こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.7-8


こぐれ日録496 7/31〜8/6


7/31(月)


先週の月曜日も京都府庁の会議だったが、
今日も、同じく、同じ建物にて、
文化ベンチャーネットワーク関係の府庁での会議。なんと、
京都府は、いま50数件にも及ぶアクションプランを作っているのだそうだ。
なぜか、私が進行役。みなさん協力的で助かる。

悪いけれど、文化ビジネスは、どんぴしゃの専門ではないので(死装束の話をしたぐらい)、
なんとか、司会役をこなそうと必死である。時折、日頃使わない単語もでるけれど、
そのほうが、意外と気持ちも余裕があるのかも。
といっても、ぜんぜん、うまくはない。
ただ、時間はぴたりと終わった。偶然である。

アーツとか起業とかソーシャルマネジメントとかコミュニティビジネスとか、つまり、京都の大学を横断的にネットワークしつつ、とくに、うちの文化政策学部のかなりのコースに関係ある話になるのは確実だ。


8/1(火)


昨夜、黒澤明監督の『酔いどれ天使』(1948年)を観る。
直接のきっかけは、笠置シズ子のジャングルブギ実演を見たかったからだが、
特典映像とかがあって、オープンセットのことなど興味深いし、
98分とコンパクトなのでヒューマニズムでねっとりしたりはしないのが心地よし。

街角の花屋さんって、戦後歌謡でよく歌われるけれど、ヤクザ(三船俊郎)は縄張りの証拠として胸に一輪という役割だったのかと新鮮。落ちぶれて、30円といわれるのだが、30円っていえば、当時の物価水準としてはずいぶん花って高かったのかも。

バスに乗って、ずっと気になっていることがある。というのは、子どもが降りるときに、「ありがとうございました!」という習慣である。
バス以外の乗り物でそういう習慣はあんまりないように思うし、マンションの廊下とかでもなかなかこちらから声をかけても挨拶しない昨今の子どもたちなのだが、どうして、バスから降りるときだけ、そういうのだろう。言っちゃ悪いとはいわないのだけれど、ただ不思議だというだけで。

昔、徳島市にいたとき、市バスをどうやって経営建て直ししていこうかと思っていて、まず、ありがとうございましたと運転手の方からいうべきじゃないかと議論したことがあったことを、ずいぶん前だが思い出す。

今日大学に来たのは、会議(これについては、エポケーしてしまうしかないもの)があったからだけれど、集中講義がけっこうあるようで、食堂などいつもに近い混みようだった。

久しぶりの應典院。France_pan 8the session『咆哮マーチ〜雨と飴』。作・演出:伊藤拓。作者が大学時代につくったもの(第4回公演)の改定再演ということ。外国人の映像とか認知症(劇中では痴呆症といい、看護婦とか、あえて旧来の言い方をしているのも興味深い)の母のあっけんからんな応対ぶりなど、断片的ながら色々と面白いところもあったが、110分(19:05〜20:56)は少し長すぎるかな。前説では確か100分って言っていたしね。

学術振興課に借りていた大事なファイルを返そうとひとたび手に持ったはずだったが、結局、返していなかった!という事実を芝居を見ていてふと思い出してしまった。研究室のどこかに置いているとは思うが、心配だ。


8/2(水)


午後からの集まり(京都芸術センター)で自分が何をいえるのか、一応メモを作る。
以下、メモ(レジュメ)
・・・・・・
<なぜ、いま、「ダンスで理科を学ぼう」なのか>
1)特にダンスである理由(美術工芸、演劇、音楽でも学べるとは思うが)
○アーツのさまざまなジャンルのなかで、もっとも起源的原初的なものの一つであるから
 生物としてのヒト、身体ひとつで可能な表現
 ダンスは重力を意識させられる、二足歩行の結果の動きでもある(障碍とも関係するが)
 胎児のうごめき、赤ちゃんの動き 心音(サウンド)との連動
 特別の道具(楽器、絵の具)や技術をあまり必要としない

○自然のなかのヒト、生物としてのヒトをダンスが一番切実に意識しているから
 自然の「理(ことわり)」の学習である理科と身体のアーツであるダンスには
 もともとの親和性がある
  自然の観察:皮膚感覚、身体感覚を鋭敏にするダンスの身体的観察により向上
  身体を構成する骨、筋肉、皮膚、内臓へのアプローチ
  身体の活動としての呼吸、バランス、躍動、静止

