こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.4


こぐれ日録534 2007年 4/23〜4/30

4/23(月)

4月になって、忙しい週末が続いた。
1週目、新入生キャンプ、2週目、娘のライブ、そして、3週目は、めくるめく紙芝居。今週も授業でまちあるきだ。

10時から、企画広報課の人たちが研究室にきて、08年度からの現代ビジネス学部都市環境デザイン学科文化プロデュースコースの取材。
しかし、この新しい学科名は長ったらしい。省略しなくちゃなあ。ふつうにすると、UD(アーバンデザイン)、あるいはCED(シティエンバイロメンメントデザイン)学科ぐらいか。都市デ(トシデ)、都デザ(トデザ)、都市環(トシカン)、都環(トカン)・・環境というのはあんまり表面に出ないほうがいいかも。個人的には、トデンというのが気に入っている。現代ビジネス学部というのは、現ビか、まあ現代美術みたいでいいか。ゲンビのトデン。そして、ゲンビのゲンマネ。

午後から、2つのゼミ。どちらも、2名のみの欠席。
教科書を読み出す。アニミズムを詳しめに。
そのあと、大学院生のこれからの研究計画についてアドバイス。

帰宅して、前から買っていたライザ・ミネリ主演の『キャバレー』(1971年、123分)を見る。ボブ・フォッシーの監督・振付。昔から今までミュージカルにはまるで興味がない(学生相手の商売だからたまにこうしてミュージカルものをチェックするのである。健気な教員だなあ・・・)が、キャバレーだったら舞台で見てもいいか、と思いつつ。

大昔見たはずだが、ナチの台頭するベルリン(1929〜30)にどきどき。野外でのナチの若者の明るい歌声がはじまり、みんなが合唱していくその過程のこわさに身震い。ナチの運動は、祖国愛、郷土愛、地域ボランティア・社会参加、児童健全育成、合唱、ミュージカル、路上劇などが表にあり、裏に共産党員の殺害、ユダヤ資本家と共産党との国際的陰謀説のデマ、マスコミの加担、ユダヤ富豪への嫌がらせ(犬の死骸をユダヤ富豪のドアの前に置くのは、これは猫ではなく犬が意味あるのかも知れないのでまた調べなくちゃ)などが裏で進行していくのだが、このミュージカル映画でもきちんとそのあたりが背景として出ていて、いい映画だったと再確認。


4/24(火)

いまは、火曜日の午前中がいちばんカームダウンの時間かも知れない。
ひさしぶりに「都会のゴリラ」をぼんやりみている。さいごに、こどもゴリラが延々と回っているシーンがあるのだが、ゴリラのダンスをどうしたら観察できるのか、ひとりゴリラのさ迷いつつ歌う長いはなうた聴取は無理にしても、これはまだまだ探索する価値がある。ダンスの起源へ。

午後は近大へ。印刷室で、西堂さんから、17時から唐十郎氏の公開講義なので、301教室へぜひおこしなさいといわれる。わたしは、16時半から、304教室でアートマネジメント論なのだけれどもね。一人、17時になったら、唐さんのほうへ行ってもいいですか?という受講生あり。演劇系の受講生はこういうとき、大変だね。まあ、うちの大学にもそういうダブリはけっこうあるし、今日は少し早く終わるように、さっさと、アーツマネジメントの定義の6バージョンまでを終える。最後までいたのは、19名。

あとで、出席ペーパーを見ると、アーツと社会は、「水と油」になってしまっている、という下りについての反応が多い。造形を実際にやっている人が多いからだろう。この厳しい現実をあまり強調するとアーツマネジメントに向かう気持ちが萎えるので、さっと飛ばしたが、そうか、近大では、もう少しここを丁寧にやるべきかと反省。去年は自己紹介をしてもらって、どういう関心ごとをいま持っているかについて話してもらったのだが、今年は受講生が確定していないのでまだしていない。5/1は、ビデオ鑑賞とそのあとは受講者との交流にしたいなと思う。

