こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.12


こぐれ日録569 2007年 12/24〜12/31

12/24(月)

振替休日。
10時から12時まで会議。
平成19年度栗東芸術文化会館さきら第4回運営協議会。
これから3月まで、07年度さきら自主事業はけっこう過密である。指定管理者制度になっても、予算成立とか助成金とかのこともあって、年度末に事業が集中し、第1四半期に事業が入れられないという点はあまり変わりがないようだ。

1/18の長岡京室内アンサンブルニューイヤーコンサートには行こうと思っている。一般4000円のところ学生・65歳以上2000円というのは、いかにもお徳であり、学生に聞いてもらいたいということがよく表わされている。翌日の「さきら能」は葵上である。これもぜひ都合をつけたいもの。能楽体験ワークショップを5回行ってその発表もある。これは一般と友の会だけの価格設定。

学生の優待がすごいのは、岡本昌平ピアノコンサート。前売・一般が、3500円(S席)、2500円(A席)、2000円(B席)のところ、学生は、それぞれ、1500円、1000円、500円となっている。岡本昌平22歳と同世代の人にぜひ足を運んでもらいたい(3/15の17時)という気持ちの現れ。

あと、1/26の19時から、「公共文化施設と文化ボランティア〜非営利アーツマネジメントの愉しみ〜」、3/1の19時から、「地域の芸術環境づくり〜“さきらシップ”が市民をつくる〜」というさきら公開セミナーをこの前やったように(11/10)、ひっそりとさきら研修室で行う予定。

来年度は、近江八幡で行われたような(「まちの木霊をさがす」まちあるき)ことがしたいなあと思いながら会議に出ていた。最後に館長から、びわ湖ホールの来年度予算が、運営費で1億5000万円減額されるという報道がなされていて、とても滋賀県内市町村の文化施設協議会内で問題になっているとの話があった。知らなかったので、帰って中日新聞の記事を確認した。新幹線の駅と同じように「もったいない」としていいのかどうか、他の事業も含めて気になるところ。

帰ると、この前、ブレヒトに名前が似ているという作曲家のオブレヒトについて、何も知らないなあ(オケゲムと同時代、フランドル地方で15世紀後半に活躍した人らしい)と思って注文していたCDがバッハのマニフィカートとともに届いていて、声楽曲(ミサ・カプト、サルヴェ・レジナ)をしみじみと聴く(ちょっとキリスト教的空気にたまたまなってしまうが)。

夜、ココルームで7/16に行われた「こころのたねとして」発表会のDVDをようやく見る。市電の運転手としてはじめ採用された「はなぶさのぶお」さんの話をもとにした上田假奈代さんの詩。あるいは、西洋人が聞き取った年配の女性の話しぶりを再現する面白さなど、一人の人が前に出てリーディングするというシンプルな形が、都市を生きてきた人の記憶に接続することで、いかに多様で深いものを伝えることができるのか(+その立ち位置の違いや語り口の位相を自分でどう定めるかの選択具合のバリエーションなど)について、思いをはせた。

それにしても、フェスティバルゲートは大阪市の霞町路面電車車庫(バス操車場)が果たしてきた交通サービス事業の行き止まり=墓場であったわけで、新世界アーツパーク事業によって5年前後、その交通の新しい形を見出しは開発されつつあったのだけれど、フェスゲ遊園地を作った段階でもう公共政策としてはギブアップしたために、赤い火が消えたあと、じつは、そこにいくつかの「蒼い炎」が上っていることに大阪市役所は誰も気づかなかったということなのだろう。


12/25(火)

校務で大学に行く。
そのなかで教えてもらってとても面白かったのは、静岡産業大学の「大化け」の話で、本当にお化けなのであった"http://www.ssu.ac.jp/" target="_blank"。

小学校3年生のときに弾いていたバッハの一番易しい楽譜を持っていって、オルガンで弾いてみた。懐かしい。当時間違ったところでやっぱりつかえてしまうしね。アメリカのもので、75centsとあった。

なんでバッハの家族で楽しんだ楽譜(アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳より)を探してきたかというと、「クリスと祥子http://www.aspen.jp/artist/jp/shoko_chris.html」のパ・ザ・パというアルバムのなかに「メヌエット ト長調」という曲があって、これをピアノで聴いたりチェンバロで聴いたりすれば、ちょっと古典楽曲といまの音楽との聴き比べになるし、そのとき、楽譜を眺めると、楽器や演奏者によって結構個性的に解釈されてスラーになったりならなかったりすることが分かったりもするように思えたからで、これをちょいと次のアーツ鑑賞演習でやってみようと思ったからである。


12/26(水)

