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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.4 こぐれ日録47 4/3〜4/9
エイプリルフールの笑えないひとこまを目が覚めたら思い出した。 本気にさせるぐらい真に迫った演技でも、それが、あとで自分自身が寂しくなっちゃうようなものは、避けたほうがいいという教訓かな。生前葬の場合は、本当に別れるつもりというのもあると思うけれど。 今日は、午前中、授業の準備もろもろ。高校生のためのキャンパス見学会におけるミニ講義の調整。
そのあと、資格ガイダンス。かなり多くの学生が聴いていた。 午後に、子どもとアーティストの出会い設立準備室の代表の井出上さんが研究室に来る。昨年度はジーベックホールで、うちらのゼミ生たちもお手伝いできてとてもこちらとしてもうれしかった(これも続けられるそうなので、また参加者を募りたいと思う)。新年度に始まる、ダンスとラップで理科の授業を面白くしかも身に着くようにしようというプログラムをはじめて聞いて、どんどんこの分野は進化しているなあと感心した。 これからの目標は、一人のとても熱心でしかも適正なスキルがある教員さんだけができるというものではないあり方が要求されている。教育学の先生方がその方面からずいぶんとハードルの高いシステムプログラムと評価について議論されているようだ。私の役目は、アーツの領域からの意義づけ。いや、意義はもちろんあるので、その理論化、言語化だということ。 ダンスとラップで理科を学ぼうという試みは、すでにイギリスで行われているということではあるが、それをきちんと吸収しつつ、日本の小学校、しかも、文科系ではない理科系の人たちの教育システムである小学校理科という分野で展開されるということ自体はじつに新鮮で注目されるものである。 でも、よく考えれば、ダンスは身体による表現であり、大地を感じ、重力に抗ったりしたがったりしながら行われるので、物理や天文学、そして、もちろん、生物である人間を一番感じさせられるアーツでもある。ダンスの人は、呼吸、骨、筋肉のありようにとても詳しい。手足の関節をいかに意識化するかで、表現の幅が決まるのかも知れないわけだし。 演劇で算数(国語的な文章題という点に着目したものでもあった)もじつにすばらしい試みであるが、ラップはまさに演劇=詩の音声化と音楽の融合したもの、あるいは、分化の前のうた(リズムのある詩であるとともに、歌として詠吟されるもの)そのものであると考えれば、うってつけの出会いであり、ひょっとしたら、再会なのかも知れないと思ったりもした。 観阿弥の能が「ものまね」であるといわれるが、舞という日本のダンスの原点が、「もの」としての森羅万象(理科の対象をかなりかなり含む)を真似るということは、学ぶが真似ることから始まるとすれば、舞(ダンス)で理科を学ぶというのは、舞でものを真似るということになって、ダンスの日本の起こりと通じるともいえるわけで、こういう観点からも実に興味深いものだと話してみたりもした。 (以上はかなり強引なこじつけだけど)言語化をとても刺激する試みであることは確かだ。そういう試みはきっと可能性が大きいのだと主観的には思う。ファンレイジングがうまくいって、汎用的な記録ができればいいがとねがうばかりである。
・アートとアーツの関係を双方きちんと考えておくこと なお、プラス・アーツの基本理念は、社会にアーツをプラスするというNPOの名前からわかるように、 (補足)
朝は、新入生のクラス懇談会。そのあとやっと「自分探しの旅」の一回目の思案。 宮司さんはお忙しかったので、まず二人に太鼓を見せることとする。そして、叩いていいといってもらったので、二人が演奏する。20曲ぐらいはレパートリーがあるのだそうだ。思いっきり叩くのではじめびっくり。きっと、宮司さんへも届いたはず。ただ、ここの太鼓の会は日曜日の夜に集まりがあるので、それに参加するのは、通いの学生たちだし、無理である。それに、メンバーが足りているかも知れない。これからは、小鹿さんにやってもらっていたことも自分でしなくちゃいけないし、やっぱりタフがないと結構大変だ。でも、タフのおかげで太鼓という地域資源が身近にあることが分かったし、生かしていかなくちゃいけない。 本屋で朝日新聞社『論座』5月号を立ち読み。指定管理者制度についてさきらのことも書いてある記事を読む。買おうと思っていったのだが、他の記事がかなり面白くないので、やめてしまった。それに、まあ、ブログで色々書かれている話以上のことはあんまり書かれていなかったし。うーん、でも、よくまとまっているので、大学院生とかに説明するのには便利かなあ??どうも最近の朝日新聞関係は気持ちがのらない。 久しぶりの観劇。久しぶりのアートコンプレックス1928。