こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.1


こぐれ日録518 2007 1/1〜1/7


1/1(月)


翁から三番叟。
いつものお正月である。
野村万蔵、おお、いいじゃん。
そのうちに、日の出。こんにちわ。

上の娘が「大こくさま」を歌っている。
明治38年の唱歌だ。続きの歌詞を調べて家族で合唱。
わたしは、吉岡実の「サフラン摘み」を音読する。
  ・・・・・・・・・・・ 
  夕焼けは遠い円柱から染めてくる
  消える波
  褐色の巻貝の内部をめぐりめぐり
  『歌』はうまれる
  ・・・・・・・・・・・

昨夜は、30日に放送された三谷幸喜の有頂天ホテルを見て(アヒルを見てむかしシアタートップスで見た東京サンシャインボーイズの亀づかいを思い出した)、そのあと、家族四人でエリック・ロメール映画鑑賞だった。アーツ鑑賞仕舞い。

『海辺のポーリーヌ』1983年、94分。もし、ブリジット・バルドーが15歳の女の子役だったら、ぜんぜん違うものになっただろうな。

妹一家3人は、上の娘受験のために、大阪市野田の実家に来ず。
わたしたち4人が正月元旦に出向く。うちの娘の映像製作になるかもしれないので、肥後名物、おてもやん、ひょっとこの指人形を出してもらう。短い連句(限界連座)、おふくろの日記帳のはじまりの寄せ絵。ガンバ大阪、応援するも決定力不足で浦和レッズに破れる。


1/2(火)


一人、岩清水八幡宮におまいり。マンションを出て雨が降り出し、傘を取りに帰るが、男山を登って降りるときは、木々のおかげで傘はいらなかった。家族4人分とお袋、妹たち3人分のお祈り。まとめて。

昨夜、家族で『緑の光線』(エリック・ロメール、1986、98分)を鑑賞。私と芳江は2度目なので落ち着いて見られる。新しい発見多数。構図と色彩、小物。偶然に交通する人びと。
真っ暗にして鑑賞しているので、光のかげりがリアル。4人のうち誰かつぶやいたりすることがあって、これは親密圏鑑賞ならではである。ロメールの自作解説とか予告編とかもついているので、そのときにもあれこれ感想を言い合う。

今朝は、4人で『パリのランデブー』(1995年、20年生まれのエリック・ロメールはもう70歳を超えて撮影している。100分)。第1話「7時のランデブー」、第2話「パリのベンチ」、第3話「母と子1907年」。
ロメールがリセで古典文学を教えていたために、若い人びとについての瑞々しい感性を保っていられたのかなあと思ってみたりする。絵画を真正面に捉えた第3話。もちろん重々しいものは何もない。第2話では彫刻が公園のベンチの流れで出てくる。公園のランデブーを7回ほどするだけの映画というのも珍しいよな。オコーディオンで歌うパリの街角の音楽家二人、実際の人だそうだ。

娘二人はバーゲン。ロメールの映画に出てきた主人公(満月の夜だっけ)の赤いマフラー(ロメールが押し付けたと書かれているが)を買うという。正月、ロメール映画を見たために、穏やかでよかったと娘たちに言われる。いつも、正月は荒れてしまうから、大晦日、何度も指きりさせられたなあ。

一人で、「シングシングシング」が最後の方で出てくる『ベニイ・グッドマン物語』(1955年、117分、ヴァエンタイン・デイヴィス)を通して見る。スイングするジャズ、スイングしないムードオーケストラ、クラシックを邸宅で演奏する家族など、音楽と社会の関係がよく出ていて、映画作品としてはまずまずというところかも知れないが(違う社会階層の男と女が結ばれるハリウッド的ハッピーエンド)、ジャズ(ダンス音楽)とクラシック(カーネギーホール)の社会的環境と文化的背景がよく見られて面白かった。

下の娘はまだいるので、今度は3人で『美しき結婚』(エリック・ロメール、1982年、100分)。ロメールになると、階層の違う女(庶民階層で田舎のバロン出身、美術史修士課程学生)と男(上流階層で独立した弁護士)を扱う手触りはぜんぜんロマンチックではない。でも、主人公を演じるベアトリス・ロマンの浅黒い顔にキリリとした眉が、玉の輿を狙う打算という配役を超えてどこか孤独でしなやかな戦士に見えて後味は悪くなく、そのあと彼女が出た『緑の光線』(の役どころ、一人はよくないと主人公に強く言って泣かせてしまう)などを想起したりして楽しむ。


1/3(水)


