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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.7-8 こぐれ日録496 7/31〜8/6
悪いけれど、文化ビジネスは、どんぴしゃの専門ではないので(死装束の話をしたぐらい)、 アーツとか起業とかソーシャルマネジメントとかコミュニティビジネスとか、つまり、京都の大学を横断的にネットワークしつつ、とくに、うちの文化政策学部のかなりのコースに関係ある話になるのは確実だ。
街角の花屋さんって、戦後歌謡でよく歌われるけれど、ヤクザ(三船俊郎)は縄張りの証拠として胸に一輪という役割だったのかと新鮮。落ちぶれて、30円といわれるのだが、30円っていえば、当時の物価水準としてはずいぶん花って高かったのかも。 バスに乗って、ずっと気になっていることがある。というのは、子どもが降りるときに、「ありがとうございました!」という習慣である。 昔、徳島市にいたとき、市バスをどうやって経営建て直ししていこうかと思っていて、まず、ありがとうございましたと運転手の方からいうべきじゃないかと議論したことがあったことを、ずいぶん前だが思い出す。 今日大学に来たのは、会議(これについては、エポケーしてしまうしかないもの)があったからだけれど、集中講義がけっこうあるようで、食堂などいつもに近い混みようだった。 久しぶりの應典院。France_pan 8the session『咆哮マーチ〜雨と飴』。作・演出:伊藤拓。作者が大学時代につくったもの(第4回公演)の改定再演ということ。外国人の映像とか認知症(劇中では痴呆症といい、看護婦とか、あえて旧来の言い方をしているのも興味深い)の母のあっけんからんな応対ぶりなど、断片的ながら色々と面白いところもあったが、110分(19:05〜20:56)は少し長すぎるかな。前説では確か100分って言っていたしね。 学術振興課に借りていた大事なファイルを返そうとひとたび手に持ったはずだったが、結局、返していなかった!という事実を芝居を見ていてふと思い出してしまった。研究室のどこかに置いているとは思うが、心配だ。
○自然のなかのヒト、生物としてのヒトをダンスが一番切実に意識しているから 2)特に理科である理由はあるかないか 理科は、音楽と実は近しい。音波。 3)ラップ音楽の効用 4)ダンスへのインパクト 5)学校教育におけるヒント ・・・・・・・
じぶんが、ダンスファンであることをつくづく実感した日だった。 昨日この日乗で書いたメモを8分ぐらいで話したはずだが、ダンスで「社会科」の授業も結構できるという千葉の小学校の岩瀬先生の話があったので、ダンスの威力をよりいっそう確信する。 従来、小学校でアーツをする意義は、アウトリーチ的にアーツマネジメント業界としては考えられていたきらいがあって、つまり、小学校でたとえばダンスが好きになって、ダンス公演鑑賞とかワークショップの自発的参加までもっていくこと。つまり、小学校を軸として考えると、アーティストが校舎に一度はおもむくが(into school)、結果としては、生徒や先生が小学校(学力向上機構)から出て、心身の開放と表現をめざすアーツへと向かうこと(out school)をねらっていたように思える。 今回は、理科というschoolどまんなかでの効果(in/on school)、つまり、学力そのものまでを考慮している。 ワークショップしていて、ほんとに心の底から思ったことは、ダンスそのものが持つ(未知の部分をも含めた)可能性であった。いまさらながらではあるけれど。 一見、ダンス(をはじめクリエイティブな表現者によるワーク)は、学校の空気を乱してしまう(ように錯覚=誤解されがちだから、「余裕のない教師でしかない自分としては保身的にならざるをえないのよ(弁解気味に)」・・・)と思われ扱われがちである。 