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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.4 こぐれ日録483 5/1〜5/7
四条京阪駅から少し下ってある臨済宗建仁寺。観光飲食の祇園のなかにあって静か。イノシシ生まれの人たちのお寺もある(イノシシの狛犬がかわいい)。19時まで門で待つと、4回生が二人きた。3回生は一人。聴くと2限目と4限目はふつうに授業があったそうで、余計しんどい日にしてしまったかなとは思う。 でも、第1回目の京都現世美術館のオープニングパーティと展覧会場ツアー。結構、有意義だったと思う。アーツマネジメントはギャラリー・アンテナの奥一富さん。 12人の作家による展覧会。禅居庵の上品なたたずまい。そこの庭を使ったり、和室が映像室だったり、ワークショップの場所は畳を養生している。和尚さんとかの話とか、その息子さんがイベント好きでうろちょろしていたし、作家さん(といっても京都市立芸大の院生〜石塚源太〜だったりするが)と話ができたりして。一応ゼミ授業なのだから、2日から7日のあいだ、時間があれば行って欲しいなと思う。ワークショップも楽しいものだし、遊び研究にはぴったしだし。
誰のためにもならないだろうが、まあ、おおって思うよね。もちろん、1996年からすべて日記は毎日書いてあり(96年1月はあとでフォロー、2月に東京から左遷されて、そこからすることがなく退屈なのと自分が空白になるのに耐えかねて綴ったつれづれアーツ日記なのね)、その数年分はCD-ROMで販売継続しています(CDになっていない空白の数年分を紙で欲しい人がいたら、研究室のロッカーにあるので、取りに来ればあげられるはず、でもいないでしょうけれどね)。 今日は、近大。12名。やはり少ないので、映像をまとめてみてもらう。具体的なアーツマネジメントの実際を見てもらうのはきっといままでの抽象的な定義などをより身近にするだろう。なかには、野木ちゃんが音楽祭に新しいそよ風を送っている映像を見て勇気がもらえたとか、20日に何かのフェスタみたいなのがあって、それをがんばろうと思ったというコメントもあった。 昨日と打って変わって冷やり。19時から1時間ほど、近大演劇部覇王樹座新入生歓迎春のアトリエ公演「壊されるかもしれない」がクラブセンター(今日から合宿なのだろう、貸布団が玄関に山積み)内小劇場である(私の授業を受講している学生さんが制作さんなのだ)ので、そのあいだ、もう一つの最寄り駅、近鉄奈良線八戸ノ里駅あたりを散歩する。夏の帽子を無印(西友2階)で買う。 お芝居は、大学生のクラブっぽくて、見ているのも1回生なのかと思うと微笑ましい。いっぱいのお客さん。声、張り上げているなあとか、漫画の封印ネタとか身近なのだろうねとか、まあ、いろいろ思うけれど、萌え男(我道走)がすごくおかしなキャラで、実は作・演出というのがすご〜い。役者名がセバッチャンとか、さすがやあうんとか、こういうのも学生クラブならでは。同時間に舞台芸術コースの公演があったので、できれば、両方見たかった(時間つぶしが大変だった)。
昔はダークダックスでもあべ静江でも「うっとり」したと著者(しりあがりさんかな)が書いてあったので、あべ静江のベストアルバム購入。確かに「みずいろの手紙」「突然の愛」はよく覚えているし、当時の空気がちょっとにおうようだ。1973〜76年。阿久悠とか山上路夫だったり専門歌謡曲プロもするが、他方、財津和夫とか杉田二郎、及川恒平というフォークのシンガーソングライターが楽曲を提供したりもしている。 歌謡曲とフォークソングが交じり合った時代。1973年前後では、野口五郎「君が美しすぎて」、西条秀樹「情熱の嵐」、前年72年郷ひろみ「男の子女の子」、同年アグネスチャン「ひなげしの花」、森昌子「せんせい」、73年に戻って麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」(ブルーハーツの「ぼくの右手を知りませんか・・行方不明になり〜ました」をはじめて聴いたときこの歌を思い出した)、山口百恵「青い果実」、桜田淳子「天使も夢見る」・・・けっこうよく知っている曲があるのは、自分が当時高校生だったからだろうな。一番思い出深い曲はなんといってもちあきなおみの「喝采」。いくど右手をゆっくりあげて「いつものよう〜にまく〜があ、き、」と歌ったことだろう。
