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こぐれ日録 KOGURE Diary 2005.9 こぐれ日録449 9/5〜9/11
去年ここにインターンシップしていた学生はいま音楽祭のプロデュースに参加しているし、アーツマネジメント関係のインターンシップはかなりいい動機づけになっている。1時間ぐらい話したが、半分以上、館長と落語の話で盛り上がったり、ミッフィー話に和んだり、小津安二郎と成瀬巳喜男の違いとかの話になってしまった。 戻り、森小路の本屋でムーミン(ミッフィーは50年だがムーミンは誕生60年らしい。トーベヤンソン『ムーミンのたからもの』講談社2005.8)の絵本などを買う。アイスクリーム屋さんはお休み。天満橋駅からフジハラビルに行こうとして、ついジュンク堂で日本の太鼓の新書を探して見つからず。探しているうちに8冊ぐらい本を買ってしまう。重いので、本当はフジハラビルとか、画廊めぐりをしようと思っていたのに、戻ってしまった。 芸術療法入門 冠婚葬祭 人生を肯定するもの それが音楽、武満徹〜その音楽地図 ディスコミュニケーション 能楽への招待 〈育てる経営〉の戦略〜ポスト成果主義への道 高校生のための評論文キーワード100。 最後の本は、ちくま新書(中山元、2005.6)のものだが、ゼミなどで、どれぐらい学生がこの言葉を認知し語意を説明できているか、この言葉に関わる思想(西洋の哲学に由来するもの)の伝統に触れるきっかけが与えられているか、そういうことを、チェックする価値がある大切な100の単語だと思う。たとえば、「あ」だったら、アイデンティティ、アイロニー、アウラ、アナロジー、アプリオリ/アポステリオリ、アレゴリー。「高校生」というタイトルが大学生にはちょっと抵抗があるかも知れないが、哲学自体の講座とは別に、社会科学、文化政策で使われる用語の根底になる考えを理解するための演習になるように思う。すぐにでも学生と一緒にチェックしたい用語:近代(モダン)、グローバリゼーション、現実(リアリティ)、公共性、コンテクスト、市場、トポス、文化と文明、ポストコロニアリズム、ポストモダン、民族と民俗、メディア・・・ 成瀬巳喜男監督生誕100年ということで(1905〜1969年)、20時からNHKBS2で、1951年東宝映画『めし』(97分)が放送されていた。どうも、小津映画に比べると、女性の哀しさとか不遇とか男の身勝手さとかがストレートに出ている分、見ていてつらくなる(ぼくも実にこういう夫だなあ、とか反省しながらでないと見られない)ので、敬遠していたのだが、この作品は意外とさっぱりほのぼの終わるので、もういちど『浮雲』はじめ成瀬映画を、この際敬遠しないで少しは見ようと思う。 『めし』の舞台は、大阪市の南の方。2階建ての長屋はいまも少しは残っているが、この時分は一番ポピュラーな庶民の住宅。オープンセットというのがすごい。主人公の妻(原節子)のナレーションが少し気になるが、息の合ったチンドン屋が踊りながら演奏するのを見て、あれはきっと夫婦だよというところとか、庶民の中にも、室内で働く人たち(サラリーマンと店屋にもある違いがあるが)と、チンドン屋とか新聞売りとか、屋外で働く仕事をしている人たちとの格差意識が主人公などに仄見えたりするところなど、肌理の細かいリアリズム映像である。 杉村春子が、原節子のお母さんを演じるというのは、小津映画ではない配役だし、原がこんなにやつれた妻になるというのもびっくりだ。でも、やっぱり原節子なので、川崎の実家に戻ったとたん、ベールがさーっとはずされて美しい姿になっていく。そして、物語の最後は、夫(上原謙)と一緒に大阪の長屋へ戻る。そして、たぶん、少しはましになったとしても、ほとんど変わりない日常が繰り返されるのだろう。でも、それでいいのですとやさしく列車は過ぎていく。ぶりっ子の姪は終始憎まれキャラ。実家に戻った主人公がかばうのは、ずいぶんと心が回復した証拠。 台風とか町内のお祭りとか。実家に戻ってからは、非日常的な出来事(その前には姪っ子の鼻血というのもあったが、これは危ない恋の象徴のようだ)が続くが、それが危機を意識させ、日常を回復させるものとなる。同じ、日常とか小市民とかを描くにしても、小津なら洗濯物が青空にはためいているシーンを見せるのに対して、成瀬映画は、洗濯物を洗濯板でごしごし洗ったり、洗濯してない汚れたカッターシャツとして見せる。階層の違いもあるが、台所での振舞いもその景色もまったく対照的だ。