2)特に理科である理由はあるかないか
ダンスで算数:音楽の方がいいかも
ダンスで社会:演劇の方がいいかも
ダンスで家庭科:美術や演劇の方がいいかも
ダンスで国語:演劇は延長線上:でもこれは挑戦できるか?手話がヒント:言語と非言語表現の往復関係で
ダンスで体育:これは、そのまんま:でも、評価しなくちゃいけないとなると逆効果

理科は、音楽と実は近しい。音波。

3)ラップ音楽の効用
音楽的な練習、才能があまりいらない、
いま子どもたちに人気がある
言葉のアーツとして、口承文学とつながる:声とダンスは一体と鳴って身体で記憶される

4)ダンスへのインパクト
○教室という空間の面白さ:1年間30人ぐらいが一緒に学習+生活している濃密な箱。日本中だいたい同じサイズであること:モジュール化
○教材として、ダンスの持つ独自価値がビジネス化されうる
○ダンス内のさまざまなジャンルわけを無効にしてくれるかも
○ダンスアーティストの社会性の向上、自信と反省の契機
○アウトリーチ、鑑賞者開発?

5)学校教育におけるヒント
○身体は雄弁であることへの気づき:子どもたちの心身の変化を察知できる
○保護者との交流:一緒に踊りましょう(理科学習に役立つなら踊っていても変ではないですよね)
○性教育、ジェンダー教育との関係

・・・・・・・
京都芸術センターのセッションのまえに、京都芸術センター夏休み企画「くもならべ」(岩野勝人によるコーディネート)見た。
南の展示では、ドーム型(座布団みたい)のモノクローム日本画の若い方(吉田翔)が眼をひいた。うちの院生さんもこの作品についてブログで書いていたが、確かにおもしろい。
北の展示では、子どもたち延べ180人のワークショップの成果。展示室に青い紙をいっぱいに敷いて、雲がいっぱいである。あと、雲のオブジェ。立体と平面の間のオブジェが組み合わさって立体になる。それも、すきまがいっぱいの。


8/3(金)


昨日(8/2)、京都芸術センターでの体験〜「ダンスで理科が好きになる!」研究会〜は久しぶりにいろいろ面白かったが、やっぱり、しげやん(北村成美さん)のダンスワークショップは最高だった。
ただ、はじめのウォーミングアップがわりのしげやんのマネをするところで一度、足がつりそうになり、腕がちょっとぎくり(骨折した肩との間)となって、すこし、自重した。しげやんとそれまではシンクロしていたのに(主観的)、かなり悔しい。

じぶんが、ダンスファンであることをつくづく実感した日だった。
そして、ダンスしながら、あるいは、一緒に別の組のダンスを見ながら、
言葉が、そして、コミュニケーション欲求がどうしてこうもあふれ出てくるのか。
それが不思議でならなかった。

昨日この日乗で書いたメモを8分ぐらいで話したはずだが、ダンスで「社会科」の授業も結構できるという千葉の小学校の岩瀬先生の話があったので、ダンスの威力をよりいっそう確信する。

従来、小学校でアーツをする意義は、アウトリーチ的にアーツマネジメント業界としては考えられていたきらいがあって、つまり、小学校でたとえばダンスが好きになって、ダンス公演鑑賞とかワークショップの自発的参加までもっていくこと。つまり、小学校を軸として考えると、アーティストが校舎に一度はおもむくが(into school)、結果としては、生徒や先生が小学校(学力向上機構)から出て、心身の開放と表現をめざすアーツへと向かうこと(out school)をねらっていたように思える。

今回は、理科というschoolどまんなかでの効果(in/on school)、つまり、学力そのものまでを考慮している。
それは、とても挑戦的で実験的だけど、「眉唾」と思われているかも?という不安も主催者のなかではちょっと内心渦巻いているようである。

