こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.12


こぐれ日録514 12/4〜12/10


12/4(月)


来年度の専門演習を急きょ持つことになったので、午前中、学生さんが来るのかと思ったら、メールが2本入っているだけだった。そんなに希望者は多くはないかも。明日、私はいないということを知らないのかも知れないけれど。
ゼミはどのように進めるのですか?という質問の答えの一つ
・・・・
○○さんへ
まずは教科書を読みあうようにしたいと思っています。3回生ゼミ前期は音楽史ととても素朴な建築史(でも専門的でもないく、視覚芸術、空間論としてじつに面白い!)。映像もいろいろあるので、見て感想を言い合うことも大切ですね。
もちろん、月曜日だけでは座学のみになるので、まちあるきもしたいなあと思っています。

それから、夏休みを中心に自分の課題を研究してもらって、後期はその発表と就職活動準備。やるきのある学生さんが集まったら、夏休みに合宿とか特別のセミナーをしてもいいかなあ???そんなところかな?
卒業論文以外の卒業制作の学生が出るかも知れないので、4回生になるといろいろいまのようにぎりぎりにならないようにしなくちゃといつも思うのですが、これがまあ・・・
・・・・
昼休みに会議。綱渡りだなあ。
そのあと、3回生ゼミ。なんと1名以外はみんな来る。
ジャズの歴史をざっと流す。
カンザスシティがモダンジャズにどれぐらい貢献したのかをもう少し調べたくなった。

4回生ゼミ。卒論の書き方指導のラスト。来た学生は大丈夫なのだけれど・・・
卒業アルバムの似顔絵描きが意外と面白かった。
口頭試問(公開型発表会)は、2/5(月)の13時から17時までにするというと、出席者はオーケーだったので、この日に設定する(もし、欠席したゼミ生で都合があわない人は申し出てくださいね)。

ブラームスホールの萩原さん(やくぺん先生のブログ日記のコメント欄参照)が織田先生の用事のついでに研究室をノック。痩せられましたね、と。どんどん頬がこけるからかもなあ。体重はずっと70キロなのだけれど。
それと、3回生がだんだん私のひげが可笑しくなってきたといっていた。まあ、これはさまざまな感想。見慣れていないこともあるだろうし、ごま塩髭=初老という連想もあるかも。
でも、最近ひげの人をしみじみと見るようになってきた。どうゆうふうに手入れなどしているのだろうなあ。

最近ご案内があって行けたのに・・という展覧会などが多すぎる。
点字用紙を利用したあかりの展覧会(http://sandgasa.exblog.jp/5080487/)もその一つ。


12/5(火)


5時前に目が覚める。
きのうは早く寝たし、今日はゆっくりなので、DVDで、エリック・ロメール監督の『木と市長と文化会館』を観る。1992年作品、105分。
観たいなあと93年ぐらいに思っていたが、観ず。青森の立木祥一郎さんのブログを見て思い出し、注文した(これを見たあと「緑の光線」はじめボックスものを2つ追加発注した)。

どちらかというと、政治と文化会館(メディアテークが原題。つまり、邦題は文化会館というけれど、会館部分は野外劇場しかないので、美術ギャラリーとか図書館とかCDとか当時のメディア複合施設+プールで、仙台や山口にある情報文化系のアーツセンター)の関係について、学生たちと一緒に議論するのにいいなあと思って観たのだが、やっぱりロメール映画はそんな思惑は思惑であって、アーツとしてぐいぐいと魅せられ、田園の人たちの虚構なのかそのままなのか、微妙なインタビューシーンなど映画の企み性も十分あって、淡々としながら、深い後味。

フランス独特の地方制度、政治制度も見ていたらわかってくるとは思うけれど、この映画のように、452人というような小さなコミューンである村の議員(村長はそこから選ばれる。邦題は市長となっているが)というミニマムの単位から県会議員、地域議員、国会議員と重複してなっていく選挙制度が独特のものだ。

大阪成蹊大学芸術学部のギャラリーspace Bでは、フランク・ブラジガン「日常の修復」展が催されていて(先週、青山先生からペンキ塗りを学生有志らとやって大変!という話を聞いていた)、のぞく。使い古された鉄製のものが、白と赤のペンキで軽快に色づけられていた。箱ブランコ、台車、しゃべる、マンホール、リヤカー、足場・・・。普段、どこかの片隅にあって、しかも錆びていたりしてなかなか見過ごしてしまうようなものたち。

授業のあと、受講者のなかにペンキを近くの児童公園でも塗ったという話を聞いたので、JRそばの成安公園をのぞく。15時前で子どもは誰もまだ遊んでいなかったが、こちらは、色分けが穏やかで、目立たないようだが、ジャングルジムとかシーソーとか滑り台とか、いろんな遊具やベンチなどがいろわけられているので、とても統一感があり、一つ一つは様々な色分けでもあって(6色ぐらいだったかなあ?)、子どもたちが遊んでいる風景にまた出会いたいと思った。