中流の上(まだこの時代は上流と下流しかなかったかもしれないが)の台所。構図が小津的に決まっている。台所においてある瓶の影(障子に映っている)がもう一度出てきたときには、その瓶の影の横にやかん(大きな急須?)が写っている。そんなディテールがあまりにも美しく観察できる。成瀬映画を視たからこそ、小津映画がいかにスタイリッシュでありえない整除された空間なのかということがよく分かる。 秋田の病院に内科部長として転勤する幼馴染と結婚する原。やりくりするという言葉が、『めし』のやりくりとはずいぶん階層の違う節約であることは言うまでもない。歌舞伎を見たり、都会的な結婚披露宴であったり。それでも、銀座のケーキは美味しいけれど高いとか、もちろん、生活実感がないわけではないし、田園調布の若奥様ではなく、秋田弁も出来る勤務医婦人としての旅立ちではある。 早いが、毎日新聞のコラムを書いて送る。素直に10月の「まちかど芸術」への誘い文にした。最後だし、お袋の周りの人たちも読んでくれていることもあり、その評価が小難しいというものであったことを考えて、できるだけ、すーと実家の野田の長屋と路地に入り込めるような懐かしい出だしにしようと考えた。でも、700字なので、どうしても寸足らずになってしまう。 インパクションを読んでいて、アーツと政策考えるのに最適でとても思い企画を知る。東京赤坂のドイツ文化会館10月8日、13時から。【世界死刑廃止デー特別企画、響かせあおう死刑廃止の声】:その一環として「確定死刑囚の表現展と優秀作品の顕彰」(「死刑廃止のための大道寺幸子基金」による)がある。選考委員が、池田浩士、大田昌国、加賀乙彦、川村湊、北川フラム、坂上香。北川フラムさんも入っていて、妻トリは一度ぐらい見に行こうかという気持ちになる。 中日*阪神戦を見つつ、録画していることもあり、半分ぐらいしか見ていないが、成瀬巳喜男『妻』(96分、1953年。高峰三枝子、丹阿弥谷津子、上原謙)という映画は、2年前の『めし』のリアリズムなど甘い甘いという感じの暗い世界。丹阿弥谷津子演じる不倫の女にはまずシンパシーは感じられないように思えるし、「妻」の高峰へも、どうだろうなあ・・・確かにアンチメロドラマだし、こういう厳しい映画を50年代はきちんと大衆が視たということの方に感心する。 小津の『麦秋』とて、口当たりのいいものではないし、内省したり、余白に思いよどんだりする不思議な映画なのに、ずいぶんとこの映画にはお客さんが入ったということ。逆に言えば、いまだって、持っていきようさえうまく工夫すればこういう良質な映画だってエンタテインメントとしても楽しむ観客が出来るという意味で、それをアーツマーケティングというか、アウトリーチというかは、まあ、どうでもいいことなのかも知れない。
小さな大谷川がマンションの前を流れていて、向い側に2軒、廃屋がある。台風の余波で暑苦しい突風がときおり吹くなかで、その廃屋の近くまで寄ってしみじみ眺める。壊れた屋根、ぼろぼろのカーテン、捨てられた扇風機。お花の模様が少しだけ残っている郵便受け。障子の裏に貼られた紙が漢文だった。その向こうにNPO法人(介護関係みたい)のオフィスがあって、自宅に一番近いNPOだなとチェック。浄土宗の立派なお寺が二つ。これは、マンションからいつも手入れのいいお庭や墓が見えている。 高橋伸夫『〈育てる経営〉の戦略〜ポスト成果主義への道』講談社選書メチエ、2005.4。