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こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.1 こぐれ日録525 2007年 2/19〜2/25
《金 障害学というものが物を創ったということは、まだ全然ないと思うよね。ないなかで私らが一生懸命やってきた部分を全部位置づけてしまうと、それで障害学自体の位置づけみたいに、障害学やってる人は、勘違いしているわけですよ。だからそういう勘違いでかすめとるなと。何れのカテゴリーにも属さないというとこが一番私のやりたいこと。「アウトサイダーアート」とか、障害者芸術であるとかいうものが、ヨーロッパやアメリカにあるんですけど、そのカテゴリーにも入れられないように必死にやってるわけ。その概念のない時代から芸術一般としてやってきた。だから、「障害者の」、という範疇に入れられてしまうと、やる側の問題というよりも、求めている周りの側が、そこに押し込めてしまう発想を得て、それ以上もう出られなくなるんです。障害者の場合特に、その「障害者アート」というものに入れられてしまうと、福祉や慈善の対象になってしまうわけ。一般芸術としてやってきたのに、障害学いうものが、態変のやってきたものをからめとってそれを障害学の最たるものと位置づけてしまうようなことは、私らにとってはそれ自体がものすごい迷惑なんよ。》 日本アートマネジメント学会の事務局長さんをしていただいている先生に、2万字を超えていますが・・・とメール。17500字ぐらいだと12ページでちょうどいいということだが、まあ、とりあえずできたら送ってくださいとやさしくあったので、さっそく送らせてもらう。先着順ではないとしても、一応、これでつぎの原稿に進むことができる。こちらも三月末だ。文化経済学会に送ったタイトルと論文要旨≒目的は以下のとおり。 〔目的(はじめに)〕 午後から2006年度教員の教育自己点検・評価のための調査表(http://kogurearts.exblog.jp/5563492/に詳細をアップ)というのを書いて、これも企画広報課へメール。2つ書いたが、一つはテーマ@主要科目の教育自己点検(教育モデル)というもので、タイトルが「アーツマネジメント関連授業におけるアーツへのアクセス機会確保について」。もう一つが、テーマA教育方法の改善と工夫(改善ヒント)で「ノートを取る、質問をする、レポートのルールを知る、マイ事典をつくる」である。 家に帰って、衛星放送を録画していたビデオを見る。
午前中、死ぬために生きている、と言われるぐらい壮大なお葬式をする部族についての本を読んでいる。大宴会、そのためのポトラッチ的なふるまい。そして、葬儀式を成功させるための入念なリハーサル。山下晋司「死を演じる」、吉見俊哉他『演じる2―ポーラセミナーズA』(ポーラ文化研究所、1991年)。次の論文の準備運動。 平行して、ベテルの家についての本も読み出す(斉藤道雄『悩む力』みすず書房、2002年)。これも、親密圏とアーツに関して知っておきたいと思っているからだが、それだけではなく、精神障碍についての基礎知識が自分にほとんどないからでもある。まだ、読み出したばかりだが、賛美歌を歌うことで硬直が緩む箇所があってキラリ。 昼近くになり、昨日確定申告を出しにいって少しほっとしている芳江さんを連れ出して、 15時から1時間ほど、京都府立文化芸術会館3階和室にて、 第28回Kyoto演劇フェスティバル実行委員会企画として、同じ作品2つを、二人の演出家(22日は菊川徳之助によって、オリジナルに近い形の一人芝居2本立てで上演される予定)によって競演するもの。劇評コンテストが公募されているのも特色で、見比べすることとレビューの大切さを知ってもらおうという趣旨だろうと思う。 小さなもうひとつの場所の広田ゆうみが、「傘をどうぞ」の描く「戦地へ行った夫の帰りを待つ日本の女の物語」の部分を演じ、二口大学が「ソウルの落日」の「日本人として戦地で働かされた韓国人の男の物語」を担う。その上で、日本人の女が営む喫茶店に韓国人の男がやってきて、二人のそれぞれのモノローグを、聞いているような、聞いていないような(いつもは自分の身の上に没頭しているが、ふと聞いているときもあるような)状態で芝居がすすんでゆく。