かえって、ぼんやり。
そうそう、めくるめく紙芝居の第1日目にきていただいた、建築探偵つきのたぬきさんの感想レビューが出ていて、そこで、かなり内容面にわたって、本質的で鋭く、かつ暖かい指摘があった。前回と今回を両方見ている人はほとんどいないなか、ぜひ、次回も見ていただきたいもの(でも、次回はさて、もっとバージョンアップできるかどうか、いやあ、ハードルは上るばかりですが)。

(http://tanuki.la.coocan.jp/index.htmlからのたぬきさんの感想の少しだけの引用)《わたくし思うのですが、おもしろさってのは、分かりにくさの続きにあると思います。そこに推理する余裕がなければおもしろくありません。推理によって、次第に明瞭になっていくプロセスがおもしろい。今回はこの「分かりにくさ」の演出が光っていました。・・・・》


4/25(水)

1時限目、1回生の基礎ゼミ。
22日のめくるめく紙芝居公演は全員が出席していたようだ。
1名欠席、1名遅刻。
コの字に並べようとしている男子。彼はとっても遠いところから来ているので、一番早いのだ。
マイ事典からミニ発表のあと「今日の芸術」輪読。これは定番である。いつか、気持ちのいい朝、去年のように散歩もしなくちゃ。

そうそう、岡本太郎氏が「最近」(1954年当時)の絵の多くが「ただ丸や三角形や、もやもやとしたシミのようなもの、あるいは絵の具をたらしたり、入りまじった線だけだったり、また、とりとめのない、夢のような情景、はてはヘタクソな子どものラクガキみたいなものなどで」と書いてある部分に来て、この内容がゼミ生にはピンとこないようで、子どもといえば、クレーとかミロとかね、というと飲むものだとか、ミレーとかになってしまって、収拾がつかない。そこで、研究室からクレーの画集など(あとはデュシャンぐらいしか見当たらなかった)をもって見せていたら、終了になる。

提出されたマイ事典に、このまえのめくるめく紙芝居の感想が書いてあったので、TAM研メンバーにコピーしてもらっておく。
なかなか、いい。それにしても、
(今年度は、毎週水曜日お昼休みにだらだら開催の)TAM研に2回生、1回生が入ったらもういうことはないのだが。というのも、もう3回生の現勢力は、これから就活とか卒論とかの季節に入る。
彼女たちは1回生からTAM研、タフ5のメンバーだった。オジーさんのタフ5の説明会がいい感じだったからきたのかも知れない。
「どうした、後輩、来たれ後輩」、なんていっても、まあ、そのうち何とかなるかもしれないし、ならないかもしれない。

ので、今日提出された1回生ゼミメンバーたちのかわゆいマイ事典のメック感想でも抜書きしておこう。

○ ファンタジーかと思いきや、時折リアルなジョークが混ざっていたり、不思議なお話でした。カラフルでかわいいセットや、どこかの民族を思わせるような音楽もすてきでした。そして、紙芝居に出演されていた方々がとても楽しそうに演じていたことが、心に強く残っています。だからこそ、見ている人にも自然とこの紙芝居の楽しさが伝わったのだと思います。

以下、学生さんたちのコメント引用:

○ 出演している人が何より楽しそうで、生き生きしてたので、それにつられて話にひきこまれ、観客として参加し一緒に楽しむことができました。観客も参加できるところは、本当に面白いと思います。一個人の感想ですが、紙芝居と音楽とよしもとが化学変化を起こした感じの雰囲気だなあと思いました。

○ 今日はまずはやく言ってお手伝いをしました。私はこのような活動に参加したのは初めてです。ここで活動していた様な人達と関わることは、ほとんどなくとてもあらたな世界観を感じました。はじめ、私は人見知りもあり、どのように接していいかとまどいましたが、皆明るく、とても楽しく接することができてうれしかったです。また皆で何かをつくりあげるということはスゴイことだと思いました。

○ まず正直な感想として、ストーリーがよく分かりませんでした。でも本当に楽しかったです。観客も参加するという形の紙芝居は初めてでした、そして効果音を出すための楽器も始めて見るものが多かったです。紙芝居を見ていろんな事を感じました。絵を描くのが上手な人もそうでない人もいるし、朗読するのがうまい人もいればそうでない人もいました。でもみなさんには共通点があると私は思いました。それは、一人一人が全力で一生懸命に取り組まれていたことです。私たちに紙芝居を披露するために昨年の10月から取りくまれていたそうです。・・・