列が出来ていてすごいなあと思ったら地下でライブがあるとのこと。なあんだと演出の松浦友さん(演劇ユニットYOU企画)に行って入ってみて、びっくり。こちらも満杯なのだ。失礼しました。『ジュリエット ―Juliet Capulet―』。客席の作りもメインが少し平行でなくなり、その広がりの最上階の一番端に座ってみる。サブの客席はかなり舞台とつながった感じになる。2階は京響市民合唱団の控え室でパーティとかのときにやってきて、アカペラ演奏をされる。シニアのお客さんもいるのは、そうした関係者とかもいらっしゃるのかも知れない。 制作面の工夫もいろいろ。茶水にUnderline(小鹿ゆかりさんの個人オフィス)の名前を発見。シルバー割引、そして、旅行者割引まである。新劇の役者さんもいるし、なんと、広田ゆうみさんまで、6名いるジュリエットの一人として登場する。いやあ。後半特に楽しかった。どきりとしたし。はじめは、やっぱりシェークスピアって6名でしゃべっても台詞いっぱいだなあと思っていたが、だんだんなれてくる。時間も90分よりは長かったかかも知れないが、それでもコンパクト。 もともとの白い舞台に白いブランコ。片方に偏った白い布が場所のシンメトリーをくずして動きをつくり、くさい言いかただが、少女の旅立ち!を促しているようである。階段を上ってはおりるところなども象徴的。光はもちろんキレイだが、抑制的(照明・美術:岩村原太)。
ボーダレスアートギャラリーNO-MAでは、職員さんが丁寧に説明するために待機してもらっていた。入り口から、成安造形大の学生さんの2階の干し物にある作品(選択してしまったお札やレシートの拡大)が剽軽で楽しい。しっかりした木彫が庭にあり、2階にはゆったりとしたソファーのゆるゆる感。2006年春の企画展『家の匂い』(岩崎司作「極私的祈りの詩歌画、眞野丘秋写真作品「UTSU filter」、「おばあちゃんの家の匂い」比嘉花恵、松澤芳子、中島あずさ」。 障碍のある方の作品であることに気づかなかった班もあったようだが、町屋を活用して「つかいつづける」あり方には触れてもらっただろうと推測する。 夜は、体育館があるので、そこでドッジボールと大縄。ドッジは私も参加したが、いま、身体の節々が痛い。大縄というものは、なかなかむずかしい。スポーツ大会という懇親会ははじめての試みだったが、怪我もなくほっとする。はじめてだったので、よくやったと思うが、次年度は段取りとか演出とかよりスムーズに出来るようにオリターさんたちにアドバイスできるだろう。 今日は、びわ湖ホールで丁寧な説明とステージに上って回り舞台を体験する。 夜、東山青少年活動センターのお芝居のご案内があったのだが、草臥れてしまってすぐに帰ってしまう。芳江にとってもらっていた昨夜放送のHappy!を見る。2時間弱の単発のテレビ番組だから、原作(浦沢直樹)のマンガはもっと続くし、テレビでもさあこれから変なコーチが登場して終わっていた。土田英生脚本なので、テンポもいい感じだし、ぜひ、続きが見たいと思う。
14時から、築港赤レンガ倉庫から出立したNPO法人大阪アーツアポリアでのオープンオフィス、ミニトークへ。6000円の年会費を払う用事もあったので。5階のルームから、コンテナー満載の長い長い船が橋をくぐるのを見ているpiaNPOの5階。一匹のハエ。低音の機械音がハエとともに入ってくる。 人類学を専攻する大学院生の登さんがこの冬に3週間大学からフィールドワークの助成が出たこともあって出かけた「ニューヨークのアートNPO訪問をして」得られた調査や写真を話していた。寄付ということだけれど、ほぼ強制的に4ドルとか5ドルとか入場料がわりにとるとか、スタッフの移動は非営利ギャラリー間が多いとか、NPOの場所を移動することに柔軟であって、実際に移っているとか、中国と韓国の人たちのレジデンスや展示がとても増えているとか興味深い。 人類学と社会学の違いって何だったかとか、「あんちょこ」の意味が通じないということ。そして、インターンとボランティアの違いなど、本筋ではないところでも気になる点が出てくる。それが、こういうトークの多面性だろう。「あんちょこ」って、カンペ?と聞かれて、カンペがカンニングペーパーの略だということがまずぴんとこなかった。あんちょこは、暗記できないのでちょこっと書くのかなと思ったり。辞書を帰ってひくと、「安直」の変化で、言い換えると「虎の巻」だった。もう虎の巻なんて使わないのだろう。 オープンオフィスでなにもする人がいなかったら、「連歌」でもしようかなとふと口にする。でも連歌も俳諧連歌すなわち連句についてもまったくその規則を知らないわけで、まず泥縄式にそのルールから知らなくちゃいけない。レンガだからねと一応ダジャレにもしようと思ったのに、レンカではないですかといわれて、自信がなくなりかける。いま調べると、レンカは恋歌ではないか。レンガでよかったのだ。ほっ。 |