ときおり、女が待つ夫になりそうになったり、男が探し出す女になってみたりするが、それは幻想であったといってもいいし、そこは二人の世界の交錯という事態までにはいたらない。 とても印象的なシーンがいくつもあったが、やっぱり鮮やかなのは、竹とんぼのキャッチボールだろう。女が待つ男が作ったという竹とんぼが飛ばされ受け止められ、また飛ばされて、その間も台詞は続いている。 かえり、22日も見たくなったとつぶやく。 以上を京橋のインターネットカフェで打ち込んでから、HEP HALLへ。 このままいくと2時間ぐらいになるかと思ったが、大胆な省略があって(この部分を入れると、きっと、休憩入れて3時間ものになって、シェイクスピアのリチャード三世のような地獄絵になるかも知れない)、1時間40分ぐらい(前の方が腕時計を途中でみたりしていて、やっぱり時計を見るっていまいちだなあと反省していたこともあって、終演時に時計をチェックし忘れてしまったので、あいまい)にまとまっている。 最近ビデオ鑑賞として『京都十三区』を授業で使わせていただいているので、MONOの役者さんの癖とかが身近だからでもあるが、今回、成田役の奥村泰彦のしゃべり方とか性格とかが、変なイタリア人として京都十三区に登場していたときとあまりにも似ているのにびっくりした。エピソード自慢とか自分だけで世界が展開するところとか。 キャラクターで新鮮だったのは、とりわけ、田村(水沼健)で、生前の引きこもり、独り言がそのまま出ているところ。死んで地獄マニアだったこともあり、リーダーになったりするところは、喜劇としての愛嬌だが、この描写はいま精神障碍についての本を読んでいたので、なかなかに興味深かった。坂上(尾形宣久)の二重人格(家庭内暴力だろう)というのが、舞台上には登場しなかったところとか、サウナ舞台のまま、まったりとしたいまどきの自己責任型地獄の登場なのだが、やっぱり、もうすこし、この今(死後すぐの状況)を舞台にもっと展開してほしかったように思えるのは、きっと、お話がすごく面白かったせいであろうし、いや、これぐらいが、平日の19時半から公演ではちょうどいい具合だとも思う。
でも、いえにいると、芸術の公共性論の小難しい体系化よりも、小津映画のなかの日常(いつも晴れていて、おだやかな風景は婚礼のときと変わらない。「東京暮色」は例外的に暗いが雨はふらず、最後は縁側に光があふれ、明るい晩冬か早春の朝である)と婚(縁談、お見合い)・葬(臨終、法事、墓参り)との関係を論じたくなる(「晩春」からの小津映画で、例外的に、こどもを描いた「おはよう」と旅芸人を描いた「浮草」には冠婚葬祭がないというのもいい)。小津自身が宴会を好んだということ。 研究室にどんなメールが来ているか心配しつつも(京都府や滋賀県の方々は両方にメールをしていただいているので、スケジュールなどの予定は大丈夫で助かる)、平日家にいると、みんなは学校に行っているのに自分はサボって布団にいる、そんな宙ぶらりんな気持ちになる。 不活性で不安定な気持ちのまま、夕方家を出る。蝙蝠のように。 『しでかすからだVol.3 〜マイペースでソロダンス〜出前編part.3』をするのは、そう、定休日だから、錬のなかの「カフェ・楽」のスペースが使えるのね。考えてみれば、錬をぶらぶらという予定は無理だった。でも、少し早くお庭で座る。暖かいので、ぜんぜん平気。目の見えない男性も座って、お母さんと一緒に。リハーサルとか音の段取り。BISCOの戎さんだ。何か仕掛けをするのかな? 開場。ひきたまさんが私だとしらないで、「アロママッサージとお茶でほっこり→だらだらライブ」のチラシを私にも手渡す。カシスグレープフルーツをカウンターで飲んでから椅子にすわり、ひきたまさんがわたしを見てようやく気づく。こちらはひきたまさんだ、お店のカリンバすぐに手に持ってちょっと鳴らしているなあ、とかにやにやしていたわけで、おひげ効果満点。 午後7時を柱時計が知らす。低いボーン、ボーン。かなり懐かしい音、久しぶりに聴く。ただ、お客さん二人(障碍のある人とお母さん)がトイレに行ったので、すこし様子見(結局、先にやってくださいということだったので、はじまり、二人ははじまってからかなりしてからばらばらに帰ってきた)。 