○ めくるめく紙芝居公演を私は今回初めて見たのですが、心が温かくなりました。まず私が注目したのが音です。行ったことがない島なのになぜか懐かしい気持ちになりました。ちゃんとした楽器だけではなくおもちゃとして使うものも多く使われていました。あんなふうに使えばいいんだと勉強になりました。またみなさんがすごく他の死そうに演じていたので私まで笑ってしまいました。

○ 紙芝居に描かれた絵やまわりに飾られた絵はすべてカラフルでその場が明るく感じました。話の途中には笑わすところがあり、震度10のところはおもしろかったです。演技をしていてその場の様子に合わせて話を進め、作品を作り上げているようですごいと思いました。わたしたちも参加するようになっていたので、「これが、客も芸術の一つなんだ」ということがわかったような気がしました。はじめはただ観ているだけだったけど、しだいに、自然に笑っていました。他人を笑わすことは難しいことだと思います。そんな作品ができるまで、多くの時間もかかるし、また障害もあって、多くの苦労や努力があったんだろうと思いました。


4/26(木)

きょうは、じつに大忙し、大商い(笑)の日であった。

2限目のアーツマネジメント総論の授業(85名出席)でまず、ワンダリングパーティの吾郷さんと高杉さんから、お話とちょっとだけビデオ映像。
そこで、チケットの販売を終了後行うことになり、7〜8名が購入する。
ここでは、あんまり売れないだろうと思っていたため、小銭がないかと心配の一場面もあり。

733教室のドアを開けると、なつかしい文化政策学科1期生のめんめん。
ずっと外にいたそうだ。始まってすぐにきたのだが、私の声ではなかったために、入られないと思っていたという彼女たち。かわっていない。そうなのだ、京都橘女子大学生ってそうだったのだ(いまもまだ残っているだろうが)。

一人が愛知のある市のアーツセンターにつとめていて、彼女がこちらに来る機会に、一緒に来たのだが、なんだか、とても遠い時間が流れたようで、顔を見てしばらく話していると、まだ大学に彼女たちがいるような錯覚を覚えたりもする。男子がいるのが新鮮そうだが、意外と少ない印象。たしかに、この広場に女子のほうがうじゃうじゃいる感じだ。

生協のからあげが一番うまいとめぐがいうので、みんなでそれも食べる。新しい児童教育学科の棟の椅子にすわって。池田先生が蓮行さんや紙本さんと出てくる。めぐは、共学になってからあげの味が変わったという。むかしはもっと甘さがあった、と。男子に合わせたとか。まあ、よく分からない。

研究室で、昔の写真(基礎ゼミの写真を昔はちゃんと撮っていた)を眺めている4名。秋には結婚する子とか、いろいろだが、みんな明るい。それにしても、1期生とは1回生のときからいろいろやった。山科音頭がこのころから踊られていて、タフ4でブラスジャズ的編曲になってCDにもなるという展開など、当時は考えもしなかった。

タフ3(こちらも写真がファイルされている)の思い出にも花が咲く。彼女たちは自分たちで子ども企画などもやったからだし、当日パンフのできはいまみてもすごい。名刺作りを教えてもらった清水さんのことが印象深いという。今年度からうちの非常勤で教えてもらうというとびっくりしている。オジーのことも懐かしがっている。すずかさんの手が黄色になっていたことを覚えていて、それってビタミンの取りすぎのようだとか、昔話も細かいところまでいくものだ。

14時に、神戸ビエンナーレをされている村上直之さんにお会いする。ワンダリングパーティさんのつながりであった。なんと白虎社の熊野合宿とかのプロデュースをしたりしているメディア論の先生だということ。私の研究室のお葬式の本を眺めて、じつは・・・という話になる。なんだか、急展開である(4限目にはチラシ配りも手伝ってもらい恐縮である)。

