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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.4 こぐれ日録482 4/24〜4/30
午前中は、昨日回ったところを正確に地図にする。1回生ゼミ生が迷わないように。 午後からはカフェゼミ。三連発(四連発にならないためでもないが、四連発対象のS君、ラスベガス帰りの大学院2年生も5限目に来た)だから、カフェでもしていないと、干上がってしまう。 4回生ゼミは3人。5限目にもう一人のぞきにきたが。卒論について、ずいぶん真剣だった。いやー、できなくてもいいよ、もう一年いればいいだから・・というと本気でのけぞっていた。「“手紙”という文化〜その来歴と行方」(ゼミ教員のかってな仮タイトル)みたいなテーマになりそうな学生がいて、私的にはかなり興味津々。 5限目は個人授業である。寺小屋みたいな大学院である。まず、野村誠さんらの「あいのて」をみてから、島袋さんや野村さんなどアーツの不思議を実践している人たちの話し。どうして、アーツマネジメント研究に遊び研究が必要か、について。とりわけ、明石のタコのお出かけやサル山での展覧会、あるいは動物に音楽を聴かせるプロジェクトなどはもう少しこちらも整理すべきだが、格別な味わい。ヒトの柵を越えちゃうアーツ潜在力の面白さ。
近大のキャンパスに入ると献花壇があった。非常勤ですが・・というとどうぞということだったので、三名の犠牲学生の遺影に白菊をささげる。 今日の授業は16名。アーツマネジメントの定義のあと、補足的に、「文化的ニーズと市場デマンド」の違い、そして、文化力について、なかんずく「アーツの力」の三態様(可能力、応用力、政治力)を話した後、後半はゴリラ文化論とした。16時になったので、コメントのために残りの10分をあてて残して終えて、16時10分に教室を出ようとしたら、まだベルが鳴らない。そう、近大は大阪成蹊大などと同じく、午後は13時10分からはじまるので、終わりが16時20分だったのだ。うっかり、早く店じまいしてしまったけれど、まあ、ゴリラ論はちゃんと書いたので読んでもらうといいだろうし、ま、いいか。 京阪電車の急行なのだが、八幡市駅のてまえでずいぶんゆっくりとなる。この日、運転手のみなさんも心しているのかも知れない。いずれにせよ、東京で線路が盛り上がったり、気になることがいまだに続く昨今の運輸事情である。 ○ 脱線忌新樹の景を徐行せり 沌豚
さて、予定通り、まったく通ったことのない裏道からはじまってぐるりと大学の周りを歩いていく。2班に分かれようかと思ったが、結局、私を入れて19名一緒に回っていった。 あとは、13時半から会議、15時から教員の研究発表をサロン形式で聞く会。 あしたの自分探しの旅で学生取材があるからよろしくと入学課からメールが入っていた。
2限目は、アーツマネジメント総論。近大でまずしている内容なので、やっぱり安心して授業がまとまる。アーツの力の三態様について、かなりきちんと理解してもらっているようだ。73名。受講者は減少している。 4限目が自分探しの旅。160名。そんなに減らない。やっと教科書の憲法前文へ。 教科書(オヤジ国憲法でいこう!)がしりあがり寿さんだけでなく、多くの人たちが関係して出来上がっているという話をして、谷川俊太郎さんの詩や祖父江慎さんのブックデザイン(この本の共著者でもある)、そして、文化政策学部のたちあげからお世話になっていた100%ORANGEさんの紹介をする。どうしても100%ORANGEさんとの思いではおおいので、ピラピラマンガとかいっぱい伝えたくて、どんどん時間が過ぎていった。 今日は、ほぼ90分間の授業となる。 