こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.2


こぐれ日録471 2/6〜2/12


2/6(月)


朝、我が家が少しにぎやかになる出来事があり、いままでいまいち調子が悪かったのだが、これから気持ちが少し晴れるかなあと思いつつ、大学へ。でも、かなり寒く(札幌よりは暖かいとか言っていたがそんな悠長なことはいえなくなった)、今日は口頭試問だったのだが、その教室は、温度設定を最高の30℃にしても、ぜんぜん暖かくならないぐらい冷え冷えの一日だった(回りが誰も授業していないせいもあるのだろうが、もっと暖房できないとまずいのではないだろうか、この新しい学舎は)。

でも、10名の4回生ゼミ生が無事卒業研究を発表することができて、あとはご卒業式を待つのみということになった。みんなで沖縄に行こうとか、3/17の卒業式のあと、着替えはどうしようとか、楽しい話ばかりである。

アトリエ劇研のスタッフルームに入る学生(制作は肝っ玉母さんだって締めくくっていた)とか、音楽スクール関係の仕事をする学生。文房具メーカーに入って、そこには小学校の教材なども作っているので、企業メセナ的な事業をすすめるように、うまくもっていければなあと将来の抱負を語る学生など、じつに楽しい発表会でもあった。マイアコーディオンを三条の十字屋で買ってしまった学生が、いままでちんどん@たちばな家で使っていた中国製のアコーディオン(彼女が自分で買ったのはこれの倍のアコーディオンだったそうだ。ぜひ元を取ってね)を返しに来たので、ゼミの最後の最後として、少し演奏してもらう。

最後の授業がアコーディオン演奏。ちょっと、これはいい終わり方だったなあと思いつつ、大学を後にする。冷たい雨に首をすくめて。


2/7(火)


静かな大学。
朝、家族で女系天皇制度について、少し話題にする。
卒業まぢかな学生たちはアルバム制作をやっている。
こういう手づくり好きは結構下級生にもいるはずだ。
東山青少年センターの表さんからも連絡があり、あそこのレター編集について、ゼミの一環にしてみようと思う。

今日は思ったとおり来客がずっといたので、してしまおうと思ったことが出来ずに終わる。明日でいいや。実に平凡なことをしていて、どうも、2004年度卒業生の卒業研究一覧が見当たらないので、それをしこしこ作っているのである。生協の大塚専務に言えばいいのかも知れないが、仕事が忙しそうなので、まあ、他のゼミがどんなことを研究として出したのかも再確認できてそれなりに勉強になる。

今年度分も、こちらでまとめようと思っていて、それら2年度分を新年度の専門演習(3回生、4回生も念のため)で配ろうと思っている。文化政策についての学部レベルだが(修士論文リストももちろん必要だが)、身近に感じられるし、参考文献など役に立つはずだ。懐かしいので、昨年度のこぐゼミのリストを挙げておこう(16人中、卒業制作は4人で、今年は10人中6人まで制作になったのが大きな違いかな):
・・・・・・
自分らしい葬送について ―芸術と生活の交点―
音楽療法と介護(医療)
路上におけるアーツ ―ストリートミュージックがもたらすもの―
公園から見る子どもたち ―現代の子どもに必要な公園とは―
地域社会と公共性について ―パブリックアートの視点から―
集客のための効果的なフライヤー(チラシ)とは ―フライヤー(チラシ)の実験的展示を通して―
ゆとり教育と芸術教育 ―日本の子ども達に芸術教育を―
日本人と健康食品を考える
OBPアーツプロジェクトに参画して ―「アーツにスーツ、スーツでアーツ」、ビジネス街に芸術を届ける試み―
劇団「京都さいなやむ」旗揚げまでの道のり
飲食店の空間デザインとコンセプトづくりによる集客力 ―これからの飲食店に求められるかたちとは?―
『音の力』 ―自らの音楽の出会いを通して―
ほんもののココロの時代の自己教育 ―スリーインワンコンセプツの視点より―
市場における商品パッケージの影響 ―ペットボトルパッケージのデザイン色彩を元に―
日本のスローフードを守る ―スローフードが伝える地域の魅力―
ファッション写真の魅力 ―ファッション雑誌を通して―


2/8(水)


水曜日は校務の日。
そのあと、生協の理事会があって懇親会がある。
ものすごく女性比率の高いがんこ寿司なのだ。
去年、図らずもじゃんけん大会で勝ち残ってしまったので、その轍は踏まないようにして、
それは成功したし、来年度も生協はいい方向になる感じがして嬉しい。
あとは、看護のオリーブさんとか理事さんとかを勧誘することとカフェの運営のことぐらいかな。