さて、4限目は自分探しの旅。132名の出席。出席率はすごいことになっている(追加の受講登録者もいるだろうが、当初は134名の登録だったのだ・・)。やっぱり、ワンパの二人の映像うつしとお話。そのあと、わたしの講義を高杉さんが一番前で聞いているのだが、ときに、大きな声で笑ってくれる(2限目も学生たちは無反応のところ〜たとえば劇団員の恋愛マネジメント〜で大きく反応していてじつにおかしかった)。こんなに大きく反応してくれる受講生がいるとじつに愉快だなあとか思ったりする。

多いので、分散するため、6/16(土)のマチネを文学部、17(日)のマチネを文化政策学部にしたが、15日が初日割引なので、この回を買う学生とか、17日のソワレに高杉さんの一人芝居がおまけであるために、この回を買う学生もいて、チケット販売がすごい列になる。10分以上早く終わったのだが、休み時間になり、次の授業の準備がはじまりだして、あわてて、あいていた132教室に移動。すると、こんどは用意していたチケットがなくなって、はい終わりというとえ〜という声もあり、ノートの名前を残すことに。

何名が購入したのか聞かなかったが、すごいことになったようで、アートコンプレックス1928は6月中旬の週末、京都橘大学の1回生たちが異様にうろうろすることになりそうで、まあ、いいけれど、面白い状態である。心配なので、わたしも両日見に行くことにしようと話す。

18時から、生協の理事会。もう1年はこのまま私はやっていくことになりそうだ。
びっくりしたのは、大学生協の新規の組合員数が、京都滋賀奈良の加盟大学19大学(なぜか京女や同女がみあたらないのだが)中、4番目になっているということ。つまり、入学者数がずいぶんと増えたということで、昨年度は6番目だったのだが、今年えらく増えていて、まあ、いろいろな混雑も仕方がないことなのではある。


4/27(金)

もう休みモードの人(うちの家族だったりして)もいるけれど、こちらは、京都橘高校の2回目授業へ行く。一人お休み。
高校の授業は無事おわり(AO入試的な授業をしてみた。まず、前半で「文化政策とはこんなんだよ」というレクチャーを行い、後半で質問に答える記述をするというもの。ただ、レクチャー前に後半の質問を渡して、ナニをきけばいいかをわかる形でしたので、なかなかよく書けていて、これだったら、大丈夫と思った)、

椥辻の東部文化会館近くで皿うどんを食べて、
5/27の子どもの文化フォーラム実行委員会(当日パンフの文章づくりの宿題などあり)もおわり、お休みモードの自宅に帰る。わたしは、明日も授業、きょう行った小テストの採点・・・


4/28(土)

あさ、4時に目が覚める。
めずらしく、もう寝られない。5/7が締め切りだけれど、5/27の子どもの文化フォーラム、その当日パンフのあいさつ文(長めに今年は書くように朱さんに言われていた)を書く。1700字弱かな。
・・・・・
《こどもの育ちとまちの育ち―「町っこ」が育ったら、山科というまちが育つのではないでしょうか―》
まちでこどもを育てよう!もちろん、これはとても大切なことです。
まちという言葉は知っていても、日々の暮らしに追われ、なかなか山科や醍醐に住んでいるじぶんを意識することがないなあと感じられる方々も多いと思います。同じく、こどもたちだって、保育園、幼稚園、小学校に通っているということはよく知っていると思いますが、いま住んでいるここがどこか、どんな自然や文化があって、どんな昔の人びとの歴史があるのだろう、ということはなかなか気づかないまますごしてしまいがちです。

まちがこどもの安全を!たしかに、いま、まちは危険に満ちているように思われています。
じっさい、びっくりするような事件があり、危ないことがおきる場所がないわけではありません。そのために、家庭や学校が気をつけることはもとより、そこにすんでいるまちの方がたの暖かい見守り、見送り、声かけがどれだけ大切かはいうまでもありません。ときには、危ない、よくないよ、と叱って欲しい、そんな気持ちもわきおこります。また、児童公園などに、遊びをいっしょにやってくれるおにいちゃん、おねえちゃんがいてくれれば、親としてどんなに安心で助かるか、と思います。