はじめて、社会的な挨拶をする。
まず、家を出て、男山山頂でラジオ体操をはじめたという健脚のおばあさんに出会う。
わたし:おめでとうございます。
彼女:どなたさんでしたでしょうか?
おお、いつも芳江と一緒だったし、夏からこちらは山歩きをやめちゃっていたし、そのうえ鬚づらになっていた。
わたし:すみません、夏散歩コースを教えてもらった者でして・・・ようやくわかっていただける。

松ヶ崎駅に早く着いてしまう。少し遠回り。京都工業繊維大学のとなりに20メートルのマンション、たぶん、憶測だけれど)ができるそうで、その反対の看板が控えめにいくつかある。大文字とかの絵が描かれていて、それができると見えなくなってしまうという落胆の看板もある。きっと、このマンションの売り言葉は眺望だろう。

アトリエ劇研。15時近くになると大入り満員。布団を追加するために制作の大嶋さんが忙しいのは、とてもいい忙しさである。

こちらも、岩村原太さんご一家とか鈴江俊郎さんとか東山青少年活動センターの西田さん表さんとか、あれこれいろいろご挨拶ができて、ことしは丁寧にお芝居やダンスなどステージアーツにまた向かい合おうと緩やかな(やっぱり、52回やってきたお正月を迎えるおっさん的な鑑賞体力の限度を考えつつ、ね)決意が―三日坊主かも知れないが―、わいてくる。
かえり、元ゼミ生に会って、文化政策っていつ完全消失するのですかあ、という質問にしみじみと、おどけつつ暗くなりすぎぬように答えることもできたしな。

○ 文化する小路をたどりて往き止まりふと見上ぐれば小鷺行き交う
○ 政策を福御すそ分けと言い換えき板書のチョーク未だ残るや

5年たったという「劇研寄席」。いい企画である。大嶋さんは謙遜してベタな企画でしてと言っていたが、正月に6名ものいい役者が集って真剣に古典落語という他流試合をすることは、とても有意義である。そして、うろ覚えという部分があったとしても、面白い。

本格的な、二口大学(「宿屋の仇討」のお侍さんにぴったしの袴姿でした)と、エディ・B・アッチャマン(「時そば」。分かっていて面白いのだからさすが、でもミネラルウォータ―はなくてもできるかも?)のほか、元気のよい岡嶋秀明(動物園)、緊張感がかわいいごまのはえ(正月丁稚)、まじめな感じの藤原大介(始末の極意)、怒ると迫力の水沼健(かんしゃく)も、それぞれに役者の演劇以外の姿がふと覗かれるがごとき高座で、いささかうとっとなったときがなかったといえばうそになるが(前に鈴江さんにわたしが居眠り観劇をしていたことについてちょっと楽しそうに指摘されてそれもまた一興と思ったけれど)、はかま姿で緊張している姿がみんなかわいかった。

高座の舞台美術は川上明子。抽象的で花札的な鮮やかさ。金色づかいも渋い感じなり。
おなじく金色なおざぶをひっくり返して、演者を紹介する紙を捲るのは上田千尋。お茶子という役柄なのだそうだ。大柄でよく働く感じの着物姿で落語の一番若い弟子として前座をやりそうな姿だった。「動物の演劇」の制作としてこれから忙しいという。思わず売り物の『brut』をあげてしまった。

家では、二度目のロメールを二本見た。『木と市長と文化会館』、『レネットとミラベルの四つの冒険』。どちらも授業で十分に使えそうだ。前者は「まちつかい」にも絡めることができるし。


1/4(木)


年末から行きたかった恵文社(ギャラリーアンフェール)の古本市。
芳江と娘を誘っていそいそと一乗寺。
恵文社に到着。あれ、広くなっている。生活館っていうのかな。ミニギャラリーではロシアのかわいいデザインたち。
100%ORANGEさんの新しいポストカードを買ったり、エコバックを買ってつめたり。
わたしが買った古本はけっこうお仕事モード。

日本の社会史第二巻境界領域と交通(とくに地域の芸能興行の実態のところ)。
文化と両義性。これは山口昌男著でむかしむかし読んだなあと懐かしく。
ポーラセミナーズ『演じる2』。特に、死を演じる〜死の儀礼的演出、山下晋司。
明治・大正 詩集の装幀。宮沢賢治の春と修羅第一集も最後のほうにある。
エソテリカ事典シリーズB霊場の事典。死者の結婚式(立石寺)とか即身仏(湯殿山)とか、山形すごい。

あと、新刊本まで買うときりがないので、新宮晋のいちごやクモなど絵本もずいぶん眺めたおして、ひとつだけ。京都お守り手帖2。「それらのお守りはまるで一つのアート」。もちろん限界芸術論に花添えてくれそうだ。