帰ってグループサウンズのおじさん(再放送だったので、4/1になくなった方もいた)たちをぼんやりとみる。団塊の世代の人たちが定年を迎えてきて、リバイバルが盛んになっているのだろう。 fringeをみると、八時半の鈴江俊郎さんがブログを書き出した(公演というプロジェクトのための一時的なものかも知れないが)というので、読んでみる。彼の文章が話しかけているみたいで、彼の作品の台詞を髣髴とさせる。こういう読み方が出来るブログというのもまた一興(http://blog.livedoor.jp/kotobuki_dan02/)。 姫路城に寄った。藤棚の藤の淡い紫が素敵だった。
今日は、次女と一緒。こどもに遊んでもらう日である。 まず、ジグマー・ポルケ展〜不思議の国のアリス。国立国際美術館。ちょうどいいぐらいの人の入り。出展数も多くないので、疲れない。一番奥のところに本の挿画の版画がずらっと並んでいる。この本なら帰りに買いたいと思ったがなかった。ドットの人。ロマン派の流れは感じさせる。文学的な深み。 でも、結構いろいろな平面。情念的ではあるが、理性的な突き放したところがある。素材に拘泥していない。軽妙ではないが、あまりにも観念的で思い入れたっぷりという感じはしない。そこはかとない諦観に近いユーモアも漂う、それに矍鑠とした人間愛。星、占星術とかが好きなのかな。ハートがしっかりしている。 題名をかってにつける遊びをした。実に面白い。画面には人物がいっぱい隠されている。鳥かも知れない。ぶたのおまわりさんが一番最初であることがこの展覧会を軽くしている(豚と警官というタイトルだったようです。豚と警官は別だったのかも知れませんが、豚が警官だとわたしはそう思っていました・・・豚が警官さんの帽子をとったら警官さんの顔がなくなったのか、なかなかに面白い絵でしたね)。 常設展にシュテファン・バルケンホールの木彫があって、展覧会のあとまたちょっと見られるのは嬉しい。イタリアの美術に囲まれた家にすみないなあと次女。キーファーとかリヒターとかのドイツ絵画は重いからね。 フェスゲ3階、ダーチャ。アール・ブリュットのかわいい雑貨たち。北海道とか九州とか、全国から来ている。Tシャツはグッド。いつも芳江に着ないのによく買うねえとあきれ返られるが、今日のは好評だった。ゴリラが2頭いたので、もちろん八幡に連れて帰る。バッチとかなんやかやで、1万円近くになるが、じつに安くて心温まる買物である。
ボルネオのオランウータンは類人猿とは別にいる。一人。ショールをかけた老婆みたいだ。オスだけど。 象はしつけられていて、葉っぱを食べるときにサーカスのように鼻を上げた。 札幌円山公園からやってきたシルバーバックのゴン君。ニシローランドゴリラ(動物園で飼われているのはみんなこの種類である)、34歳。堂々としている。隣の閉まった窓のところにずっといると思ったら、ひろみさんが隣にいるからかもしれない。ひろみさんは、ゴン君ととても仲良しなのだが、上野動物園に行ってきて疲れたので、まだひろみさんは一人でいる。でもだいぶん回復していて、ポールに上って葉っぱを食べたりもしていた。 いま、ゴン君と一緒なのはひろみさんの娘、元気ちゃん。動物園で繁殖した三代目。メスなのに元気というのはどうしてかと思うが、確かに元気で、ごろっと転がって下に降りるのが癖だ。きっと、これで受けを狙っているのだろう。ポールに上がって立ってしまう。元気ちゃんのおしっこ。そして草いっぱいのうんち。手で引っ張り出していた。交尾はしているそうだがまだ妊娠にはいたっていない。ひろみさんと元気ちゃんとゴン君とが一緒になることはあるのだろうか。いささか、その関係は気になるところ。 一方、180kgのゴン君はかなり威厳がある。鼻をほじったりもするが、座って枝を折ったりしていると、観客からため息がもれる。あるいは、こんなおっさんいるなあと感心する声。若干、ステレオタイプ的=キングコング的な反応もあるが、概してみんな好意的で園舎のなかでもかなりの人気。滞留時間も多いように思う。 私は合計2時間ぐらいいただろうか。まったく飽きない。サル山とかうろうろはしたが。
DVDで『愛は霧の中に』(原題 霧の中のゴリラ、監督:マイケル・アプテッド主演:シガニー・ウィーバー)をみる。バトワ族への復讐が強調されていて、実際はどうか分からないが、かなりここで描かれるダイアン・フォッシーは偏執者である。いつもタバコを吸っていることとか、自分勝手なところとか、感じの悪い女性を演じようというのがこの映画の狙いか。邦題の「愛」は身近なゴリラだけへの偏執的愛を強調しているのだろう。人種差別とかさまざまなことを思わさせる映画。 でも、マウンテンゴリラ(ときどき特殊メイクのお人形もある)がごろごろしているのをみるのは実に素敵だ。一番不要なのは恋愛シーンだが、こういうのがないとハリウッド映画にならないのだろう。子どもゴリラが転がるようにして下に降りるのは、昨日元気ちゃんがそうしていたので納得。ドラミングの威嚇一人芝居はどうも典型的なものではなく、その点は残念。 |