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こぐれ日録 KOGURE Diary 2006.9 こぐれ日録503 9/18〜9/24
10時から12時まで、栗東市のさきらで運営協議会。 後期のアーツの扉(現代社会の課題)の最初のレジュメを早朝作ったので、さきらのスタッフに渡す。 2006年度後期 アーツの扉(0) 木曜日4限目 獲得目標 風流を感じよう! 2. 息苦しいいまの「希望格差社会」時代を少しでも生きやすくしていくために自分で出来ることをさがす。 3. 音楽などさまざまな芸術(芸能)を通じて、日本の歴史、文化の変遷を知る。 スケジュール ※11/19(日) 障害のあるみなさんによる舞台芸術鑑賞授業 注意 評価 (1)6/2(金)19:00開演 劇団黒テント公演『ど』 構成・演出:山元清多 (2) どちらかを選択せよ 800字程度。 今日も、アーツの扉の講義づくりにあてようと思っていた。 ゴリラもハミングしているのだから、500年前のヒト属だって・・・からはじまり、洞窟絵画とその儀式、ここからは日本にしぼりつつ、縄文式土器と土偶、天鈿女命の踊り(足踏みリズム)とシャーマニズム、雅楽に東大寺大仏開眼法要、声明とくに天台声明と真言声明、そして今様(梁塵秘抄)とトピックスを書き出す作業。もっと、はやくはじめなくちゃなあと思いつつ、ぼちぼち。 でも、丁寧なお手紙やファックスがあった映画の試写会が呼んでいるような気がして、作業中断し、あわてて身支度、ぎりぎりながら、十三に到着した。13:30。 6階が第七藝術劇場で4階が試写会会場だった(中華料理屋さん)。2階のレッドライオン(岸田さんらによるライブ会場になっていたのでよく当時は行ったものだ)はカラオケかなにかになっている。 ドキュメンタリー映画、熊谷博子監督作品『三池―終わらない炭鉱(やま)の物語』。第七藝術劇場は10/28、京都シネマは11/11となっている(終わってから神谷さんと熊谷さんが電話をしていて、隣の私に代わってもらい始めて神谷さんと話す。小室直子さんからお話は・・・ははー)。 何せ、企画は大牟田市、大牟田市石炭産業科学館であり、「住民と自治体との新しいまちづくり」ということで予算が3年目にしてようやく出て始まったものである。淡々としているのはそのせいかとまず思う。でも、淡々としているのにはもっと深いわけが色々あるのだろうと映画を見出すとすぐに感じてくる。まず、7年間という長い歳月がそうさせたように思う。一気呵成ではなく、大牟田市と日本の時代の流れの変化を通過して、それでも残るものがここにあるのである。ある面角が取れ、漂白されている。それでもまだしつこく残すべき記憶だけがここにある。 つまり、「みいけ 炭鉱(やま)の声が聞こえる」(2003)、プロジェクト「こえの博物館」がその企画の始まりである。声を聞く、そのシンプルななかに残された声の重み切実さ深い躊躇いが、この映画をドライブしてきたのだ、熊谷さんと、吉田石炭産業科学館事務局長や次の事務局長、次の次の事務局長、そして館のスタッフを通じて。 近代化産業遺産。この映画を撮影しているあいだにも、とつぜん取り壊された重要な遺産がいくつもあったという。「負の遺産」なのだから、大牟田市の人たちとしてはそっと蓋をしておきたい、そういう発言が98年のシンポのときに会場からあって、それが熊谷さんを動かしたのである。時間がない。それが負であろうとも、いや、負であるからこそ、大切な文化遺産であるのだ、とそのとき、私はどうして言えなかったのだろう。しかし熊谷さんは一言「負」といってなかったものにしてしまう態度そのものを静かに淡々と問うという気の長い、ほとんど儲けなどとはほどとおい作業をこのとき開始したのである。