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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.8-9 こぐれ日録500 8/28〜9/3
午後ずっと大阪でお仕事。
いままで、西田幾太郎を「にしだいくたろう」と間違って読んでいた。それに、清水幾太郎とごっちゃにしていたりもした。恥ずかしい。 山口仲美『日本語の歴史』岩波新書。ちゃんと読むにはけっこう時間がかかるし、古文の教養や読解力のなさも改めて気づくが、「である」体が、一般の文学で登場したのが、尾崎紅葉である、というのは特に新鮮で意外な発見。明治24年というから、1891年か。 《 「である」は、前の章でのべましたが、江戸時代の学者が講釈などで使った公的な感じのする文末表現です。明治時代になると、ヨーロッパの書物の翻訳にも用いられました。また、演説や講演などの公の話の場で用いられた文末表現です。日常の会話にはあまり用いません。 つまり「でございます」「であります」「です」「だ」はみんな読み手に直接働きかけてしまう文末(直接書き手の判断を聞かされた感じ)なのに対して、「である」は、客観性のある説明文になるというわけだ。そのあと、正岡子規や高浜虚子に支持され、国定教科書『尋常小学読本』(1903年)では、標準語による口語文の教材を数多く取った教科書になったということ。たぶん、説明文では「である」体になっていたのだろう(これは私の推測だけだが)。 夜、ダンスで理科の打ち合わせに出かける。
午前中、平安会館で、京都府の会議。去年策定された文化力条例に基づく基本指針案がだいたいできて、これは10月中にはパブリック・コメントに出される。ぜひ、一読して、サジェスチョンしてもらえば嬉しい。 それにしてもこの夏、京都府のお仕事をずいぶんさせていただいて、文化ビジネスの起業コンペ案づくりのように、いつもはビジネスにならない文化を担当していたはずだから、逆に新鮮な経験ではあった。さらに、平成23年というから、2011年のことなのだが、文化庁が1986年から毎年やっている「国民文化祭」というイベント(確か三浦朱門とかいう文化庁長官が始めたものだったような記憶がある)を京都府がするということになり、これはアマチュア(どちらかというと生涯学習フェスティバルというものと隣り合わせのもの)文化の大集合イベントだから、これもまた私がアーツマネジメントを職業として、プロ(社会的使命を持った「仕事」)として考えるというスタンスとは対極にあるのだが、この流れが続くと、少し関係するかも知れない。 心ならずも、というと不遜で、本心としては、自信がまるでない、という感じ。ただ、各県がされているような文化祭を京都府としてするわけにもいかない、ということで、だったら、どうするか、アポリアという面ではアーツが未来を定まったものとしないという部分とつながっているようにも思える。「先端芸術が限界芸術を刺激し活性化させる」という仮説の検証になるかも知れない。 終わって久しぶりにバザールカフェで昼食をしようとのぞくと、夏季休暇だった(かなり長期の)。「わびすけ」という店がいつも気になるのだが、入る勇気がなく、チェーン店でがさがさ。 食後、9月中旬4日間の集中講義をはじめてさせていただくため、同志社大学の総合政策科学研究科の事務室をぶらりと訪ねる。スケッチをしている中高年の女性が目に付くキャンパス。 京都文化博物館で「マリア・テレジアとシェーンブルン宮殿展」を見た帰り、ファイルを買いにBALの無印へ。ふと、カイエソバージュを見たくなってジュンク堂をぶらぶら。じつはここのジュンク堂をうろつくのは初めてなのだが、7階など、あがると現象学とか哲学者ごとにならんでいて(西田幾多郎も鶴見俊輔も、京都ゆかりということで実に多い)、午前中ずっとご一緒させていただていた鷲田清一さんの本も集められていて、とてもわくわくするし、奇妙な感じだ。気がつくとかごに本がいっぱい。「八幡神とはなにか」(飯沼賢司、角川選書)のように、本屋に行かないとまず買わないようなものとか、これは学生の卒論用(たとえば「雑貨」あたらしい教科書、プチグラパブリッシング:トイピアノの解説でパスカル・コムラードが出てきたりと、なかなかだ)とか、久しぶりに浪費的(不安解消型)消費行為者になっている! BALを出るとうちの2回生に声をかけられてびっくりしたし嬉しかった。自分が声をかけられるということは、まだ存在していいことだなと思えるからだ(若い女の子から声がかかってもうろたえないですむというのは、先生の特権であるかもねえ)。夏休みから和太鼓同好会に入ったそうで、いま練習を終えアルバイトに向かうという。1万円以上本を買っていたので、それを見せるとびっくりしていた。興味を示していた本は、たとえば『聴衆をつくる』(増田聡、青土社)。でも、この本はロラン・バルトとかアドルノ、ベンヤミン、「愛着のディスクール」とか出てきて、うまく解説しながら読まないときっとなんのこっちゃ!と学生さんはなってしまいそう(でも、いまパラパラ読んでいるがとても面白い)。
今日は、展示学の木下先生のレクチャー&ワークショップ。越後妻有のアートトリエンナーレに行ってきた話と2年前の展覧会企画づくりの様子を豊富な映像と丁寧な説明でしてもらう。6限目は、企画づくり。1日ではもったいない内容だったが、生徒たちはみんな苦労しつつ短時間で発表まで持ち込んでいた。
午後、けっこう早く終わったので、一度荷物を自宅に置いたあと、AI・HALLへ。 よかったのは、おじいちゃんはもう死んでいるという子どもとおかあさんの会話。おじいちゃんのつぶやきは客席しか聞こえない。死にぎわのチューブの無機質さ、切れやすい子ども。おかあさんもいまどき。一緒にあやまろうという男たちのぐじぐじ。これもまあ記憶に残っている。そうそう、神話的な人魚?一角獣? なにも象徴しないのに、象徴的で権威的なのが印象に残る。チラシについてのトークショーぽいのがもっと続くのかと思ったら、それは短く終わり、そのあとの方が長いというのは意外だった。レコードが割れていたな。チラシがもったいない、というのとうまく対比していると見るべきなのか。
去年の今頃も同じような心身の不安定さをこの日録(日乗)に記しているので、夏の終わり、授業ははじまらず、まあ、休みが長いのでどうもルーティーンがないことによる症状だろう。 細馬さんの本を昨日に読み終えていて、芳江に朗読して聴かせる。惚れるという。わたしも惚れる。少し悔しいぐらいだ。細馬宏通『絵はがきの時代』青土社、2006。 《 絵はがきを受け取るわたしは、ただ風光明媚な風景を見るのではない。それは、あなたのいた風景であり、わたしがいればよかった風景である。わたしは、絵はがきを受け取ることで、わたしのいない場所を告げ知らされる。わたしは、大正八年八月八日八時に間に合わない。わたしの不在はとえりかえしがつかない。だからこそ、絵はがきは、あなたからの贈り物となる。そしてわたしはわたしの不在にあこがれて止まない。》p118 少し古いモノクロの絵葉書(大阪絵葉書協会発行、八枚組)がたまたまわたしの机にある。この前のビッグ盆で100円で売っていた『観光の大阪
VIEWS OF OSAKA』。1950年代ぐらいのものだろうか。第3相互銀行という看板が「御堂筋」の写真に写っているので、まず戦後だろう。1937年に出来た大阪市立電気科学館が観光スポットになっているのは、プラネタリウムがまだ珍しかったからだろう。電氣科學館と漢字が古い。いつごろからいまの漢字になったのだろう。 |