こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.2


こぐれ日録473 2/20〜2/26


2/20(月)


昨夜、近江八幡にあるボーダレス・アートギャラリーNO-MAのサイトが出来たのだが、そこにエッセイのようなものをはたよしこさんしか出していないので寂しいから、私も書いてねと依頼があったので、研究室で雑用をしたあと、午前中までに、書いて送る。

タイトルは特に指定がなかった。けれど、はたさんが「ボーダレスという視点1」ということで書いていられたので、たぶん、私は「ボーダレスという視点2」になるだろうと思って、そういう書き出しで、アーツの鑑賞者としてのボーダレスという視点で書いてみた。字数の指定もなかったので、はたさんと同じ1000文字程度に合わせ、はたさんが「です・ます調」だったので、それに合わせてみる。

以下、そのはじまりの部分のみ(全文は、サイトアップされたときのお楽しみということで)

(ボーダレスという視点2)
ボーダレスというのは、囚われないことだろうと思います。

そもそもアーツという自由な表現に向かうのですから、鑑賞する側も自由になりに行くはず。なのに、評判や名声に左右され、それらを消費してメディアの「発信」記号を持ち帰ってしまいがちです。いま、美術館でもそんな壁をとっぱらおうとする試みがおきていて、いつも楽しみにしています。鑑賞は、創造的行為であって単なる消費ではないのですが、鑑賞が受身のものだと誤解されるとさびしいですからね。

NO-MAは近江八幡という小さな町にあります。近代的な美術館ではありません。ひっそりとした町屋、それも小ぶりの佇まいは、敷居というものがほとんどないかのようです。そこでは作品展示がボーダレスであるとともに、鑑賞する側もボーダレス、十人十色になればいいなあと常日頃、考えています。
   (以下、省略)
・・・・・・

17時すぎから、shin-biでダンス。黒子さなえ、野田まどか、竹ち代毬也。明かりがぱーっとついた途中からずいぶん面白くなった。お菓子はもったいない。赤い液のラストは見ごたえ。間歇的にばしばしっと踊るところは快感。平日の夕方というのは、早寝早起きの熟年以上にはとてもいい。退職割引とか、失業者割引、あるいは、絶望者割引とかがあると嬉しいなと思ってそんな雑談をして待っていた。京都芸術センターのツアーでもあった。「におう女」ツアーというのが、なかなかのもの。

早く帰ることができたので、トリノオリンピックで唯一興味のあるカーリングを見る。昨夜のイギリス戦は安心して見られたが、イタリア戦は、第10endで先行という不利な状態からの逆転。よくやっているよなあと思う。30歳代、40歳代が中心の世界らしいので、とても若い日本選手たち。あとはスイス戦のみ。


2/21(火)


午後から、黒テントの方がやってくる。
大学内は閑散としている。『ど』(原作は小寺和平、構成・演出:山元清多)の公演を全国で旅しながら打つのだという。
ちょうど、5月(姫路とKAVC)はじめと5/31(大阪・精華小劇場)と6/2(京都芸術センター)ということで、学生にも紹介できる絶妙な頃である。

吃音といえば、燐光群の・・といって詰まってしまった。『神田川の妻』が出てこないのだ。ザ・スズナリで1994年に見たとき、すっきりしたお芝居とは思わなかったが、吃音とタイプライターが鮮明に残っていて、OMSでジャブサーと合同で公演したのを見たときにずいぶん痛く感じたのに、タイトルをど忘れしている。

ヘンリエッタ・ホルン&フォルクヴァング・タンツシュトゥーディオ『ラーケンハル―織物倉庫』。ベルギー・フランダル地域か。アルティ・ブヨウフェスティバル特別公演。19:31〜20:26。当日パンフにダンサーたちの経歴が載っているのだが、「ダンス教育」と「ダンサー暦」に分かれて記述されていて、実に分かりやすい。ドイツ的な感じがする。

短いが満足。憂いのあるどろくさい吹奏楽。ジプシー音楽にも近い、日本の歌謡曲ビッグバンドの幻聴まで。シャンソンなのにくぐもった歌。
気持ちのいい光線、メリハリある構成。シアトリカルだけど、五月蝿くない。
ダンスを観に行くことを促すダンスだった。

八幡市駅に着くと、いつものその表示、「やわたし」が、「やあ、私」に見えた。ダンスへの回帰?
立命館の学生さんからメールがあっていて、帰ってからその学生さんの答案を調べて返事を書く。就職活動で企画力を問われているので、その一助にするのだろう。

○ A+つけたる教え子のメール言葉で評価してくださいと
○ 非常勤マンモス授業のあとでなお講師を見つけて列乱すひと
○ やぁわたしひらがなばかりの表示板八幡市駅夜ホームただいま


2/22(水)