だが、その空気に自分もそっと入ってなじみつつ、先入見を少しはずして観察してもらえば、ものすごく、いい空気を作っていて、いままで、その学校の空気になじめなかった生徒たちの心身を、スムーズに授業へ向かわせる役目をしているのだと確実に言えることが分かる。 ダンスと学校の出会い機会づくりというのは、out schoolだけではなく、生徒の学校への道(toward school)にも実にその効力をもたらすのである。授業に入ることができれば、そこには、教えるプロの教師が待っている。 ダンスで理科をしていると、教科書とか市販テストなどの基礎知識を飛び越え、理科の領域すら飛び越えて、もっと広く深い学習が出来るという話もあって、ダンス業界的な関心事のout schoolだけではなく、学ぶ主体が、学校という窓から世界へと五感+αを拡げるという意味のout school(いや、over school?かな)もあるかなとシンポの間、結構時間があったので思っていた。 もんだいは、もちろん、学校現場に波及し、上下左右にわたって腑に落ちてもらうこと。 朝、以上を書いた後、大学に行くと(タフ5のファイルを返すことなど事務的なことのためもあって)、キャンパス見学会が始まっていた。次年度からの児童教育学科の人気はずいぶん高そうで、9501教室をのぞくと、立ち見になりかけている。でも、実際はずいぶん席は空いていて、でも、長い机なので、両端に人が座るともういまどきの高校生は、中に入れてもらうことなどできないのだ(もちろん、大学生でも大人でも同じかも)。 ちょっと、ベテランの入試課長のわかりやすい説明(こういう話は聞いておくと自分で高校訪問するときに助かるのだ)を聞きつつ、自分で客入れをしていたが、始まってからかなり遅れてきているのだから、あと30分ぐらい辛抱してもらおうと、この客入れのかってなボランティアを終了する。 夕方、京都文化博物館で『北斎と広重』を観る。大きい版といっても浮世絵は壁に展示すると小さいし、近くで見て楽しいものだと改めて思う。浮世絵の楽しみ方は、(いまは江戸時代ではないので無理だけれど)机で数人と見ながら、関連した話を連想してお話をするように気楽に味わうようなものかも知れない。瀧とか空想ちっくな橋とか。このヒトだれだれに似ているとか。漫画を楽しむのとそんなに違わない感覚で。 さて、なんば。少年王者舘『I KILL〜イキル〜』である。精華小劇場に座りながらOMSミュージアムスクエアがここに何とか引き継がれているかもなあと、名古屋からの天才アーツマジシャン:天野天街を味わう準備をする。演劇でここほど、ただただ、うっとりさせてもらうだけでいいと思う劇団はない。今日もそういう気持ちで見て、すーっと帰った。 ダンスがかなり多くて、イチロウをめぐる話はしごくシンプルだった。言葉遊びも健在。カーンと伸びる女声たちの音と蝉の声がいまだに精華の校庭に響いているよう。映像のトリッキーな扱いとか、いろいろ見どころ多くて、関西でまだ少年王者館をみたことがない人がいるとしたら、ぜひ、この際一度はめくるめき、うっとりしてもらいたいものだと思う次第である。
中日ドラゴンズの情報を得るため、最近、毎日テレビをつけるようになってしまった。一週間ぐらいテレビを見ないときもあるのだけれど。2日前だったか、野球を見ていて、チャンネルをうろちょろしていると、きっこの日記で話題になっていた亀田とかいう若いボクサーの伝記物語のようなことをしていて、そのうちに試合に移っていた。 どちらも手加減しているようで、チカラの乏しい不思議な映像だった。亀田とかいう人のパンチには劇画チックな音がついていて、これもドキュメンタリー仕立てのドラマなのかなあと思っていたら、案の定、面白い判定(ホームディシジョンとかいうちゃんとした言い方があるのだそうだ)で、そのあと、きっこの日記がにぎわっていた。 