18時から醍醐寺。私は薪能も好きではない。あのマイクとスピーカーで別方向から囃子や謡が流れることに耐えられないのである。観光ですね、それもいいし、まあ、アウトリーチといえなくもない。 スピーカーを通してだけれど、能の囃子と微妙に音色や奏法の所作に違いがあるなあと見ている(新歌舞伎18番から「船弁慶」なのでちょうど能狂言との比較ができるわけだ。歌舞伎役者さんが謡いもどきをされるのは正直微妙な気分だけれど・・)。踊りも少し分析的に見ることが出来ている自分がいた(NHK教養の日本舞踊講座を数回みたからだが)。 とくに残念なのは声明で、PA使っているのにその効果や惨憺たるものであった。声明がここではこんなに淡々とするのか、とびっくり。ホールとかとは全然違う。最後は船弁慶で仏法の功徳を伝えるのだから、お声明の素晴らしさを伝える絶好の機会なのに残念でしょうね。でも、自分では絶対にいかないこういう有名寺院の企画に生かせていただいて感謝ではある。風邪ひきそうになったが。
1限目のアーツ鑑賞演習。 タニマチ、見巧者、鑑賞と観賞、芝居とシアターの起源からテアトロン、円形劇場、プロセニアムへの流れ。 これは、あまりにも時間が足りず(静かな演劇、あるいは関係性の演劇の時代とか地域演劇論とかいい残したことが多すぎる〜)短すぎたので、5/12の田中孝弥さんのレクチャーの次(5/26)に、もう一度、映像を使って丁寧にやろうと思う。この授業は反省ばかりだが、清流劇場『日向ぼっこ』鑑賞のための準備は3回では間に合わなかった寸法である。 京都橘高校「文化政策」の2回目。まじめに「文化」と「政策」について調べてくれていたので、それをもとに、文化とは、政策とは、文化政策とはがトントンと説明できてゆく。前の席の生徒たちがつぎつぎに質問したり、わかったとか反応してくれるので、授業は実にのりがよく、めちゃめちゃ楽しい。ただ、特定の生徒だけとやりあわないように気をつけることも必要かと途中では思った。大学での授業ってどんなふう?て聞かれて、口ごもる。 まちづくりの定義と重要ポイント(まちさがし、まちづたえ、まちづかい、まちおこし、まちあそび)を説明した後、生徒たちが質問していたバンダナ、実は手ぬぐいの謎について(どうして手ぬぐいを頭に巻くのか、手ぬぐいをどのように手に入れるのか、何枚ぐらい保有しているのかなど)答える。 黄桜で手みやげを買って(大学で3000円までの鑑賞演習代が出る)、大阪芸術創造館へ。近鉄劇場にいた松原利巳氏が事務所にいてびっくり。そうか、彼が小原啓渡氏=アートコンプレックス1928組が指定管理者になって副館長になったのか。なんだか、毎年チームを渡り歩くプロスポーツというか、もうみんなアメリカだなあ。小原啓渡氏が館長・・・ そんなどうでもいい話はおいといて、清流劇場、ひさびさにみて、いつもと同じく、そしてもっとどんどんとこれからが楽しみな舞台であった。授業のためにコメントはひかえるが(このサイトをうちの学生はほとんど見ていないのではあるが、まあ、公平を期すため)、90分間、ほのぼのしているようでじつはびっしりとさまざまな視点があって、2000字ぐらいあっというまにかけると思う。 『日向ぼっこ』(作・演出:田中孝弥)。 5/12に田中さんが授業(アーツ鑑賞演習)にきていただけるので、質問を十分に考えておくこと。この公演から清流劇場に小畑香奈恵さんが劇団員になったということだが、田中さんがドイツで体感したことがどのようにこの作品に入っているのか、12日までに私もあれこれ考えておこうと思っている。
