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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.1 こぐれ日録470 1/30〜2/5
かばんには入れなかった本。でも途中までしか読んでいない本だが、エリック・シュローサー『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社、2001)。このなかに1993年からはじまった公立学校へファストフード広告導入のことが記されていて、これって、日本もこのまま民営化・効率化・規制緩和の流れが続くとこうなるだろうと思えて恐ろしくなる(P75〜84)。 《・・かつて、これらの時間(=子どもが学校内で過ごす一日約7時間:小暮注)はおおむね、広告や販促活動や市場調査から解放されてきた―そして、多くの企業の欲求不満の種となっていた。今日、わが国のファストフード・チェーンは、通常の宣伝活動、学校教材、学食での一手販売だけで半句、数々の型破りな方法で、公立学校においてその商品を販売促進している。
今日は午前中わたしがホテル監禁状態で、お掃除の方にドアをノックされたり、なんだか、変死体があるんじゃないのとひそひそいわれていないかなあとか変な想像をしながら、エリアーデのシャーマニズムを読み進める。 もっとゆっくりいてもいいよといっていたのに律儀なNさんは、二条市場でカニを食べてラーメンも食べてお土産までも差し入れしてくれて12時半にはバトンタッチ。札幌芸術の森では雪の中彫刻見て歩きなどというワイルドな企画があったりしていたが(かんじきを履いて雪の中の彫刻を見よう)、無類のすべってころりんのわたしは、売店で滑り止めラバーみたいなのを1575円で買い、大リーグギブスみたいに靴に不細工にとりつけて、歩いて20分ぐらい西にあるという北海道立近代美術館へ行く。 途中、北方博物館というのが植物園のなかにあると地図に見て行こうとしてたどり着けず、転びはしないけれど、いくどとなく、するっするっして、年配の女性に追い越されて北海道の人はすごいなあと思いつつ、ブーツの若い女性は、転びそうになってわっといって、ほくそえんだりして、ランチ700円、子羊のグリルで一息ついて、ようやくに美術館で片岡球子および院展関係の常設展とグラスアート展(螺旋階段を2階に行ったところ)を見る。近くにカエルカフェとか画廊カフェとかあったのだが何とかいう人の名前がついた道立美術館の案内があってそちらの方に歩いたので(趣があんまりない建物なので玄関だけ見て素通り)そのカフェ群はあきらめて、やっとインターネットカフェにたどり着いたという次第。 いま、暖かいコーンスープを飲み、盛大ないびき、これって無呼吸症ぽいなあと思いつつ、リクライニングルームって打ちづらい、今度はデスクタイプにしょうと思っているところです。夕飯は何にしようかなあ。
昔、この商店街を仕事(通産省中小企業庁小売商業課へ出向のとき)で見たことがあったが、もう少しあとでも通ったなあと思ったら、シアターキノへ行ったためだった。そうだったか。http://theaterkino.net/ 今日は、1限から3限まで。手伝っていただく京都橘大学OBの二人の女性は、うちの大学院を出て研究生をしながら書道を母校で教えている人と、いまサッポロウォカーなどでライナーもしている人で、話も弾むし、何だか北海道に戻ってこうしてしっかり活躍されている姿を拝見できるのが嬉しいので、ぜひ、北海道からの受験生が減らないようにしなくちゃなあとつくづく思う。
B日程は二教科なので、15時すぎには札幌駅をあとに新千歳空港へ。
いつも採点は英語だった(昨年は化学をしたこともあった)が、今回は国語。国語の方が参加意欲が湧くので、ちょっと楽しい。17時前に終わったのだが、事務をしていて18時をすぎる。 その間に、一回生のNが来て、パソコンを使わせてくれというので、四方山話。大阪芸術創造館のクラシック・ルネッサンス(戦前の戯曲をいまの演出家が舞台にする企画なのだが、これで最後になるらしい)に彼女も出演するらしい。ということで、ウィングフィールドで燐光群を見ることは出来なかったが、でも色々整理もあり、致し方なし。 ミルチア・エリアーデ(堀一郎訳)『シャーマニズム上〜古代的エイクスタシー技術」ちくま学芸文庫、2004。いろいろ刺激された読書だった。骨のなかに生命原理を発見する伝承、それは、骨が生命の過去と未来に関するすべてを包含しているからだとか啓発される。