フランスな一日だった。
朝、映画でフランスの農村、田舎を見たのだし、このフランクさんもフランスのアルザス地方生まれだ。でも、いまはオランダやベルギーを拠点にしているという。


12/6(水)


また、4時すぎに目がさめる。一回きのう起きてしまったので身体が起きる時刻をセットしてしまったのだろう、もう寝られない。
きのう送られてきた、テレビ番組のロケのあらすじをみる。来週の水曜日の午後、綿業会館でのロケのようだ。
大阪府の広報番組。メリークリスマス?12/24(日)に5分間だけ放送されるもの。
13:55〜14:00かな?テレビ大阪らしい。
いずれにせよ、テレビに出てしまうのはずいぶん久しぶりなので、まあ、ちょっと新鮮かも?

1回生ゼミがあって、そのあと2回生の訪問。

メールを見ると面白い説明会の案内(http://www.sansokan.jp/events/eve_detail.san?H_A_NO=07053)があった。
「公益社とともに人生のエンディングをサポート!!」という新規パートナー募集説明会だ。
公益社の葬儀・告別式のビジネスと連携する「シルバーライフ、医療・福祉サービス、保険・金融、諸手続き、グリーフサポート」がもっとも公益社として期待するという。そのなかに「葬祭会館」も入っていて、これは他の葬儀会社との連携ということもあるだろうが、より広く葬祭スペースに可能な場所を提案できるビジネスと考えることもできそうで、そのなかに公共ホールも含まれていいだろうと思う(指定管理者が民間なら特に)。

グリーフ・サポートはいまとても大切な部分だろうし、告別式とも絡むとは思うけれど、そこにアーツセラピー的な要素があってもいいのではないか!とも思ったりする。

次年度のゼミ選び。わたしのゼミ希望者は17名だということ。

昼からは、会議して調整して会議して調整して会議して、夜、忘年会。


12/7(木)


むすめが>ラッキョウ(ラッキョかラッキョウか、少し迷う)を入れるどんぶりと取りに朝来て、入れかわりにわたしは大学へ。
さいきんのむすめはちょくちょく変なものを取りに来る。このまえはちゃんちゃんこ。ついでに前掛け(じぶんは「まいかけ」と発音するがこれは大阪方言?)。もうじき、その正体が分かる?

浅草十二階、絵はがき、ジェズチャー研究などで知られる「かえるさん」さんの日記はいつもとてもためになっているのだが今回のマンガを分析するには自分で写し取りながら考える<(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=286179021&owner_id=40830)>というものも、とてもナイスなコラム(ノートがかっこよくしかも限界芸術化している)。さっそくやってみたい(研究したい学生さんにすすめてみよう)。

TAM研のみんなが来たのだが、今日は、修士論文の相談があったので、学部長室にいてもらう。終わって見に行ったらいなくなっていた。わるいことをしたなあ。
5回生が来て、卒論について。
つづいて、4回生が来て、卒論について。雑貨がテーマだ。
アーツの扉、13回目。太鼓について。太鼓は古代から現代までにお呼ぶ楽器なので、実質的なまとめになったと思う。少し、日本のフォークシーン、とくに関西での出来事を補足。つまり、五つの赤い風船の役割について。

帰り、東山青少年活動センターで「ヒガシガシ」の雑誌編集に向かう1回生3人と一緒になる。今日は、和製ジプシー音楽を大阪に聴きに行くと予約していたが、どうも、軽い頭痛が残っていて、断念する。
京都新聞の夕刊に、長谷川孝治さんが作・演出した寺山修司についての演劇が大きくとりあげられていて、観たかったなあと思う。一輪車に乗った女性たちが、寺山の短歌の文字を一つずつ手に持って(とても大きなもの)、軽やかに短歌を地面にばらけさせ構築させているような写真。めずらしいなあ、県民参加劇でも、そこは弘前劇場の長谷川さんである。軽い眩暈のようなシーンを立ち上らせていたに違いない。いつか、美術館に行って、もし閲覧できるのならば、映像だけでも見てみたいものだ。


12/8(金)


また、早く帰っている。
途中まで、観劇モードで電車に乗っていたのに。
芳江が、久しぶりに名和さんに会って、絵を見てもらっている。とてもいい刺戟になったようだ。
人に見てもらうこと、それってとても大事だなあと思う。

