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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.6 こぐれ日録488 6/5〜6/11
延々と嬉しそうに悪口が続いている。夢中だ。こういう親がいて、こんな話を聞いて育つ子どもはどうなるのだろう。 「傘を腕にかけるときは、柄が自分の体に向かうように、いまと反対にかけるのが、常識ですよ」 「・・・・・・・傘があたりましたか・・・・・・・・・」 練習帳より 午後からのゼミは絵本作りワークショップ。sanaeさんは高校の美術の先生だけあって、さすがである。解説適切で、なるほど、物語絵本に純絵本があるのですね(はせがわくんきらいやの長谷川修平さんの絵本の作り方だったか、いい参考書を教えてもらった)。 今回は、絵からはじまる純絵本づくりなのだ。あっという間に時間が過ぎる。フローだなあ。高校生にも使わせてもらおうかなあと思う(よろしくお願いします)。入学関係の取材が入って少し無理なお願いもしていただく(ほんとに、やらせというか、このときだけ、お茶やお菓子、かばんが撤退されるので、ワークショップを原っぱの遊びのように体験しつつその意味を考えるという授業なのに、と思うが、まあ、妥協妥協である)。 私もちょっとだけ作らせてもらった。 大学院の授業。わたしを入れて3人。横浜美術館で自分が担当学芸員だったとして、この中止決定を館長から聞いたら、あなただったら、どんなことをしますか?という設定でディスカッション。まったく出たとこ勝負の授業ながら面白かった。
きのう作った自分の絵本ワークショップによる産物を見せる。 けっこう、アーツマネジメントのコト、モノ、ヒトの説明が長くなり、アーツジャンル分類は、じかんのアーツだけで終了してしまった。絵本には、物語から出発することばのアーツ寄りのものと、絵から出発するめだまアーツ寄りのものがある、という説明にも使いたかったけれど・・・・ 京都橘大学の中間テストはまだなので、近大とはちょっとだけ趣向を変えてみようと思い出す(どちらがいいか比べてみるために)。帰り、中村あゆみ、プリプリ、山下久美子、永井真理子、小泉今日子の90年前後の中古CD。すべて500円なり。明日用だ。
授業のあと、することはいっぱいなのに、 こうして、戯曲を書いているんだなあ。 一方、演劇が始まったら演出家ではなく舞台監督さんの手になるわけで。 おっと、もうすぐ会議だ。
他方、紙芝居は、観客から見ると右から左に流れていく(演者が下手にいて、絵を抜くという決まりなので)わけで、日本の絵巻と同じように、右から左。これって、紙芝居が日本オリジナルであるということと関係しているのかな、と頭をかすめる。 建築探偵たぬきさんのコメント「紙芝居は右から左への動きだそうです。上手から下手ですね。そう言えば落語も飛び込んでくる若いもんが右で、答えるご隠居が左です。そう言えば漫才も(後略)。」 2限目、アーツマネジメント総論。75名。一応、登録数は100名を超えているので、今日は、22日の中間テストの第1問、語句説明(4つ)の候補、12個を黒板に書いたが、念のため、ここに書いておくので、欠席した学生さんは特に見ておいて欲しいなと思う。 @文化政策とアーツ、Aガバメント(ガバンメント)とガバナンス、Bファンド・レイジング、C市民とまち、Dイベントの目的と手段、E市場デマンドと文化ニーズ、Fアーツの力、Gイベントとアーツ、Hマネジメントと政策、Iアーツマネジメントと文化芸術振興基本法、J特定非営利活動法人と株式会社、Kまちづかい、まちづくり、以上。第2問は3つからの選択問題になるが、これは出席した学生から聞いておいて欲しい。 4限目。自分探しの旅。175名中164名が中間テストを提出。おかしかったのは、「である調」を強調したので、なんでも「である」とつけて珍妙な文章になっている答案が結構あったこと。それでも、ときおり、しました、とかですます調が混じっている。