もちろん、吉田さんのすばやく熱いアプローチがあったからでもあったが。 内容はまたこれからじっくり反芻しておくべき映画だと思う。日本の歴史が、三池炭鉱という歴史に刻印されていて、何一つおろそかに出来ないものとなる(陰の部分であるとはいえるが多くの教訓とそれに向かってきた激しく強く熱く優しい生き様が一人ひとりの顔と声として刻まれているので、陰が陽に反転する箇所がいくつもある)。 それにしても、老人たちが語る言葉を一回では理解できない(東京で12回も見た方がいたという、それでも毎回新たな発見があったそうだ)さらにニュアンスまでを受け止めることは不可能だった。とりわけ女たちの生活や闘争についての証言は目を見張る。女たちの真摯さは男を完全に凌駕しているようにも思えて、女たちをこうして証言に向かわせたことが一番私には得がたく在り難いものだったように、とりあえず思ったと書きとめておこうと思う。 久しぶりに大学へ行く。 校務の会議が3つ。 以下の空白をうめ、古い順(1〜10)に番号を入れよ 【 】 歌舞伎の音楽には、浄瑠璃系の義太夫節(大坂、元禄時代)などの流れと、江戸歌舞伎の踊りの伴奏音楽である( )を代表とする芝居唄の流れがある。 【 】 弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である( )は、はじめ鐘や鈴のように使用された。 【 】 752年に行われた奈良( )の大仏開眼会は、壮大な法要(宗教音楽・儀式としての大フェスティバル)だった。( )から来た導師役のバラモン僧は、いわばこの音楽イベントの指揮者であるとともに総合プロデューサーであったともいえる。 【 】 フランスのラスコー洞窟には、動物の絵のほかに、幾何学模様や、人間の( )が500点もあった。 【 】 中世の室町時代に世阿弥によって大成された能楽の詞章を音楽の立場からは( )という。現在、観世流、宝生流、喜多流、金春流、そして京都に本拠がある( )流の5流からなっている。 【 】 各地の神話を大和朝廷を中心として統合して作られた古事記は、712年に成立したが、それにでてくる( )は、アマテラスの岩戸隠れの事件のさい、神がかりしつつ、しかもこっけいな踊りによって、危機を救ったが、その末裔が猿女君(さるめのきみ)で、宮中の祭祀を担った氏族であった。 【 】仏教が伝来したとされる6世紀半ばごろ、同時に仏教音楽であり声楽に属する( )もまた、日本に紹介されたものだと思われる。 【 】平安中期になると、今様と呼ばれる歌曲が生まれ、平安末期に大流行する。この今様を熱愛した後白河法皇は( )を編著したことで有名(1180年前後)。 【 】後鳥羽院の時代(1182〜4)、信濃前司行長は、平家物語を書き上げ、生仏という盲僧が作曲して語ったのが、( )のはじまりという。 【 】三味線は、1560年代に、琉球から渡来した三線を改造して大きくして出来上がった。棹の太さから3種類に別れ、義太夫節は( )、常磐津や清元は( )、長唄は( )である。 午前中、研究室にいると、昼休みTAM研と思っていたのに、2限目から、Hちゃん、Kみん、Tミーが来て、椅子に座りもせずに立っている。座ってよ!なんだか、みんな「めくるめく紙芝居」MEKがさあはじまるぞ!という感じがあるのか、大学が久しぶりのせいか、緊張しているようだ。 そうこうしているうちに、プリンたべすぎたぞ〜みたいな会話とともに、林さんと井手上さんがやってくる。TAM研メンバーとの落差、これが経験差ね。そのうち、丹波2期生のNちゃんも顔を出し、11月まで丹波のまちかどコンサートをして、それで卒業研究のネタをたっぷり仕込んでから、MEKにも来てねと話す。