こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.10


こぐれ日録507 10/16〜10/22


10/16(月)

午前中、京都市東部文化会館で、来年の第3回こどもの文化フォーラムの実行委員会が開かれる。
次年度から京都橘大学には児童教育学科が出来るので、バトンタッチすべきなのだろうが、まだ、池田先生しかいないこともあって、自分が引き続き関係している。

ゼミが終わってから池田先生の研究室へ行ってお話しをする、新年度になればすぐに話が通じて、うまく山科地域のこども環境をよくするウィングが広がしますように。
そうそう、学術振興課長から、きちんと派遣依頼とか出してもらってください、と言われてしまった。つぎの会議には出してもらおう。

ゼミは卒論の中間発表の残り。
本音で言うしかないので、それはそれとしてちゃんと聴き話し合う。
ただ、少し場を暗くしたのは、
音楽配信がどれだけ音楽というアーツ自身に豊かさをもたらすのか、ということについて、少しネガティブな話をしてしまったこと、それで、みんなに悪いことをした。

でも、どうして、私が個人の携帯電話を自分がただ不必要だから保有しないことについて、学生のみなさんからどんな理由をもって非難されることがあるのか。欠席の事前電話もメールもしたことのないみなさんに言われる筋合いはあるのか。
そう問うと、そう軽い気持ちで非難するゼミ生自身説明できないのである。みんなが持っているのだから先生も持て、それで連絡すべきであるというのは、それはどうもいままでやってきたユニバーサル・デザインの考えとも文化の多様性尊重とも違うだろうに。


10/17(火)

大阪成蹊大学芸術学部「美術文化政策研究」の3回目。
前回よりは余裕をもってやれた感じはする。
今日は、49名だった(56名の登録)。徐々に減少しているな。
明日のうちの1回生ゼミの出席状況はどうだろうか。夏休みレポートもそろそろせっつかねば。
来週のレジュメのなかでは、文化政策の主体論というのをするのだが、そこで、施設や事業を書いて、その政策主体を考えもらう表作りを行った。最近は委託や指名管理者が出てきて、すっきりと説明できないのではあるが・・

鷲田清一『てつがくを着て、まちを歩こう』より、もう少し引用しておこう
《 ファッションとは、見えないものの影なのである。》p220
《 魂は、皮膚が折りたたまれるところ、身体がそれみずからに接触する部位にあるという、ユニークな説をとなえるのは、哲学者のミシェル・セールである。》p119
《物の触感は、それにふれたときにうぶ毛を圧す力の加減で得られるものらしい。》p48


10/18(水)

1回生ゼミ。
19人中、3名の欠席。
夏休みレポートは2名がまだのようだ。でも、少しずつ懸案は前進しているかな。
観劇フィールドワークに出られませんけどどうしたらいいでしょうか、という学生たち。
どちらが大事か考えるしかないのじゃないかなあ・・・・
どっちも大事です。
そりゃ、私の前で、ほかの活動の方が大事とは言えないだろうけど。
むかしは、けっこう、むっとしたが、まだ、出られないという学生の方がちゃんとしているのだ。

2回生の学生が急に休講になった、といって研究室にやってくる。
自然とお葬式の話に。地元では宮司さんが、お葬式の時には袈裟をかけて般若心経をよむのだそうだ。その神社を聴くと、八幡様だった。八幡神社系は神仏一体の伝統があるのだなあ。

1回生のゼミ生たちが秋の「ヒガシガシ」を持ってくる。自発的に編集作業を続けているのだ。
お茶の体験をしたり、ずいぶん、東山青少年活動センターにお世話になりつつ、いい学習をしている。ただ、マイ文化政策事典を提出するゼミ生が2〜3名になってしまった。これももう一度その意味を確認しなくちゃ。

校務で日が暮れる。
再来年度についての作業をしていて、でもいろいろ不確実なことが多すぎて、
なんだかむなしくなって、虫の声に耳を澄ます。
プロ野球の記事を読むと、時節柄、戦力外通知やFA宣言 他人事ではない単語が踊っていて、ああ、と嘆息。