そして、紙芝居へ。つながりは、シンデレラの一点であって、まあ、無理やりではあるが、つづいていることにして、『シンデレラ』ペロー童話版を読む。そして紙芝居の歴史。紙芝居にもこんなに歴史があったのか!と歴史学科の学生さんがかいていたが、今日話したことなど序の口二段目までもいかず、もちろん、もっともっとちゃんと歴史があるのであるよ。 1つだけではさびしいので、拍子木をまたまた叩いて、残りの8分で『うみにしずんだおに』をする。15分ぐらいかけてすべきだったが、ぴったり(9:29:52)で終わらせた。ふーふー。でも、身持ちよし。紙芝居を老後やりまくることを本気で考えたくなった。それほど奥深いものだ(一人納得)。 リスポンスペーパーで出席をチェックし、高校で記入させるペーパーを打ち出し、椥辻駅に向かうパン屋で揚げパンを買って地下鉄で食しつつ、京都橘高校へ。授業開始(13:2)30分前に到着。すると、玄関に理事長がいて、こんなところでさぼっている、とか冗談を言う。ぜんぜん楽しい冗談はない!教頭先生が気を使って、ちゃんとやっていただいていますとか言ってくれる。 だいたい、一週間に4日大学に出勤するというルールがあって(このこと自体はおかしいとは思わないが、学部6コマというもう一つのルールについては、組合として大学院も入れて6コマがいつもの要求である)、そのために私はそのルールを杓子定規に厳守させられて、1限目大学に行っているのである。 ホントは月曜日の2限目とか、水曜日の3限目とかにアーツ鑑賞演習があったりすると実に楽チン(京都橘高校の方が自宅からはずっと近いのだ)なのだけれど、高校で教えるのは大学院と同じくコマ数に入れないから、自動的に出講とみなさないのである。これは、杓子定規過ぎるぞよという話を、この際理事長にしておく。だいたい冗談にしてもサボっているとか言われっぱなしにしては示しがつかないからね。 F先生がこの前の商店街フィールドワークの写真をファイルにしておいてくれていた。今日は、班ごとで発表の準備。図書館でワークするチームが多かった。ここにインターネットがあるからだが、教室と図書館を行ったりきたりする。2学期に、絵本づくりもしたいなあというと美術の時間にやったという生徒あり。そうか。また違うネタを考えたほうがいいかも知れない。2学期はアーツマネジメントを最初の数回は別として、広くやっていくので、その構成もぼちぼち考えていかなくちゃいけない。 アトリエ劇研に行くまでかなり時間があったので、新町のターリーズとかいうセルフのコーヒー店で今朝のアーツ鑑賞演習の最後までの予定をつくっておく。 アトリエ劇研の前庭。しげやんがいて、「ダンスで理科」の試みについていまの感想を聞いていると、糸井登さんが来た。彼の顔をみてはたと気づく。今朝、5時過ぎに起きようと思ったのは、5時45分からのニューズ番組を見よと思っていたのだということを。5分間放送されたという。ふと、放送した朝日放送といえば、一昨年NHKのニューズをしていて私などをコメンテイターに起用したYさんが移った番組なのじゃないかな、とも頭をよぎる。 砂連尾理+寺田みさこ。45分。『I was born』。砂連尾さんが客席にいたので、あれ?途中から出るのかなと思ったら、ずっとファックジャパン+寺田みさこのデュオだった。デュオといっても、みさこさんの執事役みたいないでたちで、お芝居の台本をなぞっているのだった。最後の方になってようやく身体そのものに目がいくようになって、いかに世界はシンボルとしての物語に呪縛されているかが見えてくる。 床につくみさこさんの汗が曲線になってきれいだった。ファックみさこのデュオというのは、正直持続的にある必要はないけれど、みさこさんとクルスタシアの濱谷さんの「双子なマダム」デュオができたら、みたいなと思う。客席にいた山田せつ子さんに、今度のダンス見てくださいね、と言われる。せつ子さんは、トマトの生が苦手なのだそうだ。焼くとなんとか食べられるのだそうだ。そういう食の好みとダンス創作との関係はまったくないのかも知れないが、ちょっと面白いネタなのでメモっておく。
ただ騒いでいる。ヒトに迷惑をかける。アーティストでもないのに自己主張ばかりする。そういう人たちが一番困るのですね。ボランティアとかいいながら、かまってもらいたくてわめいてばかり。マネジメントするというのは、出会いをアレンジするということぐらいはわかりそうなもの。 演じるヒトを本気にさせる。観客、聴衆に向かわせる。鑑賞者をないがしろにしない。身内受けを一番恥と感じること。そして、アーツマネージャーをサポートするような影の仕事を一つでも見つけること。 もっと早く研究室で採点をしていれば、夜、何かを鑑賞できたのだが、遅くなってしまった。 《2006前期自分探しの旅中間テストの解答例》 A何かにうっとりし、自分を忘れることが自分探しの第一歩。これはすごいことを聞いたと思った。こうも簡単に自分を探す方法があるのかと思った。個性は探すもの、作るものではなく、にじみ出るものだと思う。それを知るには、うっとりするのが一番分かりやすいだろう。うっとりする対象が自分の好みなどの対象になるのだから。