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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.5 こぐれ日録484 5/8〜5/14
午後からは専門ゼミ。3回生ゼミはフロッタージュ。けっこう楽しんでいた。4回生は卒業写真撮影。やらせである。9名来た。珍しい顔もあった。 ○ はなうたのゴリラはセロリ食べながら 月豚
昨日書いたフォーラムのあいさつ文をちょっと手直し。川柳も文字をいらう。いまいち決まらないがまあこんなもの。 昨日がブタクサ花粉症のピークだったかも。夜は少しまし。でも、朝、鼻血がどばっ。午前中文章を作るのも、10分作って20分横になって・・という状況であった。 昨日の平盛小学校でのダンスで理科の模様が朝日新聞サイトなどにのっていた。行けなかったけれど、ずいぶん順調のようでよかった(でも糸井さんは私と同様にGW中体調が悪かったそうだ)。 近大の授業。16名。GWで購入したアール・ブリュットのかわいい雑貨を見せる。人気あり。それに対して、今日はかなり概念的な授業。黒板を写すだけで終わった感あり。もうすこし「まちづかい、まちづたえ、まちさがし・・・」の具体例とか入れる工夫がいるな。 まあ特に前半は、「政策」とは?政策の体系という話だったから、芸術学ばかりの人たちには苦痛だろう。でも、これはアーツマネジメントを受ける関門の一つ。アーツマネジメントが文化政策と関係していてある面では社会科学でもあるということ。 そこで自発的に受講している(単位にならないらしい)4回生のソロ即興ダンスを19時ジャストから19時33分まで、キャンパス内の10号館8階演劇実習室で見る。まず、受付がしっかりしていて、私が一人待っている場所が薄暗いと気づくとすぐに明かりをつけてくれる配慮あり。観客がCD1枚持っていって、それで踊るという趣向。すごいのは、昨日から14日まで7回公演をするということで、踊る齋藤亮もいい根性だが、それを支えるスタッフ、音づくりの竹下祐貴、そして、撮影とあるが、撮影カメラを持つ女として舞台に絡む佐藤ゆか里も1週間一緒にするわけで、その長さが大学で専攻コースがあるメリットだろうと思う。 即興ソロダンスというのは、岩下徹ですら、かなり大変なのだから、学生で上半身裸、白いロングスカート(下は白いブリーフ)で踊るのは、勇気がいる。照明(日下部拓也、重松理恵子)との阿吽の呼吸も大切だ。チューリップの「あーだからこんやだけー」が流れたときは、歌に個人的思い入れが強すぎてダンスを見る意識が途絶えたが、それ以外は、結構集中して見れたし、楽しかった。
16名が発表したら、ほとんど時間がなくなって、今月末から本の発表になるので、その準備とかしてね、というとあるしっかりした学生が、東山青少年活動センターってどういくのですか?と聞くので、地下鉄東山駅からほぼまっすく歩いて、ぼくの足だったら16分ぐらいで着くけど京阪五条駅から10分ってとこかな、と地図を描く。で、どうして?って聞くと、だって20日はそこでワークショップでしょう?といわれて、そうそう、もうそういう時期になっていたことに気づく。17日は振替休講だから、いま説明しなくちゃいけなかったのだ。 お昼休みにあわてて地図をコピーして研究室の前においておく(まだ、だれもとっていないみたいだけれど)。 そのあとは、大学の会議。この会議もそうだが、だれも発言しない。私が、学生自治会について、どうも学生たちは大学側の下部機関だと思っているようなので、困ったものという嘆息を述べるにとどまる。これは、新入生キャンプのオリターなどで使うからそうなってしまうんだろう。学生部長がA先生になったので、どうしても気安く発言しちゃう空気になってしまうのだ。 最近の会議は、一方的に理事会が決めました、そうですか、という形になりがちだ。増員をまったくしないで、また1学科作るという職員体制のことなど、まこれで大丈夫とはまったく思わないのだが、事務連絡ということで、何も議論させようとしない。組合のほうと話ができてしまっているのなら仕方がないが。