そのうちに、むすめから芳江へ電話。
わたしにもかわってもらう。おとうさんねえ、結局ピンチヒッターで専門ゼミすることになったんよ、建築インテリアコースの学生さんが来てもいいように、『人類と建築の歴史』(藤森照信、ちくまプリマー新書、2005)を教科書の一つにしたのだけれど、この本は、すごくユニークでねえ、なにせ、ピラミッドの話が本の最後のほうに出ているのだから・・・

話しながら、自分がこの本をどう面白いのか、どれだけ理解してかいつまんで伝えられるか、伝えられないか、理解不足はどこかがわかってくる。相手に話すことは実に重要である。相手を聴くことも同じだけ重要である。それは、人に見てもらうことが大切で、人の作品、表現物を見ることが大切なことと同義である。

こう書いているうちに、やっぱり観劇に行くべきだったなあとまた思う。
大学では、一限目、90分で葬祭論。これは内容が多すぎて、最後が尻切れ蜻蛉に。
4回生が卒論の原稿を持ってくるかと待っていたのに、誰も来ない。
かわりに2回生の学生ふたりとずっと話している。

最近、わたし、自分がいかに文章が書けないかがわかったんです。どうしたらいいですか?うーん、自分がこれは真似したいという文章を手書きで写していくっていうのはどう?え?そんなこと、意味ないんじゃないですか?いやあ、表現って99%が模倣なのだし、話し言葉ってみんな教えてもらったり真似ていったりしてことなのだから、書き言葉もおんなじだよ。それに、手書きをすると漢字も思い出すし、もちろん単語の意味も調べたくなるものだかしね。

漢字は好きなんです。そうそう、やっぱり、文章を続けて書いていく秘訣を学ぶのが一番かもね、書き写していくと、その人の息継ぎとか、ためらいとか、まとめ方とか、飛躍の仕方とか、そういう文章のアーツ(術)が見えてくる。そのうち、その人の文章生理になじんできて、同じようなスタイルで文章を書く自分が見つかるよ。でも、それって・・・まあ、きっと、スタイルがそのまんまのようで、結局自分の色がついてくるし、一つ真似るともっともっといろんな真似もできてきて、その融合がきみの文体になるし。わたしなんて、いまごろ保坂文体みたいに「けれど」連発になったのだけれど、その元祖みたいな内田百_を読んでみて、二人の真似だから、ちょっと安心しているぐらいだからなあ・・

そのうちに、3回生が来る。
「芸術の公共性」というリポート課題が出ているんですけど、これって、矛盾していますよね。芸術って、公共性とは無関係でしょ。その人の独自の個性が出てくるもので、公共のために創作しているなんて、嘘ですよね?おお、なかなか鋭い。この話しは彼女とずいぶんやって、きっといまリポートが出来つつあるだろうから、それが出来てからっていうことにしようかな。

つまり、何もない金曜日、でも、まあ、書き出すと何かはある。
そうそう、TAM研のみんなに、すごいプレゼントをもらった。22日はこれでどうぞ!と渡される。それを被って見せると、その3回生さん、髭、似合っていないってみんなでそっと言っていたけど、ちょっといいかも?だって。ははは、よっしゃ。


12/9(土)


京都市山科青少年活動センター主催の「若き市民」としての青少年の活動報告と意見発表が、東部文化会館の創造活動室であった。10時から12時過ぎまで。

うちの学生の発表も2つあり、おお、この子がこうして発表するのかと思ったり、台湾からの留学生さんの顔を見たり、キャンパスではなく、こうして「まち」で出会うとずいぶん新鮮であった。

きっと、この留学生さんたちは、キャンパス内の喫煙マナーのことも気になっているに違いない。ニホンのテレビで若い人、とくにアイドルがタバコを吸っているのにはたまげたそうだから。何を考えとるんじゃい!っていう感じだろうね。タバコを自動販売機で売っているニホンって何だろうと思ったというもの同じことで。

それにしても区内二つの中学校の発表は楽しくかわいくそしていろいろ考えさせられた。

2校が、とても対照的な発表だったからでもある。つまり、同じ生徒会のメンバーたちでも、ある中学校はとても全体的に楽しく〜少し身内ネタ的でもあるけれど〜、開放的な感じで全体として和やかにまとまる。他方、もう一方の中学校はきちんとしているのだけれど、どこかお勉強的でしゃっちょこばっている。

ソフトとハードの好対照!と思っていると、その理科の勉強的な発表の最後に、曇天返しの発言一発。そして、もう笑えて仕方がなくなったのだ(そこの生徒会長の男の子だったか、その子が「最後にいいことをいいます」と切り出したのである)。

中学生に接することがなかったので、高校生ともまた違う中学生世代の可能性というか、お茶目さの味というか、そういう空気感を知ったように思う。

一人のある大学の大学生さんの発表は、ダントツにマナーが悪くて(言葉遣いのひどさだけではなく人間としてもうどうしようもない感じがする)それを見ているのも勉強になる。みかねて、区長が映像機のキャップを取っていた。そういう学生が自分はボランティアをしていると思っているのだから余計にたちが悪い。