最近は新自由主義的な(たぶん、≒成果主義的な)慶応大学とかが羽振りを利かしているので(もちろん慶大にも小熊英二とかいるようだが)、東大というのは非主流になっているようで、それでも(いや「だから」かな)、共感する人たちが多いように思えてならない。 読みながら涙ぐむ。「仕事の面白さに目覚めた人間だけが、本当の意味で一生懸命働くのだから」、「人的資源は買えない」、「金のインパクトの強さが仕事の喜びを奪う」、「成果主義はみな失敗する」、「(本当の評価とは)『また君と一緒に仕事がしたい』である」・・・。こういう経営学ならいいなあ。きっと、行政学とかでも経営学の話があったが、こういう部分(経営組織論、組織資源としての人事政策)の経営学と親和性があったから、ぼくになじみいいのであり、やっぱり「市場(マーケティング)」とかは苦手(短期的すぎて)なので、つい、シンパシーを送りたくなるのかも知れない。 《・・・学生を社会に送り出す人間の一人として、彼らに理不尽でつらい経験をさせたくないのだ。仕事を覚えたての頃の失敗や苦労は、人が成長するためには貴重な体験・財産なのだから、若い人に対しては、成果がどうの、成績がどうのと、いちいち目くじらを立てずに勘弁してあげてほしい。若者が、日々の生活の不安におびえることなく、仕事に夢中になって取り組めるような「日本型年功制」的な運用をぜひ心がけてほしい。若いうちに、彼らに仕事の面白さを教えてやってほしい。
午後はNO-MAの第2回運営委員会。23日からはじまる秋の企画展『モノと思い出〜記憶の指標としてのアート』(服部正さんの企画)の準備が楽しそうだ。9/20〜22。アウトサイダーアートに興味のある人や展示の仕方などを体験できるいい機会だ(0748-36-5018のNO-MAに問い合わせを)。こういうボランティアにわが大学の学生などが自発的にどんどん参加するようになったらどんなに素敵なことだろうと思う(そうなれば、世界だってもう少し希望を回復することが出来る、というのはちょっと大げさかな。いや、それほど、大げさでもないぐらいに、学生たちはいま希望というものがなくなってしまっている)。 今日、この展覧会の準備のためにしばたゆりさんが知事と副知事のモノとそれにまつわるお話の撮影に県庁に出かけていた。なかなか、いい話だったそうだ。他方、伊達伸明さんのほうも、近江八幡市が市になるときに作られた音楽がウクレレ演奏だったのでそのEP盤を探索していたりと、地味にでも確実に波紋を呼んでいる。使われなくなった「ウクレレ」の物語? とっても残念なのは、玄関すぐにある一方の松が急速に枯れてしまったということ。松くい虫なのか病気なのか。こんなになると回復しないと専門家。だから、いずれにせよ、となりに移ることを防止するのが急務なので、伝統建築物関係の委員会の了解のもと、一つの松を切って他方の松に注射をすることになった。枯れた松を1日だけ黄色くスプレーして最期の別れをしたらどうか、とか少し雑談。写真機を持ってくればよかった。
午後に学生が来る。いい知らせ。でも、泣いてしまったと聞き違う(まただ)。 話が関連しつつ突然飛ぶが、なみおか映画祭が今年までという。http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2005/0909/nto0909_6.asp 波岡町が青森市に合併され、青森市としては、成人映画などをする映画祭を主催することはできない(文化施設も使わせない)というような、行政ってどこまで破廉恥になっているんだ!と怒りよりも情けなさが先走る報道を教えてもらう。神代辰巳(くましろ・たつみ)監督の作品が具体的にはその対象になったようだ。 青森に向って黙祷。自由な精神の殺戮に対して、抗議もできず、ただただ、黙祷をささげることが今年もまた多くなりそう。 学生たちがタフ5のチラシの仕分け作業をしているのを尻目に、関電京都支社へ。激しい雨。気がつくと武田五一の建物を通り越してしまっていた。2回目のワークショップ研修。きちんとレジュメを説明したあと、ベストトーンをさぐり、気持ちのいいアレクザンダーシステームの体験。自分自身では気づかない受講者もいるが、かなり姿勢がきれいになっている。でも、すぐに戻ってしまうようにも思うが。 帰ると、アマゾンの箱。六文銭ボックスもあって、なにげなくかけていると、面影橋から・・と歌いだす。昔は小室等もいい声がよく出ていたのだ。武満徹の歌を歌う自分になると声はかすれているが。芳江が、突然涙が出てとまらなくなる。どうしたの。彼女自身も分からないぐらい突然に昔へタイプスリップしたらしい。
