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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.12 こぐれ日録514 12/4〜12/10
それから、夏休みを中心に自分の課題を研究してもらって、後期はその発表と就職活動準備。やるきのある学生さんが集まったら、夏休みに合宿とか特別のセミナーをしてもいいかなあ???そんなところかな? 4回生ゼミ。卒論の書き方指導のラスト。来た学生は大丈夫なのだけれど・・・ ブラームスホールの萩原さん(やくぺん先生のブログ日記のコメント欄参照)が織田先生の用事のついでに研究室をノック。痩せられましたね、と。どんどん頬がこけるからかもなあ。体重はずっと70キロなのだけれど。 最近ご案内があって行けたのに・・という展覧会などが多すぎる。
どちらかというと、政治と文化会館(メディアテークが原題。つまり、邦題は文化会館というけれど、会館部分は野外劇場しかないので、美術ギャラリーとか図書館とかCDとか当時のメディア複合施設+プールで、仙台や山口にある情報文化系のアーツセンター)の関係について、学生たちと一緒に議論するのにいいなあと思って観たのだが、やっぱりロメール映画はそんな思惑は思惑であって、アーツとしてぐいぐいと魅せられ、田園の人たちの虚構なのかそのままなのか、微妙なインタビューシーンなど映画の企み性も十分あって、淡々としながら、深い後味。 フランス独特の地方制度、政治制度も見ていたらわかってくるとは思うけれど、この映画のように、452人というような小さなコミューンである村の議員(村長はそこから選ばれる。邦題は市長となっているが)というミニマムの単位から県会議員、地域議員、国会議員と重複してなっていく選挙制度が独特のものだ。 大阪成蹊大学芸術学部のギャラリーspace Bでは、フランク・ブラジガン「日常の修復」展が催されていて(先週、青山先生からペンキ塗りを学生有志らとやって大変!という話を聞いていた)、のぞく。使い古された鉄製のものが、白と赤のペンキで軽快に色づけられていた。箱ブランコ、台車、しゃべる、マンホール、リヤカー、足場・・・。普段、どこかの片隅にあって、しかも錆びていたりしてなかなか見過ごしてしまうようなものたち。 授業のあと、受講者のなかにペンキを近くの児童公園でも塗ったという話を聞いたので、JRそばの成安公園をのぞく。15時前で子どもは誰もまだ遊んでいなかったが、こちらは、色分けが穏やかで、目立たないようだが、ジャングルジムとかシーソーとか滑り台とか、いろんな遊具やベンチなどがいろわけられているので、とても統一感があり、一つ一つは様々な色分けでもあって(6色ぐらいだったかなあ?)、子どもたちが遊んでいる風景にまた出会いたいと思った。 フランスな一日だった。
1回生ゼミがあって、そのあと2回生の訪問。 メールを見ると面白い説明会の案内(http://www.sansokan.jp/events/eve_detail.san?H_A_NO=07053)があった。 グリーフ・サポートはいまとても大切な部分だろうし、告別式とも絡むとは思うけれど、そこにアーツセラピー的な要素があってもいいのではないか!とも思ったりする。 次年度のゼミ選び。わたしのゼミ希望者は17名だということ。 昼からは、会議して調整して会議して調整して会議して、夜、忘年会。
浅草十二階、絵はがき、ジェズチャー研究などで知られる「かえるさん」さんの日記はいつもとてもためになっているのだが今回のマンガを分析するには自分で写し取りながら考える<(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=286179021&owner_id=40830)>というものも、とてもナイスなコラム(ノートがかっこよくしかも限界芸術化している)。さっそくやってみたい(研究したい学生さんにすすめてみよう)。 TAM研のみんなが来たのだが、今日は、修士論文の相談があったので、学部長室にいてもらう。終わって見に行ったらいなくなっていた。わるいことをしたなあ。 帰り、東山青少年活動センターで「ヒガシガシ」の雑誌編集に向かう1回生3人と一緒になる。今日は、和製ジプシー音楽を大阪に聴きに行くと予約していたが、どうも、軽い頭痛が残っていて、断念する。
そのうちに、むすめから芳江へ電話。 話しながら、自分がこの本をどう面白いのか、どれだけ理解してかいつまんで伝えられるか、伝えられないか、理解不足はどこかがわかってくる。相手に話すことは実に重要である。相手を聴くことも同じだけ重要である。それは、人に見てもらうことが大切で、人の作品、表現物を見ることが大切なことと同義である。 こう書いているうちに、やっぱり観劇に行くべきだったなあとまた思う。 最近、わたし、自分がいかに文章が書けないかがわかったんです。どうしたらいいですか?うーん、自分がこれは真似したいという文章を手書きで写していくっていうのはどう?え?そんなこと、意味ないんじゃないですか?いやあ、表現って99%が模倣なのだし、話し言葉ってみんな教えてもらったり真似ていったりしてことなのだから、書き言葉もおんなじだよ。それに、手書きをすると漢字も思い出すし、もちろん単語の意味も調べたくなるものだかしね。 漢字は好きなんです。そうそう、やっぱり、文章を続けて書いていく秘訣を学ぶのが一番かもね、書き写していくと、その人の息継ぎとか、ためらいとか、まとめ方とか、飛躍の仕方とか、そういう文章のアーツ(術)が見えてくる。そのうち、その人の文章生理になじんできて、同じようなスタイルで文章を書く自分が見つかるよ。でも、それって・・・まあ、きっと、スタイルがそのまんまのようで、結局自分の色がついてくるし、一つ真似るともっともっといろんな真似もできてきて、その融合がきみの文体になるし。わたしなんて、いまごろ保坂文体みたいに「けれど」連発になったのだけれど、その元祖みたいな内田百_を読んでみて、二人の真似だから、ちょっと安心しているぐらいだからなあ・・ そのうちに、3回生が来る。 つまり、何もない金曜日、でも、まあ、書き出すと何かはある。