Nちゃんは、編入なので、去年のまちかど紙芝居のことを知らないということに気づいてチラシを渡す。井手上さんに、タフ1からのチラシセットを奈良美智ファイルで渡す。これで、もうタフのこととか、アーツマネジメントの引継ぎが幾分出来たような気もする(そうそう、あとできちんと小鹿さんにお願いしなくちゃいけないことがあります。タフ5の映像のこと〜私の失敗〜、それと、できればタフ4の映像記録とか・・・自分のためにメモっておくとともに、オジーがこれを見てくれることをちょっと期待して)。 アーツの扉(現代社会の課題)のはじまりはじまり。受講登録99名で実際の出席は79名。これぐらいだと、マイクなしで出来そうだし、すぐに出席簿転記もでき、いろいろ意見とか見られて楽しい。今日はオリエンテーションだったのだが、11/23が休日であることを忘れていたり、いろいろレジュメの間違いを学生さんから指摘してもらって、助かる。しっかりしていない教員がいると、自分で間違いを見つけて訂正する必要ができて、こうして自分で泳げるようになるのだ(ははは・・)。口琴をびよ〜んと鳴らして、135教室の音の響きとか到達具合をチェックしていると、かなり気になったようだ。 今日は、レスポンスカードに、隣の人ミニインタビューをしてもらってそれをメモってもらった。インタビューの内容は「あなたにとって音楽はどんな存在ですか(あるいは、音楽のイメージ、あるいは、どんな音楽をふだん聴きますか)」というもの。「私語」厳禁、でも「公共語」は積極的に、ということをはじめ注意事項として提起していたこともあり、授業中に声を出してそれが有意義である状況を作りたかったこと。それと、アンケートとして音楽について聞くのに、誰がそうだということは知らなくてもよいし、隣の人と音楽についての考え方が違っていたり一緒だったりすることを知るっていうのは、他者理解という側面とか、アーツが媒介となるコミュニケーションというこれからのお話の導入になるかと思ったからでもある。 1回生ゼミの学生たちの顔も発見。うまく、TAM研=MEKへと誘えればなあと思っている。そのまえに、このゼミの予定を確定しなくちゃいけない。とりあえず、10/29(日)13時からの上品芸術演劇団『まじめにともだちをかんがえる会の短い歴史』(ウイングフィールド:東心斎橋)を授業にすることにして、それを軸に考えてみよう。12/16(土)のインターゼミナールも入れれば、これも今年中で15回がクリアーできそうだが、さてどうしよう・・。 ひさしぶりの扇町公園。NGR雷魚テント。テントが風でなるのだが、これが大きな鳥の羽ばたきみたいで、すごいBGMに感じる。隣にいらっしゃった鷲田さんが、この公園でデモしたりしたんでしょう?とか聞かれて、いえいえ、私のデモ体験は中学校の2年生ぐらいの学園閉鎖だけですと答えたりする。 なにはともあれ、野外のよさは、奥の黒幕がとられた瞬間である。何度観ても、そりゃあお約束ですよ、そうなるのはとか思っていても、舞台の奥、そして、公園の向こうへと開かれていく奥行きは、劇場ではありえない至福な時である。この空気、風が舞台と客席をともに通過し、犬を連れて横切るおじさんがいて、その日常のなにげなさが、素敵である。もちろん、紐をもって、幾重にも人たちが、自分でしかない身体と存在感ももってこちらを見据えている構図に身震いさせられ、素敵だなあと思うのである。 チリは日本からとても遠い。ずいぶん前の出来事である。ビクトル・ハラというギタリストで作曲家のことをまったく私は知らなかった。でも、その音楽はもうトリコにさせられる。今回は演奏がライブで熱く、その波動が舞台とものすごく近い感じがした。家があり、人たちが住む世界は地球の裏側なのに、いまここでの出来事のような錯覚すら起きた。