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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.11
こぐれ日録510 11/6〜11/12
11/6(月)
一番ふつうの出かけ方で大学へ(京阪五条からバスで大宅)。
木曜日のアーツの扉の準備。昭和歌謡篇。
笠置シズ子(買物ブギーとジャングルブギー)宮城まり子(紙芝居が見たくてしょうがない少年が出てくる六軒長屋の歌がおもしろい)を対置させ、映画『酔いどれ天使』のダンスホールのシーンもセットする。映画と音楽をもっと混じらせるような授業をまた考えたいと思い出しているのではあるが(だから、ザ・ピーナッツと『モスラ』なのだが、今年は高田渡を見てもらうべきかなあ)。
CDを流していると、生協の店長さんから電話があって、京都シネマに問い合わせたら、私が熊谷監督とトークするというので、びっくりしたというのだ。11日の午前中(10:15〜11:58)
の上映が終了後。こっちがびっくり。映画のきっかけとなったシンポジウムに私がたまたま司会をしたというだけなのだが「負の遺産」をめぐっての話になるのか、と改めて京都シネマのサイトを確認する。
なんと、店長は大牟田市に高校生までいたのだ。それも、三池鉱山に親が働いていられて炭鉱住宅に住んでいた。そして、第一組合とか第二組合とか職員とか、一応知ってはいたが、それはそれとして子どもたち同士は一緒に、学校に行き遊んでいたというのだ。私が出るより彼女に出てもらったほうがいいぐらいなのだが、いやあ、熱い人だ。三池出身者だから熱いのか!
戻ってくると、こんどは大善院でライブなどをさせてもらう学生が来て、入場料が高いといわれたそうで、それを直したチラシを持ってくる。根回しというか、事前の了解をいかに緊密に阿吽の呼吸で取るのか、アーツマネジメントをタフやTAM研であんまり経験していないこともあって、心配なことではあるが、なんとか許してもらわねばならぬと思う。
午後ゼミ二つ。
そして、上原先生と滋賀の委員会へ。
そのあと懇親会。上原先生と中川先生のお話がかなりこの文化の委員会の方向性に大きく寄与しそうで、ありがたかった。
11/7(火)
昨日の委員会では、一人一回ぐらいしか発言できないし、なかなか、きちんとつたえるのはむずかしいのだが、教育政策と文化政策との違いをなんとか話したつもりだ。
そのときに、一つ言及できなかったことに、「闇」をめぐる問題群がある。
教育現場での最近の事件を少年少女の「心の闇」問題として語られたりする。心の闇がどうして問題なのかとまず気になるけれど、それはそれとして、この文脈では、心の闇を解消する=心をみんなさらけださせる(監視可能状況にする)ことで、なんとか事件を防止したいという方向に向うのがお決まりの路線である。これは教育政策としても子どもの深層心理を守り、人権や自由の点からいかがなものかと思いつつ、教育施設の秩序維持のため(アリバイ作りのため)、いじめの加害者の心の闇を自己反省するようなイベントなどが仕組まれたりもしている。
つまり、教育政策では、「闇」は明るくするしか処方箋がないようで、だから、人間の無意識、深層心理を教育政策でほじくりだすことは、事態を余計に悪化させるしかないということになる。なぜって、最善の教育政策とは、暗い闇=蒙を啓く=開く「啓蒙」が自発的に行われる環境づくりなのだから、そもそも、闇は闇のまま、違うところで考えたほうがいいのである。
他方、文化政策では、逆に、闇を創り、闇を育て大切にすることが重要な仕事となる。
劇場は、夜間でも明るい街で唯一闇を創りドラマを浮かび上がらせる場所として、その存在理由がある。
原初のアーツ、そのはじまりは、暗闇が支配する洞窟での描写と儀式、ダンスであった。
こころが明るい肉体の仕事を終えて、闇と向き合うとき、人は深い瞑想に耽ることができる。
創世の物語、死者が埋葬地で闇夜によみがえり、私たちに智恵を与えてくれる。