つばめというレストランを聞くと、残念ながらこの近辺のお店はどこもやっていないようで、でも、きっと多くのお客さんが同じように食べ物屋さんを聞くのだろう、かわいい周辺地図を見せてもらう。
猫町まで4人で歩くがここも閉まっていて、すごいインド料理屋さんへはお話のみにして退散、向かいの小川珈琲でほっとする。ほのぼのした散歩にひとときの緊張。京都って一筋縄ではいかないことを立証され。そのあと、トマトパスタを運ぶ店員さんがけつまずいて、緊張が解ける。店員さんは恐縮していたが、これで小暮家に一瞬付きまとった悪霊が祓われて、ぼーっとガラス越しに通りを眺める4人。ロメールだったらきっと短編にしただろうなあと思いつつ、そのあとのお買い物などはパスして家路に。

正月が終わっていて、でもまだその余韻もあって、正月という波が引いていく岩清水かいわい。いっちゃんの清潔なたこ焼きが格別ありがたく美味しかった。

二回目のロメール映画『友だちの恋人』。「喜劇と格言劇集」の第6弾(最後)ということで、5つの作品との関連を考えながら観る。


1/5(金)


ずっと年賀状を書かないでいるのだが、それでも律儀にいただく方もいらっしゃって、昨夜書いて、朝出してもらう。
30枚ぐらいしか書かなかったのに、手が疲れて、ほんとに文字を書かなくなって、漢字はぼろぼろ、なんと書いてあるのか分からないようなものになってしまっている。

近くの銀行に行ったり、すこし整理をしたり。
写真を打ち出して、お袋に送る準備をしたり。
アーツはまるでなし。まあ、何でも、アーツといえばアーツで、お守りのカタログ本をみながら、ぽち袋の本を注文する。

この「こぐれ日乗」のアクセス数も元(一日が70〜90ぐらい)に戻りだす。ということは、お仕事場で見ていただくことが多いということかしら。学生さんなどは、下宿に戻ってからみるのかな。

網野善彦『日本社会の歴史』岩波新書をぼちぼち。いまは、中。古代律令制が崩れていく10世紀後半頃(第6章古代日本国の変質と地域勢力の胎動:道長から清盛へ)の以下のような記述をマークしたりして読んでいる。P33〜34[各種の「芸能」と職能民]より

《 こうした動きは、すべてこれまでの宮司組織の解体と変質のなかからおこってきたのであり、下級の官人のなかには、さきのような受領の下で弁済使となり、受領の貢納物を立て替え、原初的な手形の機能をもった切符、切下文、替米(かえまい。米の為替)等を運用し、富を集める人もあらわれた。さらにまた、本来、宮司のもとに組織されていた多様な手工業者や運送業者、山民・海民などの職能民も、このころには独自な職能集団となり、宮司の寄人(よりゅうど)という立場を保ちつつ、広く社会のなかで自らの職能活動を展開しはじめた。
《 かつて後宮に属していた下級の女官や歌姫が「遊女」とよばれる女性職能民の集団をなし、都を中心に各地の津や泊で船にのって活動し、傀儡(くぐつ)が宿(しゅく)を根拠にすうようになったのもこの動きのなかのことで、やはり何らかのかたちで宮司に属していた双六打(すごろくうち)も博打(ばくち)の集団となり、国々の「博党(ばくとう)」として各地で活動しはじめた。
《 また、悲田院に収容されていた孤児や病者が、同じ境涯におちいった人たちとともに、都をはじめ西日本の都市的な場所で、人びとの畏怖する穢れの清めを職能とする集団になっていくのもこのころのことであった。
《 このような全体的な動向のなかで、貴族的な管弦や和歌から明法、算術、武術、さらに鍛冶、番匠(ばんじょう)、鋳物師(いもじ)、檜物師(ひものし)などの手工業の技術、遊女の好色や博打にいたるまでの職能を「芸能」と見て、そこに「才」の発揮を見出し、そのそれぞれに独自な「道」があるとする見方が、宮廷を中心に広くあらわれてくる。》

天皇家はもとより、摂関家をはじめとする高位の貴族もまた、武者を侍(さむらい)として警固にあたらせるとともに、以上のような「芸能」も含めた各種職能民の奉仕を求めて競合したということ。音楽(器楽)、文学(詩歌)、法律学(明法)、算数(算術)、武術(武道)、手工芸:鍛冶(「金打」の圧縮形カヌチの変化)、大工、鋳物、木工加工:、そして、好色(舞なども含まれるのだろう)と賭け事、これがこの時代の芸能だったのだなあと面白く読んだ。「明法」博士というのは算術にも長けていたりしたそうだ。確かに「法」を明らかにする法学士さんって、算術(数学というよりももっと実務的な)も得意なほうがいいに決まっているな。


1/6(土)