かなり身体は柔らかそうで(年齢の割には)、踊りも楽しそうだ。衣装もファンキー。後半の曲では、表情に注目されるほど、愉快な音との戯れ。ただ、身体をゆすっているのかと思わせつつ、ジャンプしたり、場の様子を見たり(感じたり)しているようでもある。 つぎは、藤井陽子。彼女は去年の8/12に生野区の教会で踊っていたのを覚えている。 ところが、今度の「コトバとともにうごくカラダ」。 なかにしけいこが、コトバ、いえ、コトバの前には、声そのものを出す。はじめは、出入りの場所だったが、そのうち、客席の後ろに移って、音の場を移動させる。彼女はその音やコトバを体で察知している。いいのは、あんまり、そのままなぞったりしないところだ。あとで聴くと、彼女のものがたりをなかにしけいこが伝えているのではなかったということ。じつは、なかにしと藤井との交流のなかでうまれたコトバだろうから、きっと、13歳の頃、カラダの大きな変化に戸惑ったり、蟻の行列が体内を走ったりしたという体験が元になっているのだろうと思ってみていて、ちょっと、びっくりした。 きっと、4/28,29の黒谷さん、永運院での公演(15時開演は楽しみだ)では、またずいぶん違うパフォーマンスが見られることだろう。 そして、戎敦子「カワズさんの穴入り」。もう薄暗い。夜だ。
やっぱり、男山のそばを歩いて駅前広場にでると目が少し痛い。でも、まだ大丈夫(のはず)。 黒子さなえ『カケラ』ART COMPLEX1928。15時からの公演というのは、いま時分は学生も春休みなので、お手伝いもできるし、鑑賞もできるし、いいかも知れない。京都芸術センターの鑑賞ツアーのご一行という団体組も入った(みなさん、矍鑠とした方々で休憩のときダンス談義もなさっていたようだ)。 こちらも、ちょっとおしゃべりしすぎていたかも知れないが、TAM研のはなちゃんがいたので、あれこれ(ビデオ購入の件、聞くのを忘れた)。TAM研は、あと二人、トミーとカスミン〜トミーちゃん、カスミンちゃんといいずらいので、これで勘弁〜そうそう、竹本さんにひげ褒めてもらった〜は受付と客席誘導係としてお手伝いしていて、現場研修になるのでありがたいこと。 黒子さんには、すでに終わって徐々に伝説になってしまうかもしれない>タフ(TWAF<http://www.tachibana-u.ac.jp/~twaf/archive.html"
target="_blank>、はじめは、関西女性アーティストファイルといっていた)の一番初め(コーディネーター上田かなよ、ふちがみとふなとのデュオコンサートもあったのだ)に、この近くの京都文化博物館別館で踊ってもらったんよと話す。いつですか?と聞かれて、7年前と答えたが、2002年の2月ごろだったから、まる5年であった。それでも、だいぶん時間がたったものだ。 さて、オトノカケラであるが、なんと2004年から21回のライブを重ねてきたと当日パンフにある。黒子さなえの着実な記録を見て、ふと、かなもりゆうこの展覧会とダブった。若いときのがむしゃらさとかひたむきさとかのあと、円熟への少し手前の着実な足跡、営みはこうして記録されてみると、おおって思う。タフもそろそろvol.1からvol.5までを見渡せる記録集でも作っておかなくてはいけないかも知れない(学生さんで卒論にしてくれると助かるのじゃが・・・甘いか)。 前置きが長くなった。この一年ほどダンス鑑賞に萎えていたが、またダンスが好きになってしまいそうな、気持ちのよい思いっきりダンスだった。前半は、音響take-bowで、ほんとに黒子さなえソロの「白日夢[改訂版]」だったが、休憩の後の「オトノカケラ−gekijou−」は、take-bowの演奏が前面に出るはじまりから、ぞくぞくするデュオだった。 やっぱり、後半がよりスリリングだったが(黒の衣装−河崎かなみ−がシンプルにみえて、裏地がカラフルだったりでよく工夫されている)、前半も見所が多かった。白一色の世界、だから白いリノを維持するためだろうか、掃除する人。そこから空気を作る前半。その前の前説。そうそう、前説の前に丸い奥のステージがあいた。これは、全体のダンスの予鈴がわりといえるだろう。 