闇は文化の豊饒なる根源である。心の闇は、それを互いに大切にすることで、各人に豊かさをもたらす。闇=無意識=野生=自然をおろそかにし、加工し収奪するから、闇が悲鳴をあげて暴れ出す。放射能を浴び、お姫様をうばわれたモスラが東京タワーにやってくるように。
そう、文化政策とは、闇をその領分とする。闇を保障し心の闇を豊かに守り、育て、暴発させないようにすること。生きにくさとは、この時代に適合する心の分量を超えて、未来へと溢れ出てゆく過剰さ(時代に適応してい人たちにとっては、「心の闇」=理解しがたいものとなる)の謂いである。生きにくさを感じるときに、それが幸せなのだと確認できる場、それが文化政策の領土なのである。
以上きのう考えていた要旨をメモっておく。
大阪成蹊大学芸術学部での「美術文化政策研究」、第6回目。43名、減少気味だ。
ずっと文化政策原論なのだが、今日は、新聞記事を使って文化プログラムと文化ハードウェア(拡張)、そして文化政策主体とその運営委託団体を具体的に見つけ出す演習を交えて行ったので、ずいぶん理解がすすんだようで、よかった。
大学内のspace B。森太三展、起伏のはざま。
白い波、泡、蔭も白いが少し汚れている。
上には、空の小さな○。小さいけれど、その中に入り込めそう。
離れてみると、空が星になる。白い海が暗い水底になるように。
11/8(水)
子どもたちがちゃんとメッセージを出したり、プレゼントを届けていたから、こちらも忘れなくで助かったのだが、今日は、芳江の誕生日だった。めずらしく、花束をプレゼントした。まったく名前の知らない花ばっかりを選んだので、店員さんは花束にまとめるのに四苦八苦していた。カンガルーの足とかいうのもあったが、これはあんまり目立たなかった。
大学は一回生ゼミ。けっこう遅れて珍しい顔も来ていた。
あとは、会議。
かえって歯医者。
前回はキレイだとおもっていましたが、歯石がけっこうありますねえ。次に歯石をとりますので、今日、一緒に(基本は奥歯の詰め物がとれたので、それを入れなおすこと)、親知らずを抜きましょうということになり、戦慄が走る。30年近く前に一つだけ親知らずをとったのだが、そのとき、かなり衝撃的だったからだった。でも、麻酔のせいで、まるで何も起こらずに、ぽろりんこんと歯が目の前に。
ずいぶん、下の方にこの親知らずには虫歯があって黒ずんでいて、正直きたない。でも、40年ぐらいだろうか、ご苦労様という気持ちになる。持って行きますか、といわれたので、持ち帰ることにした。
青森県立美術館から招待状が来ていた。もう少し近かったらなあ。碧水ホールに映画の予算が復活したらなあ・・・いろいろ思ったけれど、まずキャッチコピーがわが意を得たりである。
第1回美術館の映画祭。「映画は、闇のなかの美術館」。「暗闇のなかに光り輝く美術館へ、どうぞお出で下さい」。ほんとうに行きたい。ラインアップはなみおか映画祭の復活とまではいかないかも知れないが、同じ匂い。三上雅通さんが映像事業実行委員会の会長だから、まあ、当然といえば当然なのだが。
青森県立美術館 第1回美術館の映画祭 上映作品 + スケジュール
11月22日 (水) われらの美術館
オープニング 実行委員会挨拶
シャガール ロシアとロバとその他のものに
彫る 棟方志功の世界
青森ノ顔 縄文ノ顔
NARA:奈良美智との旅の記録
11月23日 (木) 美術館をめぐる冒険
パリ・ルーヴル美術館の秘密
はなればなれに
パリのランデブー
エルミタージュ幻想
11月24日 (金) 美術館は舞台 -- 追悼 ダニエル・シュミット
BALLET アメリカン・バレエ・シアターの世界
残菊物語
書かれた顔
トスカの接吻
11月25日 (土) 芝居もある美術館
人生とんぼ返り
Wの悲劇
シンポジウム 「映画の呼吸」 澤井信一郎監督をお迎えして
恋ごころ
交流会
11月26日 (日) 幻影の美術館
紙の花
ユリシーズの瞳
楽日 不散
シネマ・パーティ
11/9(木)