原稿書きの日。こんなことで興奮するなんてと思ったが、5時前に目が覚めてしまった。
まだ仮題だが『限界芸術のお話』。書き出しがうまくいかない。2000字ほど書いて芳江に読んでもらう。読みながら、あんまりぴんと来ないようだと悟る。書き出しを付け加えてみる。ちょっとよくなったと芳江。ようやく3600字になって、少し話題を変えようと思いつつ、いま、一服中。

親密圏の再構築と限界芸術の関係についても、これから何とか触れようと思っているが、親密圏と関係して形骸化する家族について、すぐに引用したりはしないとしても、読み終えたこの衝撃的な本のどこかを引用しておこうと思う。岩村暢子『変わる家族 変わる食卓』(勁草書房、2003年)より:

《・・・そこには「私は朝は起きられない人なんだから、毎日朝食を作るなんて無理なこと」あるいは「子どもが生まれてから、朝味噌汁を作るなんてとてもできない大変なこと」「疲れているときは献立なんかとても考えられないもの」というような暗黙の前提が感じられる。インタビュー時の会話では「私は朝は起きられない人だから、毎日朝食を作ることなんてできないじゃないですかぁ?」「子どもが生まれてから、朝味噌汁を作ることなんか、大変で、できないじゃないですかぁ?」と、「当然そうでしょう?あなたもそう思いますよね?」と聞き手の同意を当然のものとして語り進められて行くのも特徴である。
《 「私ってそういう人だから」「そんなことはとても無理なことだから」などの前提とされる個人的なモラルやルールを私たちは「マイモラル」「マイルール」などと呼んできたが、その個人的な価値観や基準を人にも当然同意されるものとして自分を通してしまうような主婦が増えてきていると思う。そして、それに対して「そうだよねぇ」「分かるっ」と共有できなければ会話は成立しないし、進まなくなるのである。もし、そこで「私は大変でも毎朝起きて作りますよ」などと言おうものなら、「ええーっ、うっそー。あたなってそういう人なんだぁ」と「会話の成り立たない異星人」のようにみなされて会話も危うくなりかねない。それを共有し許し合える人と「無理しない」「頑張らない」関係で成り立っているのが現代の家族かも知れない。》 P163

「子どもの自発性や自主性を尊重して強制」しないようにするため、日常の食事作りを手伝わすことのない母親。逆に、次のようなお料理体験機会を子どもに与えるという発想はアーツと子どもの関係についても参考になる事実だろう。

《 日常生活の中で何かをきちんと教えたり、できるようにすることより、毎日のきちんとした食生活の積み重ねの中で味覚を養うことよりも、たとえサワリだけでも、一口だけでも、一回でもいいから「いろいろな体験をさせておくこと」「いろいろ見せておくこと」「いろいろ与えること」を、多くの主婦が重視している。そして「体験を通して何を得るかは子ども次第」と、親の意思を子どもに示すことなしに、まるで突き放したような「いろいろな体験機会」の提供と、その拡大ばかりを大切にしている。家庭におけるお手伝いも、いまそのひとつになっているようだ。「面倒」「イライラする」、そして「子どもの自発性、自主性を尊重する」と言いながら、現代主婦は具体的な何かを目的をもって教えたり伝えたりはあまりしないのである。》p105


10/27(木)

きのうは一日、『限界芸術のお話』の原稿書きだった。
夕方には、7000字を越えてしまって、あとは、添削。気がつくと、11時を回っていた(私にしたらとても深夜である)。3回生ゼミの忘年会のお知らせがなぜかうまく届かないことをいいことに、そのまま、原稿づくりを楽しんでしまった(ごめんね)。

途中、休憩ということでもないが、限界芸術としての語りと身ぶりについて書いていて、ふと、買っておいた本、たなかやすこ『お話の風を吹かそう』(編集工房ノア、2003年)をぱらぱら。気がつくとほとんど読んでしまっていた。

今日は、付属についたCDも聞いてみる。自分の抑揚と肉声で目の前の子どもたちの反応とともに、じぶん史を語ること。じぶんの間合い、身ぶり。この本は難波の精華小劇場でたなかやすこさんの昔語りがあり、そのとき感銘を受けて買っておいたのだが、いま書いていることと実につながっていて驚くばかり。

やっぱり原稿の推敲(あわてて送らないで数日寝かすことにしたのだった)に行き詰って、DVDで能楽名演集『隅田川 観世流 梅若六郎・宝生弥一 1977年』(NHKエンタープライズ、2006年、80分)も観た。シテツレ(旅人)で登場する宝生閑の若いこと。ワキ(渡し守)、宝生弥一(1908〜1985)の語りを聞くと「ワキ」方の芸風というのもとても奥深いものだなあとしみじみ。