10/19(木)

大津市で11/19に本番を迎える糸賀一雄記念賞舞台芸術祭『ロビンフッド・楽園の冒険』の委員会。
内藤裕敬さんと久しぶりに会う。ステージラボでお世話になっていらいかも知れない。お芝居は一方的にこちらは楽しませてもらっているけれど(さきらのプロデューサーの西川さんが、10年以上前、当時の国土庁にステージラボの件で電話したという。どうして国土庁がそういうアーツマネジメントセミナーをするのか、という関心だったらしい。昔のいろいろなご縁が回っているのだなあ)。

今回は内藤の作・演出である。うまく音楽やダンスのワークショップグループをあざみ寮・もみじ寮のみなさん中心のお芝居とドッキングできるのか。とくに、出退場をスムーズに行うために中割り幕を活用したりする工夫についての丁寧なお話があって、とても参考になった。
いまの大きな課題は、台詞の配分だということ。めくるめく紙芝居ともとても関連するので、興味深かった。

大学に着くと、すでに井出上さんを中心として、めくるめく紙芝居の制作のあり方について、学生たちとのミーティングが始まっていた。きのう、木下先生にいただいたマップを活用して実施場所探しワークショップの候補場所のこと、あるいは、どうしたら障碍のある人たちへ届くのか、について話す。

アーツの扉は100人中80名の出席。前回が84人だったので、徐々に減っている。お金を出してまでお芝居を見たくない、みたいとおもう演劇はありません、そうコミペに書かれていて、来週はそれをちょっとでも揺るがすことをしなくちゃと思う。
そんなことを考えていて、精華小劇場の宇宙堂(渡辺えり子)を見たいと思っていたのに、出遅れてしまった。


10/20(金)

一限目。
限界芸術論どまんなかへ。
柳田国男と柳宗悦。偶然に柳でつながっているだけだが、「やなぎ」の語源もまたしらべてみよう。
池上先生が講義されているときは、柳関係、モリスやラスキンの民藝運動とか詳しく必修で学んでいたわけだが、池上先生が退職された関係もあって、民藝とか雑器とかの話を長めにした。

来週は、いよいよ宮澤賢治。宮澤賢治の農民芸術概論を読めば読むほど理想とその実際の違いを感じでしまう今日この頃。永訣の朝などを朗読したいなあとおもって、研究室で春と修羅第一集を全部音読してみる。暇だなあ。でも、こうして読み直すことで言葉が身体とどういう関係にあるか、いまは風邪気味なので、鼻声になって、青森挽歌を読むわけだが、その声の一回性を思ったりする。

翌朝(21日)、上田假奈代さんのブログで知ったのだが、ちょうど、オホーツク挽歌あたりを読んでいるとき(14時)に、アーツマネジメントなどを熱心に実践しとくに音の冒険にいそしんでいたウクレレ前田さんが永眠されたという。
まったく、もちろんたまたまなのだが、なんでこんなに宮澤賢治を自分が全部朗読したくなったのか、彼の魂が山科のわたしに音波を届けてくれたのかも知れなかった。いや、そう思うことにしたい。

  ・・・・・・・・・・・・・・・
  たしかにあのときはうなづいたのだ
  そしてあんなにつぎのあさまで
  胸がほとつてゐたくらゐだから
  わたくしたちが死んだといつて泣いたあと
  とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
  ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで
  ここでみるやうなゆめをみてゐたのかもしれない
  そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が
  つぎのせかいへつづくため
  明るいいい匂のするものだつたことを
  どんなにねがふかわからない
  ・・・・・・・・・・・・・・・
  ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
  あいつがなくなつてからあとのよるひる
  わたくしはただの一どたりと
  あいつだけがいいとこに行けばいいと
  さういのりはしなかつたとおもひます
 
