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こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.10 こぐれ日録453 10/3〜10/9
終わってから、鉄漿(お歯黒)を空でちゃんと説明できなくちゃなあと思いつつ、インドの結婚式で手足に染める模様(草木染)とともに、一時的身体加工としての「ガングロ」(アマゾネス、ゴングロとなって、あっという間の短い命だったなあ)も関係付けてみたいと思ったりした。ボディーペインティングということになるのだろうか。文身(タトゥー)も移動するアーツですね、という嬉しいコメントを書く人あり。 今日と来週が、卒研の中間発表。でも今日は3名。ロックンロールの文化・社会交差論、するダンスと社会(教育)との接点さがし、音楽(あるいは楽器)と地域の関係考察。3回生も7名参加。まあ、杞憂だったか。 早く終わったので、「つくりもの」のタフ5マネジメント班の作業をしばし観察(少しどきりとしたこともあったが、これは、また、ブログ外にて)。16時すぎから大学院関係の会議のあと、1日から始まったタフ5、卓上展覧会の会場、喫茶チャボへ。ドライカレー500円。卓上展覧会のアイキャッチを観葉植物に小旗でデザインしているのだが、それが入り口の下の方にあり、入ってから、よく探してやっと見つかる。少し、目立つように移動したが、何か台がいるように思える。 すぐそばの京菓子司「山科わかさ屋」にて、168円のコーヒー大福と、もう少し安かった(158円だったかな)麩を使った饅頭を買って、山科青少年活動センターの和室で自主連をしていたまちかど寸劇チームの元へと急ぐ。第2話は、どろどろ、と聴いていたが、ブランコのある公園がよく生かせるものになりそうだ。藤本隆志さんと同じような頭で話し合う。
帰り、長岡京市役所に寄って、学生たちが鑑賞できる文化事業を探したり、予算の広報誌をもらったり。ISO1401の認定のために廊下が暗くて、わかりずらい庁内だった。 山科青少年活動センターでのまちかど寸劇稽古を見学。第3話は、大人ちっくで、いま超忙しいハラダリャンさんの一人芸の生成過程を堪能したりする。彼と藤本隆志さんとの絡みは、平凡にいうとベケットなのだが、岩田さん流にいうとしりあがり寿である。
1次限目の基礎演習。14人。夏休みを経ると朝の1時間目に出れない学生がどうしても増えていく。でも、出席者はみんな夏休み必修レポートを提出したという。それは感心である。ゼミでもささやく者がいる。それも学生が発表しているときにである。他者が自分と同じ境遇でも、その他者の気持ちになれないというのは、重症なので、少し強く注意する。 あとは、校務、校務。アーツマネジメントとまちづくりは並行関係であるということを最後はしつこく主張していたな。 1回生のキャリアテストの結果を見てへこむ。ただ、上位は見劣りしないので、ばらつきが文化政策学科では余りにも大きすぎるのである。
でも、夜になって思うに、なんというのか、分からない一日だった。 この前授業を出なかったからと、わざわざ研究室に来た2回生。そして、おずおずとノックして入ってきた英コミの学生さんに見せてもらった自作ビデオ。
BEAMSの定番のカバンの欠点は、肩掛けの紐が突然はずれること。そこに50周年ミッフィーマスコットをお守りにつけていた。つけていると不思議にはずれないから安心していたら、プラットフォームで電車に乗り込むとき、突然外れる。あっと思って、電車から降りようとしたが間に合わず。さよなら、ミッフィー(帰り、八幡駅を探したが、みつからず。誰かにかわいがってもらったら嬉しい)。 しょぼしょぼと近鉄大久保駅。自衛隊の駐屯地をすぎて、平たく殺風景な風景が続く。曲がると、小学校や中学校。警備中という看板が痛々しい。赤ちゃん連れの若いお母さん。何を見ているのかなと思うと市立保育所のうんどうかいの練習風景だ。地域安全ボランティアのおじいさんも見ていたので、こどもってかわいいですねえと、まず近づき一声かけてから鑑賞。 集団お遊戯なのだが、うまくコール&レスポンスしていて、保育士さんが日本一の手ぬぐいを鉢巻してキーボードを演奏し、合間にこどもにマイクで声をかける。そうすると、10数匹もいる雉や猿が黍団子を欲しがるという演技。ぼくも、幼稚園のときが一番アーツしていた思い出があるので、まだまだ保育の世界っていいなあと見とれてしまう(さきほど書いたように不審者と思われないように充分に気をつけつつではあるが)。 11時からの平盛小学校での環境演劇鑑賞。糸井登先生の司会にまずほれぼれ。お約束が二つ。おしゃべりをしないこと、そして立たないこと(うろうろする児童がいるかも知れないからだそうだ)。右手を挙げて確認させ、そして一度みんな立つ。そして、そのお約束が守れるなあと思った児童が自発的に座るのである。うーん、学生にもしてみようかなあ・・。 児童会の5,6年生と児童会の指導する先生2名などが参加した体育館での環境警察のSF仕立ての楽しいお芝居。劇団衛星の岡嶋さん、ファックさん、黒木さん、紙本さん、そして隊長蓮行さんの体当たり(大真剣)の賜物であり、しかも、こどもたちとの3回の稽古のときの、休憩といっても休憩しなくてどんどん遊び出す児童と一緒に遊んだその成果がいかんなく発揮されたものだった。 