ワークショップしていて、ほんとに心の底から思ったことは、ダンスそのものが持つ(未知の部分をも含めた)可能性であった。いまさらながらではあるけれど。

一見、ダンス(をはじめクリエイティブな表現者によるワーク)は、学校の空気を乱してしまう(ように錯覚=誤解されがちだから、「余裕のない教師でしかない自分としては保身的にならざるをえないのよ(弁解気味に)」・・・)と思われ扱われがちである。

だが、その空気に自分もそっと入ってなじみつつ、先入見を少しはずして観察してもらえば、ものすごく、いい空気を作っていて、いままで、その学校の空気になじめなかった生徒たちの心身を、スムーズに授業へ向かわせる役目をしているのだと確実に言えることが分かる。

ダンスと学校の出会い機会づくりというのは、out schoolだけではなく、生徒の学校への道(toward school)にも実にその効力をもたらすのである。授業に入ることができれば、そこには、教えるプロの教師が待っている。

ダンスで理科をしていると、教科書とか市販テストなどの基礎知識を飛び越え、理科の領域すら飛び越えて、もっと広く深い学習が出来るという話もあって、ダンス業界的な関心事のout schoolだけではなく、学ぶ主体が、学校という窓から世界へと五感+αを拡げるという意味のout school(いや、over school?かな)もあるかなとシンポの間、結構時間があったので思っていた。

もんだいは、もちろん、学校現場に波及し、上下左右にわたって腑に落ちてもらうこと。
積極的な肯定ばかりでもなくていいので、こういうのも結構ありだということを、
たとえば、ディベート(これってほとんど知らないけれど)教育と同じように、
ありだよねという社会の流れになることである。
アーツの問題はすべてそこにかかっている。

朝、以上を書いた後、大学に行くと(タフ5のファイルを返すことなど事務的なことのためもあって)、キャンパス見学会が始まっていた。次年度からの児童教育学科の人気はずいぶん高そうで、9501教室をのぞくと、立ち見になりかけている。でも、実際はずいぶん席は空いていて、でも、長い机なので、両端に人が座るともういまどきの高校生は、中に入れてもらうことなどできないのだ(もちろん、大学生でも大人でも同じかも)。

ちょっと、ベテランの入試課長のわかりやすい説明(こういう話は聞いておくと自分で高校訪問するときに助かるのだ)を聞きつつ、自分で客入れをしていたが、始まってからかなり遅れてきているのだから、あと30分ぐらい辛抱してもらおうと、この客入れのかってなボランティアを終了する。

夕方、京都文化博物館で『北斎と広重』を観る。大きい版といっても浮世絵は壁に展示すると小さいし、近くで見て楽しいものだと改めて思う。浮世絵の楽しみ方は、(いまは江戸時代ではないので無理だけれど)机で数人と見ながら、関連した話を連想してお話をするように気楽に味わうようなものかも知れない。瀧とか空想ちっくな橋とか。このヒトだれだれに似ているとか。漫画を楽しむのとそんなに違わない感覚で。

さて、なんば。少年王者舘『I KILL〜イキル〜』である。精華小劇場に座りながらOMSミュージアムスクエアがここに何とか引き継がれているかもなあと、名古屋からの天才アーツマジシャン:天野天街を味わう準備をする。演劇でここほど、ただただ、うっとりさせてもらうだけでいいと思う劇団はない。今日もそういう気持ちで見て、すーっと帰った。

ダンスがかなり多くて、イチロウをめぐる話はしごくシンプルだった。言葉遊びも健在。カーンと伸びる女声たちの音と蝉の声がいまだに精華の校庭に響いているよう。映像のトリッキーな扱いとか、いろいろ見どころ多くて、関西でまだ少年王者館をみたことがない人がいるとしたら、ぜひ、この際一度はめくるめき、うっとりしてもらいたいものだと思う次第である。


8/4(金)


風琴工房『子供の領分』 reset-N『パンセ2006』 どちらも見られて幸せ(でも以下を書いて丁寧に書くタイミングを失ってしまった)。

中日ドラゴンズの情報を得るため、最近、毎日テレビをつけるようになってしまった。一週間ぐらいテレビを見ないときもあるのだけれど。2日前だったか、野球を見ていて、チャンネルをうろちょろしていると、きっこの日記で話題になっていた亀田とかいう若いボクサーの伝記物語のようなことをしていて、そのうちに試合に移っていた。