とはいえ、これは梅若家55世の梅若六郎(1907〜1979)の晩年、放送としては最後のものであり、囃子方の3名を含めて、みんな明治生まれ最後の世代。声は大きくないが、とても優しい。面から流れたようには聴こえない。どこからとは言えないが、何だか不思議なところから響いてくる。それにもまして、その足の運び。

黒い笠がもの狂いの母の情念を隠している。母は、普通に道を歩いているようにはまるで見えない。浮かんでいる。いや、影がゆらいでいるうちに気がつくと移動は行われていて、あれれ、そこはもう隅田川。重力が梅若丸のお母さんの周りだけなくなっている(あるいは、月面程度に減少している)ようにしか思えないのだ。うーん、これは不思議。衣の色も淡く、人間ではないような軽さ薄さ。

でも、夢幻能形式の世阿弥の作品に比べて、元雅(世阿弥の子、若くして没す)のこの作品は、いささか現実的かつ演劇的で、舟に乗りこみ、渡し守の問わず語りから問答が繰り返されて、墓への大念仏とつながってゆくので飽きない。子どもの声の幻の聴こえ、そして幻視が三間四方で納まっているのも特徴かも知れない(世阿弥は、子役の声だけの方がいいと元雅の演出とは違う意見だったそうだ)。


12/28(金)

雨が本降りだ。
正月の食料品の買出しのため、荷物持ちにつきあう。
少し風邪気味なので、生姜の砂糖漬けを口にほうばる。辛い。南京町のおみやげ。
読みかけの本が5冊ほどある。どれから手をつけようかと思っていると、アマゾンの古本がまたやってきて、6冊目に手が伸びる。
未読の本が山積み。未視聴のDVDもけっこうある。

映画館で見たことはあるが、東宝(宝塚映画)なので、松竹セットの中になかった、小津安二郎『小早川家の秋』(1961年、103分)。私たちはこのあと1本松竹で映画を創って(『秋刀魚の味』)亡くなる小津のことを知ってしまっている。でも、小津はそれをもちろん知らない。でも、少しは体調が悪いことは気づいていたのかも知れないし、それよりも、時代の変化によって、いままでのような映画づくりができにくくなったことをひしひしと感じていたように、観ながら思う。

灘の昔ながらの酒造りのオーナー会社が舞台。大きな桶が置かれた道をいそいそ歩くご隠居さん(2代目中村雁治郎)。19年ぶりに愛人に出会って、京都に通いだす。競輪の帰りに、愛人(浪花千栄子)に会ったというが、競輪はどこの競輪だろう(たぶん、灘に近い甲子園競輪場だろうね。2002年3月に廃止。向日町競輪場もすでにあったが、これは灘からはずいぶん遠い)。

関西弁がぴたっとする役者さんとそうでない役者さんがどうしても気になるし、着物の柄とかがどうも東京ぽいようにも思え、溝口健二の描く関西(京都)とは幾分趣が違う。ローアングルの小津流の映画の枠組みは変わらないとしても、イントネーションとか、愛人(妾)宅の下層階級的な趣(成瀬巳喜男映画を思い出させる)とか、松竹の小津映画では出てこない苛立ちとか毛羽立ちが観られて、それはそれで興味深い。森繁久弥組ということだが、バイブレーヤーとして名高い山茶花究(造り酒屋の番頭さんみたいな役どころで、隠居さんの昔の行状とか、複雑な親類関係に詳しい)をはじめて意識して観た。彼が出る映画を意識してまた観たいもの。

わたし的には、新珠三千代の子どもが、『お早う』の弟役の子役で、「もういいかい」「もういいよ」の繰り返しをおじいちゃんとしているところが大好きだし、画面(中井朝一)がふとフランス印象派みたいに見える箇所が2箇所ほどあって(嵐山の法事シーン)、思わぬ発見をした気になる。


12/29(土)

はなにメールして『限界芸術の話』原稿を読んでもらっていた。
はなを応援してくれているひがしのひとしさんも読んでくださったそうで、はなから、ひがしのさんの感想ということで、メールが来た。はなを通じてひがしのさんに了承してもらったので、そのメールを転載して、すこしほっとして、依頼主の上田假奈代さんにその原稿をメールした。以下、ひがしのさんの感想(引用):