4つの物語が軽やかなテンポでつながっていることが作劇上の特色。笑いの基本は繰り返しとその変容というツボがきっちり抑えられているので、まったく児童は静か。いや、面白いところは笑い、そこで発散してまた舞台に集中する。350名ほどが一同に集まり、マイクない体育館という環境の中、30分強の集中って、1年生から6年生というこの幅の広さを考えればすごいことではないだろうか。 帰り、目いっぱいやっている糸井先生が、こういう活動を自分でなくても出来るようになればと思っているのですが・・という言葉に、そうそう、ぼくもおんなじ悩みを抱えているなあ、と内心思いながら、いやいや、大丈夫ですよ(この活動を微力ながら何とか広げるのがぼくらの仕事なのだから、無責任に請合っていけないが)といいつつ、自分の大学での活動のふがいなさ、ポストタフのことをちょっと思う。 ここで、元気をもらうのは、子どもたちとその可能性を信じている人たちだとつくづく思う。ライブ的なるものはメディアやデータベース支配の中ですでに終わったのだという文化スタディ的言説が支配する大勢、風潮のなかで、そのシニカルな市場原理を充分受け止めつつ、それでも何が出来るのかに賭ける。研究室内であれこれ考える前に現場でその可能性を見るほうが一番のクスリなのである。 あとは、まちかど芸術の打ち合わせ。そして、まだ見ていなかったまちかどを2ヶ所見学。ブランコが中心にある公園の静かなたたずまいと、雨なのにサッカーをする子どもたちに見とれる。マリ亜ンヌでケーキとコーヒー。そこからまた銀杏の木。昨日研究室に慰問に来てくれた学生がバイトしていてびっくり。 アトリエ劇研。C.T.T.vol.55。杉山さんに次年度のお願い(確認)。テンケテンケテンケテンケ「スケッチ」。歌詞を芝居にするという試み。まずは、井上君(井上陽水)から。構成・演出(出演も):ハラダリャン。最後にそこから出るけれど、ずっと幕に足を突っ込み、寝そべりながらの演技がとても面白かった。歌詞から物語をかってに妄想して紡ぎ出すみたいに見えるけれど、結構、井上陽水の性癖とか行動とかのチェック(もちろんメディアを通じての像ではあろうが)しての構成なのかなあ、とかあんまり知らないので(歌は普通によく聴いてはいたが)、興味ぶかい。そのあと学生さんのダンスデュオ。 始まる前に時間があったので、500円で昭和3年に大阪毎日新聞が発行したという地図(の復刻版)を骨董屋さんから買う。右端に、山科村とあって、これは、博覧会に来た他県の人用のイベントマップなので、その記載が観光用であることもあるのだろうが、平安女学はあるけれど、橘は載ってないなあとか、何かと感慨深い。あたりまえだが、この年にいまの建物ができる大阪毎日新聞社京都支局(現アートコンプレックス1928ビル)の位置はきっちり載っている。
そのあと、ぼーっとして、そのまま武満徹のCDを誰もいない小教室に響かせる。『系図』が導入としては最適だと小沼純一さんが書いていたので(小沼純一『武満徹〜その音楽地図』PHP新書、2005)、それも聴くが、どうしても語りのイントネーションがいささか気になって、ぼんやりしてしまっているのだ、こちらの方も。 で。ノヴェンバー・ステップスを何気なく流す。おお。こんなに鮮やかな世界だったのか!と初めて聴くように身体に沁みる。ぼくは、恥ずかしながら、武満作品でもオーケストラ的な作品を一音一音、身体に刻むように聴けたことがなかったことを知る(ソロの演奏では、もちろん、ああ、とかうーとか言葉にならない痺れを覚えているのですが)。ぼんやりとしてしまって、生協の食堂の最後の人となり、あわてて、143教室へ。ちょうど、案内板の製作中。寸劇チームは遅いなあと思っていたら、現地によってきたのだった。 そのあと、お稽古を拝見する。観ない間に、演出が変わっていたり、深められたりしていて、田辺さんの指摘もどんどん高度化しているのがよく分かる。電車のシーンもそうなるのか、と本番が楽しみ。 帰り、演劇ビギナーズの話になり、田辺さんが三角フラスコの花田明子さんに習った最後のメンバーだった(1998)ということを知って、びっくり。タフをはじめるにあたって、まず女性アーティストという発想の第一番目に思いついた演劇人といえば、正直彼女だったからで、そういう意味でも縁が合ったのかも知れない。
中京青少年活動センターのあるウィングス京都の北隣にあるクスクスというところでランチ1050円。素材に産地がきっちり書かれていてしかも美味。コーヒーとケーキを追加するのに150円というのは、お徳感ありあり。実は、中京青少年活動センターの隣の公園で14時からまちかど寸劇の練習があるのかと思い(昨日はみょうが池公園というように言っていた気もしていたのだが)、しばしたたずむが、もちろん誰も来ず。 早く帰って、『浮雲』(1955,124分)を芳江と観る。成瀬巳喜男映画で、これだけは見るべきだろうとは思っていたが、本当にこれは凄い。美術のことをあらかじめDVDのオマケで知っていただけに、より知的に楽しめた。 高峰秀子と同じかそれ以上の演技力を発揮していた森雅之みたいな農林省の役人って、まったくいないようで、実はいたかも知れないとか、変な気分にもなるのは、元役人的な目線だろうけれど、かなり気になる仕事ぶり。 |