川添裕(本名:古谷祐司)『江戸の見世物』岩波新書、2000年。イベントとか博覧会とかテーマパークとかアニメとか、どうも苦手(+マイナスイメージ)なのだが、その源流としての見世物のことなら、とても興味津々とかになるのは、どうしてだろう。この辺りから苦手を克服することかもねえ(漫画も苦手なのだが、新書のなかに「ドラゴン桜」とか「君はペット」とかが引用されていたんで少しは読み出したし)。

見世物のなかでも一番私が気になるのは「細工見世物」。これは、見立て、風流(ふりゅう)という日本文化の伝統と、実際にモノをつくる物質性にこだわる「つくりもの」の伝統に由来するもの。おなじみの祇園祭りの山車とか奉納細工、神社に積んであるお酒の樽の壁なども同じ系譜にあるものだろう。ということで、少し引用(p58〜59):

《 どこにでもある日用品を素材に、伝奇的な人物や鳥獣草木などをつくった細工見世物は、素材と、素材の集合が表現するものとの落差を楽しむ見世物であったと括ることができるだろう。ごくありふれた日常の素材が、細工の結果、まったく別の何ものかに生まれ替わってしまう。しかし、ふと見れば、素材はあくまで素材のままであり、その両方が観客には同時に見えるのである。いわば見世物化のプロセスを、そのまま見せてしまう見世物といってもよい。そこでの観客は、素材と完成品とのイメージ落差が大きければ大きいほど、あるいは洒落風流であればあるほど、面白いと感じるわけである。》

そう、『籠にせよ笊にせよ、生活のなかで竹製品が用いられる頻度は今日の比ではなかったはずで、そのありふれた籠で「こんなことができるのか」という親しみをベースにした驚きが、観客にはあったにちがいない』。いまは、笊が「ざる」って読めなくなったし、すぐにその形状が思い浮かべられない子どもも多いような気がする。


2/9(木)


10時に学生らが来て、新年度の時間割の相談をしていた。
なかなか、時間割というのは思い通りできないものだ。
13時半を過ぎてしまったので、ほんとはだめなのだが、ありもので生協の食事にありつく。
生協の理事長だからといって、いつも甘えてばかりいてよくないなあとは思いつつ、助かる。

食堂の開店以来ずっと使っていたどんぶりを新しくするので、その投票があって、興味深く店長と話す。おうどんは、青い縁で中が黒(冷うどんはそれに決定するというし、投票数から見ても熱いおうどんも同じになりそうだ)、ラーメンはきっぱりした柄(かわいいものだが)の、スープカレーとかラーメン以外でも使えそうなものになるような勢いだった。結構、こういう選択はデザインだけではなく、どれが多く見えるかとか、多様性とか、洗い場のこととか判断が多元的なので面白い。

生協の人で折り紙とか紙細工が大好きでいつもボランティアで立派な飾り物をしてくれている女性がいて、彼女のいまの大作がひな祭りで、みんな両手に出しているので、驚いているんですか?というと、フォーーしているんですという。フォーーって、フォーーと驚いているのでしょ?と聴くと、知らないのですか、流行大賞にもなった、あのフォーーですよという</a>。ホー?

いま、検索して、確かにこういう人はちょっと見たかも知れないとは思ったが</a>、雛人形がフォーということでこんなに分からない人がいるなんて!とみんなに驚かれて、こちらも驚く。

井上宏『笑い学のすすめ』(世界思潮社、2004)は、笑うことを学問にするということの大切さを教えてもらったし、それ以上に、意識的に笑うこと、笑われる関係をヨコつながりにしていこうという気持ちにさせてもらえた。つまり、ユーモア精神というのは、“人から笑われるからやめておこうとか、恥ずかしいから目立たないでおこう”とは考えない精神を持つということであり、他人の目に動じない個人の存在があるので、失敗すれば、失敗した己を笑うだけでまた復活できる可能性を持つということに通じるのだ。笑い研究の広がりは次のよう(p202〜203):

《 「笑い」について考えるとき、まずは「笑うのは人間だけなのか」という動物学からの問いがあり、次には「人間は何故笑うのか」を問題とする哲学的な問いが浮かび上がる。「笑い」は感情の表出なので、どんな種類の感情を担い、どんな心理的作用をともなうのかという心理学的な問題を投げかける。そしてその「笑い」は体内においてどんな生理学的な変化を引き起こすのかという医学的な問題が問われる。また「笑い」は、人間関係のあり方に深い関係を持っており、人間関係論やコミュニケーション論からも考察の対象となる。集団や組織のなかで「笑い」が果す機能を問題とする社会学的な問題も派生する。そしてまた、どんな表現が人を笑わせるのか、言語上の問題やパフォーマンスとしての考察もあり、言語学や文学・演劇、芸能における笑いの研究も成り立つ。・・・》