《 ぼくたちが歌いだしたとき、片桐ゆずるさんや、鶴見俊輔さん、いわゆる大人たちが、ぼくたちの稚拙なウタを限界芸術論で、応援してくれたことを思い出します。
《 上手下手、プロアマチュア、声の大小、そんなことに関係なくウタはうたってもよい、そんな場を大人の人たちは、作ってくれました。各地にフォークスクールができ、今でいうワークショップの原型がすでにそこにはありました。歌声運動の縦関係ではなく、ばらばらの個人が、毎月一度、自分自身のウタを持ち寄って歌い放題言いたい放題の、表現の天国がそこにはありました。
《 でも今、オリジナリティーという偽の仮面で、片方では商品としてのうた、もう片方では作品にすらなっていない日記のような稚拙なうたが巷に流れています。
《 限界芸術というのは、愚直で賢明な民衆(大衆)という不思議な存在によって濾過されたもののはずなのですが。ウタがもう一度、命を取り戻す為には連帯求めて孤立を恐れずという、ひとりぼっちの鋼のような力強さと同時に、大道芸術の持っている大衆性と生命力の両方が必要だと思います。表現は全く個人的な物で、この両者を兼ね備えることは至難の業ですが、ぼくは小暮はなにその可能性をみています。一点突破の全面展開です。》  団塊の世代のひがしのひとしより。

きのう(28日)夜にNHK教育で放送されていた『冬の入口』を観る。はじめ、長谷川孝治さんが語っていて、稽古場とか弘前の風景とかが紹介されている。弘前劇場の役者は8名だけで、あとの半分は東京の役者。もちろん、弘前劇場の役者中心でのお芝居と比べると、映像のせい(はじめと終わりにイメージ映像などがあるのは論外だし、クローズアップの映し方などもちょっとだけうるさい)もあって、どこか、つるんとしている。

初演などの台本(『長谷川孝治戯曲集―弘前劇場の二つの場所』太田出版、2002)にはない冒頭の台詞(長谷川等ではなく、今回は高橋長英だというだけでも、違和感の原因になるのだけれど)があったりしたので、違和感が残ったのかも知れない。でも、悪いわけはない。映像にしても、まだ映し切れないものは感じられる。つまり、演劇でしか伝えられない何か。

長谷川さんって、大学の専攻は哲学だったよなあ、としみじみ。立正大学って、日蓮宗だということも、劇中のお題目とかが出てきて、ちょっとそんなことまで思ったりするのがお茶の間ならではではある。
AI・HALLだっただろうか、演劇としてみたときはもっとすごい緊張感があり、火葬場の待合室ということもあって、共感したり勉強になったり。むかし、徳島市役所にいたとき、火葬場を新築したのだが、話を聞くだけではなく、釜とかいろいろもっと中まで詳しく見させてもらっておいたらよかったなあ(食肉センターもそうだが)といまになると悔やまれる。


12/30(日)

子ども連れ、車椅子。いろいろ。旗を振ってはだめということで、体に巻きつけた。
花で飾ったチョッキのような段ボールは、NO-MAの展示を思い出した、横浜寿町の頭飾りおじさんほどではなかったが。「米騒動」のプラカードも印象的な登場だった。
天気がなんとかもってよかった。シャボン玉をこんなに必死で吹いたのはたぶんはじめて。
パレード「愛と表現のために」。12時半集合。
ココルームやレモ、レシップなどのメンバーなど。

20名ほどが、ゆっくりと、大阪市役所前から、堺筋をずっと南へ歩き、2時間と20分ぐらいかな、通天閣が見えて、フェスティバルゲートに着く。そこで橘さんのパフォーマンス(フェスゲでの一番最後のアーツパフォーマンスになったのだと思う)をみたあと、三角公園に行き、そのあと、新しいココルームの場所を教えてもらった。4名で最後は歩いていたが、みんな「たちばな」が関係していたのも不思議なご縁。


12/31(月)

月曜日は、わたし的には週のはじめなのだけれど、今日は特別。だって、2007年の終わりだもんね。
さいきん、のんびり。外は北風なのだが、日が照っているので、けっこうぬくい。下の娘がきれいに部屋をかたしてくれた。レースのカーテンまで開ける(芳江はそれを絶対にしない)ので、空の雲がどんどん動くのがよく見える。サティが閉館したので、うそのように静かである、ガラス戸を開けても。

正月飾りも娘が昨日に完了。箸袋に名前を書く。ちゃんと墨を摺ってフルネームで書いた。
さきが、数枚年賀状を書いている。
このブログにアップするのもついでに書いてもらった。あんがと。
娘はじつは「くわい」が大好きなのだという。ゆりねも。
わたしは小さいとき、ゆりねとくわいだけ、正月で食べられず。何でも食べる子のはずだったのに、それが悔しかった(でも、くわいのエグさは大人になると乙なものだと思うのだ、観念的には。が、思い出し拒否とでもいいのか、美味しいのに喉あたりだけ拒否することがたまにある)。

むかしは、日の暮れが一日の始まりだったという。
だから、あと数時間で、今年が終わるわけだ。年越し蕎麦ならぬ、年越し饂飩を今夜は作ると芳江。
よろしく。


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