うちの学生の発表も2つあり、おお、この子がこうして発表するのかと思ったり、台湾からの留学生さんの顔を見たり、キャンパスではなく、こうして「まち」で出会うとずいぶん新鮮であった。 きっと、この留学生さんたちは、キャンパス内の喫煙マナーのことも気になっているに違いない。ニホンのテレビで若い人、とくにアイドルがタバコを吸っているのにはたまげたそうだから。何を考えとるんじゃい!っていう感じだろうね。タバコを自動販売機で売っているニホンって何だろうと思ったというもの同じことで。 それにしても区内二つの中学校の発表は楽しくかわいくそしていろいろ考えさせられた。 2校が、とても対照的な発表だったからでもある。つまり、同じ生徒会のメンバーたちでも、ある中学校はとても全体的に楽しく〜少し身内ネタ的でもあるけれど〜、開放的な感じで全体として和やかにまとまる。他方、もう一方の中学校はきちんとしているのだけれど、どこかお勉強的でしゃっちょこばっている。 ソフトとハードの好対照!と思っていると、その理科の勉強的な発表の最後に、曇天返しの発言一発。そして、もう笑えて仕方がなくなったのだ(そこの生徒会長の男の子だったか、その子が「最後にいいことをいいます」と切り出したのである)。 中学生に接することがなかったので、高校生ともまた違う中学生世代の可能性というか、お茶目さの味というか、そういう空気感を知ったように思う。 一人のある大学の大学生さんの発表は、ダントツにマナーが悪くて(言葉遣いのひどさだけではなく人間としてもうどうしようもない感じがする)それを見ているのも勉強になる。みかねて、区長が映像機のキャップを取っていた。そういう学生が自分はボランティアをしていると思っているのだから余計にたちが悪い。 午後から観劇をしようかと思ったが、帰りに入った「やませい」の近くのうどん屋さん(おすし屋さんでもある)のセットランチが美味しかったのだが、それを食べたあと、睡魔が出てきて、山科駅まで歩いているうちに治るかと思ったが、どうも調子が出ないので、戻る。 芳江がヤマダ電機で2日間デジカメが安いというので、一緒に買いに行く。ポリマ版画とか色々彼女はデジカメを使う必要があるようなので、わが家にまたデジカメが戻る(昔々のデジカメはまだ一つあるのだけれど)。練習のために、二人を写し合ったりして、日が暮れた。 私は、デジカメを雨にぬらして壊してしまっていらい、自分には不必要な携帯電話を持たないうように、i-podもデジカメも携帯しないほうがずっと身軽で自由だよなあという気分ではあるのだが、ちょっとデジカメをいらうとその面白さの誘惑というものは確かにあるように思えたりもする。
二人の女の子の夏休みの出会い、田舎からパリへ、都会のミラベルが田舎のレネットに対し、一見クールに応対するのかと思ったらとても親切で優しく倫理的(そこは道徳的なレネットと少し似ている)。しかも、田舎ではレネットがミラベルに未明の神秘を教えてあげるようにしながら、実は、ミラベルに学ぶようなところがあるように、パリでは、お上りさんのレネットの驚きがある面ミラベルの隠れた部分を引きだしているようでもある。脇役たちが巧み。即興的な部分も多そうだ。 13時から17時前までは、東山区役所3階の大会議室。青少年活動センターも共催で協力しているけれど、主催はNPO音の風。スマイルミュージックフェスティバル。「同じ地域に暮らすハンディキャップある人とともにつくる、笑顔がいっぱいの音楽の祭典」で、12組の参加(ただし、新明塾工房ソラさんはノロウィルスのためにビデオ出演になった)。 太陽クラブの面々が練習しているということをずっと聞いていたので見たかった「よさこい踊り隊」。9名ほどが今日は実際の舞台に立って元気に踊っていた。安田ブラザーズは双子だけあってなかなかそろっている。デュオダンスを創りたいなあと後で話す。みんな化粧をしていてなかなか素顔を思い出せないぐらいに変身している。変身は踊りのために実に有効だということをここでも確認する。 総合失調症に数年前にかかって回復した人の歌、「心に障害を持ち、社会参加が難しいメンバーたちの会、「社会参加の難しい若者の居場所」として運営され、若者の就労支援活動を行っているNPO法人京都オレンジの会のメンバーさんたちのバンド・・・・ このバンドで一人はなれてうつむき加減で再度ギターを弾く女性がいて、ずっとその場所をキープしていた。痛々しい感じかなあと思ってしまいがちだが、確かにため息がかすかに出たりはするし、足はずっとその場から動かないけれど、コードをちゃんと押さえ最小のストロークで、小さく小さくギターを弾いている。もっとも目立たない彼女が私には一番大きく強い画像として目に残る。一緒のメンバーも実に彼女に自然に振舞っている。終わって彼女がほっと微笑む瞬間が美しい。 障碍のさまざまな形、その様相を、音楽を通して目の前にすることができることはじつに有意義であると思う。ただ、カラオケ的になることがどうしても多いので、そのあたりの工夫というか、自由な創造性の問題、これが私たちの課題であることも確認できる。 18時半から、丹波橋駅すぐの呉竹文化会館にて、京都橘大学吹奏楽部第5回定期演奏会があったので、それものぞく。指揮が1回生のときに私の基礎ゼミだった学生で、パーカッションの一人はいまの基礎ゼミ生である。モーツアルトをジャズ風にしたり、まじめな音楽をきちんとやったり、生真面目が基本だけれど、それでもなかなか楽しめるように工夫していた。
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