TAM研のメンバーに告知する手段がなくて困りつつ、栗東のさきらへ。
「平成18年度栗東芸術文化会館さきら 第3回運営協議会」。9:30〜11:40。
そのあと、写真撮影。これは、さきらの主催事業などをできるだけ委員は鑑賞したり参加したり出来るように、パスを作ることが目的。そのあと、交通費支給。委員報酬とかはないのだが(内発的報酬だ!)、交通費は出るようになった。授業に間に合わせるために、今日はバスが待っていたのでラッキーだったが、タクシーとか乗ることもあるので、助かる。
かなり大切なことが話されてきている。今朝は、さきらの和室で。
採算性とか個別の事業そのものよりも、もっと本質的なこと。
たとえば、サファリパークプロジェクトのボランティアに守山市など栗東市以外の方がたの方がなぜ多く参加されるのか、という問題である。
つまり、栗東市全域とさきらがどうしたらつながることができるのかということで、移動動物園のことを思ったり、ネコバスのことを想像したりした。まあ、一言で言えばアウトリーチなのだが。
あと、文化協会の高齢化問題。詩吟って、けっこう、朝公園で練習されているのを聞くのがすきなんです!ということをいうとびっくりされたりもした。いっちゃっている感じがしていいのだが、うまく説明できない。
最後に館長が、広場での音の苦情の話があって、それは樹木をもっと高く繁茂させることだという意見が出たが、周囲の高層マンションの住人とさきらとの関係(無関係)についても大いに議論しなくちゃならない問題である。
大学へ。1回生とバスの中であれこれしゃべる。3限目は数学らしくて、それって、タンジェントちゃうん?とか、30年ぶりぐらいの用語を使ってみる。
弁当を売っていたので、ベンチで食べながら、学生さんたちの観察。今日はずいぶんと気温があがっている。
4限目、冒頭に4回生ゼミの二人が卒業制作のPR。すごかったのは、いつものように教室が騒がしくなりだしたら、きりっとそれを制したこと。私は、まったく彼女のようにきりっと黙らすことが出来ないのに、なんで・・・すごかったなあ(また言っている)、彼女の迫力。
AI・HALLへ。19時公演なので、せっかく提出してくれたレポート(舞台芸術の公演を10あげて、そのなかの一つを実際に鑑賞してレビューするというもの)をきちんとは読めず。でも、「闇光る」を見た学生がけっこう多くて、あと、けっぺきとか学生劇団も見ていて、文学部も含めた1回生中心の授業はまさしくアウトリーチの実践でもあるから、嬉しい限り。もちろん、劇団四季は多いけれど。
原作/中島らも「ロカ」、構成・演出:岩崎正裕。『ルカ追走』。2時間たっぷり、うるうるしてしまっても仕方がないのにうるうる。だって、そんなに歌うんだもの。
中島らもが亡くなってもう2年以上になっているのか。
自分が中学校のときに、彼に会ったのかどうかが定かではない。すれ違いはしたはずだが(狭い校舎だから)図書館にいた先輩たちのなかにきっといたはずだとか、そういうぐらいの印象で、高橋源一郎さんだって、生徒会誌上で知っているというぐらい。
追走(追想とあえていわないのが、演劇だからだろうか)のシーン。
灘高校の制服だな、中学のではなくて。帽子のマークはちょっと違うかも知れないが。中学校はまだ馬糞帽だったし、彼(中島=大島)が3年になって、完全に私服化になったはずで、だから、大島(中島らもの本名)が、高校1年生か2年生のときが描かれている。北九州市の飛ぶ劇場から寺田剛史が参加。わかきらも=大島さんだ(検察官の橘という役もやっている)。
会社づとめの話も実に滑稽でおかしい。にぎりっぺ。
奇異保さんは関西に無くてはならない名優だなあ。
岡本康子さんが役者として凛々しい。いつも制作者としてお世話になっているので、なんだか、岡本さんまで闇を旅している人のように思えた。
面白い場面、放送禁止単語の連発だとか、ブラックよりだがじつに楽しめる。
中島らもへの追走=追想なので、おちゃらけの身振りではないけれど、ぜんぜん深刻ぶって演出していないところが、お奨めの第一だと思う。