山科は、かつて「まち=街」ではありませんでした。山科村、自然がいっぱいの、のんびりとした「むら」でした。
こんかい、「街っこ」という言葉ではなく、「町っこ」という言葉を選んだのは、もともと漢字の「町」が田を整えた区画を意味したからです。いまも、山科のまちを歩いていると田んぼが住宅に変わってきています。むかし、そこで農業が営まれ、竹のこが生えていたことが忘れられて、さびしいなあという気持ちにもなります。
でも、「まち=町」は「むら」とともにあります。村の時代よりもダイナミックに人びとが行きかい、ものやサービスが流通する交差点となっていますが、それでも、すこし歩けば、田んぼも畑も里山も神社もお寺もいっしょにある、たまには、まちかどでぼんやりと雲の行きかうさまを眺め、こどもたちが遊んでいる姿に昔のじぶんを想いだす、そんなイメージが山科や醍醐にはふさわしいと思っています。

「まち」は、さまざまな「間」がいっぱいある「地」のことだとよく授業でわたしは話します(語源学的にはまるで間違っていますが)。一つには、時(と時)という間。つまり時間。二つ目は、空(空き)という間、そう、空間。三つ目は、人と人との関係にある間、つまり、人間。四つ目は、世の中とじぶんのかかわりからできている「世間」・・・時間、空間、人間、世間、すなわち、このような「間」からまちはできている。いや、そういう多くの間、余裕、さまざまな間という文化の豊富さ、多様性から、まちは構成されなければならない。それが「まちづくり」というものだろうと思っているからなのです。とりわけ、東洋では「間」が大切であることはいうまでもありません。間合いをとり、間がいいと、偶然を喜ぶ。逆に、間がもてず、間が悪かったり抜けたりしないよう、いつも心を配っているのです。

じつは、この「町っこ」が、山科というまちを育てるのではないでしょうか!
そう、町っこを育てることで、こんどは、間がいっぱいあるまち(間―地)ができるのです。
こどもたちが空き地で遊ぶ。そのうっとりとした、ときをわすれるようなひと時。ここに時の隙間が生まれます。こどもたちが少し離れたこどもたちと出会う。いっしょに遊ぶようになる。ここに人と人の間、交通、コミュニケーションがうまれます。山科のことを子どもたちに伝わっていけば、むかしといまが未来へとつながっていくのです。

こんなことを、今回のフォーラムでは夢想してみました。いえ、夢想におわらないように、町っこにまちを育ててもらえるように、このフォーラムが一つのささやかなきっかけになることを願って企画してきました。本日はどうもご来場ありがとうございます。ぜひ、「町っこのまち育て」をご一緒にやっていこうではありませんか!
・・・・・
今日は、アーツ鑑賞演習の2回目の授業。はやくもまちあるきである。
まず、下調べ。アトリエ劇研や人間座スタジオから高野川を上って、恵文社一乗寺店へ。意外と近い。川もきれいだし、大文字焼きの「法」の字が見えたり、住宅街もなかなか興味深い。緑と水路。

ギャラリーアンフェールで100%ORANGE(及川賢治、竹内繭子)さんの個展『春のポーズ』がはじまっていたので、この展覧会の鑑賞をキーに、恵文社というすごく独特の本のセレクションに触れてもらうことで、環境音楽などのCDもあるし、写真集も漫画も絵本も触れてもらおうという意図のまちさがしであった。雑貨や工芸にも触れられるしね。

100%ORANGEさん独特の世界:大き目の額に並んだ絵がずらっとあり、機知に富みつつ(ピアノの上/中の手とか)、さらっとして、色使いも最小限で、ぜったいにべとつかない画風。その横に少し小さめの絵。そして、端に、人間だけが切り取られたもの。4万円から1万円弱ぐらいまで、ほとんど売却済みだ。

16種類絵葉書があったので(12枚が1セットになって、あと4枚がなら)、それを家族用に3組買っておく。買うと自動的に、金太郎飴(金太郎飴みたいに同じ、というフレーズの意味が分からない学生がいたら、これを見せればいいなあ)がおまけについてきた。
ポスターが貼ってあったが、ところどころ取れていたので、ちゃんと貼りなおして、と。