関西圏のなかで大阪(特に市内)は低所得世帯が多く地域格差に悩んでいる。そういうこともあって、何とか這い上がろうとして、テレビに売れるような芸をして一攫千金を夢見る人が多く出るのかも知れない。一番の問題は、視聴率至上のテレビの方なのだろうが、興行師の暗い側面も垣間見られて、もちろん後味が悪い。きっこさんに、ジダンの頭突きとこの亀田という人と一緒にされて、少しがっかりしたが、冷静に思うと確かに似ている部分はある(でもなあ・・・)。 さて、と。 《開局の日、私(柴田:小暮注)はまだ日本に帰っていなかったが、最初に映し出されたのが、盛大な開局式典の中継、続く初のスタジオ番組が、宝塚スター天津乙女と南悠子の祝典舞踊「寿三番叟」だった。その優雅な舞姿が快適なリズムに乗って映し出された時、街頭テレビの前には、早くも黒山のごとき人だかりが生まれ、映画にも劣らぬ鮮明な画像に、人々はアッと驚いたという。・・・・・テレビ・ショックがこの瞬間から始まった。》 街頭テレビ構想は、筆者柴田がホールステッド技師から教わったアイディアであったという。後に正力松太郎は自分のアイディアと吹聴するようになるのだが、街頭にテレビを置くことを実際に警察や国鉄などが許可するためには、正力が警視庁官僚出身であり、警察OBを多く読売新聞社に採用してきたことなどが功を奏したことは違いないとは言える。いずれにせよ、飴を買わないと見られない街頭紙芝居は、この街頭テレビの出現で消滅の運命を加速したこともまた確かだった。柴田は当時、街頭テレビに熱狂する「この大衆こそが、日本の自立から再建、繁栄への真の活力となってくれるものと信じて疑わなかった」。そして、つづけて柴田は言う。 《当時私はこの街頭テレビを、大衆と結ぶ「至近、最善の道」と唱道していた。二〇世紀文明の華というべきテレビを、日々食べる闇米にすら事欠く大衆に、楽しみ喜んでもらうには、事実これしかなかった。このアイディアが見事に当たった。その爆発的人気に着目して、朝日ビールが真っ先に協賛を申し出てくれた。そのお蔭で二十九年六月からさらに一〇〇台増設し、関東一円に二〇〇台前後の新型テレビが拡がった。・・・・》 朝日ビール(当時)が出てきて、面白いなあと思う。佐野眞一『巨怪伝』(文藝春秋、1994)でも、日本テレビ開局のための最初の資金集めを正力がブルドーザーみたいにやっている記事のところで、正力が申し込んでもいないのに、自分の方から正力に出資したいという奇特な人物が二人現われたというくだりがある。一人は後に経済詐欺事件を起こす人で、もう一人が、まだ財界ではあまり名の通っていなかった松下幸之助だったとか。いまもまた社会貢献にとても熱心なのが、アサヒビールと松下電器ということを思うと、時代を先取りする遺伝子みたいなものって、企業のどこかにあるのかも知れないとも思ったりする。以下、『巨怪伝』p474 《正力は街頭テレビだけでは満足せず、街頭テレビを見ている群集をポラロイドカメラで映させ、それを急ぎ局に持ち帰らせて、中継の最中に放映させることまでやらせた。街路樹に登っている観衆は、突然、自分の姿が映し出されると同時に、自分が見ているテレビから、「そこの木に登っている人、危ないですから下りて下さい」という呼びかけのアナウンスが流れることに仰天し、ますます、“街頭テレビ”の評判は高まった。》 おっと(街頭テレビネタを書いていて時間がない)、TOKYOSCAPE、後半の2本をどちらも、とても興味深く堪能した。人間座スタジオの公演あとの詩森ろばさん手作りもある「ろばカフェ」もとても美味しく気持ちよくしかも有意義で、演技を終わってすぐに女優さん(宮嶋美子)と見終わった直後のお芝居を含めて、今回来ていただいた劇団の特色などを話し合え、さらに時間調整も出来、言うことがないぐらい充実した観劇日。うちの2回生たち、3人も来ていたし・・ 風琴工房『子供の領分』人間座スタジオ。