みんな、真剣に演奏しているしなあ。下手でも、いいんだぜ。
小堀純(無宿編集者)さんが、はじまるまで、神戸の麗人たちと客席でずっとしゃべっている。
めずらしいかんじがする。らもさんと話しているようだ。はじまると、らもさんと舞台のみんなが話していて、少しうらやましい。でも、しだいに、客席のわたしたちまで、それが広がっていく。らもさんと一緒。だから、歌は葬送の追悼である。葬式はしなくても、葬列はなくとも、ロックがフォークになっても、ジャズ喫茶で筆談しあっていても、音楽は音楽であるとともに魂振りであり、演劇は演劇であるとともに挨拶や追悼のための儀礼式である。
11/10(金)
1時間目のアーツマネジメント各論。今日も韓国古典音楽のPRが冒頭にあって(ゼミ生)、子守唄を限界芸術論との関係で話す前半。集団で即興的に作られていった過程をどうやって想像していけばいいのか、概念ではわかるけれど、私も含めて守り子たちの風景を現出させるまでにはいたらない。後半は、演劇を映像で見せる。たまたまではあるが、冒頭が結婚式に向かうシーンなので、これから展開する冠婚葬祭文化論の幕間にもなるし、やはり、演劇を見る機会を作るのは授業でも必要だから。
今日は『月の岬』を見せるからね、と、この前「闇光る」の隣に座った2回生のどんちゃんに話していたら、やっぱり来ていた。現金なもの。衛星の芝居の稽古もあるのだろうけれど、ときどきは大学に来ようね。アーツマネジメント的に演劇を見るように指示。けっこう、同時多発会話とか、後ろ向き会話とか、不在の時間のこととかチェックしながら見ていたようでこれは収穫。120分あるので、来週は90分とも映像となる。1997年のBS2の映像のため、全体を映している状態が短いので、そのときによく目を凝らすように事前に注意しておこう。
午後は高校。3班に分けて、24日の発表の準備をしてもらう。
絵本の読み聞かせを20名ほどでしたらどうなるのか、そのための演出、音響などを考える。
場所も大切。そして、なによりも、それを伝えるチラシ(小さなポスター)づくり。
紙芝居も混ぜても良いことに。図書館にも紙芝居があって、じつに楽しい時間。
紙芝居など高校の荷物がいっぱいになったので、ひとまず自宅へ戻る。
送られてきた娘の映像を見る。もう5作目だ。どのようにオープンされるのか、ひやひやどきどき。
でもとっても楽しみでもある。具体的に告知できるようになったら、まっさきに告知したい。
アーツマネージャーもこのような苦しみをいつも体験しているのだろうなあ。
見せたい、知らせたい、でも、それをぐっとがまんしておかなくちゃいけない。こんなにいい作品だが、自分たちの伝え方のせいで、うまくいかなかったらどうしよう、時代が全部向こうをむいたままだったらどうしようか、と。
荷物を軽く、難波の街へ。
いつも、ここは方向感覚が狂ってしまう。
久しぶりにワッハ上方、ワッハホールに向かおうとして周辺を2回まわる。
ここの催し物一覧を見て、けっこうぎっしりあるので、少しびっくり。
大阪府の文化施設なので、もっとがらがらしているのかと思っていた。秋だからね。小演芸場(上方亭)やレッスンルームでも小さな催しがある。笑い芸は大阪メッカだから、当たり前か。
劇団そとばこまち創立30周年記念公演第3弾。
『キャビア・ウーマン』作:坂田大地・中司、演出:坂田大地。19時スタートで21時を17分ほど回る。でも、軽快なコメディなので、さほどしんどくはない。女警官が状況を街中で説明するなど、とても素人ぽい演出もあって、これをまたコメディとして楽しむ、そんな舞台鑑賞がいいような気がした。
上海太郎が、マイムのレッスンをして詐欺師を養成するところとか、舞台裏を見せる余裕など、けっこう仕掛け多し。うちの4回生(南園倫奈)も、携帯電話をかける人の役割(どんな人かを言うわけにはいえないが)を静かにこなしていた。詐欺師とトリック。ここにブラックな暴力団が入り込まないところが、この芝居の軽妙さでもあると同時にフィクションとしての安心感なのだろう。