どちらも手加減しているようで、チカラの乏しい不思議な映像だった。亀田とかいう人のパンチには劇画チックな音がついていて、これもドキュメンタリー仕立てのドラマなのかなあと思っていたら、案の定、面白い判定(ホームディシジョンとかいうちゃんとした言い方があるのだそうだ)で、そのあと、きっこの日記がにぎわっていた。

関西圏のなかで大阪(特に市内)は低所得世帯が多く地域格差に悩んでいる。そういうこともあって、何とか這い上がろうとして、テレビに売れるような芸をして一攫千金を夢見る人が多く出るのかも知れない。一番の問題は、視聴率至上のテレビの方なのだろうが、興行師の暗い側面も垣間見られて、もちろん後味が悪い。きっこさんに、ジダンの頭突きとこの亀田という人と一緒にされて、少しがっかりしたが、冷静に思うと確かに似ている部分はある(でもなあ・・・)。

さて、と。
1952年、日本テレビ放送網が一番初めにテレビ放送の免許がおりてから、54年。その日テレが、翌53年8月28日放送を開始したところについて、今朝読み終わった、柴田秀利『戦後マスコミ回遊記』(中央公論社、1985)にはこういうふうに書いてある。P289〜290

《開局の日、私(柴田:小暮注)はまだ日本に帰っていなかったが、最初に映し出されたのが、盛大な開局式典の中継、続く初のスタジオ番組が、宝塚スター天津乙女と南悠子の祝典舞踊「寿三番叟」だった。その優雅な舞姿が快適なリズムに乗って映し出された時、街頭テレビの前には、早くも黒山のごとき人だかりが生まれ、映画にも劣らぬ鮮明な画像に、人々はアッと驚いたという。・・・・・テレビ・ショックがこの瞬間から始まった。》
《ましてや憧れの巨人―阪神戦や大相撲の熱戦が、昼間から延々として映し出される。観劇の殿堂帝国劇場をはじめ、見たくとも見られない高嶺の花が、次々と街頭で見られるとあっては、娯楽に飢えた大衆が熱狂するのも当然だった。中でも、後楽園に数万の観衆を集めて行われた、わが国初の日米決戦、白井対アレンのボクシング選手権に至っては、人気と興奮はその極に達し、一台のテレビの前に二万人を超す人を集め、新記録を樹立した。・・・(1954年からは、力道山の空手チョップが興奮を倍加していく)・・》

街頭テレビ構想は、筆者柴田がホールステッド技師から教わったアイディアであったという。後に正力松太郎は自分のアイディアと吹聴するようになるのだが、街頭にテレビを置くことを実際に警察や国鉄などが許可するためには、正力が警視庁官僚出身であり、警察OBを多く読売新聞社に採用してきたことなどが功を奏したことは違いないとは言える。いずれにせよ、飴を買わないと見られない街頭紙芝居は、この街頭テレビの出現で消滅の運命を加速したこともまた確かだった。柴田は当時、街頭テレビに熱狂する「この大衆こそが、日本の自立から再建、繁栄への真の活力となってくれるものと信じて疑わなかった」。そして、つづけて柴田は言う。

《当時私はこの街頭テレビを、大衆と結ぶ「至近、最善の道」と唱道していた。二〇世紀文明の華というべきテレビを、日々食べる闇米にすら事欠く大衆に、楽しみ喜んでもらうには、事実これしかなかった。このアイディアが見事に当たった。その爆発的人気に着目して、朝日ビールが真っ先に協賛を申し出てくれた。そのお蔭で二十九年六月からさらに一〇〇台増設し、関東一円に二〇〇台前後の新型テレビが拡がった。・・・・》
《広告の効果は、台数で決まるなどと、分かったようなことを主張していた、専門家たちの通説の鼻をあかす事実がここに生まれ出た。いくら台数があっても、だれも見てくれなかったら、価値はない。たとえわずかの二〇〇台でも、一台に一万人が集まれば、二〇〇万人が見ていることになる。・・・》