世界に一つだけの花を聞いて、オンリーワンになろうとする人の方が、むしろ個性がないのではないかと思う。マゾになるというのもおもしろいと思った。マゾということ自体がもうすでに個性だ。自分の好きなことなら苦しくてもうれしい!というのもマゾなら、教授とかなんて、マゾばっかじゃないかと思ってしまった。私はそんなマゾの生き方にあこがれる。 B個性や自分を忘れることは、果たして私に出来ることだろうか。今まで人と違うことがしたかったし、個性をもっと表に出したいと思ってばかりいた。・・・・自分の部屋のベランダに出てぼんやり空を眺めるとか、好きな洋楽を聴いて書にうちこんだりとか、山の色を見てニヤけたり、先生のマゾの話を聞いてサドの話も聞きたいなとか、毎日自然にうっとりして我を忘れて、思い返すと楽しく生きているなと思ったりする。子どものフォーラムを聞きに行って、子どもと自然を結びつけた内容に共感したり、私が生きて感じることで、私のオリジナリティが出来ているのかなと思うこともある。生きていることが嬉しいし、何を見て聞いて感じて新しいことに挑戦していけることが幸せである。 Cオンリーワンなどというものは面倒くさいものである。個性がどうの、一人ひとりがみんな違っているだの、そんなことは当たり前のことである。また、自分のオリジナリティがどうのというが、そんなものは一種のまやかしに過ぎないものである。そんなことに心迷い、自分探しなどするぐらいならば、自分が何かうっとり出来るものを探して毎日それを糧に生きていくことが何よりも楽しく善きことであると私は思う。・・シンデレラのように待っていても、魔法使いが現われて自分にぴったり合うことを探してくれるわけではない。・・ D私は、友達はとても大切なものだと考える。特に同じ趣味を持った友達は大切である。人はうっとりを感じたり見つけたりすると他人に伝えたくなる。そして共感しあいたがる生き物なのである。そういった点で友達とは、自分のうっとりを吐き出し、より自らのうっとりを高めるための生き物なのだ。会わなくなったら会わなくなったで、また新しい生き物を探せばいい。人はそうして自分自身のために友達というかにも、な名前をある生き物につけ、利用しているのである。・・・何度『オヤジ国憲法』を読んでも納得出来ない。否、むしろする気もない私は正しくヤングだ。歪んだヤングの私は、この先、どれだけ年を重ねてもヤングでいつづけるのである。 E私はものごとについて、よくうっとりする。最近うっとりしたことは、駅で小さな男の子が車掌さんの服の裾をひっぱり「一緒に写真をとって下さい」とお願いしているのを見たときである。周りの人は“かわいい”といっていたが、私にはうっとりであった。もうずいぶん前であるが自分にも他の人にもそんな時期があった。横で難しそうな顔で試験を受けている友人たちにもあったんだなあと思い想像するだけでうっとりである。このうっとりも含め「オンリーワンにとらわれないこと」「マイナーになることを恐れてはいけない」ということが自分探しの旅の授業をうける上で大切であると思う。
ミクシィで先輩を発見する(http://www.linelabo.com/0405ramo.htm)。 どこもそうだろうが、うちの京都橘大学ももうオープンキャンパスである。その第1回目、雨でなくてよかった。お客さんとしては、新設する児童教育学科と今度で3年目を迎える看護学部がもちろん多いのだが、文化政策学部もまずまず来ているかな、というところ。 私は、11:10〜12:10に文化政策学科の話をし、そのあと、現代マネジメント学科志望の感じのいい学生さんの個人面接をやり、現代マネジメント学科の近藤先生や次年度児童教育学科を立ち上げる池田先生と弁当を食べながら雑談。そうそう、池田先生とははじめてお話ししたのだが、ずっとブログを読んでいたので、「薔薇」ですよねえ、とかずっと授業を知っているように思ってしまう。なんだか、変だけれど、糸井先生のことだって会って直接話す機会は少ないわけで、これはお互い様であろう。 カフェで行っている「先輩と語る」の方ものぞく。文化政策学科から現代マネジメント学科へ学科を移った学生とかが熱心に話していて、こちらも勉強になる。医療事務資格というのだろうか、専門学校と大学との選択について迷って相談にきている人もいたな。研究室にいると、研究室を覗きに来たりもする。3回生が私の研究室ははじめてだったらしくて、口琴とかメロディパイプとか瓢箪の尺八とかに驚いていた。 (レジュメ) 2.文化政策学科の4つのコース 3.文化政策が大切にしていること 4.学生たちの活動の模様 5.大学進学の準備のために |