ここでは、太鼓についての記述が非常に興味深かったので抜粋しておく: ≪太鼓はシャーマンの祭儀で第一に重要な役割を担っていて、そのシンボリズムは複雑であり、その呪的機能は多種多様である。シャーマンが巫儀を行なうのに、それは不可欠のものであって、太鼓はシャーマンを「世界の中心」に運び、空中を通って飛翔することを可能ならしめ、精霊たちを招きおろしたり「とりこ」にしたりする。また太鼓を打つことによってシャーマンは精神を集中することができ、旅せんとしている精霊界との接触を再び得さしめるのである。≫p283 そうなのだ、太鼓の役割は古来からとても大きく、そして、その素材もまた重要な意味を持っている。すなわち、太鼓の枠は木から出来ているのだが、この枠にビールを注ぐと枠は生き返り、いまは太鼓になっている木がどのように森の中で生育し刈り取られ村へと運ばれたたかが物語られる。また、太鼓の皮にビールが注がれると、その皮のかつてのあるじの動物は自分の出生からの物語を話し出すという。太鼓の皮の動物が生き返るとシャーマンはその動物の声と動作を真似ることもあるし、その動物はシャーマンの第二の自我、最も強力な補助霊であるということである。なるほど、太鼓は植物と動物の合体であり、その響きは、地上と天上、地下を結ぶものなのだなあ。
外は寒く小雪。京都ライトハウスで点字用紙のリサイクルコンペの審査会がある予定だったのだが、急きょNPO法人日本サスティナブル・コミュニティ・センター(SCCJ)から持っていけないので、SCCJ(地下鉄四条駅から7分ぐらいなので私はこちらの方が便利。町家のままのオフィス)で審査会があった。 それに視覚障害者の委員さんが3名で、そうでない委員が私ともう一人という構成で、これもまたとても新鮮な感覚であった。たとえば、目が見えない人の方が点字用紙であると、その点字を読んでしまうということが起こるのである。わたしにはただの模様でしかない再利用用紙が、実に意味をダブルに持っている不思議。新聞紙などをコラージュした作品を連想しつつ、視覚障害を持つ委員の生き生きとした審査ぶりを楽しんでいた。 12日に「ユメチエフォーラム」が同志社大学寒梅館(季節的にぴったりの名前だが、8月とかだとまた違う感慨が生じそうだ)であるので、そこに入賞作品が展示されることになる。 帰ってコメントを書いて加藤わこさんに送っておく。いずれ、HPで発表されるだろう。2つ夜に見るべきものがあって、どちらにも出席ファックスをしていたのだが(神戸と伊丹)、どちらも審査会が長くなったので行けなかった。
こちらは、セーター姿でこりゃ失礼したなあと思っていると、来賓あいさつをするように言われて、また紙芝居つくりましょうと一言。林加奈さん、ローフィット・イブラフムさんと佐々木宏美さんはびしっと決まっていて、後半はライブ会場となる。ブンガワンソロがインドネシア語でゆったり歌われ、今日の日のために作られた「おめでとう」が続く。大きな影絵人形や福の神?おどり、楽器は自由自在にとっかえひっかえ。 3曲目がこの前のまちかど紙芝居「アザッチの一日」のテーマソング。そして、新曲、みんなも練習したかいがあって、合唱できた「太陽クラブのうた」。イェイ!とイエス!の微妙な振付の違いがアクセントになっているね、イェイ!五番の歌詞「夢見るだけでなにもない ラブデート」が特に秀逸。 栗東駅前の古本屋で漫画を立ち読みしたあと(「ごくせん」ってどういうものか、初めて知った)、指定管理者のことでもめていたさきら大ホールで、1985年生まれのピアニスト、関本昌平のソロリサイタルを聴く。1500円ということもあり、大勢の聴衆。後半のショパン(子守歌の演奏が一番よかった)と5曲もアンコールした演奏がやっぱり気持ちがいい。 ピアノはヤマハだった(CF。S)。で、このピアノの音を大ホールで聴くことがあまりなかったせいか、はじめのバッハフランス組曲第6番にとても違和感があって、ベートーヴェンの告別になるとそれは払拭されつつあったのだけれど、どうも大きな音とか低音とかが平べったい感じがしてしっくりこなかった。あと、20歳ぐらいということもあって、情感ということはいろいろな経験で増えるのだろうけれど、一本調子な感じとか、技術が先走っている感じとかがあり、エエカッコシーではない、ある面ダサーイところは親しみがあってプラスなのだろうけれど、歩き方とか、身の振り方とか、指の上げ方とか、ビジュアル面がもっと洗練されてくる頃にもう一度聞きたいと思う。 |