そして、笑いの創造性、ユーモアの独創性にもなるのだが、創造性とは、これまで関連することのなかったべつべつの精神構造を統合し、新しい統一体から、インプットしたもの以上のものを得ることであり、これって、笑い理論のひとつ「ズレ理論」、つまり、一つの平面からべつの平面へ瞬間的に飛び移るときに笑いが生じるというものそのものでもある。「一見関係のないもの、別々の領域のものが、同一平面で瞬間的に結合する、まさにそのときに笑いが生じる」というわけだ。だから:

《 芸術にしても科学にしても、創造したものが即座に理解されるとは限らない。創造者の死後になって初めて受け入れられるということは往々にしてあることで、世間の無理解や無知を敵にまわして、一人「愚者」として生きることを余儀なくされることもある。こうした「愚者」の存在は、ユーモア精神を体現した者と言える。》(p150)

実はこれを書いた後、そろそろ帰ろうかなあと思っていると京都市山科区の方から電話。なんと、毎年リサイクルアート部門の審査員をしているのだが、今日が本当は審査会だったのに、明日だと思いこんでいたのだ(自分の手帖への記入ミス)。あわててタクシーを呼んで東部文化会館へ。何とか遅刻はしたが、審査は出来た。ごめんなさい。リサイクル点字用紙のコンペを審査した話を事務局の人にしておく。


2/10(金)


今日もなにも鑑賞もせず(ドイツの写真を見ようと思っていたが、気がつくと16時になっていた)。
劇団そとばこまちからのご案内。うちのゼミ生の名前も見つかる。これはどうしても、行かなくちゃね。

バスが30分遅れた。五条京阪前でずっと待つ。
天気予想から想像したより寒い。
韓国の大学に留学していた学生の単位認定。
ほとんど観光についてみたいだ。その学生が、韓国には地域ごとに観光土産って少ないって言っていたけれど、ほんとうだろうか。

後期の授業アンケートの集計結果がレターケースに入っている。集計結果と全体の平均とのい差がグラフになっていて、その下に「担当者コメント、回答:」というのがあり、何か書けということなのだ。

まあ、受講者の平均なので書きようもないし、全学との比較をしても仕方がないし、もしちゃんと授業にコミットメントしている学生だったら個人的に聴きに来ただろうし、これからも来ればいいし、この回答欄を閲覧していても見るひともいないだろうから、企画広報課あたりの自己満足みたいなものだろうが、まあ、ちょろちょろっとコメントを書いて提出しておく。

それにしても「この授業は、将来役に立つ」という項目について、全学の平均よりすべて低く出ている。いつも高いのは、授業外学習という欄だけなのだが、これって、私の場合、アーツを鑑賞したり訪問したりすることもセットなので、授業内じゃないかなあ。まあ、全学平均より高いものも最低ひとつはあるので、何とかココロの平安は保たれるのだけれどもね。コメントの例示:
・・・・・
現代社会の課題
「アーツの扉」というテーマで、現代社会における芸術・芸能の受容の選択肢の欠如の問題意識を底辺に置きながら、アーツアウトリーチ的な効果をも狙ってはじめて文学部・文化政策学部の1回生を対象として行なった授業です。J-popという概念自体がいかに新しくて不分明なものかなどの問題提起を楽しく行ったように思います。今度1回生のゼミでお世話になる東山青少年活動センターの西田さんから電話。舞台づくり基礎ミニ講座の講師に思いがけない方にやってもらえることになってびっくりする。
・・・・・
インパクション</a>」150号のインタビュー、大塚英志『この国はいま自分たちの憲法を新しく作れる状況にない』が気になる。少し引用しておく。

《 ニートとか正直、知ったこっちゃないです。ニートって団塊ジュニアでしょ、「世代」でいっちゃえば。全共闘世代の人たちは、批判して壊していくだけで、じゃあ次に何を作るのかという一番肝心なことを担わないまま多数派としての恩恵と戦後の経済の恩恵を受けていて、自分たちの二世たちに、今度は自分たちが獲得した既得権を相続させようとしている一番タチの悪い保守ですよね。たとえば小泉改革を支持したのだって、「改憲」OKっていうのも、団塊世代とそのジュニアの若者たちじゃないですか。・・・・
 ニート、フリーター対策なんて、国をあげて若者たちを甘やかそうという政策でしょ。・・・でも、団塊親子は「小さな政府」でいい、って小泉に投票したんでしょ?あとアメリカ型の市場現地でいこうって。だったらニートに余計な予算は使わず、フリーターだって、安い使い捨て労働力という点で、そういう社会では、むしろコスト的にいいわけでしょ?そういう「改革」支持して、見せかけで「ニート」憂いてるってギマンですよ。》p21

