりして、面白い。 こんなことを書いたのは、j-popができたのが1998年の年末頃なのだそうだが、そのとき、J-WAVE(FM)にふさわしい日本のポピュラー音楽というところで、サザンとかユーミンとかとともに、杉真理という歌手(作曲家、コント作家?)の名前があがっていて、こんな女性シンガーっているのかなあと思い調べたら、すごくキャリアのある(有名な)男性だった。 杉真理&フレンズ、ゴールデン☆ベストというCDが昨日届いて(このシリーズはよく最近買っている)、聴いているのだが、なるほど、80年代からいままで、自分も歌うし、さまざまな歌手(ハイ・ファイ・セット、石川さゆり、森山良子、松田聖子、山口百恵、稲垣潤一、須藤薫・・)に曲を書いていた人だということをはじめて知って、知らないことって多い(つまり、こちらの関心がまったくない分野が多い)なあと思う次第。 そうそう、この方「すぎ まさみち」と読むのだそうです。ファンの人とかいるだろうから、怒られちゃうかも知れないけれど、土橋一夫という人が書いているように、プロとしてデビューして28年、百戦錬磨の「音楽職人」さんなのだと思う。CM提供曲を書くことが多いし、その柔軟さというか、音楽ビジネスの研究という面でみると、とても興味深い才能の人だろうと思う。マーケットオリエンティッドなアーツを一応「市場芸術」って呼んでいるので、そのいい例示になるなあと思って聴いている(いま、百恵ちゃんだ・・)。 11/13(日) しばしの隠棲。 小津安二郎『出来ごころ』1933年、100分。喜八物(阪本武)。飯田蝶子のなまえが「おとめ」というのもほほほと和む。突貫小僧の名演技。じゃっかん、松竹新喜劇風な、どたばたほろり劇。 暇なのでつい大学のことが気にかかる。 11月というのは、何かと心せわしいものである。 |