11/11(土)
芳江と京都シネマへ。行く前に、念のため、ポストトークのためのメモを作る。
10:15〜12:00まで『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』。今日は初日なので、熊谷博子監督(でも彼女の肩書きは映像ジャーナリストなので、本人に監督と呼びかけるのはトークの場のみ)の挨拶。そこで、私も一緒に司会みたいな形でトーク。
20分間トークしたあと、会場からお二人の発言をいただき(三池の関係の方々の熱く暖かい発言、本当は会場にほとんど残っていただいたみんなの話が聞きたいぐらい)、最後に熊谷さんにしめてもら。30分、ぴったり。我ながら司会業はまずまず無難に出来るようになったなあとちょっと嬉しい(メモに書いておいたことは、彼女の話からほとんど引き出されるように出来た気もしたし)。
11:30に彼女が東京から来るので、そこまで見ていたが、1回目見たときには気づかなかった部分がかなり多かった。蜘蛛の巣が映っていて、女郎蜘蛛の黄色い腹が目に焼きついていたり、インタビューされる人たちの住まいのディテールをじっくり観察していたりした。
そのあと、東川さん(うちの生協の店長であるとともに三池の炭住出身)と東川さんから紹介された大牟田出身の前川さん(「異風者からの通信」主宰)を熊谷さんに紹介。いっしょに食事。東川さんたちも熊谷さんと話ができて感激されていたが、熊谷さんやこの映画にとっても貴重なお話が聞けたと思っていただいたのではないだろうかと思う。しかも前川さんの貴重な袋と鉢巻き(三池の歴史資料)が一時熊谷さんの手に渡る!
3人は語り足りないようで、お茶にいかれたが、私は娘にお願いして、コートなどを買うのに付き合ってもらう。
カインドで2000円台のギャルソンのコート(1994年ものだから安いのだというが、ずんぐりしていて私にはぴったり)と、6000円台のワイズのセーターを買う。そのあと、ビールが飲みたいと叫んで、カラオケ屋へ。喝采や終着駅を歌っていると、お父さんの若いときにはいいうたがあってよかったね、と娘。そうだなあ、ほんとうに。
以下、朝作ったメモ。
・ ・・・・・
【三池 映画上映会のあとで(熊谷博子監督とのトークのためのメモ)】
(自己紹介)
私がここにいるわけ・・・
各地の文化ホールの中身(アーツ)の充実を仕事にしていて(1998年当時は自治省役人で出向中)、その九州における地方自治体の同士が大牟田市の文化会館にいた。
その彼、吉田さんが、大牟田市立の石炭産業科学館に移る。そこでも、吉田さんは、この建物に魂を入れようとして、シンポジウム「歴史を生かしたまちづくりの視点とは」(1998.10.11)をして、熊谷さんをその気にさせた。そのシンポの司会などをたまたま私がしたということ。
つまり、彼は、三池をめぐる歴史、生の証言をきちんと映像化し、住人の声として伝えることが、ミュージアム行政の仕事として位置づけ、それが市の文化行政を担うものの任務だと確信していたのだと思う。
(「負の遺産」に関して)
@ 文化遺産、世界遺産というと、すべて価値がありプラスのイメージみたいである。でも、残された歴史にはマイナスとか影とか負とか、そういうブラックなものはつねにあって、ただ、切り捨てられたり、忘れたふりをしているのだけではないか。とくに近代化遺産ってそうで、近代化で失ったものは多く(デラシネ化郊外化(職住分離)、環境破壊、伝統文化喪失・・)、そういう意味で、負の遺産を近代化遺産という言葉のなかで、あえてとりあげることはすごく大切なこと。
A 博物館というと、なんでもおとなしく保存されるということになる。レトロブームでまちなかミュージアムと言ってもそれは表面的である。そんなミュージアムで、あえて、生の声を出すことのチカラを感じる。それが出来るのは、企業ではないことはもちろんであり、市民自身、その市民の付託に答える行政がまだここにあることの意義。