《 なんで、そんな「若者」に上の世代が気、使う必要があるんですか。・・意欲がない人におんぶに抱っこで働かせたところでしょうがない。何で、イラクの人質に「自己責任」とかいって、「ニート」に「自己責任」って言わないのか。・・・・奨学金だけで卒業できる、卒業したあと、ひたすら本人が働けるようになったら、ローンで返せばいい。アメリカの教育ローンはそういうローンですよね。だけど今の日本の奨学金制度の中に奨学金だけで食べられるような奨学金はない。そういったものを充実していく。しかも、一定の成績とか、シンプルなことだけで、国籍も一切問わないみたいな、そういったものを用意しておく。・・すごく簡単なことで、たいしたコストの投下にならないのに、それはやらないで、「ニート」の「意欲」について税金使っても無駄です。》p27

ニートに税金を使うことを予算化しているのだろうか。調べてみて、びっくり。なるほど、05年度から色々やりだしているんですねえ。

大塚氏の話し振りはこの冊子には珍しいリズムなので、それだけで目を引く。「憲法というのは他者との共存ですからね。自分と違う人たちとどうやって生きていったらいいのかというときのルール作りと、その上で出来上がった国家という社会を自分たちがどうやって律していくのか、それが二つのポイントです」。国民とか日本人とか愛国者とかではなく、主権者や有権者として、「私」を国家とのかかわりで定義すること。

「私」が国家をすきかきらいかということはおいといて、国家の運用と暴走に対して責任を負わないといけない、と。そう考えると、いまの改憲に対する立ち位置がちょっと見えてくる気がします。

改憲論議の前に、法律なのに皇室法という名前にしなかったため、ちょっと憲法的な(戦前と同じ名前なのでそれも帝国憲法風な)ニュアンスを漂わせてしまっている皇室典範改定論議〜まあ、ある出来事で中断気味でしょうが〜は、改憲をスムーズにしてしまおうという策略ではなかったかと個人的には思っています。恐れ多いことなので国民の議論はしないままに改定しちゃって、同じようにメディア規制・自粛などをかませて、すすすーっと一括改憲へ持ち込もうという策略ですね。


2/11(土)


だれもが短歌とか俳句とか作れるワークショップしたいなと思って、そういう本(『短歌はじめました。〈百万人の短歌入門〉』角川ソフィア文庫)を読んでいると、自分も作りたくなって、昨夜、寝る前、歯磨きしたのにみかんを食べた自分がおかしかったりしたので、作ってみた。あまりに下手なので、それもまた限界短歌なり。

○ 就寝時歯みがきしたのにこそり守る「水曜日は、みかん食べる日」
○ 風呂上りいつものように口濯ぐ黄金誘惑危なし蜜柑
○ ストレッチおふろあがりにするのですでもねそのまま寝ちゃうの冬夜に

近江八幡へ。堀の辺りを散歩。人気は少ない。
ボーダレス・アートギャラリーNO-MA、「大地に生える氣」が今日から始まる(3/30まで)。

日當学(北海道)の等身大、いや少し人間よりも大きめの陶の作品が丸い口を突き出して迎えてくれる。彼の作品は、2階にだいたいあって、色とりどり。2階には、鮮やかな村井崇の動物絵、藤野公一の迫力のある墨絵がある。たこはついたてにもなっているし、赤い墨絵にもなっている。あしをあげているたこもあるし。丸いものが好みなのだろうな、おしろまで丸い。

柳の枝(白く皮が剥いてある)が段ボールにどっさり。はじめ、まだ展示が出来ていないのかなと思った。するとディレクター公募で選ばれた工藤和彦さん(北海道に住み着いた陶芸家)と砂澤ビッキへ木を提供してきていまはビッキ作品を所蔵している河上實さん(エコミュージアムおさしまセンター館長の企画で、オープニング企画(ワークショップ)がはじまった。

そうか、まだ「樹華」だけは展示準備ができていないのかと思ったけれど、展示そのものを参加者の手で完成させるという企画だったのである。「四季の面C」の神様の長い舌の分節も若干異様で面白いし、「隔生」の樹齢500年ぐらいらしい桂(北海道音威子府が北限らしい)の木のほんのりと赤みさした肌合いにも心奪われつつ、やっぱりこの未完成の「樹華」の足の黄色さす白いヌードな姿がずっと気になっていたのである。