門前仲町のビルが見えるようだった。丁寧な会話劇だけれど、役者は体当たりであり、ここの芝居は距離のとり方をうまくするととてつもなく大きなものが得られることがよく分かる。逆に言うと、好き嫌いがはっきり出る(見るほうが自分の見る傾向を考えさせる)タイプかも知れない。そこがまた魅力なのだけれど。 reset-N『パンセ2006』。アートコンプレックス1928。スタイリッシュ、クールで知的なエンタテインメント仕立て。でも、創刊しようとした雑誌についてはずいぶん考えさせられる。終わりはなれていない観客でごめんなさい。
TOKYOSCAPE観劇の最後。唯一、10年以上前ここ、桃唄309は見たことが数回あって、特に戦争に入るときの画家の話は印象に残っている。もちろん、当時は、舞台美術を役者が持って動かしたり(ISIS 自立不能舞台装置システム)はしなかった。 劇団桃唄309『おやすみ、おじさん』。再演。1時間45分ということ。 ISISはISISとして興味深く、巧みさを追及するとそれ自身が鑑賞エレメントになるかも知れないし、逆に役者のうまさではなく健気さ(ずっこけ加減も含めると)を見せていけば、大衆演劇とかを逆に想起させてもらえるものでもある。ただ、テーマとして、深刻なものとか、社会の襞を丹念にえぐっていくものには向かないのかも知れない。個人的には、ISISではなく、じっくりと物語るお芝居も見てみたいものだと思ったのに、帰り売っていたビデオ(ブラジャー開発について描かれたという『ブラジャー』は特に気になった)を買うのを忘れたのが残念である。 フェスティバルゲートへ。7月の終わりからやっているビッグ盆。 きょうは、2回のフェスゲ奥のほうで、やぐらが組まれて盆踊りである。 近くの恵美小学校の生徒たちと上田假奈代さんたちで作った新作の盆踊りが披露されていて、生徒たちが照れずに踊っている姿がすがすがしかった。一緒に混じりたい気持ちもあったが、ただただビールを飲んでいるだけになっていた。
《もう一度確認しよう。ここで問題としている〈肉〉は、質料ではない。〈肉〉とは見えるものが見る者の身体にまといつくことであり、触れるものが触る者にまといつくことである。このことは、身体が事物を見ながら、事物を見ている自分を見る場合に、そして身体が事物を触りながら、事物に触れている自分に触れる場合に、とくに明確になる。この際に同時に、〈触れるもの〉としての身体は、触れるものの間に降りたち、〈触る者〉としての身体は、触れるもののすべてを支配する。そして身体はその塊の〈開け〉や亀裂によって、自分のうちからこの関係を、この二重の関係を引き出すのである。このように〈見えるもの〉が、一つの〈見えるもの〉を中心として集まるということ、言い換えれば身体という塊(マッス)がさまざまなものの方に炸裂するということによってわたしの肌の振動が滑らかなものとなったり、ざらざらとしたものとなったりするのであり、わたしが事物そのものの運動と輪郭を両眼で追うことが可能となる。この魔術的な関係は、わたしと事物の間の〈協約〉とでもいうものであり、この協約に従ってわたしは事物に自分の身体を貸し与え、事物が私の身体に自らの似姿を書き込み、あたしにその面影を与えるのである。わたしの視覚とは、〈見えるもの〉の中央にあるこの空洞であり、この襞である。いわば、見えるものと見る者、触れるものと触る者が、二列の向かい合わせの鏡を形成するのであり(わたしは見る時にも触る時にも、みごとに結合されたこの二つのシステムに頼るのである)、これが視覚一般と可視性の一定したスタイルを規定する。》「絡み合い―キアスム」『メルロ=ポンティコレクション』(ちくま学芸文庫、1999)144-145p 中山元編訳 673字 同じ箇所を滝浦静雄の訳で念のため抽出しておく(『見えるものと見えないもの』みすず書房、1989)202-203p |