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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.8 こぐれ日録497 8/7〜8/13
すっきりする。やることをやるしかないじゃないか、と。いまも、 10年前のいまごろ、失望のどん底であった。 このあと10年もしたら自分は61歳になっている。 今日はとりあえず、10月締め切りのものを一つ事務局に出して、それから、9月の集中講義の準備を少しでもすすめておこう。
逆に、そんなところ、行く必要もなければ、行ってしまってどうなん?と自分で自分が分からないものもある。高松市美術館の学芸員毛利直子さんは、大森誠一さんからその話を聞いて、小暮さんがそういう趣味があったとは、意外!って言ったらしい。言い訳は、学生で卒業研究のテーマ候補になっているということだったが、行くと、もちろん、商店街の行く末という寂しい現実にも行き当たったが、限界芸術としての演劇とか演技とかのことも少し感じさせるものでもあった。 つまりそれは今日観劇の時間つぶしに行ったメイドカフェ(しゃるろっとin高松)なのだが、少なくとも、一人のメイドさんはとっても演技じょうずだと思った。快活で、美術館でお芝居、俳優さんですか、京都から大変ですねえ、ちょうど5時半から三越前の広場なら間に合うかも知れません、行きますよ〜とかとても愛想がいい(もちろん来なかったようだが)。メイドさんだからそうなのかも知れないが、すみませんというから何かというと、寝冷えしてかえるのような声をしていて、だって。お話をしたりゲームを一緒にするサービスとかを見ていると、これは、お酒もタバコも出ないスナック(カウンターに愛想のいい人がいればという条件で)とかキャバレーなのかも知れない。 それにしては安く(コーヒー450円)、サービス料も取らないし(裏メニュー1000円というのはあったが、よく知らない)、今年2月に出来て、この入りだといつまで続くかわからないけど、メイドカフェが流行したというのは、こういうことだったのかと少しは納得できるように思う。 もちろん、先生はいま学生とコミュニケーションできないから嬉しいでしょとかいわれそうで、恥ずかしいような気もするし、なるほど、ご主人様と言われると、茨木市で起きた監禁事件とかを連想してしまうけど。それにしてもノーパン喫茶の終わりかけに六本木に行ったことを思い出しつつ、それよりはましな感じ。蛍光灯が事務室みたいで安普請の内装。テーブルや椅子もありあわせっぽく、一応、だだっ広いが女の子の部屋の想定か。 また、肝心のまちかど寸劇「四角な想いとなぎさの短編集」を書くことをサボタージュしているわ。 朝、京橋で4回生に偶然会い、いまから、高松というと驚かれる。 商店街を端から端まで歩いて、マンションが出来たり100円ショップばかりで大変だわ。郊外店反対ボードを見たり、托鉢僧にお金を入れたり。メイドカフェを見つけて後でいこうと思ったり。こんなに自転車通過が多かったかなあと昔の記憶と比べたり。 亀井戸、水神社というところで涼んでいると、子どもとお父さんが来て社会科の学習をしていて、写真を写している。枯れ井戸を教える。少し前にいただけだが、主のように説明したりしておかしい。藩の時代からここは水問題がとても重要だったようだ。 高松市美術館エントランスは毛利さんたちがずっとコンテンポラリーダンスはじめとても斬新な公演をしてきた場所で、そこでまちかど寸劇「波の音が聞こえたら」(脚本・演出:田辺剛)が出来たのはとてもご縁があってうれしいことである。 エントランスでは、じつに石本径代の歌う声がよく響き、光が天井のガラスから格子状にやってきて、台詞にもかぶってゆく。もちろん、この光を見て感じてこの台詞ができたのだろうが、暗い海の底から少しずつ太陽の光のある水面、波間へと目線や身体を移動してゆく二人(石本と劇団八時半の長沼久美子)の姿がナチュラルに浮かんでいる。 一見施設内なので、まちかどではないようだが、それでもミフィー展に来た帰りの子連れの親たちや通り抜ける人たち、ただ、椅子に休みにくる人たちが公演を垣間見てゆくから、半公共空間なのでまちかどでありもちろん演劇の舞台としてもっともふさわしい場所である。 豆腐みたい、とか、くうかんくんが気になるこどもの姿。親はまるで見ていないということもあり、遠巻きにしていると、子どもが近づくということが、第一話でもあり、第二話「チャリとギターと謎のおっちゃん―獏頭座浮茶博士in高松―」になると、三越での帰りだろうが、子どもがもう無邪気に劇中に入り込んで、ハラダリャンが抱き上げるなど、彼曰く「この子が主役でした」の状態にまでなっていた。 