朝日ビール(当時)が出てきて、面白いなあと思う。佐野眞一『巨怪伝』(文藝春秋、1994)でも、日本テレビ開局のための最初の資金集めを正力がブルドーザーみたいにやっている記事のところで、正力が申し込んでもいないのに、自分の方から正力に出資したいという奇特な人物が二人現われたというくだりがある。一人は後に経済詐欺事件を起こす人で、もう一人が、まだ財界ではあまり名の通っていなかった松下幸之助だったとか。いまもまた社会貢献にとても熱心なのが、アサヒビールと松下電器ということを思うと、時代を先取りする遺伝子みたいなものって、企業のどこかにあるのかも知れないとも思ったりする。以下、『巨怪伝』p474

《正力は街頭テレビだけでは満足せず、街頭テレビを見ている群集をポラロイドカメラで映させ、それを急ぎ局に持ち帰らせて、中継の最中に放映させることまでやらせた。街路樹に登っている観衆は、突然、自分の姿が映し出されると同時に、自分が見ているテレビから、「そこの木に登っている人、危ないですから下りて下さい」という呼びかけのアナウンスが流れることに仰天し、ますます、“街頭テレビ”の評判は高まった。》

おっと(街頭テレビネタを書いていて時間がない)、TOKYOSCAPE、後半の2本をどちらも、とても興味深く堪能した。人間座スタジオの公演あとの詩森ろばさん手作りもある「ろばカフェ」もとても美味しく気持ちよくしかも有意義で、演技を終わってすぐに女優さん(宮嶋美子)と見終わった直後のお芝居を含めて、今回来ていただいた劇団の特色などを話し合え、さらに時間調整も出来、言うことがないぐらい充実した観劇日。うちの2回生たち、3人も来ていたし・・

風琴工房『子供の領分』人間座スタジオ。門前仲町のビルが見えるようだった。丁寧な会話劇だけれど、役者は体当たりであり、ここの芝居は距離のとり方をうまくするととてつもなく大きなものが得られることがよく分かる。逆に言うと、好き嫌いがはっきり出る(見るほうが自分の見る傾向を考えさせる)タイプかも知れない。そこがまた魅力なのだけれど。

reset-N『パンセ2006』。アートコンプレックス1928。スタイリッシュ、クールで知的なエンタテインメント仕立て。でも、創刊しようとした雑誌についてはずいぶん考えさせられる。終わりはなれていない観客でごめんなさい。


8/5(土)


アトリエ劇研。すばらしくあつい。チューブに入ったアイスクリームみたいなのを始めて食べる。宇宙食ぽい。子どものとき、21世紀はこういう形で食事をするようになると万博で予言されていたことを思い出す。

TOKYOSCAPE観劇の最後。唯一、10年以上前ここ、桃唄309は見たことが数回あって、特に戦争に入るときの画家の話は印象に残っている。もちろん、当時は、舞台美術を役者が持って動かしたり(ISIS 自立不能舞台装置システム)はしなかった。

劇団桃唄309『おやすみ、おじさん』。再演。1時間45分ということ。
「左宿三丁目マップ」が入っているところを見ると、なくなりつつある商店街や、道路建設で取り払われる神社を含むこの町内が主人公であることが示唆されている。民俗学とは、神と人と動物の交際についての学問であると何かの本に書いてあった。神と動物はじつは昔の人にとっては重なり合っていて、いまでも黄昏時、少年がふと路地を一つ間違ってしまうとそのような状態になることがしばしばある(はず)。

ISISはISISとして興味深く、巧みさを追及するとそれ自身が鑑賞エレメントになるかも知れないし、逆に役者のうまさではなく健気さ(ずっこけ加減も含めると)を見せていけば、大衆演劇とかを逆に想起させてもらえるものでもある。ただ、テーマとして、深刻なものとか、社会の襞を丹念にえぐっていくものには向かないのかも知れない。個人的には、ISISではなく、じっくりと物語るお芝居も見てみたいものだと思ったのに、帰り売っていたビデオ(ブラジャー開発について描かれたという『ブラジャー』は特に気になった)を買うのを忘れたのが残念である。

フェスティバルゲートへ。7月の終わりからやっているビッグ盆。
盆踊り復興計画『ウチらの盆踊り』。主催:新世界アーツパーク未来計画実行委員会。

きょうは、2回のフェスゲ奥のほうで、やぐらが組まれて盆踊りである。
ここは、通天閣へと抜けるところで、ジェットコースターが動く点景となって、なかなか面白い。
ただ、提灯は、土の運動場や空き地にあって、薄暗くなったやぐらの周り、そこだけがぼんやり明るくなって踊りがいつの間にか始まっている、そういう風景の方が似合っているのは言うまでもないけれど。