東山青少年活動センター。京都観光のにぎわい(祇園ではパフェ?かなにかの長い行列があったりしていてほんまにアホらしいのですが)のすぐそばに、こんなに気持ちの優しく穏やかなステージがあるなんてほとんどの人は知らないと思うと不思議な感じ。アンパンがつるされた縦長のステージが新鮮だった。上下に炬燵が二つ(これだけで現実から微妙にちょいとずれていることが伺える)。春なのに、まだ炬燵でBGMも木枯らしである。 劇団hako第三回公演『炬燵電車』13:01〜14:08。2003年のビギナーズに参加したメンバーによる劇団。今回は、大角文、渡辺ひろこ(劇団飛び道具)、小田宮納子、平井哲平の4人プラス肥田知浩。 炬燵電車遊びと深々とリンゴ畑を行く夢の電車の真っ暗なトンネル内の振動音と目が見えない胎児が聞く母親たちの心臓音との対比とか。若干、途中ふーっとなったが、気がついても何も変わっていなかったので一瞬の意識切れだったのだろう。 中学生の娘、臨月の母親は台所で冷蔵庫の掃除をしていて姿は見えず声のみ。一人っ子だったのにいまごろ兄弟が出来るなんて。アンパンマンの夫と喧嘩して姉のところに来ているおばさんとその子ども。中学生のこのうちの娘は、居候の身のその子どもにまとわれるのがうざい。遊んでやってといわれるし、喧嘩したといわれて、怒られるのはいつも私のほうだ、年上だから。 「も〜、どっちが悪いのよ、居候でもぐりこんでいるお二人さん」と心ではつい思ってしまうこともあるが、そんなことを口に出すことはできない、気の毒な事情もあるのだろうし、妊娠しているおばさんはこれからどうするのか、不安だろうことはもう中学生の私にはよく分かる。男って、お父さんを見ても分かるように頼りないしいい加減な動物だ・・・ 脚本・演出:肥田知浩。彼はちょっとギターリストで出るのみ。前説で吊るされたアンパンを食べないでくださいというなど実に印象的なキャラである。なお、ボツになった肥田のキャラとしてはレッサーパンダ役というのがあって、ジャックと豆の木幻想も冬には脚本に入っていたということ。 そういえば、昨日は揚げ物が中心だったな、エビフライにコロッケ。今日はアンパンのパレードである。アンパンマンが夫だったりする。食パンマンやカレーパンマンも一瞬出て、アンパンマンのテーマソング第1番が弾き語りで朗読調だったりする。アンパンが食べられたり落とされたり。 ジャングルゲームになぞなぞ(子どもが誰でも欲しがる文房具は?)。カルボラーメン。高浜虚子とキヨシ、大きなこいのぼりと大きな雛人形。子どもの命名。リンゴ狩り、寒かった。置き忘れられるリンゴ。水鳥?が見える。ハナゲのアンパンマン。 帰り、吊るされたアンパンを製造しているショップ、「プチブラウン」でアンパンを買う。お芝居のチラシが置いてあって、初老の優しいパン屋さんのおじさんに、お芝居を見てきたんですというと、おかしなおもしろいことをする若い人たちですよねえと微笑む。で、4個も買ったのに、なぜか305円ですという。安いのでは?というが、これでいいのだとゆずらない。このお店もお芝居と同じくかなりふしぎな電波が続いているな。外は仰山の人たち、観光と行楽、混雑する季節というのに。 4/30(日)s
見終わったあと、ゴリラのマンガをみんなで描く。これが意外に難しい。ゴリラはパンダやウサギやカエルや犬のようにパタン化していない。サル的な部分ともっと違う部分が混在していて、下手をすると豚ダルマみたいになってしまったり、こんな顔のオバサンいるようなっていう話に混線したり。 今日が一応授業としてのアーツ鑑賞日なので、大阪市旭区の芸術創造館へ行く。2回生はこの回ですでに19名が鑑賞ずみで、3回生以上は10名ということ。次年度はどうなるか分からないが、もし抽選(今年は20名ずつだった)が必要なら2回生の方が多くなるようにすべきだな。 さて、清流劇場『日向ぼっこ』。金曜日よりも数分だけコンパクトになっていた。