東京から地方都市に帰ってきた女、相沢(石本)。歌うたいとしてやっていこうと東京でがんばってきて、でも、もう2枚襖が開けられないという。若い男、須万(勝二繁)はこれから東京に行こうと思っているらしいが、この女に惹かれている。 相沢と大学時代音楽をやっていた女、榎本(長沼)が、美術館のエントランスで偶然に出会う。榎本は卒業とともに歌は諦めて伝票の山をさばく普通のOL、そして年下の後輩との結婚が決まっているという。何だか話を聞いていて、うるうるしてきてしまう、お芝居を見ているというよりも、たまたま立ち話に出会ってもらいなきするような。 こういう実際に出会ったかのような臨場感は、まさに、まちかど故の面白さ。それに第2話では、ハラダリャン(ホテルのパジャマを着たおっちゃん)が、目に付いた宮脇書店とか菊池寛通りとかコンビニの研修生とか通りがかりの黄色いTシャツの人とかをアドリブで取り入れて、どこへ向かうのか不安そのものをお芝居にしていたわけで、まちかどそのものの雑然とした雰囲気を作ろうとしていた。 ただ、自転車置き場のある広場はわりとこじんまりしていて、BGMが歌謡曲(演歌)というのも百貨店そばにしては意外だった(三越の入り口付近だったらもっと騒然としたのかも知れない)。 考えてみたら、去年からあわせると、7つの寸劇が出来ているのだ。いつか、これを再構成したものを、室内のどこかで割りと普通に見てみたいように思ったりもする。
午後から京都府の会議。文化ベンチャーアクションプラン委員会の2回目。 鬼について、個人的に調べてあげることもあって、門屋光昭『鬼と鹿と宮沢賢治』(集英社新書、2000)を読む。「蝦夷の末裔、賢治が鬼神を招く」という章があったりする。原体剣舞連を読み直す。「むかし達田の悪路王」って、坂上田村麻呂が退治したという伝説の蝦夷の首長の象徴である。征服された地域の英雄をこうして賢治は詩で招魂していたのか。一関市にある鬼死骸という地名など、岩手には鬼が地域の英雄としていまも残っているのだなあ。 この本のあと読んでいる新書のはじめに、次のようなくだりがあって、これは身近ゆえにまたまた興味深く読み出している。「この新世界から飛田にかけての一帯が、おそらく現代日本の盛り場で、近世的な「悪所」の面影を残している唯一最後の場所であろう。」p30、『「悪所」の民俗誌―色町・芝居町のトポロジー』沖浦和光、文春新書、2006。
ぶじ、選考会議は終わって、近くの初雪食堂で遅いお昼の食事。ばらばらに解散したのに、6名がここに偶然集まってきて、観光的ではない食事場所というのは、近江八幡市だとそんなにはないのだろうと思う。アジフライ定食700円。コロッケ定食も美味しそうだった。はたよしこさんから、9月16日からの秋の企画展づくりのお話などを聞く。横浜の中華街をすごい帽子で歩くおじいさんなど、なかなかに刺激的である。私の目標(まあ自然体でそうなるか)かも知れない。 そうそう、食事しながら、今井祝雄さんから、かつて環状線の野田駅近くに、屋根にオブジェを乗せていた人がいたと聞く。巷間「野田のダリ」として有名だったそうだ。おぼろげに、そういう屋根を見たような、見なかったような。よく知っている場所でそんなにアウトサイダーなアートがあったことを知らなかったということに愕然とする。まあ、そんなもんやね。 さて、次の2次選考にあわせて、8月25日12時半から15時半ごろまで、5件の選考通過公募案の公開プレゼンテーションを、NO-MAの1階で行うことになった(2階は貸しギャラリーになっていたのだが、たまたま1階は使われていないので、うまく共存しようということに)。
ただ、古代の中国律令制から延々と続く芸能者への蔑視が、少なくとも戦前までの基調低音となっていることだけは確実。三都に比べて、仙台や広島では悪所自体が許可されず、したがって芝居小屋が江戸時代になかったという(そのかわり、広島では宮島で歌舞伎興行があり遊女が存在していたし、船遊びや大崎下島の御手洗港などが遊里として存在していた)。仙台や広島では、とりわけ、能が官許の芸能として君臨していたのである。では、芝居小屋があった都市とそうでなかった都市とで、演劇、芸能に対する伝統的な住人意識は違うのかどうか、気になるところだ。 ココルームへ。少し早くついたので、通天閣の歌謡劇場とか大衆演劇場がお盆興行するのかどうかぶらぶら確かめる。朝日劇場も浪速クラブ(今日は1000円ではなく1200円だった)も17時から始まっている。いつか見ておこうと思いつつ、今日もこんにちわ委員として、少し自己紹介して(10分)、あとは各テーブルで雑談とか対話への糸口を探す時間を過ごすので、なかなか行けていない。 お酒を3日身体に入れていなかったが、今日はプレミアの缶ビールを一缶だけ買って新今宮に向かうと、髭を生やした映像作家のK君に会う。東京に行っていたと聞いていたが両方で活躍しているのだろう。帰ると23時半。5時起きがベストなので、睡眠時間は短めになるのがちょっとつらい。