結局、大学理事会を動かせうるのは、学生の声である。それもちゃんとした組織を通じた声。あとは、高校と採用側の企業などか。 早く帰ろうとして(花粉症はましになったみたいだが、猛烈に頭が痛くなりつつある)、いろいろ電話。さて、帰ろう。明日も2限目から6限目までびっちりになってしまった。はあ。 ぐちをかいてしまうが、大学で、文化政策学部文化政策学科のみ、CPと略され、シーピーシーピーと連呼される。英語コミュニケーション学科も長いけれど、英コミと略され、現代マネジメント学科も現マネといわれるのでから、文政でいいはずなのに、どうしてシーピーなのか。CP者を差別的に扱うような発言ではないので、あしからずではあるが、これは、もともと文化政策のなかの特に「政策」への無理解があるのではないか、と思われる。なにせ、行政法の教授が退職して補充することを検討することすらしなかったのが大学当局だからだ。
メメント・モリというジュエリー (本文ほとんど略) 自分らしい葬送という運動が始まったのは、1990年代のはじめ。この流れは、単なる自分勝手を越え、取り巻く自分の死を深く哀しむ(=グリーフする)人たちを大切にするという風に発展していて、その考え方は良心的な葬式屋さんを多く生み出している。葬式屋という言葉もいまやフューネラルビジネスという約4兆円産業にはふさわしくないかも知れない(年間の死亡者数が100万人を越えた今、一人の方が亡くなるとその平均的な経費はいろいろ含めると400万円という試算に基づく)。葬儀社ではなくそれぞれが葬儀者であるということで、徐々にヒューネラルコーディネーターが会社や葬祭会館(この10年間で10倍近くまで増えた)から独立していくことも考えられて、実に興味深く、でも学生さんたちにはなかなかその奥深さは分かってもらえない、でも言いたい・・・ 尻切れ蜻蛉になったが、葬送については、このようなビジネス論としても面白く、さらに葬送文化論、限界芸術論としてアーツマネジメントと関連させるともっと面白くなる。なので、また、こんにちわエッセイの機会があれば、大学の学期でないときにこちらをのんびりと書くことにしたい。さて、また授業の準備をしなくちゃ。なお、ゴリラ文化論は最近始めたものだが、これは結構学生さんに受ける。でも、まだ私の知識が浅いし、つながりがうまくいかないままである。 今日は、2限目アーツマネジメント総論76名、昼休みTAM研、3限目ちょっと講義拝見、4限目自分探しの旅160名。5限目に来客が来る予定だったが、それはなくなり、6限目がインターンシップ準備セミナー、4名。
全面禁煙を阻止する一番の理由は、もしそうなると、キャンパス外に吸殻などが散乱して評判はじめかなりの外部不経済をもたらすだろうということだと話すと、確かに、暴力団の取締りが余りに強化されるとアンダーグラウンド化しますからねえと四方山話になる。あと、タバコを吸う学生たちの群れが特定の場所で見れるので、何となく安心感あり(隔離してしまっている感じはあるが、キャンパス内であるのは有難い)。 座って生声で、私がときおり質問したりしつつ、リラックスして始まる。わたしの鼻からみずばながたら〜り。するとすかさず田中さんがそれを指摘。大丈夫、田中さんはあがっていない・・・「せりふの時代」のドイツの子ども対象の劇団+劇場の記事も効果的だった。 さて、実際の詳しい話については、せっかくアーツ鑑賞演習に出席した20数名が必至にメモを取り質問していたこともあり、彼ら彼女らに悪いので割愛。でも、スムーズにみんな積極的な芝居の感想や質問をしてくれたから(最初の2回生が起立して質問し出したのがまずよかったなあといまになると思う)、田中さんは、「いまいちでしたか」などと謙遜していられたが、予想以上にいいお芝居鑑賞のあとの劇作家・演出家トークとなった。 26日には、2000字のレビュー(今日のトークも含む)がでるので、それをここにまたアップしたいと思う(アップされたくない人は、田中さんに見せたくない人だと思うことにしますが、田中さんに見せたいが、ここにアップされたくない人がいたら、レポートなどに意思表示してくださいね)。