彼女たちが来る前、雨が降り出し、グリルつばめの前で待っているとき、風も強くなった。すると、広報誌を配っているおばさんの自転車から広報誌が飛んできて、いっしょに並んでいた女性たちと拾ったりする。つばめの定食800円は、和食がやさしく(野菜がいっぱい)、かつ、五穀米もおいしく山盛り(男性は多く盛られているように思った)。

21名の参加。数人は恵文社で別れたが、あとは、人間座スタジオ、アトリエ劇研まで歩く。アトリエ劇研は事務所の工事が始まっていたが、ホールに移った事務所に岡本司さんがいらっしゃったので、ずうずうしくみんな上って、ホール内を見せてもらう。

ちょうど、遊劇体の今度のチラシができていて、これは大熊ねこさんとして、チラシをみんなに配ってもらった。こちらの公演も楽しみだ。泉鏡花の天主物語が花組芝居とは対照的に演出されるであろうから。6/28〜7/1、アトリエS-space(京阪野江駅から3分ということ)にて。今日訪ねた学生を含めて、観劇してもらうと嬉しいものだ。


4/29(日)

なんだか、しょうわのひ。日の丸が聖護院の八つ橋屋さんにあったので、日の丸のない信楽の狸がある小さい方の八つ橋屋さん(西尾さんとかいって、一応老舗のようではある)で、ゴマなどの生八つ橋を買った。

京阪丸太町から20分弱。一本道である。
しでかすカラダを観に、くろだにさんの永運院へ行った。
マスクをして帽子をかぶり、TAM研の連中が驚いていた。
2時間ほどのからだの動き。お庭に光が満ち、したがって、からだは逆光だった。

本堂に移って藤井陽子さんがいままでの映像を丁寧に解説している。
音で話すきっかけをつかんでいる。彼女のダンスが生で見られなかったのは残念だった。
でも、彼女の成長がこのなかでも個人的にとくに関心を持っていた。
はじめて教会で彼女を見たとき、からだが閉じこもっているように思われた。
頭ではダンスをしようとしているのだが、外にからだが向かっていない。
それが、この前のカフェでのダンスでは、ずいぶんと外へ向かい、かつ、触れ合うまでになっていた。

つぎは、挑発へと向かうのかも知れないしもっと自分を解くといいな、そんなことを思ってきたのだが、それは観られなかった。でも、話しの内容があまりにもきちんとしていて、すごかった。これだけ自分のことを落ち着いて語るダンサーはそうないのではないか。


4/30(月)

しょうわの日の振替日。
完全休養。
CAP HOUSEに行きますとでんわをしてしまっていたが、ごめんなさい。
イネ科とかいろいろ言われているが、いまかなり花粉症のピークで、目があけられない。
お昼ごはん(パンに野田の巨大レモン?ジャムが今朝出来たのでそれを塗って食す)のあと、
ずっと、うつらうつらとしている。

でも、すこし大丈夫になった夕方、ブログをずっといらっている。
華乃家さんの日記に結婚式披露宴でチンドンしている記事があり、いいなあと思う。http://hananoya.jugem.jp/?eid=110

そうそう、昨日、永運院で、5/14のNO-MAの実行委員会にわたしは行けないのよとはたさんに言うと、一言でいいから、意見をメールしておいてちょうだいといわれる。
かってに、ギャラリーからミュージアムという名称変更をしたことについて、もういちど議論する会議だという。いいことだ。議論することは。

わたしは、絶対にミュージアム反対ギャラリーに即刻戻せ、というほどではないが、できれば戻して欲しい。つまり、ミュージアムに勢いで(博物館法の関係で苦労した自己ご褒美的に)しちゃったけれど、やっぱり、ギャラリーの方があっているとみんないうし、そうしようと理事会が自然と思うようになればいいなあという感じなのである。実行委員会に意見を聴く手続きをとばしたのは、ちょっと、せっかちすぎたのだ。

でも。他方、こういうことだけで、なんか、対立することでもないように思っていて、というのは、手続き論的なまずさが、こういう会議を開こうとする事業団の姿勢でずいぶん解消できるからである。


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