午後から観劇をしようかと思ったが、帰りに入った「やませい」の近くのうどん屋さん(おすし屋さんでもある)のセットランチが美味しかったのだが、それを食べたあと、睡魔が出てきて、山科駅まで歩いているうちに治るかと思ったが、どうも調子が出ないので、戻る。

芳江がヤマダ電機で2日間デジカメが安いというので、一緒に買いに行く。ポリマ版画とか色々彼女はデジカメを使う必要があるようなので、わが家にまたデジカメが戻る(昔々のデジカメはまだ一つあるのだけれど)。練習のために、二人を写し合ったりして、日が暮れた。

私は、デジカメを雨にぬらして壊してしまっていらい、自分には不必要な携帯電話を持たないうように、i-podもデジカメも携帯しないほうがずっと身軽で自由だよなあという気分ではあるのだが、ちょっとデジカメをいらうとその面白さの誘惑というものは確かにあるように思えたりもする。


12/10(日)


朝から映画を芳江と鑑賞。夢中で見つつ、二人であれこれと話す。まだ、朝だから元気でそうなったのかも。むすめたちとまた見るのが楽しみ。どんな感想がそこから出るのかな。
『レネットとミラベルの四つの冒険』、エリック・ロメール監督の1986年作品、97分。あっという間に4つのお話しが、二人の冒険が進む。いや、第1話と第3話は、おもに都会の女の子の冒険(見知らぬ田舎の少女の住まいに泊まる。見知らぬ万引き常習犯の女性を助ける)、第2話、第4話は、おもに田舎の女の子の冒険(カフェにお金をあとでわたしにいく。しゃべらないで画廊に自分の絵を売る)。

二人の女の子の夏休みの出会い、田舎からパリへ、都会のミラベルが田舎のレネットに対し、一見クールに応対するのかと思ったらとても親切で優しく倫理的(そこは道徳的なレネットと少し似ている)。しかも、田舎ではレネットがミラベルに未明の神秘を教えてあげるようにしながら、実は、ミラベルに学ぶようなところがあるように、パリでは、お上りさんのレネットの驚きがある面ミラベルの隠れた部分を引きだしているようでもある。脇役たちが巧み。即興的な部分も多そうだ。

13時から17時前までは、東山区役所3階の大会議室。青少年活動センターも共催で協力しているけれど、主催はNPO音の風。スマイルミュージックフェスティバル。「同じ地域に暮らすハンディキャップある人とともにつくる、笑顔がいっぱいの音楽の祭典」で、12組の参加(ただし、新明塾工房ソラさんはノロウィルスのためにビデオ出演になった)。

太陽クラブの面々が練習しているということをずっと聞いていたので見たかった「よさこい踊り隊」。9名ほどが今日は実際の舞台に立って元気に踊っていた。安田ブラザーズは双子だけあってなかなかそろっている。デュオダンスを創りたいなあと後で話す。みんな化粧をしていてなかなか素顔を思い出せないぐらいに変身している。変身は踊りのために実に有効だということをここでも確認する。

総合失調症に数年前にかかって回復した人の歌、「心に障害を持ち、社会参加が難しいメンバーたちの会、「社会参加の難しい若者の居場所」として運営され、若者の就労支援活動を行っているNPO法人京都オレンジの会のメンバーさんたちのバンド・・・・

このバンドで一人はなれてうつむき加減で再度ギターを弾く女性がいて、ずっとその場所をキープしていた。痛々しい感じかなあと思ってしまいがちだが、確かにため息がかすかに出たりはするし、足はずっとその場から動かないけれど、コードをちゃんと押さえ最小のストロークで、小さく小さくギターを弾いている。もっとも目立たない彼女が私には一番大きく強い画像として目に残る。一緒のメンバーも実に彼女に自然に振舞っている。終わって彼女がほっと微笑む瞬間が美しい。

障碍のさまざまな形、その様相を、音楽を通して目の前にすることができることはじつに有意義であると思う。ただ、カラオケ的になることがどうしても多いので、そのあたりの工夫というか、自由な創造性の問題、これが私たちの課題であることも確認できる。

18時半から、丹波橋駅すぐの呉竹文化会館にて、京都橘大学吹奏楽部第5回定期演奏会があったので、それものぞく。指揮が1回生のときに私の基礎ゼミだった学生で、パーカッションの一人はいまの基礎ゼミ生である。モーツアルトをジャズ風にしたり、まじめな音楽をきちんとやったり、生真面目が基本だけれど、それでもなかなか楽しめるように工夫していた。




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