カタログとはずいぶんと違うように柳の枝は挿さったが、NO-MAだけでしかみられない作品に小一時間もするとなっていく。子どもたちはどうしても下から上に挿すので落ちちゃうけれど、脚立にのぼったりして楽しそうだ。遠慮していた若い人も気がつくと夢中になっている。小さな枝が大きな枝と絡み合い支えあってぎゅっとその形状が引き締まり広がり、上への希求と横への広がりが生まれる。NO-MAの入り口から見るとまた格別。

今回は砂澤ビッキのほか、蔵にはトトロ体型だと工藤さんが説明していた猪風来による縄文土器様式の陶芸が細かさと野焼きのこだわりで奥に鎮座している。さらに、ギャラリーの奥には、町屋のNO-MAではかつかつでやっと入った北海道の粘土とそこの寒さや風、そして暮らす福祉施設の皆さんの足のあとが作品になった「無限抱擁」がどーんと占領していて、NO-MAの風土とはまるで違うワイルド北海道、アイヌと縄文の荒々しくも優しい風が逆に近江八幡のきめ細かさを際立たせる展覧会になったなあと感じている。

3/11には、猪風来さんにより縄文オブジェの野焼きがあるそうで、帰りに事業団スタッフの方に、こんな大きなホタテが届くんですよ!是非!と声をかけられた。
河上實さんという方はワークショップのときは作業着だったのだが、15時から知事や市長が出るレセプションではきちんとスーツに着替えて、ひげと痩せたたたずまいが北海道という大地で生きる人の風情を十分に漂わせていた。それに、NO-MAの木材をしみじみ見て、杉の繊細さにとても心惹かれたようで、北は蝦夷松、椴松のごつごつした木材ですからねえと言っていたのが印象的であった。

帰り、またまた、正直者の会にも、アルティ舞踊フェスティバルにも行かず、いそいそと八幡に向ってしまう。

○ ふとどきと思いながらも招待のありがたさのみ保存のファイル
○ 観劇の慣性失い宙ぶらり風邪の気配にソファーが沈む
○ CDのオムニバスなら任せてよブルーハーツマイベストバラード


2/12(日)


少し遅刻したが(かなり意図的。だって、コンテスト発表がずいぶんあとのほうだったので)、ユメチエフォーラムを最後まで聞く。
自分が出演するものもこういうシンポジウムとかは大の苦手なのだが、最後まで聴衆として聞いたのはいままでなかったように思えて、少し自分ほめ。

特に嬉しかったのは、加藤和子さんが太陽クラブの人たちに直前メールしたら、3名もやってこられたこと。そして、とても刺戟になりました!と私などよりもずっと熱心に聴いていられたこと。何か太陽クラブや山科内の障害者クリエイティブ活動のきっかけになったら望外の歓びだ。

あと、最後に出た株式会社ニュートーキョーの情報システム室の方が、私などこういう場に出る資格がなく来てしまったととても謙虚に恐縮して話されて、それがとてもいい感じだった。普通の外食産業って利益率の低い業界なのだとかそうだろうなあとか昨今のIT・株関係のビジネスと比較しながら聞いていた。そして終わってからちょこっとその方とお話をする。

すると、点字用紙をシンプルにADカードにしたらいいですよ、とか、葉書大にして渡して、そこに自由に描いたりするコンテストみたいなシンプルな方がいいではないですか?とか一所懸命に考えていただいていたのだ。時間が押していたので短い発言だったけれど、いろいろ考えてくれていたのだなあとまたまた嬉しくなる。

それ以外では、テンダーハウス陶工班(社会福祉法人菊鉾会)が、フェリシモと連携している話(アーティ・アンド・アイリ、soap dishは確かにかわいい)、HOLYLAND(修光学園、飛鳥井ワークセンター)のパンが公設スーパーと一緒のところにあって、市販パンと同じ売り場で競い合っている話(パン部門の売り上げが2000万円)なども興味深かった。このあたりは、うちらの学生たちも入りやすい感じがするし、京都なので身近だし、何らかの関係が出来たらいいなあと思う。積木屋・豊能障害者労働センター(箕面市)の年間売り上げが1億円という規模も参考になる。

福祉におけるコミュニティ・ビジネスという分野は、ここでとりあげられた1億円前後というぐらいの事業規模あたりが議論のベースなのだろう。アーツ部門ではなかなかこうはいかない。そういう意味でも福祉とアーツ(特に市場を考えたアーツ&デザイン&クラフツビジネス分野)のタイアップの意義があるわけだ。



KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る