桃谷駅(数年前川上葬祭さんを訪ねていくことがあって、駅周辺が結構いい感じだった)から歩くのは大変だと思って、北巽駅から生野カトリック教会へ。 しでかすカラダ。何をしでかすやら、カラダの解放区! なんだろう、蚊に刺されてその痒さが快感ではないが苦痛でもない、そんな当たり前に気持ちよくカラダについて思える感じか。カラダとして見つつ、見られてもいる関係で集まり散らばっていく。 Dance&Peopleチャレンジシアターvol.1。 井手上春香さんが受付。高松で出会ったばかりの石本径代さんが舞台監督助手(伴戸さんの助手)。 これは、どうしてだろうと少し考える。まず思ったのは、たとえば、蚊がいっぱいでスプレーや蚊取り線香やそういう準備が大変だった玄関をパフォーマンス場所にした中島由美子「花」において、彼女の姿を特定できるようにしようということだったかなあ、ということである。 でも、特に彼女はどこにいったのかわからないとか、突然ベンチからはだしで動き出すというようなことも大切な設定だろうから、そういう理由でもないだろう。もっとも、藤原が赤い服を付けているといっても、隣の棚から胴体だけ丸く潜入する出始めを特定できるわけでもなく、効果を減衰しているとかそういうマイナス要素を付加しているわけでもない。 はじめの森川(レタスを持っていることが最初わからない位置に座っていたため、床に落ちる水滴がとても謎の美しさだった)や2番目の藤井陽子「地平線」、そして、最後の吉田一光「わたしのあそび」は目が見えないパフォーマーである。それと衣装の紹介とが関係があるのだろうか・・・そうだった、観客にも目が見えない友人とかがいたのだった。 だから、いま踊っている様子を中西さんは出来るだけ丁寧に伝達しようとしていたのだった。あとは、呼吸が激しくなったり、身体が動くこと、床に倒れることで生じる音、気配、空気の流れ、観客との実際のふれあいのものもあり、其の場合は、観客の大きな笑い声、興奮を鑑賞することで、生野カトリック教会の会議室が一人のソロなのに、実に大きなウェーブを作っていた。 橘安純(たちばなやすずみ)「箱男」では、ダンボールで出来た箱に入るところから、彼の詩を再現しようとするものではあった。藤原と同じく、その体当たりの接近は観客を大きく刺戟し、その空気づくりのせいで、詩の朗読が、朗読特有の癖みたいなものを中和していたように思った。だから、創られた詩を拝聴するというよりも、詩であるとかいうアーツ形式への意識をさせないまま、その言葉の意味、痛みが生に床を通じて足元をひたひたと襲ってくる公演になっていた。帰りに彼の詩集を買う。「人間の臭い〜寄場・日雇・野宿」。 料金投げ銭制(知り合いの5000円をくずしてあげた)。
《 歳を取って自分で稼げなくなったらもう自立は出来ないのかって。そうじゃなくて、様々な社会資源を活用して自分で自己決定できればそれは自立ではないかと思います。逆に金を幾ら持っていても、過労死してしまうような自分の命さえ守れない生き方に、自己決定はあったのか、自立していたのか、なんて思いますね。・・・自己決定、自分らしさを求めるってことに自立はあるんじゃないかと私は考えています。 自己責任 この三つの単語を「現代思想8月号」の対談を読みながら、考えてみる必要を感じる。とくに、自立支援という言葉の虚偽性とか両義性とかは、確かに気づきにくい。 この数年来、一番危なくて怖い気持ちになることの多い言葉が「自己責任」という言葉で、つい最近(04年あたりならいざしらず)、もっともこれを使ってはいけない場面で、排除される人に向かってチカラのある人が冗談のように使っている場に居合わせて、吐き気を催した。自己決定もさせずにおいて、組織の方針に対して不服従の人に対して、問題が生じたら、「それって自己責任だから(不幸になっても仕方がない)」と言い捨てる。
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