         (大正12年8月1日 宮澤賢治「青森挽歌」より)


10/21(土)

大学祭。
和太鼓同好会(こんな名前でよかったかな?)が今年度できて、でも京都橘高校とは違って太鼓とかなかなかそろわず、岩屋神社にもはじめお世話になりながら、安い太鼓を買ってがっかりもし、第3学生会館あたりを太鼓もってうろちょろしていたのだったが、高校からやっていた1回生だけでなく入ってから打ちだした部員もふくめ、みんな熱心に練習し心を合わせて、ようやく初ステージ。

13時半ということなので、ちょっと1回生ゼミの餃子屋(キレイに作って売っているのだが、なかなか売り上げ伸びず、全体的に食べ物屋が多く供給過多かもねえ)でぶらぶらしていたら、太鼓の音が響いてきて、あわてて、階段を上る。
いやあ、涙がこらえきれず。はじめての舞台というのは、一度しかないわけで、それがちゃんと(プチトラブルはいくつかあったようではあるが)出来て、お客さんの拍手もじつに暖かく、よかった。

文化政策学部文化政策学科の第1期生たちがうろうろしている。研究室にいつしか6名も集っていた。
池上先生にもお会いしたとのこと。よもやまばなし。お菓子を作っていたりパソコンとにらめっこをしていたり、いろいろだが、懐かしそうだった。男子の姿に驚いていた。


10/22(日)

Art Shop Octの川合千束さんに隠岐で毎夏行われている「アクアートin NISHINOSIMA」の話を聞いて、なにかぴったりなメセナ支援があったはず・・・と思い出せずに、三条会商店街を歩いていて、おお、アサヒ・アートフェスティバル2007に応募する(http://www.asahi-artfes.net/2007youkou/)のが、ぴったりすぎるほどぴったりの企画じゃないかと思い出す。ほんとに、こういう風に、そのときにはなかなか思い出せず、そのあと、おお、と思うことがしばしばだ。

Art Shop Octの前方にWindow Gallery Octが白くあって、でもとてもうまく古い木造建築を改修、転用されている好例の一つだろうと、ショップの思いがけず広々とした空間を見上げる。出町柳のヴォイス・ギャラリーとか京都には味のあるギャラリーが多いなあと改めて感心。

さて、円満寺洋介スケッチ展。建築探偵たぬきさんはこの日記を毎日読んでもらってコメントをしている方で、彼も丁寧に日々のスケッチを本当のスケッチ以外に写真とか言葉とかでこまめにされていて、今日も、紙を膝において何かやら書いていた。スケッチはいいなあと思った場所に20分間ほどたたずんで行って、色づけは宿に戻ってからするそうだ。モダンde平野だとか黒谷さんとかでであった絵日記巻物作家の岡田毅志さんが隠岐のアクアート(水中の展示が中心のめづらしい展覧会)ではテント画廊を作って円満寺さんと地元の小学生のスケッチを一緒に展示したという。

JR二条駅付近は、西側はパチンコ屋とかシネコンがあって京都らしさはほとんどない場所で、東側の小道に入るとオクトの向かいがお麩屋さんだったり、界隈性が突然復活してがぜん、歩きたくなるというきわきわのまちである。南には突然立命館大学の職業大学院のビルが周りと断絶して建っていて、そのレンガが擬古的なものだったりするのが、けっこう、おかしい。

三条会商店街は日曜日ということもあり、閑散としていて、自転車通路となっている。寿し保というところで、遅い昼食。きし麺と散らし寿司定食、650円。サラサ3というサラサ関係のお店もあった。反対の入り口近くに、ARTISLONG GALLERY『サシャ メレット作品展』。この画廊もいつも案内を送っていただいている。ルーマニアの作家だったはず。

もう一つ、アートステージ567という画廊?に行こうと思っていたが、待ち合わせの14時半が近づいたので、京都芸術センターへ。「TRANS-ACTING 未来の記譜法」(松井紫朗ほか)が行われていた。


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