参考:石炭産業科学館の中村さんが「こえの博物館から垣間みえるもの」(職員提言集2003)で、@すべての撮影、取材に同行した、Aこの仕事は委託した監督たちにただまかせず長い時間議論した、B公の機関だからこそ住人が声を出してくれたことの重み、C協力してくれた住人たちに不利益を与えないだろうかという不安と配慮などを書いていて、貴重な行政スタッフの証言だと思う。
B つまり、負であるからといってそれを隠すことはないし、それを含めてまるごと地域の歴史を生きた人たちに向かいあい、未来へと私たちは受け継げうるということをこの映画づくりの過程と作品は実証した。
(5つの驚き)
@ 自治体が関与しても、このような強いアーツを創れるという驚き
A 映画の世界において、市場原理ではない文化の土俵で映像を創り続けている人たちがいるという驚き
B 大牟田・三池の人たちが行政と映画のコラボに対して誠実に応えたという驚き
C この映画を各地で上映するために結集する人たちの層の広がり、世代を超える動きにおける驚き
D 京都シネマのように、映画づくりの現場のすぐそばで上映を行う場があるという驚き
11/12(日)
冷たい風。のんびり文学歴史散歩の日。
東大阪市、樟蔭学園記念館。松蔭女子大学学園祭、河内小阪駅。
大阪楽座事業、おまけ博士とたどる大阪モガ・モボ時代展。
古川武志さん(大阪楽団の歌う指揮者、大阪市史料調査会調査員)。SPレコードと蓄音機。1曲ずつハンドル回し、針をかえ。針は安いらしいが、それよりもレコードの溝が広がるので、それが心配だという。SP専用の箱がいい味。
グリコのオマケ(豆玩)の宮本順三。14時からは朗読もあった。極東オリンピックが1923年大阪であって、フィリピンの選手がゴールインした姿があのグリコのマークになった。豆文、豆広告の話も楽しい。森永や明治に対抗はできないから、この豆戦略があったのか。
美しき天然、道頓堀行進曲、とんとんからり隣組。ティティナにラクンパルシータ、最後はスイングガールで若い人もしっているシングシングシング。ベニーグッドマン楽団。
15時に終わって、商店街を抜け、司馬遼太郎記念館へ。神社を二つ、少し行きすぎる。
大阪府とか東大阪市がつくった文学館とばかり思っていたがそうではないようだ。ジャンバー、おそろいの初老の人たちが案内してくれる。あの天井を良く見てください、誰かみたいでしょう?はあ。
安藤忠雄建築。ホールでは武士道と明治維新の話が映像で流れている。鴻池新田会所という国史跡需要文化財における『村相撲の風景』というチラシがとても気になる。
恵比須駅。インデペンデントシアター・ファースト。
France_pan第9回公演『スペアー』。ロングラン公演、客席は少なく、美術がサカイヒロトなので、工事現場のようで、まんなかは廃墟的砂場。水吹きをシュッシュッシュしているのは、砂が飛び散るからだろうが、ちょっと土俵に塩をまくのと同じで、これからのステージを用意しているのだろう。
作・演出の伊藤拓が、美術とかさわってください、冷蔵庫をのぞいてみてください、10個の言葉が置かれています、これは公演するときには撤去しますので、それまでにみてくださいといっている。じっさい、上のほうにはっていくお客さんもいる、冷蔵庫ものぞいている。
さまざまな公演を思い出す。夏に見た風琴工房の2作目。男の家にゲイの男がいて買われた女がたずねてくる話などは、その違いをすぐに思い出すのは、見たばかりだからだし、配役構成が同じだからだ。うちやまつり(桃園会)の黒いビニールとか、過去の演劇作品のオマージュ的断片が意図的に配置されている。映像をそのまま映すものも最近よく見ている気がする。新しいとかはどうでもいいのだし、コラージュなど当たり前だし、この手の演劇の行く手というのをどう考えたらいいのだろう。なかなか適当な言葉が見つからない。
まあ、好きにしたらいいのかも知れない。
なにものでもあって、なにものでもないのだし、それでもなにかなのだろうから。
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