はじまりは、切迫感がまだなかった。わたしとは関係ない世界にいる一人の白い衣装を着た女性がうつらうつらとしている。そこからどうわたしはダンスの世界へ近づけるのか、わたしの接近をちょっとさめて観察してみた。まず動いたのは、音だった。ある程度以上の圧力と関心を引くために、クラシック音楽のときはさめていたが、ノイズ音が断続的に響きだして、自分の意識がちょっと歪んでくるのが感じられる。 繰り返しのスピードアップ。そこにも胸に少しずつダンス鑑賞への気持ちがたまってくる。このチャプチャプいう感じは、昨日も少ししていたし、アーツの鑑賞ダムのように干からびていたわたしの貯水池にダンスの液水がたまってくる。これは鑑賞感情の水面張力のようなものかも知れない。踊りに触れて波打ったりしずまって鏡のようにダンサーを映しこんだりするから。 速度が最速になったとたんの、アッという声、そして直後の消滅。おなかを出すシーンは執拗なオブセッションのように続き、つぶやき、倒れ、ラストに。 後半は、take-bowのライブに、上手奥のドアがそっと開いて黒子さなえが入ってきて閉じられる。そのドアとの接触だけで踊るはじまり。音楽がメロディー的なのが、なんとなく客席を和ましているようにも思える、きっとフラメンコ好きとかいそうでもあって。いや、わたしもけっこうラテンのあっけんからんさの気持ちよさに心ゆすぶられていたもので、気持ちよく、これって中年の女性がフラメンコする気持ちに似ているな。 それからの展開もナチュラルな構成。 奥の小さなステージでの額縁舞踊は、100年ぐらい前のモダンダンス初期へとスリップしたようで、うれしかった。額縁ダンスのあと下手に消える。そうすると、そのこのホールで一番レトロなその部分に音だけ残って、このステージが主役となる。副題の「劇場」を感じさせるシンプルだけれど残る演出である。 さらに、椅子のダンス、そして、思いっきり踊りきるまでの上り詰めていくダンスのシークエンス。こちらもダンス水が自分のアーツ鑑賞ダムにどんどんたまっていくのが感じられて、じつにうれしく充実した午後となった。おわりは、16:25。もうひとつステージがある。受付でだべっていると、黒子さんはすぐ普通にそこにいた。 以上を三条のインターネットカフェで書く。 鑑賞して、比較して、そして、昔からの演出とか劇作の特長とかいろいろ観察して面白かったし、勉強になったが、まず、脚本を一昨日の演出ではカットしていたということが分かった。その省略は説明部分であったり、名乗りの部分であったりで、流れは変わらないのだけれど、同じ台詞でも声の調子とか抑揚の大きさが今日の方が大きいために、ずいぶん印象が違う。 今日の作品は、メッセージ演劇である。内容をしっかりと伝えたい。いまの日本を戦争の時点から考えようではありませんか。弱い女性の視点、日本人として戦地で捕虜虐待の罪で巣鴨刑務所に入った韓国人のお墓の前で。そういう、伝えたい作者の気持ちを演出でより豊かにしよう、だから、お琴を使ったり(岸村英子が若くなってゆく変身のためのインターバルでもあるが)、お墓を作ったりする。 それに対して、一昨日の作品演出は、演劇の時間をそのままそこに投げ出して、観客はそれと対話するものである。たまたまだろうが、異なる空間を生きる(死んでいてもまだそこにある)二人をあえて同じ演劇時間において登場させることで、二人の「間」を描くこと、間までを見せることをしている。 だからメッセージはあるのだが、それは作者が考えたものそのものではなく、演出家、演技者そして観客によって複線化され、その解釈は多面的になる。演技でも、こういう形だったいいよね、というものが生まれたらそれを採用する、そんな自由さみたいのがそこにはあったのではないかと想像する。たとえば、竹とんぼのキャッチボール。 今日のステージを見ると、竹とんぼは、女のもとに竹とんぼが間違って子どもたちの遊び場から飛んでくるものだった。岸田の「紙風船」のように。この小道具は女がこどもっぽい出征した男を思い出し、こんな無邪気な夫が生き延びるとは思えないということを思い出すものであった。でも、一昨日のキャッチボールでは、それだけではなく、なにか、もっと、女と男の過去の交流とか、女の現実遊離の状態とか、もう一人の韓国人の日本とジャワと韓国との間をさまよう心の動きとか、さまざまなものの象徴にもとれるものになっている。暗喩、隠喩としてのステージということかも知れない。