メセナnoteの原稿校正が来たので、このまえ写してもらった写真を取り寄せる。
やっぱり、プロの腕がいいと、よく見えるものだ。それにしても、目じりの皺。
午前中の楽しい女性学のレクチャー&トークがあって、
ベケットの文章に、生まれたときはしわくちゃのおじいさんで、死ぬまでとんどん若返るという話があることを教えてもらう。
葬送のあと、死後の世界はまさしくそうやって赤子になって生まれかわるという古来の物語が民俗学では普遍的にあるなあと聞きながら思った。

今日は無理をすればダンスボックスが見られるのだが、校務が続いたこともあるし、そのまま帰ることにする。でも、少しずつ気持ちが前向きになっている。いいことだ。

それにしても、短歌をもう少しうまくなってから、学生と短歌遊びをしたいものだ。でも、声を出していい短歌を読んだり、創ってみて、名前なしで選んで感想を言い合ったり。
句会もしたいけれど、歌会の方が先のようにも思える。

まだだろうと、思ってNO-MAのサイトを見ると、もう二日の前の原稿が載っている<、http://www.no-ma.jp/talk/dt_4.html >。写真は、使いまわしてもらったところだった(はたさん、ごめんなさい)。さらに、服部正さんの原稿もあった< http://www.no-ma.jp/talk/dt_5.html>。よかった、あんまり重複していなくて。


2/23(木)


午前中、京都の生協連合の方々による訪問。
京都橘学園生協という小さな組織を取材していただき記事にしてくれるのだという。
H店長が同席してくれたので、楽しく話す。学生が失敗できる場があることが大切だろうと。

午後、30首、学生たちと声を出して読む短歌を選んで抜き出す。そして、じっさいに声を出して読んでみる。
とても楽しい。いま思っているのは、声を出して読んでから、一首選んで短冊に書いてそれのコメントを語ったりする鑑賞のあと、まちを散歩して歌を詠む。そして、同じように声を出して選んで書いてコメント・・・という短歌ワークショップの構想なのだが、さて?
(なお帰ってから芳江に読んで選んでもらったら、東直子の一首になった。《「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの》。なるほどね。)

京都文化博物館へ。烏丸御池駅を上ろうとすると、男声とオーケストラの音がしてはじめ右翼の街宣車かとびびったら、『異国の丘』というミュージカルのPRビデオが無人で流れていた。
京都府美術工芸新鋭選抜展。村上直子の作品はCAP HOUSEで見たことがあり、懐かしい。あと、題名とか忘れたが、ネコが寝ていて(死んで?)前に野草がひび割れた地面から出ていてしかもそれは花が散っているという設置も興味深かった。

アートシアターdBで久しぶりにダンスサーカス。はじめは、いつも会う彼。でも、何だか当日パンフはよく分からない暗号が並んでいる。黒頭巾で水渡り。小さいとき、ここは海だから落ちたら負けよっていいながら椅子を使って舟にした遊びを思い出してみている。パフォーマンスアートでもあるが大道芸みたいでもあって面白かった。が、ちょっと大丈夫かなって心配していた。つぎは、三輪亮介。彼の指のダンスも目が離せず楽しかった。布団を被って大きな犬の顔みたいになった最後が秀逸。歌の選曲も面白い。

まなまなという二人組、デュオする相似形ダンス。はじめ、双子かと思ったら、ずいぶんと違う顔だった。そこが自分的におかしく面白かった。若井博人。久しぶりだ。最初の斜めかしいだような立ち位置が歪んだフィルムを見ているようで不気味な世界を一気につかんでいた。ときたま顔の表情が変わって、昔見たときのような痛い場面がない。穏やかな諦めに芯が一本通っている世界が紡がれる。最後は山下恵理。途中でもうどうでもいいやアーツダンスはって言っているようだった。

夜、芳江が嬉しそう。そう、ごくろうさま、確定申告を宇治税務署に提出してくれたのであった。なにも言われなかった?と聞くと、実は、扶養者控除を去年も今年もしていなくて(特別扶養者控除の欄かと間違っていたのだった)、税務署の人が逆に訂正してくれたという(もし税務署が民営化して、いくら追徴したかで成績が決まるということになったら、税務署にとってはマイナスになるこういう親切ってしてくれないだろうね)。去年の部分から数万円戻ってくるのだそうだ。こちらのミスを直してもらって、優しい税務署の人に当たってラッキーだったなあと喜び合う。


2/24(金)


のたのた、大学に出かけるまで、昨夜(確定申告無事終了&短歌を短冊に書く)の余韻を引きずる。

○ 甘夏や皮まで美味し遅き朝
もちろん、これは短歌でなく俳句ですが、どうも、夏蜜柑は春の季語ということで(歳時記入門という冊子にはそうあって)、甘夏も春かなと思いサンプルで作ったけれど、短歌より俳句の方が勉強すべきことが多い感じ。
まあ、のどかにやってみようということでしかないけれど(ワークショップのサンプルづくりとして考えると、短歌とかわらないようにも思え、でも、季語や切れということは、かなり太陰太陽暦などスロースタイルとも関係してまた別の面白さがあります。季語というデータベースが歌枕と同じでかなりバーチャルであることとかいろいろ)。