2度目で初めて気がついたこともあり(たとえば、携帯電話でかけてくる女性のスーパーの袋は玉出のもの)、いい作品は何度見てもぐっと胸に迫る。 具体的なのに、その具体的なディテールが重層的な比喩と対比関係を編みこんでいて、それぞれの鑑賞者の言葉を待っているように思える。たとえば。エビフライとコロッケについて。おじさんが教訓的アフォリズム(というかダジャレ川柳)を区切りでいうことや漫才の混入の効果とか、草と蟻、イベント飛行船とドームと路上(野外)生活者。電車の一両目、いまどきの嫁姑。働くということ、正規雇用と嘱託雇用。日本海と太平洋、市民運動の派閥問題。委員長になりたいっす。自転車とゲンチャリ、おかしなダンス。義理の家族という微妙な関係。 私の目の前をブタクサが暴れ出した。仕方がないので、タクシーで淀川を越える。東淀川駅そばの金満里身体芸術研究所へ。第6回発表会。メタモルホール、イマージュ+劇団態変の拠点である。ここであの素晴らしい舞台を稽古しているのだとはじめて訪れて思う。田辺剛さんも来ていた。ウィングフィールドの福本年雄さん(http://popo.or.jp/vgakkai/2006forum.html#1を見ると彼のお話が日本ボランティア学会のトークカフェであるようだ)が、13時の研究生の発表『ルーツ』では身動きがとれずに大変だったといっていた。 始まる前に2階に出来たカフェ(100円のコーヒーとお菓子が美味しかった)で福森さんらに会う。清流劇場を見てきたところというと、ドイツで田中さんらにお世話になったという話になり、ちょうど公演がぶつかり残念がっていた。井上さんが私のメールが届かないというので、いまのアドレスを渡す。 精華小劇場で見損なっていた金満里ソロ作品『月下咆哮』をメタモルホールという極小空間で見るのは、ある意味真剣勝負のような状態になると予想していたし、少し覚悟もいった。でも、始まるとそのこわばりはすぐにほどけていく。 きっと、福本さんと隣どおしでお話していたこともあって、監修が大野慶人ということを知らず、しかも5つのシーンから分かれていてきちんとタイトルがあることすらしらなかった(当日パンフをあとで見た)ことが成功だったかも知れない。だから、どう展開するとかいつ終わるとか、このシーンは何をいいたいのか、あるいは使われている宗教的な声楽曲が有名だなあとは思っても具体的にその作曲者を思い出さないために、たとえばバッハから連想するイメージを無闇に詮索することもなく眼前だけと静かに向かい合うことが出来たと思う。 枯れ草の髪。野武士の破れ姿。バッハのマタイ受難曲。 充月(みちるつき)という第2のシーンへと移ると、そこにはベートーベンの月光ソナタの第1楽章。 宝塚の男装の麗人の髪型。シルクハットにスリーピースが決まっている。 スクエアなスーツを脱ぎ捨てて、退場した上手からすぐに出てくる。素足、素指、素頭。 自分で自分の空間と時間を自分のやり方によってコントロールすることが、遊びの楽しさの本質であるとチンセントミハイがいうように、彼女はいまやその指や足を、制御不可能なことそのものまでも包含しつつ、自在にコントロールしている、彼女独自の技法と哲学によって。床と重力と動く部分、動かぬ部分、自在に折れ曲がる脚を駆使し、もっとも自在に変容する彼女の眼力、顔の威厳と寛容さのバリエーションを伴って。 最後がびっくりする展開だった。バリとジャワのガムラン音楽が華やかにあるいは繊細にくぐもって響くなか、「バンジの恋」。揺れる乙女がそこに在る。ロングスカートの美しい模様、朱のノースリーブドレス、そして、赤紫のベール。バレエのように最後は床に静かに横たわる、眠りのような鎮魂のような。脈打つ首の血液の鼓動ばかりがいままでの踊りに刻まれた時を物語っている。そして、フィナーレ、アンコール。 |