終わってから喫煙場所に質問に来る学生もいた。なんだか、とてもいい大学みたいに見えるなあ。 一緒に椥辻駅。私は六地蔵方面へ。京都橘高校「文化政策」の3回目。 あと、商店街の定義、機能、利点、欠点を自分たちの言葉で考えてもらう。最後に、少しアーケードや舗装、街灯などが振興組合などによって整備維持されているという話を追加できて、まずまず準備としては進んだかなと思う。来週は「イベント論」をしようと思う。 そうそう、これを読んでいるという生徒がいた。私の小さいときとかインドでの結婚式の写真とかもあるよというとびっくりしていた。高校生の若々しい反応は大学とはまた別の楽しさ。京都橘大学に来ようと思ってくれる生徒が出ることを祈るのみである。 帰り、やっぱり、しんどくて、中書島までゆっくりと歩いて周りを観察したあとは帰宅(ふちがみじゅんこ+Bikke=JBの拾得でのライブを見たいなと思っていたが)。散歩では、はじめて御香宮の中に入る。ペットボトルをいっぱい持ってきて名水を入れている人を観察したり、能舞台があることを確認。風呂屋町商店街のはずれにあるドイツ語の洋菓子店リンデンバーム(KONDITOREI LINDENBAUM)でシュークリーム(100円)、プリン(90円)、それに200円台のボリュームたっぷりのケーキを買う。魅力的でしかもお安い洋菓子。帰って早速食べてかなり満足した。
どうして、急に3回目になったかというと、テーブルを叩いて、その音を聞く、テーブルに載せたものの音を楽しむ第2回目の放送について、視聴者から苦情が来て、3回目になったのだということ(野村誠さんのブログよりしったんですが、野村さんは、悔しいが、どうして悔しいかというと、苦情をいう人を魅了できなかったから悔しいという。もっといい音を妥協しないで出せばきっと魅了できたはずということ)。 野村さんは音楽家だし当事者だから、それが一番かっこいい受け止め方だけれど、傍観者としては、どこがクレームになるのか、ずいぶん気になるし、いまの子どもたちの置かれた家庭とか環境を考えるきっかけになりそうだ。 そうやって、全開で游ぶときと、生活時間とをうまく使い分けられていたら、もちろんクレームなどでないはずなのだが。そうでない家庭とか施設とかが増えているのかなあ。うーん、予定通り放送して感じる機会が減ったのはもったいない。クレームを言う人たちがどんなことを考えどんな生活をしているのか、逆に興味深いことでもある。それとも放送局側の事情なのだろうか? hacoの公演で、その制作をされていたブログによると、チラシの挟み込みをあとからしにきて、普通は先にあるチラシのあとに入れるものなのに、どうどうと前に挟み込んだグループがして、しかもそのグループは2階の本番中に3階の稽古場で静かにしなかったという。アーツマネジメントはますます社会常識なき時代にどうあるべきか、これも考察に値する(なんて初歩の初歩と思うけれど)ことかも知れない。 5/14(日) 金満里さんのインタビューの最後はすごかった。ただ、こうして障害者としていまある自分を丸ごと肯定でき、それ以外の人生は考えられないとまでいいきるようになるのに、「青い芝の会」の存在もあったし、もちろん、家族の力も大きかったはず。一人で住むようになってからは介護者とのタフな関係づくりと新しい家族、そして劇団とその関係者、研究所での活動からなる場の力。アーツとかステージが生み出す波動、魔力。 しかしながら、これまでのさまざまな出会いを出会いとしてうけとめコントロールしたのはやはり個としての彼女自身である。明晰な頭と柔軟すぎるぐらい柔軟な身体の結合によって生まれ出る魂としての金満里の誕生。20代の終わり芸術へと行き着くことで、身体を丸ごと肯定する術へと向かう。レオタードで障碍ある身体を隠さない。隠さないどころか強調し当初は挑発する言葉さえ健常者幻想に向かって投げつけてきた。 そして、前衛的先端的表現には障害者としての身体が最も有利であったこと、いまの金満里があるのは、障害ある身体があったからであると言い切る姿。かっこいいがじつに淡々としていた。舞台が常に悟りへのみちだと言ってしまいたくなりそうだ。 |