大虐殺があって、不意打ちがあって、人間の歴史は常に負の遺産ともいえる。でも、それをこうしてきちんといまここで出せること。出しうる劇団がここにある。人たちは広島から大阪へと7年の年月を経てやってきている。まだ、希望は残っている。藁の人形はいらない。こうして、ちいさき人も、選別されそうになっている人も、集っている。そして、輝いている。最後の舞台挨拶がこれほど素敵で必然であると思わせる劇団は態変しかない。 授業のはじまりはどうもどきどきする。 昨日と同じ要領で、隣同士でインタビューをしてもらった。昨日は音楽だったところを「ステージアーツ」に換えて。ちょうど眠たいときみたいで、それはまあ、よかったようだ。話を聞き取り、それだけではなく自分のコメントをつける。このコメントをつけるところがけっこうミソのようだ。 ステージアーツのイメージについてのインタビュー自身は、単語一言(いやし、現実逃避、異空間、キラキラ、うっとり)や、ワンフレーズ(なにげないことを気づかせてもらえる、鏡のようなもの、心を捕らえて離さない、想像の幅が広がる、考えさせられる、ドキドキやわくわくをくれるもの)などになって、それなりにおもしろい。 一つ、これからの課題になりそうなのが、「なくても私生活には困らないが、あったら暮しをゆたかにするもの」というイメージ。こういうイメージはけっこう多いのかも知れない。じっさい、きっといま自分の生活にはステージアーツは重要な位置は占めていないけれど、否定するものではないし、余裕があればもちろんいいかも知れないという感じなのだろう。あと、私生活に対して「公共生活」を考えて、それには必要であるというふうに深読みするとどうなるか・・ そのあと、教務委員さんと一緒に事務局に次年度の開講計画についての学科会議案の提示。さてどうなるだろう。 18時から、同志社大学大学院が運営している江湖館で、越野さんの研究基本構想を拝聴する。聞いているだけではなく、こちらもコメントを書いたりもする。ソーシャル・イノベーション研究コースの一環だそうで、優雅な大学院だなあと思う、お菓子とお茶、そしてきちんと考えられたペーパーとお話だった。 後半のコメントでいろいろ思った。たとえば、このあたりの町衆は個々人で動かれるので、一緒に集まってもらおうというのは無理だという町内会長のお話とかとても考えさせられる意見だった。そのあと今里先生にとても素晴らしいお料理を作っていただき、焼酎を飲む。かたじけないです。酩酊してしまった。 きょうはのんびり。 ぶんげいマスターピース工房〜ベルトルト・ブレヒト没後50年に寄せて〜『コーカサスの白墨の輪』演出:菊川徳之助。京都府立文化芸術会館ホール。ブレヒトのお芝居を少しは観ているが、それでも書物から入った知識の方が圧倒的に多く、音楽として聞いたり、けっこう、断片的で、この作品も、じつは、当日パンフの絵を見て、おお、あの有名な裁判のお話だったのかと思った次第。 翻訳者(岩淵達治)に忠実に演出しているということで、公演後に演出家と翻訳者による対談もあっていたようだ。電子オルガンやハープと打楽器、縦笛。簡単なバンドセットで歌が歌われたりもし、その人がナレーターでもある。ナレーションをしてそのシーンがまた演じられたりもする。ちょっと、昔なつかしい感じがするのは、オリジナルに忠実だからだろうか。きっと、そういう丁寧だが少しダブっているところをテンポよくつなげば、もう少し流れるように出来るかも知れないなと思う。でも、同大大学院の受講生さんのお子さんはどの役者だろうか、とか、公募者もいい感じだなあとか、京都府の文化政策としての意義なども探りつつ、舞台を楽しむことができた。 高慢な領主夫人役の広田ゆうみ、その夫人に従いどうも怪しいぞという関係の副官役(グルシェの形式上の夫ユスプ役でもあった)二口大学の演技もあって、3時間は、とりわけ後半があっという間だった。