ところが、大学の校務が13時からということがあとで通知されてきて、かなりぶさいくだったのだが、あわてて元町駅に向かい、いただいたお弁当(終わってからゆっくり講師用として出す予定だったもの)を快速電車のなかでいただいた。 そのあとは、すでに始まっていた学部教授会に入り、大学院の関係、そして、大学評議会。そして、流れで人事案件について。 ほっ。 電車の中で気づいたのだが、レクチャー中に手ぬぐいを取り、上着もとったのだが、その手ぬぐいを教室に(たぶん)忘れたみたい。見つかることを、こちらも祈るばかりである。
そのあと、タクシーで海岸通。これが雑貨屋さんが多い南京町(人がごったがえしていた)の南付近かと納得。たまたま入った中華菜家「海岸楽園」で1500円のランチセット。9種類の前菜が充実していて、おすすめのおそばも美味しくアットホームということなし。神戸のお店の水準、とりわけ中華は、実に高いのね。 CAP HOUSEへあがって、ゆっくりと、パフォーマンスのない日のかなもりゆうこ展を楽しむ。 小さな児童公園の道を降りる。子どもたち、親子がいっぱい。このあたりはいい住まい環境だなあ、八百屋さんもあるしお魚さんもあるし。 わたしは、AI・HALLへ。すこし時間があったので、制作の清水さんと話したり、ある図表づくりを思いついたので、それをごそごそ。知っている顔が多い。ドッツの「MONU/MENT(s) for Living」。19時半に開場してしばらくして(36分ぐらいからかな)、1時間のステージがはじまる。 加古里子ぶん・えの「地球―その中をさぐろう」というたぶん絵本のコトバが語られる。
芳江と枚方市立御殿山生涯学習美術センターへ。版画をやっている知人がここを使っているということなので、まず機械が置いてあるところを見学しようと入り口へ向かうと、藤浩志さんが、おもちゃをきれいに円形にしている。絵本にぬいぐるみ。ぬいぐるみは昨日のかえっこ(準備、でも50名も参加、3/11が最終日でかえっこ本番だ)によって出来た小山だという。 プラスチックは、今日のワークショップ「鳥をつくろう!」にも活用されるので、かなり多く持ち込まれている。上に藤さんが作った鳥(おもちゃの破片を利用してつくられた楽園の鳥?と不思議な風景)が飛んでいる。緑や赤、白い鳥はホテルの櫛だけで出来ている。あとでわたしたちも作るのだが、作るまえにもっとよく観察すればよかったと終わると思う。 芳江はまったく参加することなど思いもよらなかったらしいが、はじまるとさっそく羽っぽいものを見つけてくる。ヒヨコも作る。最小の素材でかなりきちっとやっているのを尻目に、こちらは、ミフィーちゃんのおもちゃばかりを持ってきて、どうしようもない。小さなラケットとかはじめはあったが、こちらがぼやぼやしているうちに、平べったいものは大きな円にはなくなってゆく。作業する部屋には、すでに破片が色別に分かれて置かれていて、やっぱり、この山をベースに作ることにする。この色別にする作業はアルバイトを使ってやっているのだと藤さん。 やっとひっつけだしたが、すぐに親指をヤケド。まったく出始めはうろちょろだった。 このワークショップはいままでやったことがなかったそうで、意外だった。黙々とプラモみたいに丁寧に作っていく一人で来た男の子。子どもづれの女性や熟年夫婦、一人で来て、尾の長い巨大な鳥を作っていった中年の女性などなど、すごく面白い作品が次々出来る。これを藤さんが少し補強したり手を加えたりしたあと、展示するという。 わたしたちがワークショップに参加しようとしたとき、担当の方はとても喜んでいた。どうしてかというと、数名しか予約がなかったからだ。昨日のかえっこは50名参加だったのに、今日も参加した人は一人。ところが、当日13時半になるころには、参加者が20名ほどになっていて、うれしい誤算だったようだ。よかった! 2/27から3/11まで、わたしたちの作品も含めての展覧会「楽園の鳥?」がはじまる。 帰り、御殿山神社に寄る。手を洗うところに梅の花が挿してあった。ひっそりとして趣のある神社だった。 |