○ パン郁るカモミール店に寄り道しさくさくのアップルパンもペロリ
椥辻駅から少し寄り道して、このまえのまちかど寸劇のときに購入したパン屋さんでさくさくの白身魚のハンバーグとアップルパンを買う。やっぱり美味しい。ここ、パン工房カモミールは、お勧めである。しかも女性の対応が丁寧でこちらが恐縮してしまうぐらいなのだ。
http://blog.zaq.ne.jp/attamaru/article/244/

14時から2時間ほど会議。もっといろいろ話したいのだが、急激に疲れが出てくる。

読み終わった本、長谷川櫂『一億人の俳句入門』(講談社、2005)。
かなりくどいが本質が書いてある。ただ、中公新書「俳句的生活」ともダブル部分はあるが。この本に、俳句の作者と読書の両方に「驚き」がいるというくだりがある(32P)。驚いているのは作者ばかりで、読者はその驚きを呼び覚ませないという基本的なことが指摘されたあと、その驚きって、「サプライズ」なんかじゃないよとある。実にまっとうな指摘故に引用しておきたい:

「この(俳句における)驚きとはビックリ仰天すること(surprise)ではなく、はっと気づくこと(receive)である。奇抜なものにあっと驚くのではなく、静かに潜んでいるものにはっと気づく」。「気づくということが、すべての詩歌の原点であること」が説かれている。こんな当たり前なことも忘れがちになるので、この前も入学科のお仕事で、「感動」という言葉を別の言葉にかえようと苦心したのであった(「感動」という言葉がイベントや発信と同じような空威張りの空虚な言葉に成り下がっているので)。


2/25(土)


今頃、宇治市の平盛小学校では、プロのミュージシャンと一緒に作った歌を6年生たちが歌っているのだろうと思いながら、大学へ。

○ 手書き譜に歌遺す子ら卒業す
○ 梅の香や思い出包(くる)んで駄菓子唄

大学院の試験。私は面接のみだが、博士後期の方々が多かったし、前期の方も自分よりも先輩の方もいて、なかなか自分が試されるようでいつもどきどきする。3人で面接するので、その役割分担もその時々の状態で変わるのも、終わってみると、おお、そうかって思ったりする。

また、アイホールでのダンス公演には間に合いそうにない。教材作りをちょっとしてから帰ろう。めずらしく、芳江さんはお食事会だといいっていたなあ。花粉症は二人ともまだ何も手当てしていないけれど、大丈夫かなあ(私は去年の4月ごろ、なぜかはじめてそういう症状になったが、本当にブタクサ花粉症なのだろうか。かってにそう思っているだけかも知れない)。


2/26(日)


あさ、この正月前に買った黄万両って、ずっと黄色い実をつけ続けているね、と昨日名和晃平展を見てきた芳江が、一粒落ちた小さい実を差し出す。
○ 黄万両ふた月健気や粒落コロロ

今朝は、中華が脂っこかったのだろう、食卓に、4匹の鰯が並んでいる。焦げ気味なのは、私が生っぽいのが苦手なのでどうしても焦げが出来てしまう。4匹を一つの皿に盛るので、曲がった頭があっちこっち向いて恨めしそうにテーブルに乗っている。
○ 四匹で焦げ鰯殿箸を待つ   (あるいは、○ 春の膳焦げ鰯殿ご面会)

出かける前に、花柳基による日本舞踊入門4回目(昨日再放送分)のビデオを見て(舞台裏が出てきて興味深し)、そのあと芳江に見せたかったので、また『平岡伸太のニューススクランブル』(1500円でダーチャにて山下里加さんから購入ずみ)をみる。何度みてもおかしくて非常にメディア批評的な作品となっている。はたよしこさんの紙芝居を見せてからこれを流すという授業にもちこもうか。

少し遅れてOBPへ。学生のアートマネジメント会議。ドイツやイギリス、関東のホールでのアーツマネジメント教育について。そのあと懇親会。京大の1回生で私のサイトを見てこれに参加した学生がいてびっくり。もっと上回生かと思った。同じく京大生で芸術学なのにクロスワードパズルを卒業研究にしている3回生もいた。ビリヤードはカーリングに似ているけれどスポーツかどうかについて話し合う。スポーツは芸術だという話から、演劇は葬式だという安田さんの話もする。短歌と狂歌の関係もきちんとしつつ、川柳と俳句の違いはもう少し研究の余地あり。川柳のあとは詩吟研究である。

ダンスに関するドキュメンタリー映画をしているかと思ってのぞくと誰も見ていないのでやめたという。こういうことがアーツマネジメント教育におけるアーツ無視の状態を如実に反映しているもの。というか、それ以上に、懇親会の余興的に映像アーツを持ってくるという本質的な問題であるともいえよう。


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