そして、ちょっとやはり、そのシーンでうるうるした。グルシェ(しょーじ)と領主夫人の間に立たされたミヘル(岩下玄基)の両手がひっぱられて。 NHKの新日曜美術館でボーダレス・アートギャラリーNO-MAが紹介されるというので、見たが、「その他の展覧会」でほんの少し紹介されていただけだった。まあ、そんなものか。事業団からメールが来たとき、どれぐらいの紹介ですかと尋ねておけばよかったな。 通天閣歌謡劇場。はじめて、地下の階段を下りていく。エレベーターも設置されている。ときたま、入り口で土日、12:00からと14:50からの2回、計4回「演歌祭り」があることを知っていて、さらに、今回は、華乃家ケイさんも出るということだったので、少しどきどきしながら窓口へ。1500円、入れ替えなし。古い映画館の切符売りブースの感じである。松竹芸能の経営。 あまりにさっぱりと広くキレイというかがらんとしていて、拍子抜け。いちげんさんお断りという感じが皆無なのにもびっくり。司会の通天ヤローズは終わっていて、つぎの桂あやめが歌っていた。京都から来たという。トップはまだまだ人もぎっしりとはいかないし、ご祝儀をもらうとプロみたいだと喜んでいたりする。 次にもう華乃家ケイ。チンドン太鼓が置かれる。これは3曲目(最後)に使われるのだが、これがあることで彼女の印象はくっきりする。美空ひばりの「ロマンチックなキューピット」、ひばり自身の作詞だという。清楚な歌。演歌になる少し前、ナツメロをこよなく愛している華乃家。2回目では、ひばりさんには及ばないのは言うまでもないけれど、大衆音楽を続けてゆきたいと話していた。 2曲目、「白いはなの咲く頃」を遠いふるさとへと歌う。しっとりの舞台の最後は、カラオケにプラスチンドン太鼓を使ってにぎやかにお祭りマンボとなる。チンドン太鼓の説明も短く演奏前にするが、かなり強い反応があり、年齢の高い方々なので、懐かしそうだ。 客席は7割は男性ではないだろうか。もっと比率は多いかも知れない。おじいさん二人組みとか、集団とか。もちろん、おばさん、おばあさんも多い。ご祝儀を胸に入れるのである。すごかったのは、万札をそのまま胸に挿して、それが見えるようにして歌うのだ。そうしていた篠はるこは静かな感じで、古典的な演歌(近松門左衛門の「梅川」が最後)を歌う人だったから、何だかびっくりする。 男性は、佐藤たけし一人。キングレコードの志摩涼子、彼女は無理なく歌を届けることが上手な人のようで、一曲目「歌はいかがですか」が演歌演歌していないし、とくにソフトな低音がマッチして気持ちがよくなる歌だった。 トリは曽野恵子。強い歌。通天閣の歌姫とかいろいろな名称があるようだが、彼女は確か通天閣の女王と呼ばれていた。30年前に21歳でデビューしたという。ご祝儀を胸に挿す人たちの名前をみんな覚えていて、固有名詞でお礼を言う。これは、濃厚なサービスであり、これこそ演歌プロなのだろう。ラストは自分の歌ではなく、岸壁の母だった、それも台詞つき、扮装もして。 2回目も華乃家ケイさんのステージまで見る。休憩のとき、華乃家さんが着替えて出てきて、挨拶。去年改装されたここの昔はもっとよかったんですよとか。テープも飛んだそうだ。前、彼女が「ピアニカ」を買ったと日記で書いていたので、「鍵盤ハーモニカ」の方が無難ですよとメールしたことについてもちょっと話す。 2回目も美空ひばりで、「長崎の蝶々さん」、そして「ひばりの花売り娘」。この2曲目はお客さんのリクエストではじめて歌ったという。ひばりが多く、出る前は、ひばりの写真の前でお祈りをするのだそうだ。最後はチンドン太鼓をつけて、春日三郎「ひょうたんブギ」。お酒賛歌である。 |