近くの恵美小学校の生徒たちと上田假奈代さんたちで作った新作の盆踊りが披露されていて、生徒たちが照れずに踊っている姿がすがすがしかった。一緒に混じりたい気持ちもあったが、ただただビールを飲んでいるだけになっていた。


8/6(日)


一日中、おうち。
この夏、はじめて冷房を入れる。
親しい二人の来客。
メルロ=ポンティをめぐって。
ゆうがた、宮崎からのお肉を食べる。
フランス語では、人間の肉と牛の肉とは、違う単語であった。
以下、メルロ=ポンティ後期の文章をどうぞ。
なかなかに、この「肉chair」は謎に満ち、そしてあまりにも魅惑的:

《もう一度確認しよう。ここで問題としている〈肉〉は、質料ではない。〈肉〉とは見えるものが見る者の身体にまといつくことであり、触れるものが触る者にまといつくことである。このことは、身体が事物を見ながら、事物を見ている自分を見る場合に、そして身体が事物を触りながら、事物に触れている自分に触れる場合に、とくに明確になる。この際に同時に、〈触れるもの〉としての身体は、触れるものの間に降りたち、〈触る者〉としての身体は、触れるもののすべてを支配する。そして身体はその塊の〈開け〉や亀裂によって、自分のうちからこの関係を、この二重の関係を引き出すのである。このように〈見えるもの〉が、一つの〈見えるもの〉を中心として集まるということ、言い換えれば身体という塊(マッス)がさまざまなものの方に炸裂するということによってわたしの肌の振動が滑らかなものとなったり、ざらざらとしたものとなったりするのであり、わたしが事物そのものの運動と輪郭を両眼で追うことが可能となる。この魔術的な関係は、わたしと事物の間の〈協約〉とでもいうものであり、この協約に従ってわたしは事物に自分の身体を貸し与え、事物が私の身体に自らの似姿を書き込み、あたしにその面影を与えるのである。わたしの視覚とは、〈見えるもの〉の中央にあるこの空洞であり、この襞である。いわば、見えるものと見る者、触れるものと触る者が、二列の向かい合わせの鏡を形成するのであり(わたしは見る時にも触る時にも、みごとに結合されたこの二つのシステムに頼るのである)、これが視覚一般と可視性の一定したスタイルを規定する。》「絡み合い―キアスム」『メルロ=ポンティコレクション』(ちくま学芸文庫、1999)144-145p 中山元編訳 673字

同じ箇所を滝浦静雄の訳で念のため抽出しておく(『見えるものと見えないもの』みすず書房、1989)202-203p
《もう一度繰り返して言えば、われわれの語っている肉は、物質ではない。それは、見えるものの見る身体への、触れられるものの触れる身体への巻きつきなのであり、そうした巻きつきが証拠立てられるのは、特に、身体が物を見つつある自分を見、物に触れつつある自分に触れ、その結果、身体が、触れられるものとしては物の間に降りていくが、それと同時に触れるものとしてはすべての物を支配し、おのれの塊(マス)の裂開ないし分裂によって、おのれ自身から両者のこの関係を、さらにはこの二重の関係を引き出してくるときである。もろもろの見えるものがそれら見えるもののうちの一つの周りにこのように集められること、身体という塊(マス)が物に向かって炸裂すること―これこそ、私の肌の振動がなめらかなものになったりザラザラしたものになったりすることや、私が物そのものの動きや輪郭を眼で追うことを可能にしてくれるものなのだが―、こうした魔術的関係、私が物に私の身体を貸し与え、そして物が私の身体におのれの似姿を刻みこみ私にその似姿を与えるという、物と私との間のこの契約、この折れ重なり、私の視覚という見えるものの中心にあるこの空洞、見るものと見えるもの、触れるものと触れられるものとが互いに鏡のように映し合うこの二系列、こうしたものが、私の当てにしうる緊密に結ばれた一つの系をなしているのであり、視覚一般と可視性の或る恒常的スタイルの定義をなしているのだ。》605字。



KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る