《 私はマイノリティなどではない。私は一人なのだ。 《「生きる」とは「批判する」ことにほかならない。》。うーん、こういう決意を持った人しかアーツ批評家にはなれないのかも知れない。 話は替わって、10日の京都新聞夕刊より。 1980年前後(国土庁計画・調整局計画課に自分が在籍したのは、1980.7〜1982.6)、企業のCIブームからか、神奈川県庁がKANAGAWA IDENTITYというようなことを言い出し、すぐにそれらの動向とかを加味して「地域アイデンティティ」なる言葉をつくり、その危機についての文章を第4次総合開発計画づくりの準備として国土審議会の調査報告書案として書く担当の事務官であったという偶然の事実があって、そのことで、より、以上の指摘はある感慨をもよおすものである。もちろん、単にぼくは下書きを書いただけで、オーソライズするのは幹部によるが(実は第4次総合開発計画に「地域アイデンティティ」という言葉が実際に入ったかどうかを確かめてはいない)。
ところで、選挙だからという理由で、鑑賞者が少なくなるということは本当にあるのだろうか。投票など出かける前の10分ぐらいのことであるはずなのに。それとも投票した人たちは、いままで真剣に、国・地方のにっちもさっちもいかない公債情況が郵政民営化でどのように改善されるのかとか、憲法を変えることは本当にどういうことなのかとか、障害者自立支援法案とか人権擁護法案とかの是非を議論し尽くして、草臥れちゃったとでもいうのだろうか。 みらいの会『なみのうた』京都府立文化芸術会館ホール。脚本・演出:田辺剛。プロデューサーはみらいの会代表の野田隆喜かも知れない。 それが、泳ぐ真似の動きのあたりで、この会、この舞台でしか観られないものがここにあると思い出す。繰り返しが効かなくなる瞬間が、これ以外の舞台よりも格段に多いと思う。 遠くに韓国からの姉妹の姿が見える。空気の移動。気圧の変化。まったりとしている22歳の若者たちの所在無げ。それが、じつはさまざまなトリビアルな渦巻きとともにあることが、外気圧の変化で見えてくる。隠されてきたものが浮かび上がり「見えてくる」というのは、状況が変わっていくということとほとんど同じである。 めずらしく、アフタートークも聴く。涙は出なかったが、観劇したという満足感は深い。この公演がもう少し小さい小屋だったらどうかとか、1回限りではなく、2回以上の公演という状況が可能だったかどうかとか、少しあれこれ考える。稽古の様子、演出をつけるときの様などの話が興味深い。台本はどれぐらい役者に即しているのだろうか。稽古しながら台詞はどのように変化したのだろうか。この会における独特のものがあったと思いがちであるが、単に個体差、経験差があるだけかも知れない。 うちの学生が二人。一人はアルティにインターンシップしている学生だったので意外な出会い(激励訪問が出来ないということだったが、ここで出来たといえば出来た)。もう一人は、まだ明治44年の顔をしている。 はじまるまえ、納谷さんたちが結婚式をあげたという萩の宮「梨木神社」をぶらつく。白無垢が移動した道。そこから彼女が出てきたときは息を呑んだと芳江。咲き始めた萩の花をこうしてしみじみ見るのは初めてかも知れない。 孤立してでも自分で生きる体力を残存させるため、いまのせつな的な「囚われの聴衆captive
audience」が支持する「勝ち組」界からはそっと身を遠ざけて、とりあえずここに生息しよう、東京よりはまだここは息が出来るからな。そんなことを思いつつ、金原亭馬生の『笠碁』を2度鑑賞する。 |