明日から天気が荒れ模様だというニューズを見ていて、あれれ、徳島県美馬市脇町の三味線餅つきがテレビに出てあわてて途中から録画。
3名でついて、4拍子目に餅をひっくり返す手が入って、それが繰り返される。
歌を歌って三味線が数本と太鼓である。歌が終わると、急テンポになって、それが見せ所のようだ。
面白い。どんな歌だろう。

葛葉モールに買い物。
ホントは都銀に用事だったのだが、土曜日開いているとHPに書いてあるのは、資産運用だけだった。
隣の都銀はテレビブースをしていたが、芳江が怖がりやめる。

スリッパ買ったり、ライ麦パンを買ったり。いまどきのスーツケースは軽くてびっくりしたり。江戸の紙切り(というのだったのだろうか、いい加減)を実演していた。先月はゴスペルだったなあ。いつも人が多く集まっている。

マルクスブラザーズ(3人)の映画を観る。『オペラは踊る A Night at the Opera』91分、1935年、製作:M-G-Mスタジオ、アーヴィング・G・タルバーグ(サルバーグ)、監督:サム・ウッド。途中からじわじわ面白くなり、イタリアオペラをアメリカへ興行すること、そして、ショーマストゴーオンよろしく、どんなことがあってもオペラしていくその根性などを見ている。ヴェルディの“イル・トロヴァトーレ”の映像を探してみようかな?

有名でなくても、その歌とか見目とかがよければ、お客はきちんと評価してくれてその評価を即座に喝采という形で表してくれて、その喝采があれば、解雇されたり逮捕されたりする理由がわんさかあっても帳消しとなり、成功がやってくるのよ、というアメリンカンドリームなので、『我輩はカモである』に比べてずいぶん穏当なもの。シーンによれば、ずいぶんナンセンスなものとかもあるけれど。

オペラ劇場の裏方が分かるので、映画の内容とは別に私には面白い。
たとえば、企画屋ドリフトウッド(グルーチョ・マルクス)というのは、オペラ劇場に部屋を持っていたので、オペラ団に所属するプロデューサーということなのだろうか。いまで言うファンドレイジングを未亡人グレイプールの遺産によって可能にする。

オペラがニューヨークにてようやく開演する夜、その冒頭、なぜかドリフトウッド(このときは首になっていた)が挨拶するのだが、その内容たるや実にクール。つまり、未亡人から小切手をもらってこの興行はできたけれど、大成功なので未亡人は投資を回収できるというような実も蓋もないことをいうのだ。さらに、オペラのなかで野球につれてってという楽譜を追加してキャッチボールをしたり、綱元でサーカスの空中ブランコをしたり、いろんなつりものを降ろしたりする。垂直に背景画をのぼったりもしてびっくり。

どうしてマルクス兄弟の映画を買ったのか、もう忘れてしまった。さいきん、インターネットをやっていて、ふと、何かに出会ってこれは手に入れて観てそのことを検証しなくちゃ、おお、と思い、購入したのだけれど、さて観ようとする段になって、どうしてそれを購入したのか、その「おお」を忘れていることがときどきある。まあいいけれど。


1/7(日)


さむいので、閉じこもっている。
たいちょうもきもちも上々。
ただ、ぼんやりしているのが好きなだけ。
こういう日もあるよね。

先月買った雑誌のなかに、『広告批評1月号』があった。なつかしい。
1979年に創刊。創刊してすぐだったか1年してからか、毎月購入していたことを思い出す。10年間ぐらい。
当時は、パルコとか西武百貨店などに夢中だったこともあって、
とても面白く、10代のユリイカ、20代から30代にかけての広告批評という感じだったように思う。

バーコード革命(デザインバーコード)や「オシウリ」がとくに新鮮だった。インタビューにその人の年賀状を入れるのもいいな。

橋本治「ああでもなくこうでもなく」No111の最後のところを引用しておきたい。8p

《 「自分の価値観」を、自分でも意識しないままに持っていると、いじめの対象になる―私は現在のいじめの構造をこういうものだと思っているのだが、なぜこういうことが起こるのか?
《 「方向」という明確なものを有しているはずの教育の場に、それがなくなってしまったからだろうと思う。「いじめ問題」が顕在化したのは、日本に「豊かさ」が行き渡った1980年頃からで、「方向」をなくした教育は、複数の価値観をそこに混在させ、混乱を惹き起こした。「先生の考えに従うやつ」と「先生の考えに従おうとするやつ」の間には、微妙なギャップがある。「先生の考えに従えないやつ」もいれば、「先生の考えに従わないやつ」も「先生の考えを無視するやつ」もいる。これがそれぞれの価値観として乱立併存してしまったら、百家争鳴の戦国時代になる。なってしまったんだろうと、私は思っているのだけれど。
《 この「乱れた天下」を統一するのは、国家ではなく、基礎学習を担当する現場の教師だけのはずだ。》


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